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まもるもの  作者: ろこ
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アウレリア嬢 1

R15は保険です

 ごく僅かな違和感だった。小骨が喉に引っかかっているような、見えない小さな棘が指先に刺さっているような。在るとわかるのに、摘まみ取ることのできないもどかしさが、常に私を苛んでいた。


 令嬢は溺愛されていた。整った容姿に、物静かな振る舞い、教えられたことを真似る器用さがあっては当然だろうと私でも思う。親である公爵夫妻は言うに及ばず、屋敷の使用人もみなアウレリア嬢を愛でていた。


 令嬢が喉の渇きを覚える前に拵えたての果実水が供され、思い至る前に作りかけの刺繍と道具を持たされる。主人への愛に溢れた優秀な侍女達は、常に先まわりして世話を焼いた。


 互いに競う彼女達の共通の関心事は、当然アウレリア嬢のことだ。先日の顔合わせの場に付き従っていたものが、館に詰めていたものに自慢気に事の次第を語って聞かせていた。


 盛り上がったのはやはり親密すぎた王子の振る舞いで、政略であっても自分達の主人であれば王子が惚れるのも当然だと鼻息を荒くする。


 王子が我を通して令嬢に影をつけたことも、主人が格別に愛されている証になるらしい。力を入れて語られていたが、聞き役の一人が本当に付いているのかと私の存在を疑い、気を悪くした話し手と言い争いになって、何故か令嬢から王子に私への感謝を伝える方法を尋ねるという落ちになった。


 侍女達に請われるがままアウレリア嬢が認めた手紙には日を跨がずに返事が齎され、私の元にも長から王子の命に従うようにと指示が届いた。


 侍女の言葉をそっくり復唱し、令嬢は潜んでいる私に謝意を伝えてきた。就寝したアウレリア嬢を他所に、私は一人、小卓に並べられた紅茶と焼き菓子を前に頭を抱える。


 影は忍んで守るものだ。痕跡は極力消さなければならないのに、用意されたものに手をつけろという。薬物混入の疑いを拭えないのに、口にいれられるはずもない。あまりに分別を欠いた王子の命に怒りを覚えたが、そんな自分を見越して長が言伝を寄越したことに思い至り、仕方なく飲み食いしたかのように装った。


 侍女が言うところの影への感謝の儀式は毎晩繰り返され、私は偽装し続けた。命のやりとりや長期の潜入よりも、影としての存在意義を覆されるこの作業こそが、私に最も苦痛を与えるものだった。





 王子とアウレリア嬢の二度目の顔合わせは、婚約式の場だった。装いを凝らした令嬢は常にも増して可愛らしく、正装した王子と並ぶと一幅の絵のようであった。


 侍女に促され、先日の返信に対して令嬢は王子に礼を述べると、控えめな笑顔を添える。その言葉も表情も、控室で侍女が令嬢に示していたものと丸きり同じで、私は再演された芝居を見ているような奇妙な心地がした。


 式はやたらと重々しく、似た手順の繰り返しに見ているだけでため息を付きたくなった。公爵夫人と共に練習を重ねていたアウレリア嬢は一言一句誤らず誓言を唱え、所作も型の通りに納めていた。互いに手を取り合う最後のくだりで、緊張したのか王子が重ねるのではなく握り締めてしまい、驚いたのだろう令嬢は寸の間表情を失った。変事といえばその程度で、神官と両家立会いのもと、概ね恙無く式は終わり、私も肩の力を抜いた。





 翌週からアウレリア嬢は毎日昼前に参内することになった。王子妃教育が開始されたのだ。

 母国語と友好国語の読み書き、一般教養、建国史、社交術を中心としたマナー、貴族年鑑の暗記、周辺諸国の文化、ダンス、護身術といった科目が用意され、令嬢は婚約式の時と同じく講師の手本をそっくりに真似てみせた。伴をした侍女は如何にアウレリア嬢が講師達に賞賛されたかを得々と語り、それを聞いた屋敷の使用人達が幼い主人への敬愛を一層深めていく様を私は傍観していた。


 月に一度の頻度で、アウレリア嬢は王妃の茶会に招かれてもいた。マナーの実践と王子妃の心構えを授かるためであったが、偶々通りがかった王子が参加すると親睦を深めるだけでお開きを迎えてしまうことがままあった。


 幼い二人の距離を近づけるのも望ましくはあるからと最初の一年は王妃も黙認していたのだが、二年目の中程には予定通りに進められぬことに業を煮やしたらしい。茶会の日には予め王子を王宮から遠ざけておくよう、王子の側仕えに王妃が命じているのを私は見た。


 事は落ち着いたと思ったが、半年もするとまた王子が顔を見せ始めた。訝しんだ王妃が調べさせると、視察を早めに切り上げたり、貴族子弟との交遊会を途中で抜け出していたことが判明した。王と王妃は王子を厳しく叱責し、年も頃合いであるとして三つの友好国を順に遊学するよう王子に命じたそうだ。私はこの顛末を王子付きの影から出国の連絡とともに知らされた。


 事態をただ受け入れていたアウレリア嬢には、王子が相応しくない振る舞いをしたのなら、怖れず諫言を呈するのも妃の役目だと王妃は導いた。しかし、令嬢の大人しい性質に思い直したのか、まずはもの問いたげに見つめて内省を促すだけでもよいと些か語気を弱めて言い添えていた。


 教えたとおりに忠実に振る舞い、二心を抱く様子の全くない令嬢を王妃が気に入っているのは、私でも容易に窺い知れた。漸く二人だけとなった茶会はアウレリア嬢が言葉少ないこともあって、愛らしい人形相手に王妃がままごとに興じているようにも見えた。





 アウレリア嬢の身辺が著しい変化に見舞われたのは、十二歳を迎えた春間近のことだ。領地の見廻りに勤しんでいた公爵夫妻が雪崩に巻き込まれ、不慮の死を遂げた。


 嫡出子はアウレリア嬢のみであったから、成人に達している年上の婿を取り、その者を後見として爵位を継ぐのが定石だ。とは言え、保護者のいない年少の令嬢が、己に有利な条件の婿を独力で探せるはずもない。

 王妃に頼み込んで見繕って貰った相手と婚姻を結ぶか、公爵位を返上して修道院へ入るか。いずれにせよ、王子との婚約は解消されるだろう。そうなれば影が付いている理由もない。

 まもなく王宮に戻されると予想して、私は長の指示を待っていた。


 葬儀を明日に控えて、屋敷中が慌ただしい中、アウレリア嬢に来客が告げられた。家令に先導されて向かった応接間には、遊学中であるはずの王子の姿があった。忽ち、令嬢は抱擁を受ける。

 部屋には他にも、背が高く手足の長い壮年の貴族の男と、身なりのよい平民の男がいた。前者は王宮でみかけたことがある。確か宰相だ。何故ここにと訝しんだが、三者の取り合わせからは来訪の意図が汲み取れず、私は息を潜めて成り行きを見守った。


「アウレリア。突然、こんなことになって、心細かったろう。可哀想に。

 安心していい、もう大丈夫だ。

 全て話はつけてきたから」


 令嬢を座らせ、自身も横に腰を落ち着けると、王子は宰相に目を配る。

 宰相はアウレリア嬢の正面に立つと、懐から巻物を取り出して徐にそれを広げ、令嬢に向けて掲げた。数行記載された紙面の右下に、王の署名と御璽が見てとれる。王命だ。

 手元に戻し、宰相が読み上げる。


「アウレリア・クラウディウス公爵令嬢、下知である。

 一つ、クラウディウス公爵位は、嫡女アウレリアが成人するまでの間、王家預かりとする。ただし、嫡女アウレリアの身分については公爵位のままとする。

 一つ、クラウディウス公爵家嫡女アウレリアは、成人を持って一族の男子を養子に迎え、そのものにクラウディウス公爵位を継承させるものとする。

 一つ、クラウディウス公爵家領地は、嫡女アウレリアが成人するまでの間、王家預かりとする。ただし、下知を拡めるものとして、一族より代理を立てることを許す。なお代理は嫡女アウレリアの成人をもって任を解くものとする」


 再び掲げた後、宰相はそれを丸めてアウレリア嬢に差し出した。

 壁際に控えた老練な家令が、呆けたように口を開けている。

 無理もない。公爵家の、一貴族の後継問題に王家が介入するなど聞いたこともない。ましてや、王命として下すとは。

 唖然としている家令と私を置いて、事は進んでいく。宰相の手から取り上げた巻物をアウレリア嬢に持たせると、王子は自らの手で彼女の手を包みこんだ。

 控えていた平民の男が二人の前に進み出て、跪いて礼を取る。


「アウレリア、この者はクラウディウス先代公爵の弟の庶子で、公爵…君の父の従弟になる。

 北方で商家を営んでいて、一昨年、男児を設けた。公爵はその男児を養子にしようと動いていたのだが、あと一歩間に合わなかった。

 だが、その事実を知った宰相と貴族院で協議の上、故人の遺志を汲むことにしたのだ。成人した君がその子どもを養子として迎えるまでの間、王家が公爵位を預かる。

 ああ、心配はいらない。アウレリアは今まで通りクラウディウス公爵令嬢を名乗って差し支えない。」

 

 身を乗り出した家令を眼差しで制して、王子は令嬢へ視線を戻した。


「それと、男児の教育は北の辺境伯の元で行うことになっている。」


 負担に思うことは何もないのだと、王子は微笑む。


「領地も預かりとなりますが、これは徒らに荒らされないよう監視や措置を行うためで、直轄地に組み入れられることはありません。納税の手間が省かれると考えてください。

 それでも王家に接収されたと勘違いする者や、領民の混乱を招くのは好ましくありませんので、クラウディウス一門の中から公爵代理を立ててもらいます。実権はほぼありませんが、領地と王宮との橋渡しを担ってもらうので、本人の働き次第では人脈が広がるでしょう。」


 宰相の説明に、家令が安堵の息を吐いた。

 憮然とした宰相の表情から、彼がこの展開を望ましいと捉えてはいないことが知れた。

 先程、王子は『話はつけてきた』と言った。もしや、宰相ではなく、王子がこの図面を引いて、周りを従わせたのだろうか。公爵家を守るように見せながら実は益がなく、王家に益があるように見せながら実は利が薄い。どちらにとっても座りが悪く歪な画策を、王命を使ってまで推し進める意図は何処にあるのだろうか。

 疑念を持って視線を交わせば、王子についている影は首を振ってみせた。彼も知らないのか。

 王子は話を続ける。


「代理となるのは、公爵の異母弟だ。同じく庶子で、先程の者より生まれが後になる。

 二年前に男爵夫人と死別したが、昨年、南方に領地を持つ子爵家の未亡人と再婚したそうだ。使いは出したから、そのうちここへ来るだろう。」


 来訪の予定を聞いて、家令が表情を引き締めた。

 もう行かなくては、と呟いて王子は立ち上がる。見上げるアウレリア嬢の頬に手を添え、王子はその額に口づけを落とした。令嬢の耳元で囁く。


「婚約は継続だ」


 このためかと、私は瞠目した。

 来た時と同じ慌ただしさで王子達は去っていく。令嬢の傍に潜んだままそれを見送り、私は長へ言伝をした。


ご覧いただき、ありがとうございます。

2019/11/07 誤字報告ありがとうございます

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