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アウレリア嬢 2
R15は保険です
変化は水面に立った漣のように、アウレリア嬢の周囲へ波及していった。
最も早くその波が訪れたのは、王都の屋敷内だった。
公爵代理が着任するや、全ての使用人は雇い変えされた。公爵が亡くなった後、使用人の雇用契約はアウレリア嬢に移っており、代理に馘首する権利はなかったが、アウレリア嬢の委任を得たとして押し切られていた。
アウレリア嬢につけられた侍女は6人、以前の半分の人数だ。一人、年嵩の女がいて、まとめ役だろうと察しがついた。後は令嬢より二つか三つほど年上の少女達で、ほぼ全員が裕福な商家出身だ。貴族屋敷への奉公は初めてらしく、皆、落ち着きがなかった。
互いに初顔合わせの主従は、関係が構築されておらず手探りだ。特に従は言葉や表情、声や匂い、様々な部分から主の意を汲み取ろうとする。主の好悪が自分の暮らしに直結するからだ。以前の侍女たちと違い、彼女たちは先回りして世話を焼くどころか、主を知ることからはじめなければならなかった。
手始めに昼用の衣装を数着並べて好みを伺ったが、アウレリア嬢は一言も発しなかった。部屋の中央に立ったまま、微動だにしない。互いに無言のまま、時間ばかりが過ぎていく。根競べに音を上げたのは、年嵩の侍女だった。濃い紫が首元から裾へ向かって淡くぼやけ、その上に金の刺繍で華やかさを添えられた衣装を取ると、ほかの侍女たちに指示をしてアウレリア嬢に着付けていく。令嬢は素直に袖を通して、やはり何も言わなかった。
そんなことが日々繰り返されるうち、侍女たちは主に気を払わなくなった。アウレリア嬢が何も求めないとわかったからだ。
楽ではあるが、仕え甲斐のなさを感じて、まとめ役の侍女は不満に思っているようだった。自分に無関心な相手に対して、敬愛の心を持ち続けることは難しい。
年の近さも災いしたのだろう、若い侍女たちはもっとあからさまで、何も言わない主を軽んじ、愚鈍だと影で謗り始めた。やがて気持ちは態度に表れ、不遜さを隠すこともなくなっていく。
私からすれば使用人失格で馘首にしてしかるべきだったが、それでもアウレリア嬢は何も言わなかった。
要望も、叱責も、労いも、何一つ。
主には従者を正しく監督し、仕える喜びを与える義務があるが、それを果たせない主は従者に軽んじられる。改心させるには主の器量を示す以外にないが、私の目から見ても望みは薄そうだった。報告した長からも、王命を遵守する以外は静観するよう言伝が届いている。
そうしているうちにも、他の仕事に呼ばれたり、わざと後回しにしたりと、令嬢に仕える人数は一人二人と減っていく。まとめ役も、家令も窘めず、アウレリア嬢自身も何も言わず。いつしかアウレリア嬢の部屋には侍女が侍らなくなり、令嬢は屋敷で孤立していった。
次に風向きが変わったのは、王宮だった。
王子妃教育は座学をほぼ終えて、実践に入ろうとしていた。まずはこれまでの集大成として茶会を催すよう、王妃よりアウレリア嬢に指示が下った。招待客は王妃と各講師陣である。場所は王宮の東の中庭で、王妃付きの女官達が貸与されることになった。
アウレリア嬢は参内し、女官長の下へ通う。茶器も、茶葉も、茶菓子も、ファブリックも決まった。席次も、招待状も準備万端整った。だが、女官長の憂い顔は晴れなかった。
それは女官達を招待客として行った模擬の茶会の中で起きた。全員が席につき、主催者のアウレリア嬢がはじまりのあいさつを終えた後、和やかにお茶会が始まった。気心の知れた朋輩同士、話に花が咲き、気付けば笑い声が満ちすぎていた。
もてなし役であるアウレリア嬢は卓を回遊しながら、話題に耳を傾け、相槌を打っていたが、それだけだった。卓の中で話題に偏りが出ているなら、さりげなく修正し、馴染めていない客を救わなくてはならない。一つの卓だけが盛り上がっているのならば、それとなく別卓の客と交流させ、場合によっては仲立ちを務めなくてはならない。いわゆる場の統制であるが、アウレリア嬢はそれをしていなかった。
緊張のためであろうと、女官長が助け舟を出して見本をみせると、令嬢はそっくり模倣してみせるのだが、その振る舞いはその場限りで後に続かない。主催者として気配りが必要と思われる場に出合わせても、気づくことなく、通り過ぎてしまう。気付けば、卓毎にも全体的にも茶会はまとまりがなくなり、夢中になっているものと冷めているものの差が激しくなっていた。
何度注意しても繰り返される事態に、女官長はため息を落とすと、アウレリア嬢を見据えて言った。
「失礼ながら、クラウディウス公爵令嬢様には、持て成しのお気持ちが全く窺えません。楽しませようとも、楽しもうともなさらない。
お客様のお好みに任せてといえば聞こえはよろしいでしょうが、居心地の悪い思いをされているお客様がいらっしゃるということは主催者の失態です。
そして、それはそのまま貴方様への評価となります。
…今度こそ、お出来になりますね?」
アウレリア嬢は答えなかった。
女官長は撤収の指示を出した後、顛末を王妃に報告したのだろう。アウレリア嬢主催の茶会が催されることはなかった。
一際、激しい変化を遂げたのは、学園であった。
それは公爵代理の娘であり、アウレリア嬢と同い年であるインディウィア嬢の働きかけが大きい。子爵夫人の連れ子であるインディウィア嬢は桃金髪に緑の瞳、南方の血を引いて小麦色の肌をもつ、整った顔立ちの少女であった。義父である公爵代理とは血のつながりがないはずだが、野心家なところはそっくりで、そして義父以上に狡猾だった。
曲がりなりにも子爵家で育てられた彼女は、自分がアウレリア嬢に成り代わって公爵家入りすることはありえないと理解していたので、当初はアウレリア嬢に取り入ろうとしていた。だが、いくら阿っても、アウレリア嬢が自分を気に掛ける様子がないことから、徐々に怒りと恨みを募らせていったようだ。決定打となったのは、南方にいるときから懇意にしていた隣の領地の子爵令息がアウレリア嬢に目をとめたことだろう。
子爵令息は異性との火遊びで有名で、インディウィア嬢もその相手の一人だったが、インディウィア嬢自身は唯一の恋人と信じていたらしい。王都の公爵家の屋敷に移り住んだインディウィア嬢は、喜び勇んで彼を招いたが、訪れた子爵令息がアウレリア嬢に注いだ眼差しが、自分に向けられるものよりも遥かに熱が籠っていたことを幼いながらも女特有の勘で気付いたようだ。
爵位も美貌も相手のほうが上だと嫌というほどわかっていたから、余計に感情の高ぶりが激しくなったのかもしれない。使用人達がアウレリア嬢を軽んじていたことも、彼女の見当違いな逆恨みを止めることができなかった要因の一つだ。
インディウィア嬢は只管にアウレリア嬢を目の敵にした。傷ついた自尊心を取り戻すには立場の逆転が不可欠で、インディウィア嬢にとっては幸いなことに、それを可能とする方法がすぐ目の前に転がっていた。
インディウィア嬢は、王子の婚約者という立場に狙いを定めると、強かに立ち回った。学園に入学すれば、アウレリア嬢の後ろに付き従うようにして歩き、召し使われている態を装って周囲の同情を買う。王子には、従姉のことで相談に乗ってほしいと称して、領地で周到に拵えておいた”アウレリア嬢の悪業”を吹き込んでいると長経由で王子付きの影から知らされた。
言葉を交わすこともなく、動向はすべて人伝で知らされ、唯一混じるのは互いの視線という状況に王子とアウレリア嬢を囲い込み、インディウィア嬢の話を王子が疑うたび、新たな話を吹き込んで嘘を塗り固めていく。それでもなかなか腰をあげない王子に焦れて、子爵令息とアウレリア公爵令嬢が逢引している噂を流し、それらしく見えるよう小芝居も打たせたらしい。
その甲斐あってか、王子がアウレリア嬢を見つめる眼差しには仄暗い飢餓感の他に苛立ちと侮蔑が含まれるようになり、学園内での噂が社交界に伝播し始める頃にはアウレリア嬢の周囲から人の姿は消えていた。稀に直接問いただしてくる者もいたが、アウレリア嬢は何も言わなかった。
三年の間にアウレリア嬢の評価は一変していた。しかも、かなり宜しくない方向に転がり、まもなく挽回のしようもない窮地に立たされるのは明らかだ。だが、アウレリア嬢には助けを求める素振りも、抗おうとする様子もなかった。
どうして何もいわない?
どうしてできない?
どうして何もしない?
まっすぐに伸ばした華奢な背を見つめていると、アウレリア嬢が振り返る。整った顔に嵌められた薄青の瞳は澄み切っていて、幼い頃、陽にかざした硝子玉を思い出させた。
不意にある考えが、私の脳裏を過る。 そうして意識を凝らしてみれば、盲しいた目が光を取り戻したかのように、私に違和感を与えていたものを次々と捉えていく。
何時から言わなくなっていた?
何時からできなくなっていた?
何時からしなくなっていた?
記憶を手繰ってみれば、出会った時から兆候があったと知れる。どれだけ自分の目は節穴だったのかと、失笑が漏れた。
長年見てきた令嬢は、今や不気味なものとして私の目に映った。
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