第十九話 ヴィヘイムの思惑
「生意気だと思わないかしら?」
黒い馬車の中で悪態をつく。
誰もいないと思われた方向から女性と思われる声が発生した。
「グレンヴィル家の男として間違った行動ですね」
椅子の一角にできた影からニュルリと現れる黒い物体。
影と思わしきその物体は、女性のようなシルエットを浮かび上がらせながら実態を顕わにする。
「グレンヴィル家にブライ家に逆らうとどうなるか、灸を据えるべきかと愚行致します」
完全に姿を現したそれは、私専用のメイド『エミィ』である。
エミィには後ろ暗い背景があるのだが、それが私にとっては都合がよかった。
エミィの背景を探ることは決してしない。
それをしないことが私と契約する条件の一つでもあるし、もしそれを破るなら私は簡単に消されてしまうだろう。
そしてエミィは何もなかったように姿を消す。
私とこのメイドはその程度の関係だ。
だからこそ信頼を寄せる相手でもある。
契約を守っている間は絶対に裏切らないプロでもあるのだ。
「そうね。だからこそケヴィンには希望をもって貰わないといけないわ」
「なるほど、伸びきった鼻をたたき折るのですね。それはとても素晴らしいと思います」
このメイドはとても口が上手い。
こちらが喜ぶ言葉を選ぶことができるし、露骨にもならない。
しかし、こちらに気を使っていることを隠すこともせず、それでいて不快になるような態度でもない。
世渡り上手。
だからこそ私はエミィを選んだし、エミィも都合の良い主であると私を選んだのだ。
そんなエミィの仕事はグレンヴィル家の監視だ。
必要であるなら暗殺もするだろうが、今のところ概ねケヴィンは従順である。
だからこそ先ほどは驚かされた。
アルベルトに婚約の話を持っていくと、いつもと違いすんなりと飲まなかったのだ。
普段ならこちらの話を聞いた後に反論するなどありえなかったし、むしろこちらの意向に沿うように動いていた。
「三年ぶりに帰ってきた息子に恰好つけたかったのでしょう。それに、自分たちではどうしようもないということが身をもって分かるでしょうから、今後がやりやすくなるわ」
ケヴィンは妖精王の雫を手に入れると豪語した。
妖精王の雫はあまりにも有名だ。
それを手にいれるだけで三世代はゆうに暮らせるほどの価値があると言われている。
それほどの効力を持つ霊薬と言い伝えられている代物なのだ。
一説には不老不死、もう一説には無限の魔力が手に入るとか……。
だからこそ手に入れるなど不可能。
これは誰にでもわかる常識だといっていいだろう。
そんな霊薬があるなら国が放っておくはずもなく、その霊薬を巡って様々な争い事が起こったほどだ。
そして、そんなものがあったという事実は一つもない。
つまり、誰かが流したつまらない噂の一つ。
それが国中の人たちにウケて、物語として語り継がれただけに過ぎないのだ。
「それではこちらから妨害工作などは必要ないでしょうか?」
エミィの問に少し考える。
妨害をするならエミィしか出来ない。
そして、今の私に自由に動かせる駒はエミィのみ……。
「それよりもネイルの方が気になるわ。不治の病が治ったんですもの、病気を治す方法がわかれば勲章ものよ?」
貴族が欲するもの。
その一つが国から賜る勲章だ。
それは名誉であり、権力の象徴でもある。
名声が高ければ他の貴族に戦争を仕掛け、土地を奪い取ることも出来る。
この国はそれだけ武力とそれに付随する名声が重要視される。
もちろん同じ国の貴族なので、大義名分もなく簡単に攻めることは出来ないのだが、そんなものはいくらでもでっち上げられる。
大事なのは、他に文句を言わせない圧倒的な力なのだ。
「分かりました。それではネイルの周辺を探ってみます」
そう言うとエミィは再び影の中へと消えていく。
エミィはグレンヴィル家では信頼の厚いメイドとして扱われている。
普段の仕事も完璧なのだが、読み書きも出来るので子供たちのいい先生でもあるのだ。
もう少ししたらアルベルトが魔法を使える年齢になる。
そうなったときは間違いなくエミィが教えることになるだろう。
こんな有能な部下をケヴィンに貸し与えているのも、全ては自分のためだった。
実家のブライ家で権力を握っているのは姉だ。
そして、次にブライ家を継ぐのはその娘と決まっている。
次女である私がトップに立つ機会など無いのだ。
だが、それで満足出来る私ではない。
貴族社会での立ち回りや、魔法、知識、全てにおいて私は姉よりも優れている。
ただ、次女であるというだけで跡継ぎにはなれないのだ。
ならば、この有能さを使って成り上がればいい。
ただそれだけのこと。
そして、その下準備として他貴族との関係強化や、新しいダンジョンの開拓などを進めていかなければならない。
いちいちケヴィンに噛みつかれている暇などないのだ。
だからこそ今回の件で完全に支配下に置かなければならない。
グレンヴィル家を完全に掌握した後、本格的に動き始める予定である。