第6話 宗教戦争勃発 ~負けられない戦いがそこにある~
「だから~、そこの{}はこっちでしょ?」
「そっちに置くより、こっちに置く方が分かりやすいですよ」
「そうやって、行数を稼いでもダメだって」
「そんなつもりはありませんよ。
こうした方がブロックの開始と終了がはっきりと分かるから、こっちの書き方の方が好きなんですよ」
「ん~、どうしてもダメなの?」
「そうですね……これだけは譲れませんね。
でも、どうして僕だけはダメなんですか? 中垣内さんも同じ書き方をしていますよ?」
「中垣内さんのソースを、俺が見ることは無いからね。
でも、水島君のソースはみることがあるから。
その時に違和感を感じるから止めて欲しいんだ」
迫野さんとディスプレイ上のソースを見ながら、激しい討論を交わしていた。
何の話かと言うと、プログラム上の区切りとなる{}の位置が行末に書くのか、改行してインデントを飛ばした後に書くのかと言う事だった。
迫野さんは行末派、俺は改行派だった。
プログラム上は、どちらでも問題ない。
{}の数があっていればきちんと動作する。
見た目と行数の差でしかないのだが、これがなかなか根深い問題なのだ。
迫野さんの『行末派』は、行数を稼ぐためにやっているんだろ? と言われるが、こんなものは1行しか増えない。
IF文やSWITCH文などで増えていくとしても、物の数ではないはずだ。
それよりは、俺達『改行派』の方が、圧倒的に見やすくなるはずだ。
しかし、行末派はC言語の教科書的な本(プログラミング言語C)が行末派の形式で書かれていることを盾にして、これを絶対としている。
それならば、俺も『行末派』になれば、全て円満解決になるかも知れないが、身体に染み付いた癖と言う物はなかなか抜けない。
何も考えずにプログラムを書いていくと、自然と『改行派』で作っている。
無理矢理、『行末派』を意識して書いていくと、そちらに気を取られてプログラムを上手く書いていけない。
『行末派』を強制されてプログラムを作るのが遅くなったら、それはそれで文句を言われてしまう。
どうせ怒られるのなら、『改行派』だということで怒られる方がまだ良い。
少なくとも、お客さんに『改行派』だからと言うことで怒られることは無いが、開発が遅れたら怒られてしまう。
迫野さんとの宗教戦争の方が、実害は少なくて済む。
それに、頑なにこのまま『改行派』でやって行けば、何時かは諦めるかも知れない。
『水島のコードは改行派だから見ません』とか言うはずはないだろう。
俺なら理由が余りにも幼稚で言えない。
迫野さんを『改行派』へ引き入れて勝つという必要は無いが、『改行派』を認めさせるという引き分けには持ち込む必要がある。
絶対に負けられない(ただし、勝つ必要は無い)戦いが、此処にはある。




