逃亡劇
「よし、行くぞエレミア」
「そうね、私達と一緒に居る所を見られたらキサラが怪しまれてしまう――キャッ!?」
アースはエレミアを抱きかかえると勢いよく部屋を飛び出した。
幸い部屋を出た瞬間を衛兵に見られてはいなかったので、キサラが疑いをかけられることは無いだろう。
「――ちょっ! あ、アース!?」
「……ん? どうした?」
アースに抱きかかえられたエレミアは、顔を赤らめながら混乱した様子だった。
「なっ、なななんで、私を抱える必要があるのよ!?」
「ああ、すまない。確実に逃げ切るにはこの方が良いと思ってな。居心地が悪いとは思うが我慢してくれ。……それに、先程も同じ方法で逃げてきただろう?」
「いや、さっきは急だったから……その……それに、居心地は別に悪くはないというか……」
結構な速さで移動しているアースであったが、そのアースに抱えられているエレミアは、揺れなどの負担を感じている様子がない。
ダンスの時もそうだったが、体捌きや重心の動かし方に習熟していないとこうはならないだろう。
もっとも、エレミアが居心地の良さを感じているのは、別の理由もあるのだが。
「いたぞ! こっちだ!」
移動中衛兵の一人に発見され、応援を呼ばれてしまう。
しかしこれはアースの目論見通りであり、囮としての役目を果たすために必要なことだった。
「よし……このまま衛兵を引き付けながらキサラを援護するぞ。エレミア、少し揺れるかもしれないからしっかり掴まっててくれ」
「う、うんっ!」
そう言ってエレミアはアースの首に手を回し、振り落とされないようしっかりと力を込めて掴まる。
あまり速すぎて振り切ってしまうと囮の役目を果たせないので、付かず離れずの距離を保ちながら、時間も稼ぎつつ逃げ切らねばならない。
「はっ、残念だったな! こっちは行き止まりだぜ!」
アースの進行方向から、槍を構えた三人の衛兵が行く手を阻むように数人飛び出してきた。
しかし、それを見越していたアースは慌てた様子もなく、瞬間的に速度を上げ、人一人を抱えているにも関わらずにすいすいと衛兵達の合間を縫うように駆け抜けたのであった。
「――くっ! 速い!?」
「物騒だな……今日は舞踏会だろう? このような日には、槍なんか持つよりそっちの方がいいんじゃないか?」
「なんだと!? ――っ!? こ……これは……鉄の、花? 何が起きたと言うんだ……?」
衛兵がふと槍を見ると、その穂先が花の形に変化しているのに気付き驚愕する。
アースはすれ違いざまに槍に触れ、『天与』を使うことで、刃の部分を花の形に変形させ、無力化していたのであった。
魔王軍に居た頃では、このように相手の武器に触れ、一瞬で形状を変化させるといった芸当は不可能だっただろう。
精神的な圧迫や負担から解放されたアースの成長は著しく、とどまることを知らなかった。
「くそっ、こいつ奇妙な術を使うぞ……! 武器に何かされたのか? 皆、武器に触れられないように気を付けろ!」
何かされたのかは間違いないが、何をしたのかは彼らには皆目見当もつかないだろう、
近付くことを警戒したのか、後続の衛兵数人が杖を構えて魔法の詠唱を始める。
「いいか、気を付けろよ。男は殺しても構わんが女は無傷で捕えよとの命令だ。間違っても当てるんじゃないぞ!」
「了解! ――放ちます! ファイアーボール!」
杖の先から拳大の火球が次々とアースの足元を目掛けて放たれる。
「――くっ! 館の中で魔法を使うとは……! 『天地創造』!」
まさか屋内で魔法を使うとは想定していなかったアースは、虚を突かれた形となり、一瞬判断が遅れた。
それでも直撃を避けることは容易いが、火球が壁や床に当たって起こる爆風や、爆発によって発生する破片などがエレミアに害をなすことを危惧したアースは、その場で床を踏みつけ『天与』を発動させる。
すると、一瞬で廊下一面を覆う程の壁が床からせりだし、放たれた火球を全て受けきった。
今やアースは手で触れずとも、壁を作り出す程度ならば、足先に意識を集中させることで『天地創造』の効果を及ぼせるまでになっていた。
「なっ……壁が現れた……? くっ、魔法を撃ち続けろ! 壁を破壊するんだ!」
更なる追撃のため、先程よりも大量の火球がアースの作り出した壁に向かって射出される。
しかし幸いなことに大規模な魔法を使わない程度の分別はあるようで、下級魔法程度では強化を施された壁を破壊することはできていない。
「無傷で捕えると言っておきながら無茶をする……! ――そうか、エレミアだけを無傷で確保したいということは、やはりこの件も奴の差し金と見て間違いないな……」
アースは自分の心に、怒りの感情がふつふつと沸き上がってくるのを感じていた。
エレミアを狙って様々な策を講じていたのはアースも気付いていたが、どれも未遂に終わり直接的な被害は受けていなかった。
それ故に報復しようなどとは思いもしなかったが、先程のように直接的な手段を取ってくるのならば話は違う。
自分だけならまだしも、エレミアにまで危害が及ぶのであれば見過ごすわけにはいかない。
それに、自分の家族を策のために平気で犠牲にするなど、正気の沙汰ではないと言える。
「許せんな……あのダストンに吠え面の一つでもかかせてやろうか……!」
アースがここまで誰かに憤りを感じたのは生まれて初めての経験だった。
それが自分のものとは思えない程に、黒い感情が込み上がってくるのを抑えきれないでいた。




