一節ブレイル・ホワイトスター5
この世界に、“神様”と名乗る存在が現れたのは、何時の頃だっただろう。
それはあまりに古い太古の時代からであるため、覚えている人間は存在しない。
一番初めに現れた神は誰であったか、本当の所、もう誰も知らない。
それ程までに、この“世界”では昔から数多く神が存在し、二兎と共に暮らし、細やかな幸福を与えながら、崇められている。それが、この“異世界”の在り方であった。
そんな神と人が共存する『“街”』は、とても美しい。
白を基調とした外壁だけでない。美しいのは住人の在り方だ。
夜が無くなったと言うのに、彼らは文句ひとつ言わない。
「仕方がない」と笑顔を浮かべ、理不尽を起こした神々に怒る事もなく当たり前のように日常に溶け込む。
街に並ぶ沢山の露店からは、店主の大きく通る声が響き。その顔に名一杯の笑顔を浮かべて接客、どこの店からも人柄の良さがあふれ出る。泣いている子供がいれば、誰もが駆けよって対処に当たる。困っている人物がいれば、すぐ様に手を差し出す。来るもの拒まず、誰にでも親切に。まさに温かみにあふれる『“街”』と言えよう。
そんな『街』の中心にある時計台の上に、その“生命の神”と呼ばれる存在は住んでいた。
白いレンガを高く積み上げ、至る所にステンドグラスが埋め込められた白亜の塔。
黄金の鐘へと続く、広く白い螺子階段。
花で飾りつけられ、汚れなど一つもない部屋の中。
真っ白な玉座にも似た椅子に、神エルシューは優雅に腰かけていた。
妙に白い肌、白い髪、切れ長の紫色の瞳。
線の細い美しい顔立ちに、純白の衣を纏い、程よく筋肉が付く細い身体は、淡く淡く輝き。浮かべる笑みは自信と慈悲に満ちている。
それはあの夜、ブレイル達の前に現れた男に間違いない。
対峙したブレイルとパルは、その美しさに思わず息を呑んだ。
こうして面と向かって対峙してみると、彼は人間じゃない。もっと上の存在。神であると嫌でも理解する。出来てしまったわけだ。
そんな緊張から固まる二人とは反対に、2人を紫の瞳に映したエルシューは爽やかな笑みを浮かべ、椅子から立ち上がった。
「――やぁ。勇者ブレイル、そして聖女パル。昨日ぶりかな?頼んだ仕事の方はどうだい?倒せそうかい?」
優しく気品に満ちた声。
“神”なる存在は、まるで親しい友を迎えるように、美しく笑みを浮かべたまま、嬉しそうに二人へと近づく。
思わず傅きたくなる男の前で、ブレイルはただ困惑するしかない。
――まさか本当に、こうも簡単に神様に会えるとは。
エルシューの元に連れて来られたのは、あっと言う間の出来事だった。
昨日の話し合いの通り。一夜明けた今日、2人はリリーと彼女の父アーノルドに連れられ、この時計塔へやって来た。
最初に目にしたのは、時計塔の前に並ぶ沢山の街の住人達。
その全員が、果物やら、花やら両手にいっぱい抱えて、列を作っていた。
それがエルシューの信者たちで、“神”に謁見するために並んでいる……と言う事は嫌でも察することが出来た。
此処まで信仰されている神なのか、と驚いているうちに。
アーノルドとリリーが時計塔の前にいた、妙に美しい容姿をした門番たちに話しかければ、あっという間にエルシューの元に案内されたのである。
と、まあ。そんなのは些細な事だ。
ここで、ブレイルは我に返る。パルを見れば、彼女も同じであったようだ。
2人は顔を見合わせ、頷き合った。
そして意を決したように、真っすぐ。目の前まで歩み寄って来た、神エルシューを見据える。
「エルシュー!お前に聞きたいことがある!」
「うん?」
ブレイルの強気な発言。
しかしエルシューは全く気にしていないのか、微笑みを絶やさない。
どうやらこの神は、これぐらいは何とも思わないらしい。
ならば、とブレイルは一度生唾を飲み込み、言い放つ。
「お前の答えによっちゃ、俺たちは元の世界に戻らせてもらう!」
取り敢えず、これだけは先に言っておくと決めていたことを。
◇
2人は、エルシューから「世界の危機」
そう助けを求められたからこそ、異世界へやって来た。
彼らを助けたい、その一心で。
しかしだ、現実はどうだ。
リリーは「そんなものは無い」と一括。剰え「この“神”は何かと理由を付けて異世界から人を連れてくる」とまで伝えられた。
つまり自分達はエルシューに騙された可能性が高いと言う事。
それならば、彼らが出す答えは一つしかない。
「騙して自分たちをこの世界に連れて来ただけなら、帰らせてもらう!」
それが二人の、当たり前な最後に導き出した答えである。
ブレイルの言葉を聞いてエルシューは口を閉ざす。
かれは一体何を告げるのか、彼の言葉を待つ。
僅かな間が流れる。エルシューは何も言わない。
……少しの間。エルシューは何も言わない、
…………いや、長い間。エルシューは何も言わない。
あ、いや。
何も言わないけれど変化はあった。
微笑んでいたエルシューの顔が見る見ると、変わっていったのだ。
怒ったか、いや怒りじゃない。
眉を「ハ」の字にして。
目に沢山涙をためて。
口を「へ」の字にして。
――なっさけない顔である。
「えええ!?なんでぇ!!僕の事すてないでぇぇ!」
そして、ようやく口を開いたかと思えば出たのは、情けない声である。
しかも何を思ったのか、エルシューはそのままブレイルにダイブ。
わんわん泣きべそをかきながら、鼻水を垂れ流しながら、抱き着いて来たのである。
うん、これは酷い。
◇
抱き付かれたブレイルはあまりの事に固まる。
勿論隣にいたパルも同じだ。彼女は、数歩後退った。
いままで“神”として在った男が、だ。泣きわめき始めるとか、ドン引きでしかない。
「おま!?きたな!!は、はなれろ!!」
我に返り引きはがそうと引っ張るが、エルシューはびくともしない。無駄に力強い。
ぐすぐす泣きながら
「捨てないで」だとか
「僕が悪かったから」とか
「力かすから」とか、色々駄々洩れである。
あまりの事にブレイルが後ろにいた。アーノルドとリリーに助けを求めるのも仕方がない。
2人は苦笑いを一つ。アーノルドが口を開いた。
「エルシュー。彼らは貴方に聞きたいことがあって来たんですよ。まだ見捨てていません。最後まで話を聞いてください」
「ふえ?ききだいこと?捨てでない?ほんとぉ?」
アーノルドの言葉に、エルシューは漸く身体を離す。
鼻水がブレイルの服にベットリ張り付いて、まだグスグス泣いていたけれども
「どうしたんだい?」
キョトンとした様子で、問いかけてきたのだった。
「どうしたんだい…じゃない!」
我に返ったブレイルは、エルシューの頭をバコンと一発。
エルシューは「痛い」と泣いて蹲った。その様子に苛立っても仕方が無い。
泣くエルシューにお構いなしに。いや、神の威厳とかもう粉々になっていたから、ブレイルはエルシューに掴みかかる。
「お前!!俺達に強大な悪がいるって言ったよな!!それを倒してほしい!そうだよな!!助けて欲しいって言ったよな!」
「う、うん」
「それなのに、詳細も言わずに突然異世界に飛ばして、全部投げやりにして、ほったらかしとかどういうつもりだ!!」
「う、そ、それは」
「何処だよ、その強大な悪って!!」
「だ、だから……」
「つーか、聞いたぞ!お前は適当な理由を付けて、異世界から人間を何人も連れ込んでいるだけって!人間を繁栄させるためだけで合って、此処には魔王とかいないし、世界の危機とかも無いって!!どういうことだよ!!」
――と思いの丈をぶちまけてやった。
しかし当然である。
何度も言うが「助けて欲しい」なんて言われたから、承諾したら。そのまま異世界に飛ばされて……それは良い。自分達が選んだことだ。
問題はどうして、なんのために、本当は何の用で、ここに連れて来たか。そして、あやふやの謎のまま放置されたことだ。
「巨大な悪がいる」なんて言われたが、この世界に、そんなモノいるようには見えない。だからブレイルの怒りは至極当然な物だ。
エルシューは、
エルシューはブレイル怖いと泣いた。
その様子に、ブレイルも「ぶちっ」と来た。
そこからはもう勢いだ。さっきから勢いしかないけど。
「エルシュー!お前、俺達に助けて欲しいって言ったよな!」
「言ったよ!君達、承諾したじゃないか!あ!!それを途中で投げ出すのは酷いよ!」
「途中で投げ出したのはテメェだろ!おかげでこっちは、パルと離れ離れになったんだぞ!」
「重かったんだもん!仕方がないじゃん!」
「おも…!」
ブレイルの勢いに、エルシューは流されるままに答えていく。
いや、自分たちは重かった、と言う理由で投げ捨てられたのか。
「なんで探しに来なかったんだよ!!」
「僕が君たちの居場所、知る訳ないだろ!!!」
……もう一発殴った。
あまりの言い訳に、信者であるはずのリリー達もエルシューを庇う事はしない。
パルだけは「落ち着いて」とブレイルを止めたが。
彼女に止められて、ブレイルは僅かに怒りを収めた。次の本題に入る。
「もういい、じゃあ…」
「ひどい二回もなぐっだぁぁぁ!!」
「おいはなし…」
「暴力はんたいだぁぁ!!」
「だから、はなし…」
「びぇぇぇぇぇぇ!!」
「………」
勿論と言うべきか、話は一切噛合わないけど。
――うん。理解した。ブレイルは一つ理解した。
この男に遠慮は必要ない。
いや、と言うかこの男、この神。――駄神だ。
何故、お前が被害者ぶる事が出来る?
被害者はどう考えてもブレイル達だぞ。
ブレイルは再度拳を作り上げる。
「泣き止め。もう一回殴るぞ」
「ッひ!ご、ごめ…ど、どうして英雄ってやつらは皆こうも怖いんだよぉ」
結果、エルシューはしゃくり声を上げながらも泣き止んだ。
その時の殺気は、すさまじい物だったと後でパルは言う。
『泣き虫な善伸は何を言う』