撤退
「わかっているさ、リューグ……もとより我々は敗北者だ。部隊はもう撤退させる」
「隊長……! ありがとうございます!」
「……レオナルド・リーフェルニア。今言った通り我々は撤退する。攻め入った立場でこんなことを言うのがおこがましいのは重々承知している。だがこのまま我々を見逃して欲しい……頼む!」
ゴラウンはレオナルドへと向き直り、再び頭を深く下げた。
「最初に言っただろう。我々に争う意思はないと。あくまで自衛のために戦ったまでだ。これ以上何もしないと言うのならば、我々が攻撃することはない」
「レオナルド・リーフェルニア……感謝する」
「まあ、本音を言えば領地を更地にした責任は取って貰いたいところだが……魔王軍からの援助を受けるわけにもいかないからな」
「――すまない」
街が更地同然になったことで、リーフェルニアの人々はしばらくは苦しい生活を強いられるだろう。
今は避難所に残された数日分の食料を頼りに、新たに生活環境を整えるしかないのだ。
しかし当然であるが魔王国からの補填などは期待できない。敵国から秘密裏に資源を受けとるなど、もし露見しようものなら繋がりを疑われて領民全員処刑されるのが普通だろう。
その辺りの事情を理解していたゴラウンに出来ることは、謝罪の言葉を述べることだけだった。
「ゴラウン……だったか、改めてフレアルドの回収を頼むぞ。あんな奴でも今の魔王国には必要な人材だろう」
アースはフレアルドの対応をゴラウンに託した。
放置していても死ぬことはないとは思うが、念のためにだ。
「アース……さん。わかっています。フレアルド様も魔王国を想ってくれているはず……今回の件で考えを改めてくださると信じています」
「ああ、俺もそう願うよ」
ゴラウンはそう言っていたが、どこか彼の表情に影を感じ、何やら決意めいたものを感じたたアースだったが、深くは追及することはなかった。
ゴラウンは隊員の一人にリューグを背負わせ、部隊の陣形を整える。
「――皆、撤退だ! 怪我人は陣形中央に、とりあえず魔王国領土まで最短距離で帰還するぞ」
ゴラウンらには幸運なことにここは辺境の地である。
近隣に軍事施設は無く、帝国軍からの追撃を受けることはないだろう。しかし、帝国領であることには変わりないため、国境まで引き下がろうという判断だった。
「了解!」
そして部隊が歩を進めようとしたその時だった。
「まって!」
群衆の中から、カノンが飛び出し滅戯竜隊の元へと近付く。
滅戯竜隊の面々は、幼い少女が不用意に近寄って来たことで、少なからず動揺していた。ただ一人の人物を除いて。
「お前……どうしたんだ?」
リューグは隊員の背から降り、近寄ってくるカノンに対し怪訝な面持ちで言葉を投げかける。
その行動の意味がわからなかったのだ。
カノンはリューグの元へと辿り着くと、その小さな体を目一杯使ってお辞儀をした。
「まぞくのおにーさん! カノンを助けてくれてありがとうございます! また、遊びにきてねっ!」
「あ……」
なんてことはない。目の前の少女ははただ助けてくれたお礼を言いに来ただけだったのだ。
ただの言葉一つに、リューグは胸が熱くなった。
自分の行いは正しかったのだと思わせてくれるぐらいには、その言葉はリューグの心に深く刺さったのだ。
「――リューグだ」
「え?」
「名前。おにーさんじゃない」
照れ隠しのようにカノンへと名を伝えるリューグ。
本来なら必要のないことだったが、なんとなくそうしてしまったのだ。
「うん! またね、リューグおにーさん! あ、あとこれどうぞ!」
まるで再び会うのが当然だと思っているかのような言動に、しょうがない奴だとリューグは苦笑いしてしまう。
そしてついでのようにカノンから麻袋を手渡された。
中には入っていたのはリューグが口にした果実だった。
入っている数こそ多くはなかったが、切り分ければ部隊全員に行き渡らせることができそうだ。
これは今の滅戯竜隊にとっては非常にありがたい贈り物だった。
今厳しいのは彼女らも同じだろうに、貴重な食料を譲ってくれたのだ。
つくづく変な連中だと、リューグは改めて思った。
この時、彼の中で一つの目標が出来た。今度は何のわだかまりもなくもう一度この少女に会いに来ること。
それは叶わないことなのかもしれない。しかし目標に向かって努力することは出来る。
今まで明確な目標を持たず、燻っていたリューグの目にはいつの間にかギラギラとした光が宿っていた。
そしてこの出来事が、リューグの人生を大きく変えることとなることを、本人はまだ知らない。
「――さあ、先を急ぐぞ。……リューグ、私はお前がこの場所で何をしたのか、何があったかは聞かない。他の部隊の者も何も聞いていないし、見ていない。いいな?」
「隊長……ありがとうございます」
リューグの行いは魔族からしてみれば異端である。
ゴラウンらは実際に目の当たりにした訳ではないが、何となく察してはいた。
しかし、全員が胸の内にしまっておけば罪にはならない。他の隊員達もまた、リーフェルニア領の魔族への風変わりな対応に、少なからず好感を抱いていたのだ。
こうして、滅戯竜隊はリーフェルニア領を去った。
アースの胸中に一抹の不安を残して。