第9話 師が厳しいのか、世は厳しいのか
バサバサと外套を靡かせてオレは降下していた。小太郎にしては音を立てて突っ込んでるわけだから、随分と手抜きな奇襲である。いつもなら怒られるようなことを自らやっているのだから、この手抜きといい、位置がバレることといい、酷い師匠である。
(なにせ師匠の後始末を弟子がするわけだからの)
(ひとつ)
あー、もう、わかったから被せてくるな。数えるな。
オレは中空で身体の動きを確認するために身を丸めた。丸めただけでキッチリ動くことがわかった。指先にまで血が行き渡っている。身体を温めてくれたことも確認できた。これならば思い通りに動くことも出来るだろう。なのでオレはこのままもっと身を丸めて投影面積を少なくする。
と同時にロングソードを腰元から抜いた。
(ふたつ)
門を挟んで男が二人ずついた。眠そうな奴と、退屈そうに壁に寄りかかってる奴。
そしてあいだに門を置いて、少し離れて酒を飲んでる奴、更にその向こうの薄暗いところで眠そうにしてる奴、この四人だ。
敵は朝日のところを嫌っている。日の当たるところの方が温かいだろうに、その場所を嫌うということは、そいつは今まで寝ていたことを意味する。暗い所で惰眠をむさぼりたいのだ。だからこいつは一番最後にする。
(三つ)
落ちてく先には二人がいる。眠そうな奴と、退屈そうに壁に寄りかかってる奴。なるほど。怠慢だと思ってたが、小太郎は方向性は与えてくれてたわけだな。剣でひと薙ぎすれば頸を落とすことは容易い。しかしオレは剣の刃を立てず、ロングソードのブレードを横にして、腹の部分で退屈そうな奴を殴打する。
壁との間に挟まれ意識が飛び、壁にもたれてた男は身体から力が抜けてクテッと斃れた。
「何だ」
向こうで酒を飲んでた奴が、物音で異変に気づいた。
(四つ)
酒を飲んでた奴が、酒焼けに焼けた頬を赤黒く染めながらこちらに振り向いたが、こいつへの対処はまだだ。斃れた男の陰にはいって最初の視線をやりすごすと、退屈そうにしてる奴はこちらで仲間が何かを始めた程度にしか考えてないようで、早く日が昇って見張りの時間が終わらないかと、そんなことばかりを気にかけてるようだった。
(五つ)
(おい、ちょっと早くないか)
だが応えは返ってこず、五つは過ぎた。
オレは斃した男の陰から低く屈んで飛び出し、前の家からのびた影がさす部分を駆け抜け、門前をも駆け抜ける。そして走った勢いのまま、日が昇るのを待って視線が上がってる男の下側から、脇腹に向けて強烈な当て身をロングソードの柄頭でぶち抜いた。
「ぐえっ」
(六つ)
酒に酔った男が今度こそ振り向いたが、柄頭を打ちつけた勢いそのままに身体を捻ると、外套を翻してロングソードを隠しながら腹の部分で頭を叩き抜いた。
ひるがえった外套がオレの身体の周りへバサッと巻き付くと、酒に酔った男は壁にも挟まれて更に衝撃が加わったらしく、ずるずると腰から砕け落ちた。
(七つ)
小太郎の容赦ない声がした。倒し終えてたのだから見逃してくれても良いと思うのだが、せめて六つ半とか――。
(七つかかった)
(くそ。じゃあそれで構わぬ。七つでな。師匠の臀を拭くのに七つかかった。そういうことであろう)
(阿呆。風魔の試しで七つかかったと、そういうことだ)
ハロルド枢密院の屋敷の玄関先に耕された、広々としたキャベツ畑から、遮るものもなく風が吹き抜けていった。
その風は冷たく、朝の光もまだ昇らなかった。
もう我慢ならぬ。オレは声を出した。
「これ、降霊召喚じゃないよね」
(うむ?)
「オレが自力で突っ込んで倒しただけだよね」
(甘いがな)
(何が甘い。いい加減にしろよ。こっちはいきなり戦わされて困ったんだぞ)
(お前の家に担ぎ込んだ女子は筋を断たれたのだろう。殺されかかったのであろう。されば、お前のこのざまは何だ)
四人が路上にのびていた。
(うっ)
(醜態である)
オレは誰一人殺していなかった。
(まぁ殺さずに七つで仕留めたことに関しては褒めてやろう)
オレは眼を伏して、未だ斃れてピクリとも動かぬ四人を見やった。
殺す前提で、五つだったわけか…………。
(最初の視線をかいくぐったのも見事だ。おかげで時を喰ったがな。だが最初の視線には直感が入る。酒を飲んでも許されるぐらいには、それなりの腕であったやも知れぬ。それを封じたことになる)
オレは初撃の対処には気をつけろと小太郎から教わっていた。初撃には、その相手の生き延びてきた技が多分に含まれている。その技を放つことで、先手を取られても挽回する機会を抜け目なくうかがうものなのだと、そう教わったのだ。
しかも身体でもってである。
いくど日の本の国で小太郎に打ち据えられたことか、全身が青アザだらけになったものである。
(おい、反省がずれてきたぞ。戻ってこい)
(反省かよ)
(醜態である)
評価は変わらぬようだ。まあ良い。
直感で放たれたその初撃をかいくぐれずに命を断てなければ、相手は自分の直感が正しかったことに自信を持ち、直感で動くその動作に、そこからどんどん経験が上乗せされて行くことになる。それが厄介なのだと小太郎は云っていた。
今ならそれもわかる。
世の人々は、あらゆる場面で最初の直感から、さまざまな形で自分の生活のために交渉する。オレはアンナの食材購入の交渉術に目を剥いたものだ。フォルテからの給金では、この辺境で暮らして行くにもカツカツのお金しか届いていないことがわかったのだ。
初手からの経験の上乗せは非常に重要なことだ。
オレはアンナに、交渉においては妹の病身のことすらも材料にぼやかして伝えながら、何とかして食べてくために、こちらの経験値を稼ぎながら、お願いといって八百屋や肉屋の親父にこちらの事情を慮らせるという経験値を稼がせていた、そんな交渉術を見せられた。
初めてからの経験をどうコントロールするかは、世のあらゆる場面で重要なことなのだとオレは身につまされたのだ。
王族のままでいたら、絶対に経験の積めないことであった。
(よかったな。経験が積めて。これで咄嗟の時でも、この経験が物を言うようになったぞ~、ほれ)
オレに憑いてる小太郎が、まるでオレの肩をぽんぽんと叩くように、そう言った。
鶏が鳴き声を上げた。人々が本格的にうごきだす時間となったようだ。そしてハロルド枢密院の屋敷で灯のいろが動いてるのが見えた。
誰かが起きているのだ。
もしや、ほれ、とはこのことを言ってたのだろうか。
気がつけば、すっかり懐柔されている。
寸評だけでもいいようにあしらわれたと思っていたのに、こちらの本懐である枢密院の屋敷への侵入という難題に関しても、相手の動きを先に教えられてしまった。
これでは文句の垂れようがないではないか。
凄まじい察知能力というか、感知能力というべきか、観察眼である。
忍者とはあらゆる物を利用して懐柔する、恐ろしい者である。
◇
オレはハロルド枢密院の屋敷に入り、ノッカーを鳴らした。すると手燭をもった若い女子が扉越しに、どちらさまでしょうか、と言った。
まさか密書を届けに来たと言うわけにもゆかず、表に不届き者がこの屋敷を見張ってたようなので、退治したということを告げた。
その際に、この地域の豪農、ロラン・サーキ殿の家で世話になってる者であるということも申し添えた。
オレはちょっと門前で待った後、すぐにハロルド枢密院の元に案内された。
ハロルド枢密院は、頭頂部こそ寂しいが、白髪がきれいな銀色となったかくしゃくとした老人で、女子が伝える言葉を、少し耳を寄せて聞き取っていた。
そして驚きの声を上げた。
「なんと。表の柄の悪いのをやっつけてしまったのか」
もうすでに聞いているであろうに、では何故オレを屋敷に上げたのかという疑問を抱きながら、オレはここぞとばかりに大きく肯いた。
「はい。少々不躾で迷惑なのでな、始末いたしました」
女子がオレに一礼して部屋を後にした。部屋の扉が閉まると、ハロルド枢密院がオレに尋ねた。
「そなた、どこの手の者だ」
「は。ロラン殿のところに、少し」
「そなた、ロランの食客か?」
「いえ。ですがお世話にはなっており申す。ロラン殿の屋敷の一角に、いまは妹とメイドさんとで住まわせてもらってます」
「そうか。ロランの屋敷に」
もはや納屋とはいえぬなと、そう思った。
「ならば門番に、いや私兵としてこの屋敷につけるのも手か…………」
お、と思った。話が思わぬ方向に転んでいる。
オレを私兵として繋ぎ止めようとしてるからには、この地に住む代価というか、給金の話もあるかも知れない。フォルテの扶持は扶持として頂くが、リアとアンナのためにも稼ぎはあった方が良い。そして私兵にでもなれば、それはダルマーイカ自治領にきちんと根を張ることも意味する。
バラ色である。
何と言うか、夢が広がる話ではないか――。
「そうですな。腕には多少の自信はあります。これでもアーサー先生からは筋が良いと誉められておりますので」
「ほう。アーサー流の使い手か」
「いかにも」
するとしわしわの口元をハロルド枢密院はごにょごにょさせた。
「ロッド・アーサーはアーサー騎士団の副団長であるのに、この者はアーサー騎士団ではないのか」
独り言が駄々洩れである。お年を召されてる故、抑制が効かぬのかも知れぬが、思ったことを小声でとはいえ、こうも簡単に洩らされては差し障りが出て来るのではあるまいかと、こちらの方がすこし心配になる。
それも悪い方向へと考えが向かっておられるようだ。
いや、これはわざとオレに聞かせているのかっ。オレの出方をことごとく窺っているのだ。枢密院の色濃い人生の経験から、オレという人材を見極めようとしているのだ。
ましてやサーバの枢密院だ。
国王からの信頼も篤い。それは密書が裏打ちしてる。
オレもまるでアンナのように読めるようになってるぞ。これまでのことが立派な経験値となっておる。
ならば納得だ。ふうむ。ライムはこのような辺境でも奥が深いところのようだ。
いや、そうではない。
これはまずい。
「あ、それがし、こちらへ、ダルマーイカ自治領に越してきてからひと月ほどですのでな、騎士団と云われても、正直よくわからないというか、そういう状況である」
胡乱な眼で見据えられた。こちらの値段を値踏みしてるようである。
「そう。オレは道場ではリロ・スプリングとも互しますぞ。アーサー道場でも俊英と呼ばれる若手のホープですな。ご存知ですか?」
「おお、その名は聞いたことあるな。背が低いながらも、粘り気のある突き技を使って、アーサーも苦労したそうな。そうか。その剣と互するか」
「いかにも」
互するどころか実際は凌駕してると云わんばかりに、オレは不敵な笑みを浮かべると、腕に覚えありと云った体で、軽く胸の前で両の手を組む。アーサー先生がよくやる仕草である。道場の者達がこの仕草を憧れの眼で見てるのをオレは知っている。そのどっしりとした落ち着きと風格に、すごい剣客だと、強そうに見えるのだそうだ。
「ならばお主に頼むか」
風がオレに吹いてきたようである。
オレは、オレ一人を道場に通わせるだけでカツカツとなった我が家の懐事情に、光明を差しこませることに成功したようである。これでリアとアンナにもちょっとは好きな物に金を回せてあげられるかも知れない。
喜んでくれるだろうか。
オレたちは、たつきの源を、その切欠を、得たことになる。
ふふふ。
知らずオレの口から笑いがこぼれた。
俄然やる気が出て来るではないか。
(立派だぜ。元第七王子。王子の考えることじゃねーがな)
オレはその瞬間、ハッと息を飲んで、呼吸を忘れてしまった。
小太郎のにこやかな口調は、とても楽しそうであった。