69 小さな抵抗 2
森の奥から放たれ矢は、吸い込まれるように虎人へと突き刺さる___
そう思われたが、しかし実際はそうならなかった。虎人は既の所で矢を掴み上げる。完全に不意を付いたかに思えた攻撃であったが、事前に矢を放った者の殺気を捉えていたのだった。
手に力を込め、掴み取った矢を握りつぶす。
虎人は矢を放った人物の元へと勢いよく走り寄る。その口元は僅かに崩れていた。それは好奇心からくる笑いであった。
虎人は常に周囲を警戒し、気配を把握していた。
狼人から指示を出されていた者たちは、最初は距離を取るように離れていったが、その後引き返すようにこの場に戻って来ていた。それが先程のアラクネや犬人である。しかし、それらとは違い少し離れたところで留まっている気配が幾つか存在していたのだ。
しかしそれらはアラクネの子らとは違い、向かってくる様子をみせていなかったので位置を把握していながらも虎人はそれらを無視していた。
だが状況が変わった。離れていた者が己に牙を向けてきたのだ。
本来であれば、取るに足らない存在であるはずだった。子供の攻撃など虎人からしたら児戯にも等しい。先のアラクネが特別なだけであって、他はただの無力な子供でしかない。それは懸命にも歯向かってきた犬人も同様である。
しかし、この矢を放った人物はあきらかに違った。
その者が矢を放った位置は、虎人が居た位置からかなり離れた場所であった。
距離にしたら少なく見ても百歩以上離れていたであろう。そのような距離を、それも森の中という視界が遮られ場所で正確に撃ちぬく。並の技量ではない。素人では不可能なことだ。
己に牙を向けた者へ距離を詰める。確かに距離は離れていたが、虎人からしたら一瞬で距離を詰めることのできる間でしかない。そして虎人は数度の瞬きの間に接近してみせた。
たどり着いた先、そこにいたのは二人の幼い子供であった。
人間族__いやちがう。
よく見るとその瞳の数が人間族とは異っていた。その瞳からは多量の涙を流し目は赤く充血していた。涙を流すその姿はただの子供にしか見えない。
虎人は眉をひそめる。あまりにも幼い。
この者らが先程の攻撃を行ったと言うのか。
アラクネ種や犬人ならまだわかる。両者は高い身体能力を有しており、戦士と呼べる者も存在している。しかし、目の前の__単眼族・多眼族は身体能力が高い種族とは言えない。どちらかと言えば魔力に高い適性を持っている種族であったはずだ。
単眼の方の子供に視線を向ける。その小さな手には体に見合わぬ弩が握られていた。ではやはりこの幼子が先の攻撃を。
虎人は二人に向かって歩きだす。
「近寄らないでっっ!!!!!」
三眼の少女が涙を流しながら大声を上げて虎人を睨みつける。もう一人の少女を守るように一歩前に乗り出し、手を横に広げ通せんぼをする形で立ち塞がる。
「来ないでっ!!!!」
恐怖と怒りがない交ぜになった瞳を虎人に向け、体から絞り出すようにして声を張り上げる。
その時、微かな変化を虎人は感じ取る。
少女の声を無視し、虎人はさらに近寄る。両者の距離はどんどん縮まっていく。
虎人が感じ取った微かな変化は、少女に近付くにつれ次第に大きく、そして今ではハッキリと感じ取ることができる。
そして、それは激変した。
「……っっ近か寄るなぁあああああああああああああああ!!!!」
急激に膨れ上がった魔力の奔流が場を支配する。
その膨大な魔力は魔法へと変換され事象を引き起こす。
周囲からかき集められた大量の水分子は少女によって一瞬にして気化していく。水分子を振動させたことにより気化した水は100℃に達する高温となり、そして気化した事により体積は1700倍となる。急激に膨れ上がった気体は凄まじい衝撃を発生させる。
その圧倒的なまでの破壊力が虎人へと襲いかかる。
常人であれば深刻なダメーを受けたであろう。場合によっては即座に命を落とすことさえあっただろう。
「グオアァァァ!!!!!!」
虎人は咆哮をあげた。
虎人は体中に巡らせていた魔力を体内で練り上げ己の身体を強化する。そして高められた魔力を凄まじい勢いで外へと放出する。荒れ狂う魔力は嵐のように周囲を荒らしていく。
少女から放たれた魔力は、より強大な魔力によってかき消された。
少女の決死の攻撃は、虎人にダメージを負わすこと叶わなかった。
「…!? お姉ちゃん!!」
単眼の少女が悲鳴に近い声をあげる。そこには地面に倒れている少女がいた。己の限界以上に魔力を使用したため、その反動により意識を失ってしまったのだ。
「お姉ちゃんっっ!! お姉ちゃんっっ!!」
倒れた少女に向かって必死に声をかけ続ける。姉と思われる少女を懸命に揺すり起こそうとしていた。しかし、魔力を使い果たし意識を失った少女の瞳は開くことはなかった。
「……ヒック…、お姉…ちゃ… …ヒック…… 」
大粒の涙を流し、姉に縋り付き声をかける。しかしその声に応えることはかった。
虎人はゆっくりと歩み始める。少女と虎人との間には遮るものは何もない。あと数歩も歩けば少女へたどり着くだろう。
少女は涙を流しながら、虎人を睨みつける。そして倒れた姉を背中に庇うようにして前にでる。手元にあった弩を手繰り寄せ、矢をつがえようと必死に弦を引く。しかし上手く行かない。弦を張るにはかなりの力が必要なため、非力な少女では弦を引くことが出来なかったのだ。それでも懸命に何度も矢をつがえようとしては失敗する。次第に少女の手からは血がにじみ出してきた。それでも必死に姉を守ろうと、繰り返し弦を引っ張り上げる。
「弦を引くことも出来ぬ、そのような非力でどう抵抗する。」
少女と虎人の距離は無くなっていた。足元にいる小さな少女に、虎人は静かに少女に声を掛ける。
「……ヒック… …ヒック……」
それでも少女は弩を手放さなかった。自分に出来ることはそれだけだとでも言うように、引けない弦を必死に引いていた。
虎人は手を伸ばすと少女が手にしていた弩を掴み上げる。奪われそうになった少女は必死に抵抗するが、両者では体格が違いすぎる。抵抗むなしく簡単に奪われてしまう。
「うあぁぁああー!! あああーーーー!!」
少女は虎人の足元に掴みかかる。何度も拳を振るい、そして噛み付く。
だが非力な少女では虎人に傷一つつけることは出来ない。
「武器を奪われても立ち向かうか。 クククッ、本当愉快な奴らよ。」
アラクネ種といい、犬人といい、この単眼・多眼族の姉妹といい、この者らは本当に自分を楽しませてみせる。虎人は笑いが止まらなかった。
奪い取った弩の弦を引く。虎人の力であればこの程度容易い事である。そしてそばに落ちていた矢をつがいそれを少女へと手渡す。
「さて、武器は揃ったぞ。 単眼族の子よ、撃ち抜いてみよ。」
虎人は己の胸へ矢の先端を突きつける。その先には心臓が位置している。このまま矢を発射すれば心臓は貫かれてしまうだろう。
単眼の少女は涙を流しながら、目を逸らさずに虎人の顔を見る。そして躊躇うことなくその引き金を引く。
ゼロ距離から放たれた矢は虎人の胸に深々と突き刺さる____事はなかった。
放たれた矢は心臓はおろか、はるか手前、虎人の体そのものに傷をつけることが出来なかった。その鋼のような肉体は弩をもってしても貫けなかった。
「迷いなく引き金を引くか。なかなか肝の据わったものだ。」
少女の顔を掴み上げる。虎人の巨大な手に対して少女の顔はあまりにも小さかった。ほんの少し力を込めただけで簡単に潰れてしまいそうだ。
虎人は少しづつ手に力を込めていく。少女の顔がギリギリと絞めつけられていく。
「ひぎっ…… んぎぎぃ…」
声にならない悲鳴が少女の口から漏れる。顔を強く握られているので大きな声を出すことも出来ずに、少女の顔が苦痛に歪んでいく。大量の涙、そして鼻や涎で少女の顔はクシャクシャになっている。それでも、少女の瞳は虎人を見据えていた。
しかしいつまでも耐えられるものではなかった。少女を襲う恐怖やそして痛みに、少しずつ意識が朦朧としていく____
「離してやったらどうだい。」
透き通るような声で虎人は話しかけられる。声のする方へと視線を向ける。そこには姉妹程ではないにしても、さして変わらぬ小さい者がいた。
「そんな小さな子に手をかけて、いったいどうしようと言うんだい?」
「どうもせぬな。この者らは勇敢にもワシに立ち向かってきた。だから礼を持って応えているだけだ。」
「なら、もういいじゃないのかい。キミの礼は少し強すぎると思うよ。」
「フンっ」
掴んでいた手を離す。顔を離された少女は地面に倒れ込んでしまう。意識を失ってはいないが、その瞳の焦点は合っていなかった。未だに朦朧としているにだろう。
「グルルルゥゥ!!」
「アセナ、落ち着いて。無闇に襲いかかっちゃだめだよ。」
小さき者の隣で、声を唸らせ今にも飛びかかって来そうな犬が、歯を剥き出しにして虎人を威嚇している。
小さき者は、宥めるようにして犬の頭を撫で、落ち着かせようとしている。
一見只の子供にしか見えないが、虎人はその者の正体を看破していた。
「___妖精まで出てくるとはな。その犬っころも同じく妖精か……。本当に変わった奴らだ。」
アラクネ、犬人、狐人に単眼・多眼族と来て今度は妖精ときたものだ。その纏まりの無さに笑うなと言う方がおかしいと言うものだ。
「よくもまぁこれだけの種族の子供を集めたものだ。妖精に魅了され集まったのか、それともあの狼人に集まったのか。」
「シュンは魅力的な人だからね。皆彼に惹かれているのさ。もちろんボクもそのうちの一人なんだけどね。」
「なるほど。確かにあの狼人には興味を引かれる。奴はいったい何者だ。」
「それは直接本人に聞いてみたらどうだい。シュンが話してくれるかどうかは別だけどね。」
「応えてはくれぬだろうな。さて、ではワシはもう行かせてもらうとするか。」
もう要用は済んだと言わんばかりに虎人は妖精のそばに近付いていく。正確に言えばその後ろ、そこにいる者に。
妖精の後ろには、狼人を始め気を失っている子供らが横たわっていた。それらはこの妖精らが皆を守るために運んでたのだ。
「キミの狙いはピピィだったね。何故彼女を連れていくのかな。何が目的なんだい。」
「そんなものは知らん。ワシは依頼通りその娘を連れていくだけだ。」
「連れて行かないでってお願いしても無駄なのかな。」
「無駄だな。ーーーー抵抗するか。」
グルルル!!
妖精犬が唸り声をあげる。それを小さな妖精が撫で落ち着かせる、
「いや、抵抗してもキミを止めることは出来ないだろうね。だからボクはボクに出来ることするだけさ。」
「そうか、ではもう行くぞ。」
虎人は横たわっているハーピー族の娘を軽々と持ち上げ、肩に担ぎ上げる。重さを感じさせぬ動きで、そのまま森の中を歩いていく。
「ーーすぐ返してもらいに行くからね。だからそれまでピピィを丁重に扱ってくれないかな。」
虎人は後ろを振り向き、凶悪な笑みを浮かべてみせる。
「ククク、なに、悪いようには扱わん。そう伝えておけ。」
再び歩み始めると、虎人はそのまま静かに森の奥へと消えて行くのだった。
森の中、ハーピー族の娘を抱えて移動している虎人は、己の後ろに向かって言葉を発する。
「本当に面白い連中だ。さて、まだまだ楽しむことが出来そうだな。そうは思わぬか?」
誰もいないはずの場所、しかし虎人は確かに見えない何かの気配を感じ取っていた。
補足程度ですが。
ネルエルザが放った魔法ですが、水蒸気爆発に近い物を発生させていました。
ただ、単純に発動させてしまうと、周囲に被害が及んでしまうので、
魔力によってある程度指向性をもたせていました。
その分必要になる魔力が膨大になってしまい、あのように欠乏症になり気を失いました。
もし何も考えずに魔法を放っていたら、
自身や後ろにいたウルエルザにも被害が及んでいたと思います。
お姉ちゃん判ってたんですね。
はてさて、さらわれてしまったピピィはこの先どうなってしまうんでしょうか。




