61 醜い欲望を満たす為に……
落ち着いた室内、そこで落ち着き無く足を揺らしている男が、顔を僅かにしかめながら椅子に座っている。ベルトの上に被さるように乗っかった腹が足を揺らすたびに僅かに振動する。
油の乗った顔に、皺が刻まれる。普段人前では見せない顔ではあるが、室内には使用人以外は誰もいない。表情を取り繕う必要もないのだろう。
「折角集めた荷を失うとは……。」
少なくない額を使い集めた荷は、男の予期せぬ所で失うこととなってしまった。これは男にとって手痛い損害となってしまった。その荷そのものに膨大な金銭的価値が有るわけではない。それに損害率も商売全体から見たらまだ目を瞑ることが出来るものだ。しかし、時には金銭的な損得だけでは測れないものというものがある。今回の荷がまさにそれである。
男は辺境の町で商いをしていた。辺境と聞くとあまり良い印象は受けないが、その言葉とは違い男の商店は安定した商売を行っていた。男の家系は代々商人として商店を経営し、男も自身の父親から店を継ぎ、上手く商いを行っていた。
しかし、そんな安定した商いであったが、男は現状に満足していなかった。幼い頃から商売の為、色々な町へ足を運んでいた男は、いつしかそれらの街に惹かれるようになっていた。そしていつしか自分もそちらへ進出したいと考えるようになっていく。より大きな街へ、より店を大きく。
しかし、商いとはそんな簡単なものではない。新たな街へと行けば、そこでは新たな既得権利やしがらみが存在し、外から来た者が容易に入り込める隙間などはないのだ。
それでも男は己の欲望を捨てることは出来ず、そして月日は流れていった。
男が五十歳になろうかという頃、商売は先代の時よりさらに発展を遂げ、辺境で有数の大店となっていた。商人としての才能が、向上心が、男を大商家へと押し上げていったのだ。しかし、大店になても男は己の欲望を満たすことは出来なかった。大店とはいえ所詮は辺境、王国全体でいえば、木っ端に過ぎなかったのだ。
国内で有数の大商人ともなれば、権力との繋がりも当然ある。大商人だから繋がれるのか、繋がったから大商人になれたのか。そのどちらかはわからない。
そして男はその繋がりをもってはいなかった。
己の環境に、男は満足出来ずにいた。もっと上を、もっと高みを、男は届かぬ地位に思いを馳せていた。
そんな男の前に、ある話が舞い込んできた。
――ある貴族が特別な荷を求めている――
それは市井には広がっていない話であった。
噂話__いや、そんなものですらない。ほとんど知られることのない話であり、噂すら流れていない。では何故男の耳に入ってきたのか。それは男が商人、それも辺境の商人であるからこそ知れた情報であった。その荷は少しばかり珍しい物であり、何やらきな臭いワケありのものであることはすぐに分かった。それは王都や主要な領では知られると不味いものなのかもしれない。だからこそ辺境で集める必要があるのだろう。
それは男にとってまさに千載一遇のチャンスであった。叶わぬ願い、欲望、そう思っていた所に、突如として一筋の希望が、成り上がる為の道が開けた。
辺境の街を主とし、時には他領へ。何度か王都にさへ足を運んだことのある男にとって、その軽快なフットワークは今回の荷集めは正に適任であった。その足を活かし、これまで培った情報網を駆使し、本業である商いを部下に任せつつ、男は荷集めに勢を尽くした。
男にとって少なくない額を荷集めに費やした。堅実な商人からしたら目を疑う行動である。しかしそれをもってしてなお余りある利があると男は信じていた。
そしてそれは現実となった。
その荷はそれなりに高値で取引された。しかし、男にもたらされた利はそれだけではなかった。
男は権力との繋がりを得た。
この取引で莫大な財を築けた訳ではない。利益だけで言えば、素直に今まで通り商いをしていた方が、もしかしたら利をもたらしたかもしれない。しかしこの貴族との繋がりは男が今まで渇望してやまないものであった。男はそれを手に入れたのだ。
これは男にとって正に人生を賭けたギャンブル。
男はそれを掴み取ったのだ。
うだつの上がらなかった一地方商人から御用商人への大出世である。
それからというもの、男は積極的に荷運びに精を出した。荷がありそうな場所へ自ら向かい、人手を集め、情報を集め、積極的に荷を集めた。
取引をするようになってから、既に二十を超える荷を貴族へ売り渡していた。これは他の商人達より群を抜いて多い数であった。
幾つもの荷を運んだことにより、男の顔は貴族に覚えられるようになっていった。初めは使いの者とのやり取りであったが、今では直接拝眉するまでに至っていた。一平民の男からしたら、これはとんでもない偉業であり、まさに己の欲を満たしてくれる物であった。
この繋がりを断ってはならない。男はこれまで以上に荷運びに心血を注いだ。
こうした取引を続けることで、男は少しずつ貴族から信用させるようになっていった。とはいえ仲良く親密になるという訳ではない。あくまで貴族と商人としての関係であり、そこにはれっきとした身分差があるのだ。
男はそれに対して思うところは何もない。世の中はそうなるように出来ているし、それに逆らうつもりなど持ち合わせていない。男は商人として、上り詰めたいのであり貴族になりたいわけではないのだ。
いつものように貴族に取り入るために荷を届ける。男は荷を届ける際に、他にも幾つか別の荷も貴族へと届けていた。荷を集める際に立ち寄った街や村などからその地の特産品や貴重な嗜好品などを積極的に集め、こうして貴族へと届けているのだ。
その日は珍しい酒を持参して貴族の元へ荷を届けた。この酒は市井には出回っていない異国のドワーフ産の酒で、一瓶で金貨数枚はくだらない一品だ。それを惜しげもなく貴族へと届けると、貴族は大層気に入った様子であった。それもそうだろう、商人をしている男からしても、滅多にお目にかかれない一品だ。本当ならば自分で嗜みたい程である。しかし、男は己の地位を固めるためにそれを手放したのだ。
気を良くした貴族は、いつもより饒舌となり様々な事を語ってくれた。高価な酒に酔ったのか、それを嗜む自分に酔ったのか。あるいはそのどちらもか。普段であれば余計なことを言葉にしないその貴族も、尊大ではあるが、上機嫌に言葉を紡んで男に話しかけてきた。
そしてそんな貴族から、ある言葉が不意に放たれた。
それはうっかり漏らしてしまった言葉なのか、あるいは別に隠す必要のない言葉なのか。今となっては分からない。しかし、その言葉は男にとっては聞き流すことの出来ないものであった。
ルヴァレリア侯爵
それはこのスレンディア王国にとって、その絶対的な位置に君臨する大貴族である。侯爵という地位はもはや平民からしたら雲の上の存在であり、貴族という枠の中で見ても上位に位置する。
そんな侯爵の名を目の前の貴族は口にしたのだ。
平民である男にとっては、目の前の貴族との間ですら覆すことの出来ない絶対的な身分差が存在する。しかし、ルヴァレリア侯爵とはそんな目の前の貴族ですら抗うことの出来ない絶対的な存在なのだ。
話を聞くと、どうやら今回のこの荷集めも、元を辿ればそのルヴァレリア侯爵が発端らしい。目の前の貴族は、その侯爵の為に荷を集めていたのだ。
男は、奇しくも王国内有数の大貴族と、間接的では有るが関わっていたのだ。
この事実は男にとって、ありえない出来事であり、ただの平民には一生涯縁のないものであったはずだ。それが現実として、はるか遠くではあるが、繋がりを持つことが出来た。男は興奮を隠すことが出来なかった。しかし、目の前には貴族がいる。不遜な態度は取ることが許されない。必死になって体勢を取り繕うとする。しかし、この湧き上がる興奮が収まるはずがなかっった。その感情を男は必死に隠し、その場をやり過ごしたのだった。
それからというもの、男はこれまで以上に、荷を集めるのに力を注いだ。当たり前だ。ここで人生を賭けぬ商人などいやしない。そんな奴は裏路地で好き勝手生きていればいい。自分は遥か高みへ行くのだ。
男は荷を集めに各地を回っていた。店は信頼できる部下に任せ、自身は地の果てへと足を運んでいく。より珍しい荷を求め、貴族からの信頼を得るために。
その日も同じように荷を運んでいた。王国の外に足を運び、国内では手に入れるのが難しい荷を求め、そうして苦労を重ね手に入れた荷物であった。
それを紛失してしまった。
いったい何故……。
男は困惑し、そして同時に焦っていた。
商人にとって荷の紛失は常に警戒しなければならない出来事であり、注意を払っていた。今回も荒くれ者だが腕の立つ護衛を幾人も付けていた。であるにも関わらず、荷は男の元に届けられることはなかった。
護衛が裏切り荷を盗んだ? いや違う。あの荷は貴族に売り渡すからこそ価値があり、それ以外では大した額にもならない。素直に護衛を引き受けたほうが金になる。危険を犯す必要がない。
誰かに奪われた? まだそちらの方が可能性がある。しかし誰が奪うというのだ。商人の男からみても、あの荷にはいくらかの価値もあるようにはみえない。危険を犯してまで他者が欲しがるとは思えない。
では荷の近親者、もしくは親しい者が助けに来た? いや、それこそありえない。わざわざ周りと繋がりが薄いような者を捕獲していたのだ。もしそんな荷に手を差し伸べ助けるような者がいれば、そもそも彼らは孤児などにはならなかっただろう。
「折角果まで足を運び荷を集めたというのに……。このままでは荷を送るのが遅れてしまう。」
期日があるという訳ではない。しかし、だからといってのんびりしていい理由にはならない。商品を売ることが出来ない商人になどなんの利用価値もないのだ。その相手が貴族ともなればなおさらだ。これまで培った信頼が一瞬にしてパァになるだろう。
今から新たに荷を探し集める___いや、現実的ではない。あれらを集めるのにも数ヶ月という時を費やしたのだ。また新たにゼロからとなると、どれほど時間がかかるか。
では奪われた荷を探し出す___いや、そもそも奪われたかどうかもわからない。何せ荷もろとも護衛の者も所在がわからいのだ。奪われたと決めつける物証すら無い。そして、無いとは思うが護衛が裏切り奪った可能性もゼロではない。
それに何かしらの面倒事に巻き込まれたという可能性もある。現に護衛の者の中には荒くれ者も存在し、いらぬ揉め事を起こす場面もあった。現にあの時も__
そこでふとある場面が商人の頭を過ぎった。
つい先日、ここから十日ほど離れた辺境付近の町で起きた出来事。護衛の者が町でいざこざを起こし、揉め事の相手に組み伏せられていた時のことだ。
あの時は刃傷沙汰寸前の所まで発展していた所を、既の所で止めに入ることが出来た。もしあのまま町中で刃物などを振り回せば、衛兵の厄介になっていた所だろう。
あの時と同様に、護衛達はいらぬ揉め事で捕まってしまったのでは……。その可能性は無いとは言い切れない。そうなれば荷の回収は難しいかもしれない。
男は頭を抱えて顔をしかめる。やはり護衛達と離れるべきではなかった。多少時間がかかろうとも、一緒に行動するべきであった。
今更悔やんでも仕方のない事だが……。
そもそも何故別々に行動したのか___そう、別行動をする原因となった元……
その事を思い出し、商人の男は顔を上げて目を見開く。
そうだ、あの時の揉め事の原因。
町の中で因縁をつけた元。
護衛の者達は、町中で狼人とその仲間である一人の少女と揉めていたのだ。
その少女はハーピー種と思われるが、その姿形は普通のハーピー種と異なり三本の脚をもっていた……。
商人の男が集めていた荷___その多くが本来の種族では持ち合わせていない特徴を持っていた。二本の尾を持つ狐人や、多眼族でありながら一つ眼の少女。そういった者を男は集めていたのだ。そしてそういった特別種の他にも、その存在自体が珍しい妖精や、その生体が謎に包まれている強固な種族なども荷の対象としていた。
町で見かけたハーピーの少女、彼女も普通のパーピー種とは、明らかに違う特別種でり、それに目をつけ商人は護衛と別行動してたのだ。
その事を思い出し、口角を上げる。
あの時腹の底に現れたどす黒い感情__
その醜い欲望を、あの時とは違い隠そうともせず。
誰もいない室内で商人の男は、己の欲望を満たす為に、思考を巡らせるのであった。
投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
今回から新たな章に突入します。
そして今章からは、これまでとは違い明確に主人公たちが脅威に晒されていきます。果たしてシュンや子供たちはその脅威から身を守る事が出来るのでしょうか……。
これからの進展を楽しみにして頂けると幸いです。
それでは引き続きよろしくお願い致します。




