02.累(かさね)-日々つみ重なる心の膿-
01.受け継ぐもの
(どうしてこうなったのか……)
毎夜、なかなか眠れない遠野令。彼女は抱えた頭の中で、自らの状況を振り返る。
数年前、父が亡くなった。企業の代表経営者であり、組織の設立者である父。
物心ついた頃には教育が始まっており、彼女は幼いながらも代替わりで両方の長に就任することになる。
会社を経営、変な組織も運営。
才能と能力は有っても情緒は未発達で、彼女にとっては重責が過ぎた。
生真面目な性格が災いしたのもある。
ヒトであったものを殺すということは、彼女の規律と矛盾して悩ませた……
学校には行っていなかった。
ゆえに友だちもいなかった。
ある時まで。
彼を見つけるまで。
そしてまた彼女を苛み蝕む猛毒があった。
大切なものができたが、それを裏切り続けなければならない。
門倉兄妹は監視対象であった。
割り切っている内はまだ良かった。
情が移った。
彼が涙を流したあの日から、加速し続ける心の変質に。
抗い続けることができるのか……
02.累なるもの
その組織では、心を喪失して化したものを「累人」と呼ぶ。
もっともその存在を忌避するよう、あれやそれなど、指示代名詞を用いて呼ぶ者も多い。
【累】には積み重ね。しばられて離れないもの。という意味がある。
「彼らは世界と関わり合い、心をすり減らし続け、積み重ねた末に残った澱である」
組織の創立者であり、その母体の経営者であった遠野はそう言った。
さて、心が変質してしまった者たちは、皮肉にも強固な異能力を手に入れる。
その強さは転じる前の執着の度合いによる。
獲得する最も一般的なものは、存在の希薄化だろう。
目にしているはずなのに、捉えることができない。
声を聞いているはずなのに、聴き取ることができない。
その時その場所にいたはずなのに、思い出すことができない。
才能や訓練によってその能力を持つ者もいるが、ごくわずかである。
逆に、ないものをあるように錯覚させるものもいる。
それは自己の規定や規範を押し付けるかのように。
昔から一定数いたそれら。
妖怪や心霊現象など、不可思議なものと結びつける者もいる。
何にせよ、累人という存在を知る者は十名と少しである。
組織には幹部が十名おり、彼女たちが直接相対することでしか、それには対応できない。補助要員はそれぞれの裁量で選ぶことができる。ただし責任を伴って。
03.守るもの
その組織の母体は、セキュリティ及びそれに関するテクノロジーの研究開発会社「カクラ」である。
本業を【遠野民間警備】として始めたその企業は、セキュリティという言葉が浸透する以前である当初から「業務の機械化及び自動化」を掲げており、今ではホームセキュリティ、要人警護、サイバーセキュリティに及ぶ。
街中あらゆる箇所のパトロール、ワンコイン警備、航空に関する法律で唯一認められたドローンの大量配置。監視衛星ロケットの開発、打ち上げなど……他社には見られない社会への高い貢献と、そしてタグにすれば「監視社会」「管理社会」「軍事利用」「独占」等の多くの批難がニュースを賑わせることもある。
その企業は外部を取り込むことを厭わず、培った技術を用いることで、警察等のどの組織よりも広く、素早く、多量に、遍く人々を守る機械警備企業として一躍、名だたるものとなった。
日本では警備会社として名高いその企業は、海外においては民間軍事会社とみなされており、実際に所属する者全員が軍事訓練を積み、実戦の経験がある。
今では世界のほぼ全てを監視下に置くその企業には、金の出処、人員、目的において多くの秘密がある。
04.行使するもの
組織の十名は、心を失わないまま、累人のような能力を行使できる。
彼女たちはギフテッドと呼ばれる者たちの中でも頂点に立つ力を持つ。
魔力がなければならない。神器を扱えるほどに。
身体が強くなければならない。想像どおりに動くために。
知能が高くなければならない。及ばない部分を補うために。
それらは人でないものを斃すため、誤ることなく適切に使われなければならない。
それでも及ばない部分は技術と……たまに末端の数の犠牲をもって補う。
少数精鋭。そもそもがいないのだ。
組織の一員は父が文字通り死を賭して集めた。よく成し遂げたものだと令は思う。
行使者はその十名だけなのか?
結論として、在野にも能力を持つ者がいる。
ある時期から、それに基づくある理由から、いわゆる超能力を持つ者は累人と共に増えており……行使者から累人に退廃してしまうことも少なくない。
大抵は自らの力に気づくことがないし、行使されても軽い悪戯程度だ。
スカートめくりや覗きなどの低度なもの。
存在の希釈度合いも低く、普通に逮捕されることもあった。
ときには行使者のまま、上位の能力を持つものが出てくる。
高レベルの希薄化、感覚の鋭敏化、最上位になれば、自然現象を扱う。
戦力に加えたくとも……知能や身体能力が足りていないことが多い。
そして集団には向いていない……それは組織の十名もそうだが。
下手につついて累人に堕としてしまってはいけない。
変質すると力も歪に増して、悍ましいことに用いられるから。
そういうわけで在野の行使者には監視をつけるだけで放置することとなる。
05.こころのうみ
累人が増えてしまう理由。
それは荒唐無稽で、でも現状、現実にあること。
重要で受け入れざるを得ない、組織の長にのみ託される受け継がれたものは。
【ふることふみ】
それは遠野に残された文言。
何度目の試みになるだろう。整理するため、列挙してみる。
・神がいること。三柱。ヒトを守ろうするものはひとつだけ。
・【門】の存在と魔力について。
【門】は世界を巡る魔力の循環システム。魔力は能力行使の際に消費されるもの。
世界すべての魔力は、現世で一人だけが心臓に持つ【門】に流入し、一時的にその者に溜め込まれ、そしてまた【門】を通じて人類全体に対して等分に流れる。
・稀に魔力が多く流れ込み、それを受容し、能力として扱うことができる者がいる。遺伝しやすい。遠野の血族がそうである。そのように行使者や累人は昔から一定数いた。
・十年ほど前から、等しく配分されるはずの魔力に偏りがみられ、累人が増加している。
・人類を救いたいのであれば、それを正すこと。
科学の申し子である令には頭が痛い問題だった。
組織が設立された理由、目的。隠されたもの。
世界でひとりの、門である人間を探し、偏りを正す。
父では見つけられなかった。父は組閣に苦心して、そこで倒れた。
無理難題。
門を持つものがどこにいるのか。
見てわかるものなのか。
捕捉したところでどうにかできるものなのか。
十年以上前のある日。余裕を持って決めたその時期まで。
最新の猟奇事件から、当時世間を賑わせた【連続児童殺傷事件】まで。
遡って、あらゆる事件の生データを精査する。
関連のありそうな単語が並ぶ新聞、オカルト雑誌に至るまで読み込む。
ある事件が累人によるものであれば、より掘り下げてみる。それで発見がなければより広く、遡らなければならない……
探す、捉える。調べる。遡る。その繰り返し。嫌になる。
寝不足を若さと恵まれた体力と栄養剤で埋める。寿命を前借りしているようだ。
そうして約8年分まで調べ、徒労に終えたところで……ふと目を留めた記事があった。
無関係そうだが「奇跡」という単語が並び、神を連想させたから。縋りたいほど疲れていたのかもしれない。
その地方紙には、とある兄妹の悲劇と立ち直るまで。その過程が連載されていた。
内容は交通事故に遭い両親を亡くし、自身も大怪我を負った彼らの、奇跡的な生存について。リハビリを頑張り、順調に治癒、そして退院するまでが綴られる。
まずありえない話である。眼球を負傷することなく、脳に損傷も見られなかった。それがふたりともに。
医師によると、「全くわからない奇跡」だと言う……
令はだめでもともと、同学年でもある彼だ。
シンパシーを持ち、好奇心に惹かれて、兄妹に近づくことにした。
自分にしかできない難題。
自分がしてこなかった問題でもある。
行ったことのない学校。
まずは違うクラスでお試し期間。
……上手くふるまえない。
できない友だち。
彼に近づくにはどうすればいい?
それがわからないままでは、来年度に同じクラスにねじ込んだとしても無意味だ……
存在の希薄化を行使して尾行するだけの毎日……能力の無駄遣い。
これでは自分が変質者だ。
増え続ける累人への対処もあり、遅々として進まないまま年月が過ぎていった。
新しい季節が来れば、クラス替え。
偶然、同じクラスになってしまう。
狼狽して上手くできない自己紹介。
そこから一週間経つ。やはりぼっちのままだった。
とある日、ひとりで昼食を食べていると、監視対象に近しい友人……素行の良くはない……が昼食に誘ってくる。
チャンスだが、ピンチでもある。
人見知りであること。
そして譲れない規則があったから。
「私、食事中にお喋りするのが苦手なの。だからーーー」
続く言葉を、彼は遮る。自分もそうで、だから誘ったのだ。と。
彼、テイマは、見かけによらず、人をよく観ている。
「綺麗に昼食を食べていたからな」
こうして対象に近づくことには成功した。
したのだが。
近しくなりすぎた。のだろうか……
勝手に想っているだけだ。
でもそのおかげで確信を得ることができた。
うる君は【門】だ。
一緒に過ごしていると、多くの魔力を持つ時がある。それがわかる。
門には常に魔力が流入し、蓄える瞬間。それが間近なら感じ取れる。欠陥こそあれど……
その欠陥については、兄妹の事故と現状に照らすと、僅かな推測ができる。
兄の虚弱体質について。
うる君は体調を崩して学校を休むことが多い。
魔力を多く持つ者は、意思に関わらず自身の防衛や治癒に力が優先的に使われる。
そのため、頻繁に体を崩すことはまずない。【門】ほどであれば、余計そうだ。
欠陥があることが推定できる。穴の空いた入れ物に水を注ぐような。
欠陥の事由と、その魔力の行き先については、一旦留め置く。
妹のつよつよ体質について。
一方で、妹のみるちゃんと接するようになると、おかしなことに気づく。
彼女は小柄で、身長は130cmほどである。
トレーニングの類もせず、見る限り筋肉もない。しかし身体能力が人間離れしている。
組織の一員にも劣らないほどに。
その中の一人に九鬼曜子というゴリラがいる。体型に反した、人類の枠組みに収まらないほどの馬鹿力。それに近い筋繊維を持つということは、まずありえないことだろう。
事実を基に、仮説とも言えない推論を立ててみる。
・兄妹の事故は、累人が急増し始めた時期と符合する。
・兄の心臓にある【門】は、そのときの損傷によって機能に欠陥が生じた。
・人類に魔力を等分に流す機能は、その欠陥によって偏り、累人が増えている。
・魔力を行使する機能のうち、自己防衛機能の欠陥により、頻繁に体調を崩す。
妹の力については、なんとも言えない。あまり考えたくはない……
パイプにより互いの心臓が繋がったとき、門の機能が妹に流れ込んだ?
妹を守るという気持ちから、偏って多くの魔力がみるに流れている?
感情的にはしっくりくるが、感情に寄り過ぎているようにも思う。
しかし能力の行使は心の力でもある。自己防衛のための力が妹を守ることに注がれているとすれば、辻褄は合ってしまう。
不可解なことは他にもあった。
それは、兄妹の瞳の虹彩の色が互い違いになっていること。オッドアイと言われるもの。まるで瞳を交換したかのように。
そしてそれを誰も不自然に思わないこと。最も近くにいるテイマですら。
友だちができたことに、柄にもなく浮かれ……兄妹と一緒に撮った写真。
それを「普通」の運転手に見せたことがある。
しかし、虹彩の色を指摘しても、違和感なく見えると答えた。
魔力を持つものにしかわからないのかもしれない。
【門】の偏りにもなにか関係があるのか……
今日も思考の海に漂う彼女。
とりとめのない考えによる試みを繰り返すと、ようやく眠りにつく。