第4話 全体研修
10時になり、磯島さんが部屋に戻って来た。
「これから、全体研修を行います。
とは言え、やる事は1つしかありません。
名刺の渡し方、受け取り方です」
(え? 皆と一緒に何か作ったり検討したりしないの? 研修ってそんな事するの?)
「皆さんはこれから、社の代表としてお客様の先へ行き、交渉したり打ち合わせを行ったりします。
しかし、その前には名刺交換から始まります。
他の国では笑いながら握手を交わしたりして、自己紹介をするようですが、此処は日本で相手の方も日本の方です。
他の国の習慣は、関係ありません」
此処で磯島さんが一呼吸おいた。
「まず、皆さんは各々の名刺を名刺入れに入れて下さい。
終わり次第、実際にどのような感じで行われるのか、やってみましょう」
名刺入れは、確か鞄の中に入れておいたはずだ。
名刺入れを取り出し、入社式の時に渡された名刺を入れる。
俺は「それっぽい」という理由だけで、革の名刺入れを選んだのだが、周りにはアルミの名刺入れを持ってきている人もいた。
(あれはあれで、スタイリッシュな感じがして格好良いんだよなぁ……)
名刺入れを開き、数にして10枚くらいの名刺を入れる。
(そう言えば、名刺を入れるところが2つあったけど、何でだろ? まぁ、良いか)
「さて、皆さん用意が出来ましたね? では、難波君、出て来てもらえますか?」
「はい」
呼ばれた難波は、磯島さんの方へと歩いて行く。
手と足は互い違いに出している。
「それでは始めましょう」
磯島さんは内ポケットから名刺入れを取り出し、名刺を1枚取り出した。
「私、ソフトウェア株式会社人事部の磯島と申します。
よろしくお願いいたします」
そう言って、難波へと名刺を渡す。
その後、難波も名刺入れから名刺を取り出して、磯島さんへ名刺を渡していた。
「どうぞお座りください」
磯島さんの言葉で、難波が席に着き、名刺交換は終了した。
「難波君、ご協力、ありがとうございました。
では、難波君の名刺交換で悪かった点を挙げてください。
分かる人は居ますか?」
特に問題があった様には思えないのだが、あの言い方だと悪かった点があるという事だろう。
「はい」
斎藤が手を挙げた。
「斎藤君、どうぞ」
「先に磯島さんに名刺交換をさせた事だと思います」
「はい、そうですね。
理想としては下の者、訪問者から行うようにできれば良いのですが、難しい場合もあります。
その時は、『申し遅れました』と一言添えれば問題ありません。
また、名刺交換は出来るだけ素早く、スマートに行うものです。
相手がもたもたしているのを見せられるのは、気分が良い物ではありませんので」
「はい」
「田中君、どうぞ」
「受け取った時に、お礼をしていませんでした」
「はい、そうですね。
受け取った時には必ず『頂戴いたします』の言葉を添えて下さい。
他にはありませんか?」
皆、黙り込んだ。
「それでは、最初からもう一度行います。
今度は、悪かった時にそこで止めますので、何が悪いのかを考えてください。
難波君、もう一度お願いします」
そう言って、磯島さんは立ち上がった。
遅れて、難波も立ち上がる。
「名刺を返して貰えますか? 同じ名刺は何枚も必要ないでしょう」
そう言って、難波の名刺を難波へと差し出す。
磯島さんは受け取った自分の名刺を名刺入れへと仕舞い、名刺入れを内ポケットへと入れる。
「では、始めましょう」
再び、難波と磯島さんによる名刺交換が始まった。
そして、難波が名刺を受け取ろうとした瞬間に、磯島さんからストップの声が上がった。
「さて、どこが悪かったのでしょう? とは言え、皆さんからは見え難いので、今回は正解をお話します。
難波君の指が、名刺の私の名前に掛かっていました。
名刺の文字を、指で隠してしまってはいけません。
どうしても隠さなければ受け取れない様であれば、社名、氏名以外の所を持つようにしてください。
それでは続けましょう」
名刺1枚受け渡しするだけでも、そんなに細かい所まで気にする必要があるのか……
この後も、素早くすると言っても名刺を突き出すのではなく、放物線を描くように差し出すこと。
受け取った名刺は直ぐにしまわず、座った後も机の左側に出したままにしておくこと。
その時は、席順と同じようにしておくと、名前が確認しやすいということ。
その後は、互いに向き合って名刺交換の練習をした。
学生時代とは違う神経の使い方に、色々と疲れてしまった。