第7話 癒すための追憶を
夏から秋にうつろう季節の変わり目にもかかわらず、ダルマーイカ自治領の日はまだ高かった。母国のフォルテよりも心なしか夏が長いようだった。日が高いので納屋の窓から入ってくる日差しは室内深くには入って来ず、せいぜい窓枠の桟の下をジリジリと熱するように照らすだけだった。
アンナが風を入れていた窓をそっと閉めた。
「あんまり嫌なことばかりを思い出すものではありませんよ」
「わかっている。これで夜には寒くなるのだから不思議なものだと、そんなことをつらつらと考えていたのだ」
嘘を吐いてるのはバレてるな。だがそれをアンナは追求しない。これだけでもありがたかった。
「そう言えば国元を離れる時、アンナは両親に何か言われなかったのか?」
「それを今、聞きますか」
「そうだな。無聊を託つにはちょうど良いだろう。ハロルド枢密院には会えなかったわけだし、昼はやることがなくなってしまった」
アンナはちょっと溜息を吐くと、遠い日を思い出すように目を細めた。
「そうですね。しっかりお務めを果たしなさいと、幾重にも念を押されましたね。そんなに頼りなかったでしょうか」
「貴族とは思えぬほどボーマント家は物わかりがいいんだな」
「そうですか?」
「ああ。オレの父とは大違いだ」
「シコン様ですか。王様はなんと?」
「兄妹そろって命を捨てることも出来ぬのならば、せめて最後ぐらいは王室外交の役に立てと、そう云われた。そして異国暮らしが始まったわけだ」
冷たい父親だった。
オレは父の言をそのままに吐き捨てた。
アンナは口を閉ざして語らなかった。語れば不敬に当たるし、オレたち兄妹を余計に傷つけると弁えたからだろう。優しい女子だった。
「アンナが気に病むことはない。オレが事実を口にしただけだ」
「しかし、それでも」
「いいのだ。オレは親子の情愛は母さまから十分にいただいた。それは妹のリアも同じだ」
「はい。それはそれは麗しいものを、私たちボーマント家も見せて頂きましたと、我が家の晩餐の場でも話題にのぼっていましたのですよ」
「そうなのか」
「はい。父も母も兄たちも、大層笑っておられました」
「そうか。それはよかった。しかしそうなるとやはり、アンナを異国の地に連れて来てしまったのは申し訳ないことをしたな」
「それはご安心下さい。サーシア様を守れなかった我らボーマント家の名誉の問題でありますから」
「普通の貴族なら、第七王子の閥になど義理立てする必要もなかろうにと云うだろうな」
「動くに動けぬ貴族もいます。ヒュー様とリア様を気にかけてた貴族もそれなりにおりましたのですよ。異国送りにされたからと言って、肩を落とされませぬように」
「ありがたい話だがな、王には逆らえぬ。それが王国だ」
「ついて来てもらいたかったですか」
「それはない。大勢を喰わせてく甲斐性は、今のオレにはない。それにな、異国に送られて良かったとも思っているのだ。何せフォルテには敵がいる」
正体の全くわからぬ敵というものは、げに恐ろしき物だ。
仲間ですと近寄られても、果たしてオレは信用出来たかどうか、そこには自信がない。無防備な妹を人前に出すのにも抵抗があった。
「この地に馴染まねばならぬのだ」
自分の召喚陣と、妹に刻まれた召喚陣と、異国の地で生きてくためにも、人と人との支え合うようなその輪の中に入ることも急務だ。やらねばならぬ事は山ほどある。リアやアンナのためにも、オレがダルマーイカ自治領に溶けこんで――。
「ヒュー様も王族の言葉を、ここに住む若者の話し言葉に変えていかないといけないですよ。王族言葉は偉そうに聞こえてしまいます」
「うむ。気をつけようとは思っておる」
「でも召喚魔法に関しては、それ以上に気をつけて下さい」
「心配には及ばぬ。オレはこの国では、剣の腕を売るつもりだ」
「それでもです。異界の神さまを属性に関係なく召喚出来ると知れ渡れば、フォルテに連れ戻されることはもちろん、リア様へのお見舞いを名目に、がんじがらめにしてきますよ」
「そうだな。さすがはアンナだ。オレには想像もつかんことが、わかるのは凄い」
「その中には敵も、紛れ込みやすいのです」
「なるほど」
「この国においてもです。幸いにもヘンリー辺境伯がこの地で暮らすなら、名を変えたほうがいいとアドバイスをくれたので助かりましたが、危うくハーグローブ家の名前を出して暮らしてしまうところでした」
オレはジッとアンナを見た。
そこには何か意図があったのだろうかと、疑問に思ったのだ。
「な、なにか……」
「いやね、うちのメイドさん、傷ついた女子を安心させるために、思いっきりハーグローブ家の名前を出してたんだけど」
アンナが眼を見開いた。
「しかも思いっきりヒュー・フォルテ・ハーグローブって名乗りを挙げてたよね。
フォルテって云ってたよね」
アンナが頭を垂れた。
「も、申し訳ありませぬ」
「いや、安心させるためってのは分かってるからいいけどさ。エイオリー家だからね、今は。そこのところはダルマーイカ家に対する体面というものもあるからさ。迂闊に口に出さないようにしよう」
「はい。気をつけます。覚えてなければ良いのですが」
「もういいさ。時は取り返せない。リアは寝てる時も戦ってる。あちらの名も知らぬ女子にしてもそうだろう」
「はい」
「今は、サーバ国王の心遣いも紐解かれた。オレはこの女子の手助けをしたいと思ってる。そちらのが重要だ」
「その、心遣いとはどういうことで?」
「大国ライムで一番安全な場所がこのサーバ国だったのさ。そしてサーバにおいて困った時にサーバ国王が避難する場所が、このダルマーイカ自治領のようだ」
「それは本当ですか」
そんなところに自分たちを受け入れてくれたのかと、アンナも感激したようだ。昨夜のオレの気持の昂ぶりが、アンナにもわかってもらえたようだった。
「名を連ねた檄文を、それ以外のところに送るか?」
「それは、そうですね」
「なぜ密書なのかという疑問は残るがな」
「王の命令が密書というのは、フォルテではあり得ないですものね。……大丈夫でしょうか」
「何とかせねばなるまい。あの時とて、オレは天道神さまを召喚して、リアの道を閉ざさせなかった」
「はい」
「今度はこの女子の役割を代わってやろうと思ってる」
アンナがくすっと笑った。
「王子が代役ですか」
「もう廃嫡同然だ。意味はない」
「廃太子では?」
「廃嫡だよ。オレはもうエイオリー家として、我が家の武功を立てねばならぬのだ」
それが密書のお届けなのだから、武功としてどうなのという思いはあるが――。
家臣でもないし…………。
なかなか微妙な立場であるな。
「まぁそこは王の密書だ。十分武功である」
「王室外交でもありますよ」
「お、その視点はなかったな。確かに捨て扶持とは言え、我が家のたつきの元はフォルテから出ている」
「捨て扶持……」
しまった。
話の流れとは言え、酷いことを言ってしまったと、言い終えた後に気づいた。アンナは、アンナ・ボーマントは、フォルテのボーマント子爵家の三女であった。その子爵家の三女が、こんな我らのために異国の地にまで仕えてくれているのだ。捨て扶持で喰わされてるなどとは、主の口からいって良い言葉ではない。
それは裏切りにも似た言葉だった。失言だ。
「すまぬ。言い過ぎた」
「大丈夫です。ヒュー様には前例のない、それこそ天地がひっくり返るような召喚魔法があります。そのうえ忍術と、剣まで収めようと努力をなされてるのです。捨て扶持結構、今に見ていろです」
アンナが力こぶを入れるように、ふんすと鼻息も荒く謳った。
「前を向きましょう。そのためにこの自治領に来たのですから」
「そうだな。正直申せば、もう少し降霊召喚の研究を進めたいところなのだがな」
「はい」
アンナがそれには同意すると、柔らかに肯いてくれた。
アンナに救われる形で、主としては情けない限りだが、ここでそれを口にして蒸し返すこともあるまい。
どうも箍を緩めたら心からぽろぽろ何かがこぼれ落ちるようだ。
「降霊召喚、ですか」
「ん? どうした」
「いえ、こればかりはお手伝い出来ませんので」
「それは致し方あるまい。オレとて神さまに憑いてもらってどうすればいいのか、神さまと手探りなのだからな」
そう――。
オレはこれを降霊召喚と呼んでいるが、知っているのは本当の意味でも身近な者達だけだった。女子にも事情があるようだが、こちらにも事情がある。そんな家主であるオレが、事情もわからぬままにこの召喚魔法をほいほいと気軽に施すわけにはいかなかった。
それにオレは、この国では剣士として生きていかねばならない。降霊召喚の秘事をむやみやたらと人目にさらす気は更々なかった。
ましてやこの名も知らぬ女子は、あの時のリアに比べたら遥かに軽傷だ。医者には無理でも、オレならどうとでもなる。
「ふっ」
「どうされました」
「いや、なに。今日は心が大きく揺れるなと、そう思ってな。時には弱気に、時には強気に。もっともこんなのも降霊召喚をもっと使いこなせるようになって、絶対の自信でも持てるようになれば、解決するのかもしれんがな」
「使いこなし、ですか」
「そこで疑問を持たれてもな。アンナだって自分の召喚獣を陸地でも使いこなしてるじゃないか」
「気体を泳ぐのは大変だって、いつもボヤかれてますが」
「出来るということが大事なのだ。近頃オレはそう思う」
「出来る、ですか。そういえばあの時はガイ・ガー隊長の召喚が画期的な進歩を遂げたと話題になってました」
「左様か」
「はい」
オレはその勇姿を思い浮かべた。
出来ないはずのことを成し遂げてしまった、その勇姿を。
「あの隊長には感謝しかない。よくぞ召喚陣に突入してくれたと、今でも心からそう思う」
「本当に。術者と従者以外が召喚陣に外から介入できるなど、前代未聞の出来事です」
「それだけ強力なのだ。ガイ・ガー隊長の星渡りの龍は」
「しかも龍神合体という新技」
「あれか。オレも後から礼を言いに行った際に訊いた。よく龍神合体なんて新技、あの土壇場で出来たな、と」
「それは初耳です。隊長はなんと?」
「なぜか出来ると確信がわいた、そう言っていた」
「不思議な御方ですね。ヒュー様の降霊召喚にも似てますが」
「そうだな。だが喚んでから合体するのと、最初からオレ自身に憑かせるのとでは、やはりオレの召喚のほうがかなり特殊だと思う」
異界渡りで得るスキルの件もある。病に関しても。
「はい」
「いずれにしろガイ・ガー隊長も龍神合体を論理的に追求してることだろう。いつかその召喚理論を語らってみたいものだが、果たしていつになるか。
だが確かなのは、ガイ・ガー隊長は我ら兄妹にとってはとてつもない恩人だということだ」
「はい」
閉めた窓が名残惜しかった。オレはもうちょっと風を感じていたかった。
そのようだった。
「――敵を探すのも難しいほど、離れてしまったのだな」
フォルテのどうしようもないほどドロドロとした政治の世界に比べて、ダルマーイカ自治領の何とのどかなことよ。
枢密院の屋敷を見張る者でさえ愛おしい。
あれで仕事が成り立つのだから、オレとリアが探してる真の敵は、どれほどの緻密な計算を働かせて仕事をしたのだろう。
「あの時よりはマシなのだ」
「ヒュー様?」
「いや、なに。ついあの時のリアの苦しそうな姿が思い浮かんでな。それでもリアは痛いとは言わなかった。泣きもしなかった。良かれと思って運んだはずの治療室で、ぼろくそに言われても、だぞ」
静かな、それでいてどっしりとした声がした。
「ヒュー様」
そういってアンナが人差し指を口に当て、左右に首を振った。
「心が揺れる時は悪いことばかりが頭に浮かんできます。でも最初に云いましたよ。あんまり嫌なことばかり思い出すものではありませんよ、と」
「…………そうだな」
「リア様だけではないのです」
「リアだけでない? 何がだ」
「身を粉にしてるヒュー様も、実は己を粉にするほど日々削っているのですよ」
母さまのようなこと云うなと、その時オレはアンナを見てそう思った。
「ヒュー様にも、傷を癒す時間は必要なのです」
アンナがにっこりと笑んだ。
まるで午後のひと時にいるような、そんな穏やかな時間であった。
「ここまで守っていただいてありがとうございます。ヒュー様がいない時、よくリア様とそんな話をするんです。内緒ですよ」
アンナは楚々と席を立ち、リアの様子を診に行った。
だがそうか──。
オレにも、傷を癒す時間は必要だったのか。
数々の侮りと妹への冷ややかな扱いを一身に受け止め、オレはどうにかして国外追放にも似た外交の道具となることで、命を絶つことを勧めるフォルテの貴族連中から妹を守り抜いたのだと、アンナはそうオレに言っているのだ。
あの張り詰めた空気から、オレは徐々に解放されているらしい。
それからオレたちは特に話をすることもなく、思い思いに家ですべき仕事を淡々とこなした。
アンナは夕食の用意を。
そしてオレは、納屋の周辺の警戒と、それに併せて鍛錬を。
明日があると云う事が、オレたちの最も尊い癒やしであった。
◇
妹が起きた。起きたのはアンナが夕食の準備を整えた直後であった。ここらへんはリアに直感が働いてるのではないかと時々思ったりもする。
オレは食事を終えると、召喚して天道神さまに憑いてもらった。リアの頭に手を置いて、リアに匿った女子の顔を見せて上げた。
天道神さまは眼を失った妹のために、時折こうして外の世界を眺めることに協力してくれるのだ。
リアがその女子の寝顔をジッと見て、口を開いた。
「どのような事情なのでしょうか」
「さて。だが捨て置けぬ」
リアがクスッと笑った。
「何がおかしい」
「兄さまのそういう王族らしからぬところは、本当にすごいと尊敬いたしておりますよ。ね、アンナ」
「はい。ヒュー様の良いところだと思います」
「ふたりして茶化すな。いいか、リア。この女子は我らと同じなのだ」
「同じとは?」
「何が何でも密書を届けると、これほど深い眠りを必要とする手傷を負いながら、オレからすらも密書を護ろうと必死に抗おうとしたのだぞ」
「このような若い女の方が…………」
「うむ。感銘を受けた」
(ほだされたんだよ)
などと天道神さまの揶揄が入ったが、これに反応してはいけない。スルーである。オレもこのような技を女子ふたりから鍛えられて、最近は身につけたのである。
(話し方が王族のままだがの)
オレは天道神さまを送還した。
迷わず送還した。
「天道神さま大活躍~。すぐに送還されちゃったけど」
リアが剽げた。アンナが驚く。
「え? 送還されたんですか? せっかくリア様の目の代わりをして下さったのに」
「ふ、深い事情があるのだ」
「送還される時、あれ~と剽げながら名残惜しそうに私から離れて行かれましたよ」
どんな顔をしてるかなど知らぬ。この世に馴れすぎてもらっては困る。
「ヒュー様の駄目なところですね」
「せっかくアンナが良いところがあると誉めたばかりなのに、すぐ駄目なところだと云われるなんて、本当に兄さまは無粋ですね」
なぜこうなるのかわからぬが、まぁ、二人が仲良くいられるのなら、それで良いのだろう。今の肝は、リアに余裕があるうちに話すのが大事なのだ。オレは咳払いをひとつして、リアに午前の出来事を語った。
「と言うことで、ハロルド枢密院にしろ、不在だったことを考えれば、どこぞに身を隠しておるのやも知れぬ。そして枢密院に会うためには秘密があり、それをこの女子が何やら知ってるかも知れぬ」
リアが見えぬ眼で女子の方を見た。つと不安が口にのぼる。
「大丈夫でしょうか」
「案じるな。オレは死にはせぬ。お前を嫁に出すまでは死ぬわけには参らぬしな」
「この身体では、私は嫁には行けませぬ」
「ならば一生か。長生きせねばならんな、はっっはっは」
だが笑ったのはオレだけだった。
女子ふたりからして、そのような冷たい眼で見られても、こ、困る。
そして、もうひとりの女子は、夜になった頃に目覚めた。
読んで頂きありがとうございます。
そして、おや、と思われた方。
改題の理由は活動報告の方に載せました。今後ともよろしくお願いします。