第6話 天は慈悲深く、決して人を見放すことはない
天道神さまがオレの中に降霊して一体化した。王宮の自分のベッドに横たわったリアは、自分が今どこにいるのかもわかってないようだった。ジッと目を瞑って浅い呼吸を何度も繰り返すことで、かろうじて持ちこたえてるような感じだった。瀕死の重傷であった。息も絶え絶えである。
その状況を、オレの眼を通して、観て取ってるはずの天道神さまにオレはお願いする。
(すまない。力を貸してくれ)
(これは…………)
と天道神さまもさすがに四肢をなくした妹の状態に絶句した。
こうしてる間にもベッドには血溜まりが出来ている。
(天道神さまでも難しいか。妹なんだ。助けたいんだ)
(天道、人を殺さず、だ)
(それは何だ。見返りならば出来る限りはする)
(天は慈悲深く、決して人を見放すことはないということだ。ましてやヒューの妹御なのであろう)
(ああ)
(傷を塞ぐ程度ならわけもない。だが喚び戻すとなると、ちと難しいようだ)
(まずは傷を塞いでくれ。後のことはその後だ)
(了解した)
そして妹は一命を取り留めたのだ。
午後の暑気の残った空気と秋の気配を含んだ緩やかな風が、居間にいるオレの頬を撫でていた。アンナがたおやかな手つきで名も知らぬ女子の額に浮かんだ寝汗を拭いてあげていた。
オレは目の前の情景を漫然と見つめながら、まだ物思いに耽っていた。
部屋には静かな寝息が二つほど前後している。一人は隣接する隣の部屋にいる妹のリア。もう一人は行きずりで救ってしまったサーバ国王からの密書を携えた女子。
このサーバ国王の密書を携えた女子は深い傷を負っていた。それこそ筋を断たれて一方の腕がもう二度と動かぬほどに。
ゆっくりと眠ればいいのだ。
よほどずっと張り詰めてたのだろう。
傷を癒すにはおあつらえ向きの陽気だった。そして、物思いに思い返すにも似つかわしい陽気であった。オレは傷を癒すふたりの女子のそばに佇みながら、椅子の背もたれに深く身体を預けると、再び物思いに耽った。
召喚魔法のことである。
召喚魔法には種類が二つあった。
ひとつは魔獣や獣、精霊を召喚する戦場において強力な武器となる召喚魔法。
もうひとつは、異世界から英雄を召喚する英雄召喚。異界渡りをさせることでスキルを身につけさせ、あらゆる魔法と武の才に満ちた人材を作り出す、国の秘事ともいえる究極の召喚魔法、勇者召喚だ。
召喚魔法といえばこの二つであった。
だがしかし、オレの身につけた召喚魔法はそのどれとも違った。オレの召喚魔法は異世界の者と契約してオレに憑かせるという召喚魔法だった。
フォルテの人は誰もこのオレの身につけた召喚魔法を認めなかった。王族に対する慇懃な態度を取りつつも、そんな物は知りませんよと嘲った。
初めてのお披露目で憑かせたのが風魔の小太郎だったからか、その場に居合わせた貴族たちの求めるままに、火炎も、氷結も、嵐も、光も闇も、召喚魔法らしきことを何一つ出来ないと言ったのがまずかった。あらゆる求めに出来ないと答えると、これはあれですな、と皆がみな顔を見合わせた後、何の属性もない役立たずの自称召喚魔法ですなと面罵された。
慌ててオレが小太郎には忍術があると言っても、最早聞く耳を持たれなかった。忍術という概念を知らないこの世界の人々には、しょせんは人の遣う技という嘲りしか返って来なかったのだ。
「ヒュー王子。召喚魔法とは、戦局をたった一度の召喚でひっくり返す物のことを言うのですよ」
そう侮られた。
そしてオレのことは誰も召喚魔法士とは認めてくれなくなったのだ。母の未来召喚がフォルテを最強の中の最強に押し上げただけに、周囲からの落胆は酷いものだった。
オレの披露のやり方が戦略的でなかったのがまずかった。母を亡くして、こういう機会の際に学んでおくべきやり方があるのを、オレは知り得る機会がなかった。
忍術の練度を上げることに夢中で、人に伝えるということを怠ってしまったのだ。
結果──。
「凶弾でなぜ子供を庇ったのか」
「サーシアさまが生き残った方が、これならフォルテにとってはよっぽど良かった」
などと揶揄されることとなった。
そんなオレが、召喚に失敗したリアを医療局を連れ回した話は、すぐに噂になったらしい。治癒魔法も治癒召喚も、もはやどうにも出来ないと、瞬く間に人の口にのぼった。
事あそこまで至ったらもう助からない。
恥が諸外国に流出する前に処分した方が良い。
口さがない噂が王宮を席巻した。期待が大きかっただけに、怒りを込めて兄も兄なら妹も妹だと、あの家はもう駄目だと、まことしやかに噂された。
オレが聞いたのはそこまでであった。その先は何もなかった。
父が見舞いに来ないことも、異母兄弟達が見舞いに来ないことも、貴族の間で第三皇后の血筋は見捨てられることが決定事項となったのも、人が訪れることがなくなって初めて知った。
だからオレがリアの部屋で降霊召喚をして治療を試み、この後どうしたらよいものかと思案してるときにアンナが駆けつけて来てくれたのは嬉しかった。
いや、違うな。
あの時はアンナが来てくれて純粋に嬉しかったのだ。
そうだ。益体も無いことでホッとしたのだ。
妹とはいえ、兄が妹の身体をベタベタ触って傷を確かめるというのは、なんとなく憚られていたのだ。そこへアンナが来てくれたことで、これで妹のことを確かめてもらえると、胸を撫で下ろしたのだ。
アンナはオレの母、サーシアがテロリストの凶弾によって斃れた時、守護に就きながら母の身を守れなかったことを悔い、以後なにかと心を配ってくれた女性だった。
アンナは陰に日向にオレたち兄妹を支えてくれた。それはフォルテを出国することとなり、大国のライムから属国のサーバ、そしてダルマーイカ自治領に至るまで、今も変わらない。アンナは家族同様の、本当の意味での信頼できる女性だった。
だがそんなアンナをもってしても、あの時のリアの姿は一目見た途端、八方塞がりのようだった。状況はかなり厳しいですとすぐに告げた。
血溜まりのベッドと息の細い妹を見たら、そうも判断するだろう。神憑きによって傷を塞ぎ、一命は取り留めたと天道神さまに云われても、オレの降霊召喚をその時のアンナはまだ知らなかった。
男のオレでは憚りがあるので、どこか悪いところはないか調べてくれと言うことで、ようやくアンナは本格的に調べてくれたのだ。そしてリアの失われた部位を診る度に驚愕の表情を浮かべ、おかげで妹から遠く離れたオレにも、アンナの表情でその部位は無事なのだということがわかった。アンナの泣いてるような嬉しいような、その複雑な表情が伝達手段になっていた。
結果、リアは右手、左手、右足、左足、四肢と両目をこたびの召喚失敗で失っていた。代償にしては破格の代償であった。
通常の召喚失敗なら召喚陣から弾かれて終わりである。
だが妹は四肢と両目を失っていた。前例のない代償であり、前例のない大失敗でもあった。
その後の貴族の間での噂をオレは知らない。アンナもオレたちの耳に入れないようにしてくれていたし、先にも述べたが異母兄弟達が見舞いに来ることもなかったことから、オレたち第三皇后の血筋がどういう眼で見られているのかは察しがついた。
妹は半月ほど生死の境をさまよった。時折生命力を持ってかれるようで、容態が急変することはままあった。その度オレは降霊召喚をし、天道神さまに治療を施してもらったりした。
リアにはもう、オレしかいないのだ。休む間もなくリアが苦しむ度に治療した。
そしてそんなことを繰り返してる時に、いつだったか、天道神さまに云われたのだ。
リアの両目と四肢は何者かに奪われてるぞ、と。
オレはそれは召喚獣相手だと思っていた。よほどの大物の召喚獣がリアに代償を求め、それでも足りないと怒って失敗したものだと思っていた。
だが天道神さまは、違う、と云った。
(召喚陣に細工をして、リアが得るべき力をくすねた者がいる)
(それは本当ですか)
(それが証拠に、奪われた四肢と両手は、召喚時空を超えてどこかにつながっており、今も尚リアは力を奪われつづけている。おそらくこの引き合いは、安定するまで続くぞ。どうやらそれを探ってるようだ)
(どうすれば相手がわかりますか)
(封じられた召喚陣が断面にちいさく残ってる。これの解明をするか、もしくはリア自身による直接接触であろうか…………あるいは)
(あるいはオレが倒すか、ですね)
(そうだ。だが相手がわからぬ召喚陣に飲みこまれてる糸、便宜上糸と言うが、召喚獣のつながりが幾つか儂には確認できる)
(召喚獣は何体もいるのですか?)
(どうやらそのようじゃ)
何て事をしたんだと思ったんだ。
オレも前例がなかったが、リアもどうやら前例のないことをやっていたらしい。一度に複数召喚とその契約。聞いただけでも尋常ではなかった。普通は一度につき一体だ。しかもそれでも成功すれば破格の成果であった。
(それが複数召喚とは…………)
驚くオレを天道神さまが諫めた。
(話は終わっておらぬ。落ち着け)
(これは済みませぬ)
(その召喚獣の糸の数だが)
(はい)
(十三本ある)
(十三本? 四肢と両目しかリアは奪われてませんよ)
(腕が分かれてるのやも知れぬ。足が分かれてるのやも知れぬ。指かも知れぬ、爪かも知れぬ)
(まさか部位ごとに?)
(おそらくな)
(その封じられた召喚陣、封印召喚陣からの糸は、どこの四肢から伸びた糸の数はわかりますか?)
(わかる)
(では奪われた部位の特定までは出来ずとも、幾つに分けられたのかまでは本数を数えれば、わかるのでは?)
(増やしたり減らしたりしてる偽装も有り得るぞ?)
(それでも構いません。内訳を教えて下さい)
(眼に一。右手に三。左手が四。右足が三。左足が二。これが全てだ)
思ったよりも分散してる。左手が一番多いとは母さまが左利きだったから特に狙われたのだろうか。
そして目が一本しか伸びてないということは、目を欲した者がいるということかも知れない。盲目だった者が急に目が見えるようになったりした場合、それは非常に疑わしい存在となり得るわけか…………。
(しかしなぜ)
妹の目と四肢は奪われたままなのだろう。召喚をしてひと仕事を終えたなら、普通は召喚獣はもとの世界に還って行くものだ。そして還った時には成功してるのだ。召喚に失敗した代償など必要あるまい。
それは召喚陣に刻む基礎中の基礎の契約だ。
すると脳裏に天道神さまの声が響いた。
(代価は払われ続けておるのだ。おそらく永続召喚。召喚され続けておるぞ)
(まさか…………妹の四肢を代価にして?)
召喚を終わらせていないという事なのか?
そんなことが出来るのか?
(儂の見立てでは、ということだ。違っているやも知れぬ。儂もこの世界には疎い。あまり頭から信じるなよ)
それは確かに異世界の景色を眺めては、ほうほうと喜ぶ神さまなのだ。畑を見て喜び、収獲を見て喜び、そんな当たり前のことで喜んでくれる異世界の神さまなのだから、相当わかってないことは確かである。
(でもオレは天道神さまを信じますよ。リアを助けてくれたのですから。しかしそうか。それのおかげでリアの眼と手足が戻らないのか)
全くの手立てがないのと、当たりが出たのとでは、取っかかりが出来た方が遥かに行動の指針を立てやすい。
少なくともこのフォルテに、母さまの血を引く妹の四肢を献じて、自らの力にしようと画策した者がいることはわかったのだ。
これだけでも天道神さまに教えてもらったことの意義は大きい。
(向こうは傷が治るわけがないと思っている。何しろ永続召喚を目論んでるのだからな。必ず何か細工を用意してたはずだ。出なければ妹御は失血して死ぬ)
(敵にリアを死なす気はなかった。死ねば召喚獣が失われるのだから)
(そうだ)
(だからこちらは、なんでリアが生き延びてるのか、その理由はわからぬが敵の思惑通りに推移してるふりをして、リアがかろうじて生きてる体を取れと、そう仰ってるのですね)
(その通りだ。敵に悟らせるな)
(それは大丈夫です。オレの降霊召喚は役立たずと定説になってる。スキルも異界渡りで得た勇者にも匹敵するはずのスキルがそれとは、度しがたい愚物だとフォルテ中にその名が轟いてます)
(き、気の毒なのだな)
(おかげでごまかしが利きます。他には)
(耐えろ。それだけだ)
(わかりました)
(簡単に返事しておるが、相手は持ち主から召喚獣を奪うことを画策した輩だということを忘れるな。召喚失敗では弾かれるのが普通だが、とんでもないのを召喚した場合は喰われることもあるのだろう?)
(はい)
(おそらくこの糸は、失敗してもこの世界に繋ぎ止めるために用意した物のはず。悪評はすべて、お前の妹に押しつけようとした嫌いがある。まず間違いなく責め立ててくるぞ)
そしてその天道神さまの予測はその通りになった。
「能無しの兄と四肢無しの妹」
それがサーシア母さまの血を引く、第三皇后の血筋の者への蔑称となった。そしてフォルテの国中でこの蔑称は、口にしただけで誰のことかと誰もが理解してしまうほど浸透した。
読んでいただきありがとうございます。
降霊召喚か、降臨召喚か。
神さま以外も召喚するから降臨は使いづらいかなー、と悩み。
小太郎生きてるけど降霊は怪しげなニュアンスもあるからなー、と悩み。
天秤にかけて、人には霊魂が在るってことだし、とりあえず降霊召喚にしました。