第4話 キャベツ畑の庭先で
朝早く起きて、アーサー道場に向かうついでにハロルド・カーギイカ枢密院に身を寄せようとすると、たむろしてた者達は消えていたが、街の中心部の辻に立ち、それとなくこちらの方を向いている男がいた。
オレはその場を道具を抱えながら通過し、アーサー道場へと向かった。
ハロルド・カーギイカ枢密院の屋敷は見張られていた。
そして屋敷からは誰も出てくる様子もなく、息を殺して状況が動くのをじっと待ってるように感じた。
オレは懐に入れたままの密書に手を触れた。
この密書が届くのを、おそらく屋敷の者は皆じっと待っているのだ。女子は今朝は目覚めることもなく、傷の痛みに脂汗を掻きながら現と幻の間をさまようように眠っていた。そんな息も絶え絶えな状態でも、オレが密書を女子の胸から取ろうとしたら、己の露わになった胸より密書を守ろうとしてオレの腕ごとその柔らかな双丘にかき抱いた、その女子の思わぬ力を思い出した。
健気な姿であった。
そんな状態になってでも守ろうとしたのだ。
オレは迂闊に騒ぎ立てるのはまずい気がして、朝はそのまま通り過ぎることにした。
アーサー道場で剣術の練習を終えると、オレは汗も流さず一目散にハロルド・カーギイカ枢密院の屋敷へと向かった。
昼日向の人の多い時ならば、昨日の夜更けのような男共が包囲網を張ることは難しかろうという目論見があったし、朝のように目立って見咎められることもなかろうという思いがあった。
昼日中ならば、騒ぎとなったらなったで、大手を振って中に入ることも厭わないという気持に傾いたのも大きい。
昨夜は帰ってからが大変であった。女子が襲われてたこととその思わぬ深傷に、この地に越してきてひと月というフォルテ出身の女どもがライムという国に対して眼を鋭くし始めたのだ。
この地の者は女子に手を出す無法者が多いという認識になったようだ。一面においては、奴等が奪い返しに来る可能性もあると、オレが焚き付けてしまったかもしれない。
そして密書の件に関してはまだ触れていない。アンナにだけは行き先を告げてしまったが、事が終わるまでは秘匿していた方が良いだろうとオレは考えた。何も知らなければ、仮に奴らが押し寄せてきても、撃退しながら反応を返すようなことがなくなる。
人間の反応というものは馬鹿にできない。
それが純粋な反応にしろ、欺瞞の反応にしろ、反応というものは反応なのだ。その反応したわずかな動作からそこに潜められた機微を見抜かれると云う事は、よくあることだった。戦闘中は特にその脅威度が跳ね上がる。
戦闘時の集中力というのは些細なことも見逃さないものだ。例えば耳に意識を持っていったとしても、その意識を気取られてしまう。それほど集中力が高まるものだ。
オレは最初の異界渡りでその恐ろしさを、風魔忍者の頭領である小太郎から嫌と言うほど味わわされた。
そしてやはり昼は人通りが多かった。このカーギイカ自治領は自治領として存続を認められるほど、サーバ国の中でも人の集まる地のようであった。
辺境だと馬鹿に出来たものではない。辺境に活気があるという事は、中央にまでその活気が届くと云う事になるのだ。
オレは用心しつつ朝に男の立っていた辻に身を寄せた。買い物客が往来を闊歩し、荷馬車や荷運びの人夫が途切れることなく右に左に流れてる。
オレはその辻で荷下ろしに励む荷馬車の後ろにひっそりと座って、ハロルド・カーギイカ枢密院の屋敷へと眼を配った。
この賑やかな通りに反して、枢密院の屋敷はそこだけぽっかりと静まり返っていた。十数名しかいないサーバの政治の中心人物たるハロルド・カーギイカ卿の屋敷にしては、あまりに異様な光景だった。街にこれだけ活気があると云う事は、政治はきっちりと民草に行き渡ってるはずなのだ。
「どうだ。現れたか」
いきなり後ろから話しかけられてオレはビックリした。荷馬車の脇に身を潜めてるのに更に潜んでこようとする者がいるとは思わなかった。
「いや、まだだ」
何が現れるのかわからないので、オレは振り向かぬまま屋敷の方へとずっと見つめつづけ、無難にそう答えておいた。
「どうもコムロの話は要領を得ないところがある。そう思わないか?」
そう言って後ろに潜んだ男はフンッと鼻を鳴らした。
「首都のミーソから遣わされたのは女だという。まずはそこからして腑に落ちん。国を左右する大事な使いだ。それを敵方が女を使いに出すとは思えん」
──敵方とはどういうことだ?
オレは不穏な物を感じた。密書にはオレとリアのことを粗雑に扱うなと注意書きがあったのだ。その意味合いが変わってくるのをオレは感じた。
もしかしたらサーバ国にはよそ者には報せていない、何か重大なことが進行している可能性が出て来たのだ。サーバ国王から枢密院に宛てた書き付けは、余程重要な意味合いが秘されてるのだろうと見当がついた。フォルテを逐われたオレが、放逐された先で思わぬ葛藤の渦中に巻きこまれたようだった。
「助太刀が現れて、女を討ち損ねたと言っていたが、ここまで動きがないと、その女にただ逃げられただけなのかもしれんな。コムロはその助太刀の男がこの屋敷へやって来ると言うが、信じられるか?」
つまり何人も入れ替わり立ち替わり、この屋敷を見張ってると云う事だった。そしてこの屋敷を見張る根もないと云う事もわかった。誰しもが見張るのを馬鹿らしいと思ってるわけだった。
だから新たに派遣されたオレがどう思ってるのかと、この男は尋ねて来てるわけだ。
「あー、それはだな」
と小声で囁くと男が耳を寄せてきた。そこにオレは鳩尾へと重い一撃を加えた。男は呻くことも出来ずにその場に崩れ落ちた。
耳に意識を持って行かせて、鳩尾に重い一撃を加える。上に意識が行って下の急所に一撃が来る。防げるものではない。悶絶していた。
小太郎が言っていたが、この世界の人間は押し切ることに夢中で、体術に関しては剣ありきの動きが前提なので、いかようにも料理できる、と。
そしてその指摘は事実だった。ただしこれに魔法が絡むと途端に小太郎の指摘も的外れになってしまうのだが、そこらへんは追々研究していこうと云う事で意見が一致してる。
いずれにせよ脅威は排除した。今なら見張る者もいないと云うこともわかった。
オレは男を荷馬車に積んであった荒縄を拝借して縛り上げると、荷馬車の陰から男を抱え上げ、ぽっかりと静まり返った枢密院の屋敷まで運んで、門脇の茂みにほっぽった。
これなら人目にもつかない。
そしてここまで来た。
オレは大手を振って枢密院の屋敷の敷地内へと入った。
夜に来た時にはわからなかったが、昼に訪れてみると庭には立派な菜園があった。キャベツが整然と並んでその葉を太陽にむけて青々と伸ばしており、これが枢密院の屋敷なのかとフォルテとの文化の違いにオレは少々面食らった。
オレはフォルテの王宮で、菜園など見た事もなかった。菜園とは宮廷の外に菜園として独立してある物で、庭先に、ましてや玄関口に、渾然と場当たり的に訪問客にみせてしまうような物ではなかった。国には国体というものがある。徳や智、威信と言ってもいい。
カルチャーショックだった。
ライムの属国とは言えサーバ国の枢密院が、オレの想像以上に大らかで実利主義だというのがこのキャベツ畑にうかがえた。
「なるほど。オレたち兄妹が納屋に住まわされるわけだ」
しかしこの大らかさで商いが盛んだと云う事は、この地で頭角を現せば妹の召喚契約に関与した者の調査を、この地から行えるかも知れない可能性も出て来たわけだ。商いで行き交う情報に、枢密院に恩を売り、国王から粗雑に扱うなと言う書き付けが加わり、そこにきてオレの武が認められれば、一躍この地は妹を匿うに絶好の、いや、むしろもっとも適した地となる。
「これは疎かには出来んな」
オレは道場後の汗臭い身体から汗をぬぐって身だしなみを整えると、威厳を込めて、枢密院の屋敷に訪いを入れた。
重厚なノッカーの音が響く。
キャベツ畑から漂う微かなキャベツの匂いが玄関にまで漂ってきていた。空には鳥が飛び、時折さえずりながら屋敷の向こうへと飛び去っていった。
だが誰も出て来なかった。
もう一度ノッカーを鳴らしてみたが、同じ事だった。
どうやら空振りのようだ。なんで屋敷を守る者も出て来ないのだろうと思ったが、屋敷をあげて動いているのなら話は別だった。
サーバ国王からの使いは女だけではない可能性もある。
出直すしかないなと思い直して数歩歩くと、だが待てよ、とキャベツ畑の庭先で立ち止まった。
引っかかることがあった。
──国王からの手紙が、なぜ密書なのだろうか。