01.きっかけ-ある兄妹に訪れた悲劇は現世に歪みをもたらす-
00-きっかけ
十年前、ある一家が悲惨な交通事故に巻き込まれた。
一家の車の前方車両は黒い錆びやへこみを隠すこともしない、薄汚れたトラック。
大量の鉄骨パイプを積載しており、走る振動によってがたがたと、ときにがしゃんと音を立ててがくつく。見る者によっては不安を覚えさせるだろう。
運転する一家の主は気づかない、気にも留めない。
たまの家族の団らん、愛妻と小さな子らと一緒であれば、なんでもない会話でも夢中になる。
そんなとき、後続車が水を差すというには激し過ぎる猛スピードで追突する。
ぐわぁん!!衝突は、剛性の高い鉄塊同士であることを知らしめる。
内部の衝撃は。勢いよく前に揺さぶられ、シートベルトに押さえつけられて、ヒトが頭から上半身まで脊椎の芯を持っていることがわかる。
頭が、胸が、腹から下が……シェイクされ続ける……吐き気を催すが、許されない。
それだけなら、マシだったかもしれない。
それは玉突き事故となった。家族は前後の車両から挟まれた形になる……
被害について。
前部に座る両親は、振動が終わったとき、座席に挟まれ、Sの字に圧し捻り潰される形で意識を失った。
制御のままならなくなった車のなか、後部座席の子どもたち、ふたりの兄妹はというと。
兄は痛みの中、とっさに妹を庇うように必死に抱きかかえる。
守ることができた。そう信じた満足から……逃れるようでもある。目を閉じた。
しかし、トラックの荷台に固縛されていたワイヤーが解け、パイプがするすると落ちていく。
杜撰な処置だった。理由はあった。激務からくる心身の疲労によってもたらされた不幸。
それらはフロントガラスを貫いた上、まるでそうなることが正しかったかのように。
兄の背をめがけてーーー
音もなく、するりと突き刺さる。
既に意識はなく、痛みもなかった。
守れたと確信したはずの妹はどうなったのか。
無情にも、兄の右眼窩と心臓に刺さった二本の鉄の棒が貫通し、彼女の左眼窩と心臓にそれぞれ杭を打ち、兄妹は対称に繋がった。互いの命が結合して脈打つ。
家族は救急車で搬送されていく。全員、意識不明の重体。
結果からいうと、両親は死んだ。
父親は搬送先の病院で。
母親は病院への搬送要求を拒否され続け、たらい回しにされる内に死んだ。
兄妹ふたりは助かった。なんの問題もなく。不幸中の幸いと言える。
問題は、ときに人は脳を損傷しても……障害を抱え、生きながらえることはある。
だがふたりには後遺症もなく、奇跡としかいえなかった。
医師にも不可解な、あるはずもない事例。
しかし、より不可解で理不尽な事柄がこの時を境に始まる。
それは当時、ヒトでは誰ひとりとして予期することはできなかった、きっかけである。
01-十年後、朝-
成長した兄妹は……
季節は暖かさから暑さへと変わる頃。平日の朝、登校日。普通の学生として生活を送ることができている。
深く寝ている兄。眠気が過ぎて、じりりりりと前時代的な置き時計からけたたましくアラームが鳴り響いても起きることができない。
妹は兄を起こさなければならない。
そういう義務を妹は持っている。そう妹は思っている。
当然、兄妹にも名前はある。
事故に遭遇した不憫な一家、性は門藏という。
兄の名は優瑠、妹の名は珠流。今後はひらがなで表記する。
性は旧字体が面倒であるため、門倉と表記する。
さて、寝坊した兄を起こすためにどしどしと音を立てて妹は兄のもとへ向かう。
最初の頃は忍び込むように……しかし毎日、起きてしまう気配はない。
そうしていつしか音を立てるのを気にしなくなった。
なぜ起こすためにこっそりとしていたのか?
妹には目的があった。
性の処理。
兄は妹の性欲を満たさなければならない。
妹は兄の性欲を解消してあげなければならない。
みるはいつからか、なぜかそんな義務に仮託して、それを行っていた。
早熟だった。
毎朝、約10年続けている。日課である。
「はぁ……んちゅ……」
それはねっとりとしたキスから始まる。
みるは満足そうに、ちゅっと爽やかなおはようのキスをする。それが終わりの合図。
本当に起きて欲しいように思えば、不思議と起きる。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、みる」
うるは何も気づいていなかった。なんとなく身体が熱い気がする。というくらい。
ただ毎朝、妹が起こしにきてくれていると。
鈍感な主人公(物理)。
「今日も起こしてくれてありがとう」
兄妹で一緒に洗面所に向かい、並んでがしがしと歯磨き。
朝食は妹が用意してあって、もくもくと食べる。
登校の準備は昨晩に整えており、着替えるだけだ。
妹とは学校が違うが、途中までは一緒に向かう。
兄妹の義務なので……これはふたりの共通認識。
「「おはようございます」」
マンションを出たところに、いつもの女性が見える。
管理人さんである「陽向 鞠」に挨拶をする。
竹箒とちりとりでお掃除中のボリューミーで母性をたたえるおっとりとした女性。
彼女はゆっくりと表情を整え、にこやかに。挨拶が返ってくる。
「おはよう、今日も仲が良くて、何よりね」
周囲には【不幸な過去を持ちながらも健やかで微笑ましく、仲睦まじい兄妹】
それでとおっている。
兄は管理人さんとのこの日課が好きだ。日だまりの下、心が温まるようだから。
「毎朝、お掃除お疲れ様です」
妹は兄のそんな高まりを感じて、多少妬かないこともない。
「いってきます。いつもお世話になってます」
学校へと足を運ぶ。道中、悪友が合流する。
「おはよう」
名前はテイマ。幼なじみ。オス。兄妹の幼馴染である。
これは、神社の息子だが悪ガキと不良の間という感じのやつ。
風体は長身で金髪。あとピアスをひとつ空けているが痛みに堪えかねてもう片方を空けるのをやめたことがある。
彼は兄妹ふたりと、もう数人だけに……ちゃんと挨拶する。
そういう風に兄妹で躾けた。
ただのガキだった幼年期から思春期にかけて出逢った音楽に衝撃を受け、良くない方の影響ばかりを受け退廃していく一方である。
兄妹が治めてなんとか進級できるほどには登校させられている。
「おはよう、今日もちゃんと来たんだな。偉いぞ」
「おはよう、テイマくん。ちゃんと来られて偉いね」
無理やり褒め、無理やり伸ばす教育方針を採用している。
「ゆうべは家で寝てたからな」
昨晩でなければ、どこで寝ているのか……敢えて聞くことはない。
そこから少し歩けば、もうひとりの友人と合流する。
彼女の名前は、「遠野 令」
名前のごとく自分を律している真面目でメガネないいんちょキャラである。
しかし実際にその類の委員の座に就いたことはない。
内弁慶気味というか、親しいものには礼節を唱え咎めることもあるが、他人に強くない。
不良気味のテイマとはよく言い争う……ことができるほど彼は弁ずることをしない。かわされる一方だ。
令が襟を正すように説いて、テイマが受け流すのが茶飯事。
兄妹がアメ、令がムチという割と損をする役割のように思えるが、令は成果がなくとも、言うだけ言えば少し満足する。
ストレスのもとでありながら発散の対象でもあるのかもしれない。
うる、テイマ、令は同じ学校、学級である。
みると途中で別れ、三人は喋ったり、沈黙したりと、気ままに歩いて登校する。
15分ほど余裕があるなか、教室に着く。
始業時間まで、テイマは突っ伏しており、令は予習だろうか、机に向かっている。
うるはといえば、ぼうっとして過ごす。
今日も平和な一日が始まる……うるはそう思っていた。
そして実際、何もなかった。
02-十年後、昼-
友人と学校の屋上になぜか併設されているおしゃれなテラスで昼食を摂る。
みたいなものはなく、教室で机をくっつけてテイマ、令と一緒に食べる。
食事中は無言。
テイマは家の習慣であり、そこだけは令とも共通するものがあった。
以前、堅物な令はこの習慣のせいで、昼休みはひとりでご飯を食べていた。
そこになんとなしに声をかけたのがテイマで、一緒に過ごすようになる。
食後、ごちそうさまの挨拶をすると、会話が始まる。
大抵が普通のものだ。普通でない友による日常のもの。
だがこの日、テイマが口を開いたニュースの話題になると、少しだけ不穏になる。
「昨日も出たってなー【口裂け女】」
令は訝しげに問う。
「本当?そんな報道されていないけど」
初めてメディアに載ったのは先週のこと。
「周囲の警戒態勢によってか土日で収まった。と思ったら月曜の昨日、やられた。しかも女子高生。年齢に拠るものではないのかもな」
家に帰らない日も少なくない……でずっぱりテイマの耳は早い。
【口裂け女】は先週あった女子児童への傷害事件だ。都市伝説に見立ててそう呼ばれる。
「まぁ、いつものことだな」
年々、猟奇的な……しかも連続的な事件は急速に増加し、絶えなくなった。
全国どこででも、今では当たり前となってしまった。
「報道には規制がかかっている!」
世間ではそんな陰謀論が絶えない。
テイマは愚痴るように。
「とりあえず大人が見回りして集団で登下校すればいいと思ってやがる。休校にもならねぇ。まぁそうなっても、その学校の奴らが制服姿で遊んでるのもよく見るけどな。オレもそうする」
「「するな」」
うると令がハモった。
「まぁ令も気をつけて帰りなよ。家まで送ろうか?」
微笑みを浮かべ、そう言った。他意は全くない。
「そこまではいい」
令はぴしゃりと言い放つものの。
(鈍感系主人公か……?)
と内面ではうろたえ、頬を赤くしそうになるのを、長年鍛えたメガネ力で抑えていた。
実際のところ、令には本当に必要がないのだ。
午後の授業。うるにとって、退屈なもの。
うるは整然としているのを好むが、とりわけ真面目にしようと努めているわけではない。現実的な問題として、堅実に生きている。
勉強をするときはするし、遊び戯れることもある。
そのあたりが、テイマや令と上手く付き合えている理由なのかもしれない。
しかし、他人の気持ちを思いやり、共感や理解することが難しい。
自分の言うことが率直過ぎて理解されないことも多い。
そこは本人が思う課題のひとつではあった。
「そういう個性なんだからそのままでいいんだよ」
妹はそう言ってくれてはいるが……ぼんやり考えていると。
「うる君、門倉うる君」
呼ばれているのに気づく。くすくすと笑う者もいた。鬱屈した授業にあるガス抜きの的。
僕を指したのは、英語教師のイズミール先生だった。
「すみません、ぼうっとしていました」
危うく「退屈だったので」と付け加えようとしたが、流石にダメなことは今ではわかる。
「減点1ですね。放課後、手伝って欲しいことがあるので職員室に来てください」
拘束時間と内容、あと点数のシステムについて具体的に聞きたくなったが、了承した。
合間に顔を洗ったり、ミントのタブレットを齧ったり、なんとか終えて、放課後になる。
「先に帰っててくれ」
テイマと令に伝え、職員室に赴き、入り口に立つ……教師の空間である。その手前、多少の緊張を感じる。
金の長髪にすらっとしたシルエット、それは校内には彼女しか存在しない。
そのターゲットを視界に捉え、喉から名前を発しようと口内まで達するその時。
当の女教師がうるに気づく。迎えてもらい、彼女は座るように促し、彼に質問する。
「なにか悩みでもあるのですか?体調が優れないとか……」
午後の授業は呆けていることが多い。それが教師の間で少し問題になっているらしい。
本気で心配してくれているようなので、真摯に答える。
「いいえ、ありません。強いて言えば、授業が退屈なことくらいです」
にこやかに放つ。午後の授業はいつも、それが眠気を加速させるから。
イズミール以外の教職員の空気がピンと張り詰めるが、うるにはわからない。
彼女は苦笑して応える。
「改善するように努めます」
「よろしくお願いします」
うるが再び笑うと、場が凍りついた。彼にはわからない。
「もう今日は帰っていいですよ。何もなければいいんです」
「でも、手伝うことがあるのでは……?」
三度。
「要件は悩みがあれば聞くことだったので、帰ってよろしいですよ」
双方異なった感情に起因した笑みを浮かべて……
「じゃあ、帰ります。さようなら」
最早、真空のような空気を漂わせるなかで、平然と帰る生徒。
それに他の教職員たちは恐ろしい生徒……そう思った。
03-十年後、夕-
道行く先に校門が見える。まだ少し遠いそこに、友だちと妹の姿があった。
眩くて……たどり着くと、面映ゆい。なぜだか胸が熱くなって、暮れた空を仰ぎ見る。
「どうしたの?なにかあったの?」
心配そうに駆け寄る令。
まっすぐ見つめて。
「先生に悩みがあるのか聞かれただけだよ」
と、そう答えた。
「いや、そうじゃなくって……泣いてるじゃない」
令に言われ、涙が頬を伝っていることに気づく。
「わからない」
本当にわからなかった。意識するほど、なぜか止まらない。
「けど、平気だ」
笑えた。
何でもなかったけれど、今日という日を、絶対に忘れないようにしようと……
そう、思った。
「「・・・・・・・・」」
みるとテイマは黙りながらも、笑顔を浮かべる。その意味はわからなかった。
帰り道。
令と別れて。
テイマと別れて。
少し胸のあたりがからになったような感覚を覚える。
そうして、みるとともにマンションに着く。
すると、ちょうどやってきたかのように、管理人さんが迎える。
「夕食を作りすぎちゃったから、一緒に食べましょう?」
週の半分ほどはその言葉で迎え入れられる。
それは建前だということを、もう妹から聞いて知っているから。
「「ご相伴に与ります」」
と返答するのが恒例になった。
初めのうちは笑われたものだ。
管理人さんの食事はいつも決して高価ではないけれど、手間隙がかかっている。
あとで調べてみれば調理に数時間かかるものであることは珍しくない。
自らつくろうと思っても、料理本には感覚的な文章が並び、破滅的な味になったものだ。
知識以外に必要なもの。その存在がよくわかる。経験もない。
試行錯誤を積み重ねてようやく到達できるものの頂き。
管理人さんはそこにいるのだとわかる。
無理してつくるより、ご厚意に甘えたほうが良い。妹と一緒にそう結論づけた。
メニューはビーフシチュー、サラダと香草の味つけがなされた山盛りのライスだった。
管理人さんは僕のことを大食漢だと思っているのだろうかと悩んだことがある。
「絶対に文句つけちゃだめだよ」
みるにはそう言われているので、提供されるすべてを食べ尽くす。
美味しいが、満腹を通り越し、膨満感がとんでもない。
食休みをとろう……
食べ終えると、汗を流して、横になる……そうしていつの間にか寝てしまっていて。
そういえばちゃんとお礼を言っただろうかなどとぼんやり考えているうちに……
なんでもない一日が終わった。
04-10の0-
令は数少ない友人たちと離れたあと、念のため周囲を一瞥する。
そして路地に駐車しているいかにも高級なセダンの後部座席に堂々と座る。
「【口裂け女】は?」
乗るやいなや、令はドライバーに単刀直入に問う。
「九鬼様が処理しました」
男の返答に、でしょうね。というふうに興味なさげに応じる。
遠野令は律する者である。
自らを、組織を。
構成員は十人と少し。
少数精鋭。
多くの者があれには対抗できないから。
人が人でいられなくなったものは、殺さなければならない。
ある兄妹の事故を境に、猟奇的な事件が急増し、絶えることがなくなった。
衝撃的な内容と犯行の規則性から、都市伝説のように犯人像が語られた。
それらの事件は、心が喪失し、変質した者たちの持つ規範によって行われていた。
その緊急的事案に対応すべく、組織された機関。
その長が、遠野令。
友人のゴシップに頼らずとも知っていたのだ。
【口裂け女】のことは。今日、処理されるであろうことも。
そして今。
令は感じる。
心を喪失しつつある自らのことを。
あれになることで失ってしまう大切なものを。
それがとても大切だと実感したのは今日のこと。
彼女は真面目過ぎたから。
真摯に向き合い過ぎるから。
彼女の「規則」はどうしようもなくカタブツで。
変質したとはいえ、人であったものを殺す。それは矛盾を孕み彼女を苛む。
そして言い訳し続けた今。
彼が守ってくれようとしたから。
泣いていたから。
友だちができてしまったから。
大切なものを裏切っているから。
・・・・・・・・・・・・
変質してしまった者が求めるものは規則である。
自己の規定に沿わないものは排除する。
自他に規範を強制する。
ビジネス文書の合間に書いていると、文章をオノマトペ等で肉付けするの忘れガチ。