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第8話 ティナ・オールダム

 名も知らぬ女子(おなご)は、夜になった頃に目覚めた。リアの召喚陣の模様を眺めてはうんうん唸っていたオレだったが、アンナのオレを呼ぶ慌ただしい声に、作業を余儀なく中断されて行ってみると、名も知らぬ女子(おなご)が目覚めていたのである。


「気がつかれましたか」


 女子(おなご)は高い熱を出していたため、まだ頬には紅潮が残っていた。眼は潤んでいる。火の魔法の朧気な灯りに濡れているように見えるのだろうか、眼尻がスッと流れて我慢強そうな気性が垣間見えるが、美貌の顔だった。


「気分はいかがかな」


 ベッドに寝ている女子(おなご)の脇の椅子に坐りこむと、オレはできるだけ砕けた口調で尋ねた。


「ありがとうございます」


 女子(おなご)はか細い声で言ったが、久方ぶりに言葉を出したせいか軽く咳き込み、眼をつむって眉を顰めた。傷口に響いたらしい。


「あの、こちらはどちらさまでしょうか」


 オレがちらりとアンナに目をやると、アンナは堂々とにっこりと返して来た。図太いものである。

 だが視線が外れたことで女子(おなご)が微かに動いた。右の肩を身動(みじろ)ぎして確かめてるところをみると、闇魔法の使い手と闘争をしたことは覚えているらしく、自分が傷ついてここに運ばれていることは察しがついてるようだった。女子(おなご)の眼には、強い力と不安の色とが交互に現れる。


「故あってこの地に越して来た、ヒュー・エイオリーと申す。ここはロラン・サーキ殿の屋敷の離れ、の納屋である」


 最後の納屋の部分はごにょごにょと小声になってしまったが、女子(おなご)にとっても、自治領において畜産と大規模農法を行う豪農ロラン・サーキ殿の名前は、充分な力となったようだ。見るからにホッとしていた。


「昨夜そなたを運んで来て手当てをした。医者が申すには、命に関わる傷ではないそうな。なので心配も遠慮も無用。ゆっくり養生されるとよろしい。さいわい我が家は妹が病身なのでな。話し相手になってくれると大いに助かる」


 だが女子(おなご)の眼は、依然として平穏とはほど遠いものであった。今もオレの顔に喰い入るようにその眼が注がれている。そこにオレは、疑惑のいろを読んだ。


「ふむ。手紙のことを心配しておられるな」


 未だ名も知らぬ女子(おなご)の気分を和らげるよう、オレは口の()に笑みを(たた)えた。


「昨夜の闇魔法の使い手は、あれをそなたから奪おうと画策したようだのう。恐れ多いことだが、中身は拝見した」

「その手紙は?」

「もちろん、オレが預かっておる。ハロルド・カーギイカ枢密院にとどける手紙のようだから、そなたに代わって、これからでも届けた方がよいものかどうか、思案していたところだ」

「あの、明るい間は無理でございます」

「ならば夜か」

「いえ、夜もハロルド様は寝床に入るのが早いので」

「む? ならばいつ届ければよいのやら」

「夕方が狙い目でございます。私も、一度家に戻ってから頃合いを見計らって渡しに行こうと考えておりました。まさかああも網が張られているとは」

「不届き者を打ち据えて行くというのは、どうなのかな?」

「それをすればハロルド様のお命が狙われてしまいます」


 なるほど。手紙がそれだけの重要な意味を持ってるとなると、既に向こうの者とやり合ってしまったオレが公然と届けるのは、難しい仕儀となってしまったようだ。

 密かに、ともなれば女子(おなご)と出会った夜もいい頃合いになったぐらいが丁度いいのだろうが、それでは遅いと女子(おなご)が言う。


「わかり申した。まず朝早くになってから持参することといたそう」

「よろしくお願い致します。くれぐれもお気をつけて」


 女子(おなご)はそれまで灯していた必死な眼のいろを消し、ホッとしたように言った。それからドッと疲れが襲ってきたようで、ベッドに身を沈めると、眼をつむった。


「傷は痛むかの」

「はい」

「そなた、名は何と申されるな」

「ティナ・オールダムと申します」


 オレは(しり)をギュッとつねられた。そちらを見やるとアンナが「こ・と・ば」と口を開いていた。

 なるほど。申されるではなく仰るというのが正解なのやも知れぬ。オレも自分で言っててそうではないかと思ったのだ。

 だがアンナはしきりに首を振って、オレが思ってることが違うと伝えていた。

 こそっと耳に寄せて来た。


「ヒュー様より年上なのですよ。けれどもヒュー様が王族言葉で話すから、困って目上の人に話すように話してるんですよ、彼女は」


 おおっ。

 気づかなかった。なるほど。そんな深いわけがあったのか。


「家族は?」

「この自治領の、選言山から流れて来る川のほとりに」


 なぜだか後ろでアンナが頭を抱えてる気配がした。


「ふむ、さようか。会いたいだろうが、しばらくは辛抱なさるように。折をみてそれがしから報せて進ぜる」

「ありがとうございます」


 女子(おなご)はそう言って大きく息を吐いた。若い身空で身が勝ちすぎる荷をようやく下ろせたと思えるような深い溜息だった。高い熱と疲労にも、心と身体が打ちのめされてるようだった。


 本当にオレたち兄妹と同じような女子(おなご)なのだなと、他人事のようにオレは思った。

 沈思してるとアンナに袖を引っ張られて、オレはリビングへと(ところ)を移した。確かにこの先のことは病人の前では話せぬ。

 オレはアンナに尋ねた。


「どう思う」

「枢密院の屋敷を見張ってる連中がどこの手の者か、それがわかれば手も打てるのでしょうが」

「国王の密書に手を出すような輩にか?」

「場合によってはヒュー様のスキルを使われれば、侵入にも全く問題は発生しませんが」

「それはせぬ。ハロルド枢密院にどうやって入って来たのかと、痛くもない腹を探られることになる。領主にであったなら、こちらの存在を知ってるし、スキルを使うのも有りだとは思うが」

「厄介ですね」

「不思議なことだが、ハロルド枢密院の命が狙われるとティナは言った。相当な守護の者が就いてると思われるが、それでも命を狙わねばならぬとまで敵が肚を括ってると、ティナは教えてくれたのだ」

「相当な実力を持つ枢密院なのでしょうね。敵がそこまで警戒するほどの」



 ◇



 道場に通わずに家を出るというのも不思議な気分であった。ティナとの約定通り、オレは朝にハロルド枢密院を訪ねることとした。その際に玄関先でリアから、いくらなんでも朝も早すぎませんかと忠言をいただいたわけだが、未だ臥せているティナの言う通りに早くに床につく人ならば、朝も早かろうと、そう思ったのだ。


(あに)さま、心配するのは嫌なので今日は最初から、どなたかに憑いてもらえませんか?」


 そこまで心配なのだろうか。


「兄さまの世間知らずなところが心配なのです。我らはもう王族ではないのでしょう?」

「ふむ。そんなものか」

「はい」

「では小太郎を呼ぶかの。小太郎がおれば世故にも長けておる」


 リアも小さく肯いて、是とした。

 まぁ一人で歩いて行ってもよいのだが、今日は何が起きても大丈夫なように用意はしておかなければなるないと、リアに言われてオレも気が変わった。


「降霊召喚、小太郎」


 オレを中心に召喚陣が顕現した。まばゆいほど白い召喚陣に、七色の光彩が時折混じって、見とれてしまうほど美しい。その召喚陣の右回りに展開する陣と、左回りに展開する陣が、ある一点でガシッと繋がったように動きを止めると、声がした。


(おい、早くねーか)


 うむ。日の本の国も早朝であろうな。無論知っておった。


(すまんが急用だ。厄介なところに人に会いに行かねばならぬ。オレは町の人々との付き合いというものがわかってないのでな。小太郎の力をどうしても借りたいのだ)

(いいけど、帰りしなに魔気をよこせよ)

(それはかまわぬ。幾らでも持ってけ)


 ニンマリとした感触が伝わってくると、召喚陣がスッと中空に消え、そして小太郎がオレの身体の中に音もなく憑いた。


「よう、リア、アンナ。風魔の小太郎だ。久しぶりだな」

「あ、その声、本当に小太郎さまですね」

「ご無沙汰しております。大師匠さま」


 うん、と小太郎がオレの身体で肯いた。

 不思議と小太郎はオレの身体に憑いているのに、この降霊召喚をすると、声は小太郎の声になる。さりとてオレの変身スキルを同時に発動すると、元のオレの声のままにも出来るから、時と場合で臨機応変に対応することは出来た。

 そしてオレと小太郎は今、オレの声で話すことを選んでいた。


「ではな、安心しろ。無様な真似はさせん」

「よろしくお願い致します」「大師匠さまも行楽のつもりで楽しんで下さい」

「心得た。ではな」


 声はオレの声で小太郎が出したので、オレは手だけを振って我が家を出た。


 オレにとっては見慣れた日々の景色でも、小太郎にとっては朝のこの時間の景色は初めてのはずだった。その小太郎が興味深そうにダルマーイカ自治領の風景をジッと見渡す。


(異常はあるか)

(ないな)

(実は密書をある者の代わりに渡すことになった。色々と面倒そうなことを使者から聞き出したのだが)

(なんとなくだが女子(おなご)か)

(そうだ。何かあるのか)

(密書は複数は出してない。それ一通限りだろう)

(何故わかる)

(複数出すなら男に任せる。だが男を動かすわけにも参らぬ事態なのだろう。出来れば気づかれたくない。それが密書を送り出した者の意思だろうな)


 オレは舌打ちをした。


(どうした)

(オレが見張りを倒してしまった。不在で密書を渡せなかったのだが、まずいことをした)

(くくく。ならばもう正面から行けばよい。お前の家も結構な防御態勢が整っていた。襲撃を受けても小揺るぎで済むだろう。そもそも代理を襲って正体を明かすほど敵が馬鹿なら、そんな組織は我らだけですぐ潰せるぞ)

(左様か)

(正面から行け。敵の魔法も見たい)

(それが剣だった)

(ほう、異世界の剣か。それはそれで面白い。行け)

(承知した)


 日は地平線からわずかに頭だけを出して、辺りを紫色に照らしていた。吐く息は白く、小太郎は時折オレの身体で逆立ちしたり横に歩いたりと、その感触を確かめていた。だがその動きがピタリと止まって普通に歩き出す。

 何事かと思って農道を歩いていると、旅支度をした商人が遠くに見えた。すれ違った際にその旅商人は、荷駄にくくりつけた荷物のせいで、乗馬することも叶わぬようだった。


(あれは行きは大事な荷だから馬に乗せて運ぶが、帰りは自分が馬に乗って早く帰って来るために、そうしてるのだ)

(ほう)

(商店の支店などではよくあることだ。本店に朝のうちに昨日用意した物を送り届けることはな。そして本店の方でも、その日の朝に支店の情報を得ることが出来るのだ)

(なるほど。知恵だな)


 そんな感心をしてる間に自治領の中心街が大きく見えてきた。オレが迷うことなくハロルド枢密院の屋敷を指示すると、小太郎がするすると音もなく塀や屋根を伝って一直線に向かいだした。


(おい人目は気にせんのか)

(気づきはしないさ。それよりもあれか)


 オレが利用した木の幹にいつの間にか辿り着いた小太郎が、オレに眼下の景色を見せた。

 ハロルド枢密院の屋敷はやはり監視されていた。そして何者かに襲撃された報が周知されたのだろう。四人ほどの男が剣を携えて門前を固めていた。


(だらしない警戒だ)

(では頼む)

(嫌だ。気が変わった)

(は?)

(お前がやれ。どのぐらい鍛えられたか、俺が見てやる)

(おまえ、何のためにオレに憑いたのだ)

(魔気を得るためだが)

(ならば働け)

(阿呆。師匠が弟子の修行の進捗を見てやると云ってるんだ。働くのはお前だ)


 ぐぬぬ。

 それを言われると辛い。準備運動も小太郎がしていたし、こっちはすっかり大船に乗った気でいた。


(それは気を抜いてたと云うんだ。行け)

(致し方ない)

(ただし俺が十を数えるまでに倒せ)

(何だと)

(簡単だろ。本当は五でやらせたいところだ)


 いやいや、相手の力量もわからぬうちに倒せとは、それは流石にせっかちが過ぎるのではないか? 四人もいるのだぞ。


(やれ)


 そして小太郎は木の枝から躍り出ていた。

 そして中空で引っ込んでオレに身体を明け渡す。


(小太郎、おまえぇぇぇ)

(やれ)


 無慈悲なひと言が、もう一度オレに告げられ、問答無用に放置された。


追記

ブックマーク、ありがとうございます。感激しています。

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