一節ブレイル・ホワイトスター8
「えーと。エルシュー神は昔からあんなやつでね。気にしない方がいいわよ。」
エルシュー神と謁見が終わって。
正確に言えば、泣きわめくエルシューを捨て置いて、塔を出た帰り道。
白い街の中心で、リリーは酷く気まずそうに二人に声を掛けた。
ブレイルはつい先程の事を思い出す。
怒りのままに、エルシューを置き去りにして、去ろうとするブレイル達。
そんな彼らを引き留めようとしたのか、エルシューは手を伸ばしながら最後に泣き喚くように叫んでいた。
「あ!思い出した!思い出した!毛先が緑の金髪の!目に十字の模様が入った小柄な子だよ!!それで見つけられるだろ!お願い捨てないでぇ!」
――だとか。
行き成り思い出したとか言われても信じられるはずがない。
そもそも、その邪神とやらの特徴を叫ばれても、ブレイルの気持ちは何も変わらないのだが。
というか、引き留めたいのなら追って来いよ、馬鹿が。
頭を押さえるブレイル。
しかし、先ほどと比べれば頭が冷えたようで、冷静になって口を開く。
「いや、ちょっと着いて行けなさ過ぎて、俺も怒鳴り過ぎたと思う」
少しだけ反省。
「でも暫くあの馬鹿には合いたくないからリリー、謝っておいてくれないか?」
けど許す気は無い。
「え、ええ。その言葉は伝えておくわ」
リリーは酷く同情してくれたようで、承諾してくれた。
しかしだ。ブレイルとパル、二人は大きくため息を付く。
先程は唐突な言葉で、理解が出来なくて、つい塔を飛び出してきてしまったが、結局その“邪神”とやらの正体を最後まで聞けなかった。
特徴とか、何の神だとか、何故“邪神”と呼ばれているのか、それら全て一切。
考えさせろと怒鳴ったが、それぐらいの特徴は聞いておくべきだった。
ああいったが、ブレイルの「この世界を救いたい」この考えは変わっていない。
しかし、分かる事はある。
エルシューは残念だったが、神としての力は上の方だろう。それは理解できる。
『異世界』から人を連れてくる。それも「何人も」とか。
「世界転移」なんて魔法は、ブレイルの世界では存在しない魔法だ。少なくとも彼の『世界』で、そんな偉業を使える人間やモンスターは聞いたこともない。
そんな未知で強力な力を持つエルシューが、勝てないと断言した存在。
だから、分かったことは一つ。
少なくとも、“神”が倒して欲しいと願う敵は。
あの馬鹿神より強力と言う事で、エルシュー以上の“存在”と言う事。
「なぁ、えっと、アーノルドさん。エルシューってやつは神としては、どうなんだ?強いの?リリーは生命の神って言うけど……」
ブレイルは自分達の後ろを歩く、歩くリリーの父に声を掛ける。
少なくとも、リリーより有力な情報を持っていそうであったからだ。年の功と言う奴。
アーノルドは眼鏡の奥に困った表情を浮かべて、小さく笑った。
「ああ、エルシュー様はとても御強いよ。なにせ生命……『原初の神』と言われていて、此処の神様達を纏め上げているぐらいだからね。他の殆どの“神様”は彼には逆らわないし、実力も下だ。異世界から人間を連れて来られるのも彼だけ」
「そ、そうか…」
うん。嫌なことを聞いてしまった。ブレイルは再度溜息をこぼす。
そんなブレイルの隣でパルが問いただした。
「あの、『原初の神』とは?」
「そのままの意味だ。一番初めに産まれた神の事だよ」
その問いにアーノルドは頷くと話をする。
「この“世界”が出来て暫くして、一番に生まれた神。それがエルシュー神だ。生命の源の神」
「生命の源?」
「ああ。――彼がいるから、生き物は生まれ育んでいく。彼こそが、この世界の秩序、そして善そのもの。彼がいるから争いは起こらない。彼がいるから悲劇は生まれない。彼がいるから悪は栄えない。他の神様を創ったのも彼だと声もある。死もなく老いも無い。完全な神。……二柱の御一人、それが生命の神エルシュー」
紡がれた物語にパルは息を詰まらせる。エルシューとは想像以上の存在であったらしい。
それは確かに「生命の神」だ。
普通に考えて、彼はこの“世界”では最強と呼べる存在ではなかろうか。
そして、その“生命”より強い“邪神”とは?彼女には想像するもの、恐ろしく感じられた。
パルの様子にアーノルドは気づいたのか、慌てたように言葉を付け足す。
「すまない。強い力を持っている……っと言っても、戦闘と言うのかな?そこらへんには、あの方は弱いんだ。生命の神だから、命を奪うことは出来ない。与える事しかできない。そんな制約がある」
「制約……?」
「そう、彼はモノの命を奪うと力を失って消えてしまうと言い伝えられている」
「……」
「だから、むしろ“愛の神”や“恋の神”、“光の神”の方が御強い。それに他の“神様”たちも……一応不老だからね。エルシューだけが凄くて、強いという訳じゃない」
説明を聞いて納得する。
「“生命の神”」である以上、彼の能力を聞く以上、言い伝えを聞く以上。
それは、確かに強い力を持っているが、戦力には成らないだろう。
だが、パルが不安げに口を開いた。
「―― ですが、そんな”神様”達より、その“邪神”は強いんですよね?」
その言葉にアーノルドは口を噤む。
重たい静寂が流れる。それは肯定にも近い。
長い間、そんな雰囲気を壊したのは今まで黙って聞いていた少女。
「パンっ」と、今この雰囲気を壊す様に手を叩き、響かせ。
リリーは「ふんっ」と腰に手を当てる。
「仕方がないじゃない!アレはそんな存在!以上!この話は終わり!話したくもないわ!」
強気に、しかし恐怖が混ざった声色で答える。
どうやらその“邪神”とやらは、リリーからすれば、話したくもない存在の様だ。
「でも」と声を漏らすパルに。リリーはビシッと指を差した。
「でも、じゃない!あなた達だって、怖くなって『考えさせてくれ』って、言ったんでしょう?正解よ、正解!今までの異世界人だって、話を聞いた途端『はなしがちがうー』とか言って逃げていったもの!」
彼女の様子から。今の言葉は本当なのだろう。
しかしだ、ブレイルは腑に落ちないと言う目をリリーに向ける。
「…その『異世界人』ってのは、何の力もない人間だったんだろ?」
「ま、そうね……。酷く頼りない奴らばかりだったわ」
話を聞いて、ブレイルは首を横に振る。
「けど俺たちは違う。力を持った人間だ。民衆が困っているのなら見過ごせない。この世界で“邪神”と言う存在は強いのかもしれない。でも、もしかしたら俺達なら倒せるかもしれない。それは対峙してみないと分からねぇだろ」
彼の言葉に、リリーは怪訝そうに首を傾げた。
「――は?でも貴方承諾しなかったじゃない!怖かったんでしょ」
彼女の言っていることは正しい。
確かに「強大な悪」が“神”と聞いて、怖気付いたのは紛れもない事実だ。
相手が強いから恐怖がある。それも嘘じゃない。しかし、それ以上に問題なのは、相手が「神」と言う点。
「あのな、神を殺せ。なんていきなり言われても。はいそうですか……って答えられるか。確かに俺たちの世界では神なんてモノは居なかったが、それでも信仰は在った。そんな存在を殺してくれとか、いきなりは決められないだけだ」
「……なにそれ、相手が“邪神”でも?」
「あのな、邪神、邪神って言うけどな……。その“邪神”とやらはこの街にいるんだろ?でもこの街は平和じゃないか。とてもじゃないが邪神とやらがいるようには見えないんだよ!」
そのブレイルの言葉に、リリーが口を噤み、目を逸らした。
また背弱が訪れる。
「……みんな慣れたふりをしているだけよ…」
少しして、ポツリと。
リリーの言葉にアーノルドも何も言わない。困ったように笑みを浮かべ、頬をかくだけ。パルも何も言えず、俯くだけだった。
その様子に、ブレイルは小さく唸って頭を掻く。そして、辿り着いた答えを口に出す。
「――取り敢えず、どんな存在か見てみたい。一回対峙してみたい。それで決める。パルもそれでいいか?」
「ブレイルがそう決めたのなら、私もそうする。神様と対峙するのは不安だけど……」
ブレイルの出した答えにパルは小さく頷く。
これに驚いたのはリリーだ。
険しい顔のまま、ブレイルへと詰め寄り。
彼女の顔が、目の前まで来る。
「本気で言っているの!?どこにいるかも分からないのよ!」
「今は分からないけど、エルシューが言ってただろ。毛先が緑の金髪、十字の模様が入った目で小柄。そんな特徴的な容姿だ。それに神様は不老だろ?だったら姿は変わってないはずだ。情報ぐらい直ぐに手に入るんじゃないか?」
「!……それは、確かに。……正直、アレの容姿なんて今日初めて知ったけど、でも……」
リリーの顔が険しくなるのが分かる。その表情は、完全に恐怖に染まった顔だった。
ブレイルは、そんなリリーを見て察した。彼女からすれば、その邪神とやらは会いたくもない存在なのは違いない。
そんな存在の容姿が分かったとしても、探す処か、関わりたくない。今、こうして話しているのも嫌なのだろうと。
その存在を探し。剰え会おうとしている、ブレイル達を彼女なりに心配してくれているのだと。
だからブレイルはニッと笑う。
「分かった!この話はこれ迄だ!というか、これは俺達が勝手に決めたことだ。これに関してはリリー達に協力は求めないし協力しなくていい」
「――!」
リリーはブレイルの言葉に、思わず顔を上げる。
何か言いたげな彼女を前に、ブレイルは当然の様に彼女の頭に『ぽんっ』と手を乗せるのだ。
「心配してくれて、ありがとうな。リリー」
彼の言葉に、行動に、リリーは顔を赤くする。
少しして、彼女は真っ赤な顔のまま小さく俯いた。
「し、心配なんかしてないんだから!」
照れたように、撫でる手を跳ね除けたのは数秒後。
再び腰に手を置いて。『ふんっ』と勢いよくそっぽを向いて、彼女は普段の様に声を荒げる。
彼女の表情からは、もう恐怖とかは一切なく、気の強い少女そのもの。
リリーの様子に、ブレイルも、見守っていたパルも安心したように笑みを浮かべる。
そんな二人に、リリーは更に顔を赤くして怒るのだ。
「そ、そもそも考えてみれば。家に居候させてあげるんだから、それだけで十分なことだったわ!手助けとか必要ないわね。むしろ居候の分しっかり働くべきよ!勇者なら“神様”の一つや二つさっさと見つけて倒してきなさい!」
また、『びしっ』と指を差して、リリーは叫ぶ。
言い終われば、そのまま勢いよく背を向けて、街の、人ごみの中へと一人で走って行ってしまったのだった。
ブレイルは彼女の発言に頬を掻く。
「そんな無茶な」と思わず苦笑いを浮かべるが、彼女の調子が戻ったのは良いことだ、そう思えた。
「ありがとう。悪いね。ブレイル君」
リリーが街中に消えた後に、今まで見守っていたアーノルドが申し訳なさそうに口を開いた。
小さな微笑みを浮かべる彼を前に、ブレイルは笑顔のまま首を横に振る。
「いいや!アーノルドさんも期待して待っていてくれよ!俺達があんた達の不安、取り払うからさ!」
「はい!私もブレイルも精一杯に頑張ります!」
そう、自信満々に胸を張って。
正に英雄らしい二人を前に、アーノルドは声を漏らして笑った。
「頼もしいな。……そうか、これが勇者か。……確かに今までの、自称異世界人とは違うな……。うん、私は応援しているよ」
「ああ、任せておけって!」
初めて送られた声援に、ブレイルは胸を「どんっ」と叩いた。
先ほどと違って、和やかな雰囲気が当たりに漂う。
三人分の笑顔が当たりを照らす。
「――!!」
――唐突に、その存在に目を引かれたのは正にそんな時。
瞳の端にある人物が映り、ブレイルはさっと表情を変えた。
……それは、黒の服に身を包んだ、とある人物。
街の中、人の中を通り過ぎ建物の路地に入っていく姿。
問題はそんな“少女”を大柄の男が、3人。
血走った目で、笑みを浮かべながら追いかけて行った事だ。あの様子から“少女”は気づいていない。
「……そうだブレイル君。もし、良かったら、私の研究の手伝いを――」
「悪いアーノルドさん。パルを連れて先に帰っていてくれ」
ブレイルの身体は自然と動いていた。
何か言いたげなアーノルドを押しのけて、ブレイルは街の中へと駆けだす。
掛けられた声は、彼の耳には聞こえていなかった。
◇
ブレイルが向かうのは、勿論先ほど“少女”が入って行った細い道だ。
路地に入ると、そこは入り組んでいるようで、既に誰の姿もなくブレイルは一瞬焦る。
しかしだ。耳を済ませれば微かな声がする。
それは紛れもなく、男の怒鳴り声と、微かな“少女”の声。
ブレイルは声を頼りに、入り組んだ道の一つに飛び込む。
彼の目に最初に映ったのは、黒い影。
1人の、黒いコートを纏った男だった――……。
『それが、再会と言うのなら』