第十六話 治療
小さな窓から差し込む太陽の光が、水瓶にできた水面に反射して光る。
何重にも行った厳しいチェックを潜り抜けたバッグを背中に背負う。
「水は持ったか? 朝食はちゃんと食べたか? お昼は持ったのか?」
扉を開くと、マーリンが心配の声を掛けてきた。
「師匠大丈夫だって。全部入ってるから、一か月旅をし続けろと言われても余裕だよ」
マーリンの下へ弟子入りして早三年。
魔法も多くのことを学べたが、森の中でのサバイバル生活は俺を強靭に鍛えてくれた。
「魔力は大丈夫か? 途中で盗賊に襲われないか? やはり私が送ったほうが良くないか?」
「師匠……それは話がついたでしょ? 師匠は知り合いに急ぎで会いに行かないといけないんでしょ? タイミング的にもちょうどいいから、俺は妹を助けに領地に帰るって」
師匠に弟子入りした一番の理由は、妹の病気を治す力を身に着けること。
正直魔力痣を治す方法なんて確立されていないから、俺の感覚でしかないのだが……。
だけど、この選択は間違っていなかったと今は思える。
もしこれで無理なら、今の俺にはネイルを助ける方法は思いつかない。
「そうだな。お前は妹を助けないとな……安心しろ、お前は私が知っている魔法使いの中でも一番の魔力制御力を持っている。魔力痣は魔力の暴走が原因だ。他人が他人の魔力制御をするなんて普通は無理だが、お前ならできる。そして、妹の魔力を正常通りにコントロールできるなら絶対治るはずだ」
師匠は魔法への探求がとても深くて濃い。
魔力痣への興味もやはりそれなりにあり、研究対象の一つではあったようだ。
だが、師匠をもってしても治療法を確立することは叶わず、他人が魔力の暴走を制御して治すしかないと机上の空論としてでしか答えを出せなかったようだ。
しかし、その机上の空論を俺が現実へ変えてしまう。
師匠との修業は過酷を極め、魔力制御の精度が知らず知らずのうちに培われていたようなのだ。
師匠曰く。
狙ったわけではなく、俺を限界まで育てようと見極めていたら自然とそうなったらしい。
「じゃあ、師匠今までありがとうございました。こっちのことが落ち着いたらまた会いにいきます」
「ふっ、頑張れよ。しかし、私はいつ戻ってくるかわからない。無理に戻ってこなくていいぞ?」
「大丈夫! 師匠はちゃんと自分の目的を果たして戻ってくる! すぐにじゃないけど、数年後には絶対!」
本編を知っているからこそ言えることでもあるのだが、それ以上に一緒に過ごした三年間がマーリンならば大丈夫という信頼感を持たせていた。
「その信頼は素直に嬉しいな。それじゃあこれが本当の最後の選別だ」
「これは……ありがとう!」
マーリンは自分の首にかけていたペンダントを外し、俺の首へ掛けなおしてくれた。
このペンダントは特別なもので、修行が終わり次第お前にやると言われていたものだ。
別れの選別をもらい、名残惜しくも師匠マーリンと別々の道へと進む。
自分のできることはやったので、あとは領地へ帰ってネイルの病気を治すだけだ。
修行の地であった離れ孤島の森林を出て、王都がそびえ立っている本島へと上陸する。
ついでに王都へ寄ってオリアトーレ伯爵家へ挨拶することも考えたが、今は少しでも早く家族の元へと帰ることを考える。
行きは二日ほどかかった道のりだが、帰りは一日もかからずに走破することができた。
魔力って凄い。
恐らく馬車で移動するなら三日はかかる工程だ。一人旅という部分と、荷物も少ないのでできる芸当でもある。
とはいえ、自分の体力限界ギリギリの範囲だったので、領地に入る前に一休憩入れる。
「ふう。そろそろ行こうかな」
完全な真夜中。
朝出発し、到着したのは恐らく日付を跨いだぐらいになるだろう。
そこから一時間ほど仮眠をして体力を回復させた。
孤島でのサバイバル生活で身に着けた技なのだが、短時間で体力を回復させる技能だ……。
この技術はマーリンから習ったのではなく、習得しなければ死ぬという状況に追い込まれたから身に着けたものだ。
うん。マーリンは師匠としての素質は皆無だな。
できなければそこまでだと言わんばかりの内容だったのだ。
三年ぶり。
暗くて遠望が見えないとはいえ、自分の住んでいた家が見えてくると早足になっていった。
「ただいま」
誰にも聞かれていないでろう言葉が扉へぶつかり跳ね返る。
俺のあいさつを受けてくれた扉を開く……カギは三年前から変わっていないようだ。
家出の時に黙って持ち出したカギがそのまま使えた。
できるだけ音を立てないように自分の家へ侵入する。
まるで泥棒みたいだなと苦笑いしながら階段を登る。
二階の少し進んだところの部屋の前で立ち止まる。
意を決しドアノブへ手を伸ばし中へ入ると、部屋の隅にあるベッドの上に誰かが寝ているのが目に入ってきた。
(ネイル……痣は消えてないな)
ベッドの上には三年分大きくなっているネイルが静かに寝息を立てていた。
六歳になるネイルの寿命は恐らくあと四年。
だが、そんなネイルの寝顔は何一つ苦しそうなところはなく、このままでも幸せに生きていけるのではないかと思わせるようなものだった。
(寝てる間にやっちゃうか。まずは脈拍をはかって)
俺はネイルと自分を同期させる作業に入る。
脈のリズムに合わせるように自分の魔力線とネイルの魔力線を繋ぐ。
あとは、覚えた脈拍のリズムに合わせながら俺の魔力を流し込み、ネイルの魔力と混ぜ合わせる。
普通ならここで拒絶反応が起こるはずだが、俺はそうならないよう絶妙なコントロールをしながらネイルの中へと入っていく。
(同期は完了。あとは魔力門を広げて、魔力の流れを作ってあげれば)
ネイルの魔力門を広げることで、詰まっていた魔力が流れ出す。
いきなり多くの魔力が流れ出すと、今まで少しの魔力しか通していなかった魔力線が壊れてしまう。
そうならないように俺が制御してあげる。
(少しずつ、丁寧に。俺の魔力線と同じになるように)
呪詛のように心の中で丁寧にと唱える。
しばらくそうしていると、ネイルの魔力痣が薄れていっているように見えてきた。
(よしよし。あとは安定させるだけだな)
緊張していたのか、気づいたら大粒の汗が額から流れ落ちるのを感じた。
(ああ、ヤバ……疲れ完全には取れてなかったかも)
治療がもう終わるという直前で、電池切れを起こしてしまったかのように、体から力が抜けていく。
人間は限界がきたら自分の意志など関係なく意識を手放してしまうのだろう。
俺も例外ではないらしく、ネイルの指がピクリと動いたかのように見えた瞬間から記憶が飛んでしまった。
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