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第2話 密書

 家に辿り着いて、開けてくれと頼むと、納屋の扉がゆっくりと開いた。部屋から明かりがこぼれてくるので、まだ起きて待ってたらしい。

 だからこそ扉を開けてと頼んだわけだが、メイドさんのアンナの顔は険しかった。

 背中の荷物とオレとの間を目が行き来している。そしてオレの手が遠慮無く女の臀を支えていると知ると、その目を鋭くした。


「怪我人だ。何をボサッとしておる。湯の支度をせんか。オレはこれから床をのべて、それから医者を呼びに行く。それまでこの女子(おなご)の傷口を改め、出来る限りのことはしておけ」


 そう言って付け入る隙を与えず一気にまくし立てると、アンナは目を(みは)って女子(おなご)の様子をもう一度よく見た。

 酒の匂いがしてるが、それはヒューだけからの匂いのようであった。酒場で女子(おなご)と同席していかがわしいことになったわけではないらしい。ホッとしたが、確かに背負われた女子(おなご)は呼吸が荒く、酒精に邪魔されたが血の匂いが混じっている。


「これは」

「急げ」


 ハイと返事をして、アンナは台所へと湯を沸かしに行った。


 オレは女子(おなご)を背負うたまま、納屋の奥の人目につかぬ場所へと素早く移動した。


(あに)さま、何が」


 向かいの奥から妹の声がした。納屋とはいえ、豪農の家の納屋なので、収獲した作物を種類毎に収納するので、部屋は幾つもある。ちょっとした家屋であった。

 そこらの貧乏小作人の家より大きいのだ。だが納屋は納屋である。オレたちフォルテの王族が、王族だというのにライムからどういう扱いかは窺い知れるというものだ。


「すまんが怪我人だ。一刻を争う。後で詳しく話す」

「まぁ大変。どうぞご存分に」

「うむ」


 妹のリアが唯一存分に動かせる首で大きく肯いて、背中を押してくれた。

 オレがおぶる姿勢から女子(おなご)を降ろそうとすると、ヤカンに火魔法のファイアをかけたメイドさんのアンナがオレの元へいそいそと駆け戻ってきた。

 ちなみにメイドさんとメイドを「さん付け」で呼ぶのは、ほぼ王籍を剥奪されたオレたちに、それでも祖国からついて来てくれたリアへの感謝である。メイドなどと鼻であしらうように呼ぶことはオレには出来なかった。それだけのことだ。


「表でそれは致しませぬように」


 などとリアから注意をされたりもするが、その時はその時である。別にどうと言うことはない。

 それよりも女子(おなご)だ。

 リアが女の足から靴を脱がせて、皮のマントと皮の手甲をほどいている。終わりましたというひと言で、オレは空きベッドに女を降ろそうとすると、すでに女の意識はなく、自力では寝ることも出来ないようだった。


「ヒューさま。ベッドに乗ります」

「頼む」


 すると、ずるりと落ちそうになったところをリアが間一髪で受け止めてくれた。そのまま藁床の沈むままに女子(おなご)の身体を寝かせつけると、


「もう離れても大丈夫です」


 とリアから合図が来た。

 オレはいつの間にか触れていた女子(おなご)(しり)から手を抜いて、荷を降ろすように降ろし終えると、肩を軽く回しながらゆるりと立ち上がった。


「お疲れ様です」

「うむ。では頼む。医者を呼びに行く」

「はい」


 返事をしてリアが血止めをしようとウールの上着を脱がせにかかると、ビクンと魚が跳ねるように女子(おなご)の身体が跳ねた。動かぬ腕で必死にマントをかき合わせようとする。だがそのマントはもうリアが外していた。


「ぐうっ」


 呻いて女子(おなご)が正気に戻った。そして身をよじるように抵抗するので、これはリアだけでは敵わぬと思い、オレは女子(おなご)の身体を押さえつけた。オレの口から言っても抵抗が激しくなるだけなので、リアに目配せする。


「あなた、あなた。もう大丈夫ですよ。ここは」


 言い淀んだので頷いておいた。


「ここはライムにやって来たフォルテ国、第七王子の住居です。暴漢は去りました。どうぞ安心して下さい」


 女子(おなご)から抵抗の意思が消えた。別にフォルテの王子だと理解したからではなく、リアという女性の声が聞こえたからだろう。


「ヒュー様ちょっと見てて下さい。湯が沸きました」


 オレは男の声を聞かせるとマズイと思ったので、頷きを返して、それをもって返事とした。

 そしてリアがヤカンごと湯を持って来ると、この際だと女の右腕を確かめ、ふた太刀ほどある剣の傷を確かめ、それは夜道で見た時よりは浅手であると思った。

 リアが湯に手拭いを浸してギュッと絞ると、そのままオレを待っている。このまま傷口を確かめろと言うことなのだろう。幸い女子(おなご)は自分を介抱してくれてるのは同じ女性だと思ってる。誤解ではあるが、ここはそれを利用させてもらうつもりのようだ。


 オレも迷わず手を進めた。事態は急を要する。こちらにはやましい気持などこれっぽっちもないのだ。女子(おなご)が呻き声をあげつつも、右手を上に移動させてウールの上着を脱がせた。すると血に染まった上着の下から、鎖骨にも届くかのような深傷(ふかで)があった。指で探ってみたが、骨までは断たれていないようだった。


 かの男の技倆がこれでもわかる。


 そして、見まいとしていた胸元だったが、首から袋を提げていた。外すには胸元に手を伸ばさねばならぬ。逡巡していると、リアが風魔法の風刃で通し紐を断ち切り、オレに早く取り除くようにと促した。

 そのまま袋に手を伸ばして取ろうとすると、女子(おなご)が全身で抗った。何がなんでも守るといった感じで、動く左手でオレの手を袋とともに胸元にギュッと抱き寄せた。思わぬ柔らかさに瞠目するが、そうも言っていられない。

 リアに目で言えと促した。


「安心して下さい。ここはヒュー・フォルテ・ハーグローブの屋敷です。敵はすでに主が撃退しました。あなたを助けて主が屋敷に連れ帰ってきたのですよ。傷の手当ても今して差し上げます。もはや何の心配もいりません。ヒュー様は召喚魔法の達人ですから。後は任せておけば大丈夫ですよ」


 その(ぬく)みのある言葉は、今度こそ女子(おなご)に通じたようだった。女子(おなご)はリアの云った言葉の意味を明確に理解し、オレの腕を抱え込む力がすぐに抜け、だらりとベッドに腕を垂らすと、また目をつぶって小さく呻き始めた。

 しかし達人というのはどうだろう。オレは背中が痒くなるような思いをした。凡俗たる我が心の揺らぎを悟られぬよう、今度こそ女子(おなご)の胸から手をのけた。

 もちろん袋は手に持っている。


「まず血を止めなくてはなりませんね」

「うむ。しかし思ったよりも深い。神憑きをするか?」

「いえ、それは。事態がわかってからでもいいでしょう。迂闊にさらしてはなりませぬ。それはヒュー様の本当の切り札です」


 リアが言葉にするのも憚られると言った体で小声で話した。そして用意した(さらし)を懸命に傷口に当てて、血止めを始める。


「ではやはり、医者を呼んで来る」

「はい。後はお任せ下さい」


 オレは夜道をひた走りに走った。途中女の背嚢をひろって背負ったわけだが、邪魔になるという物でもなく、これはこれでいい鍛錬になった。酒の精など、もうとっくに抜けている。あるのは医者の手配のみ。治癒魔法の使い手はこの街にもいるだろうが、誰が敵かもわからない状況では、自分の知ってる医者が一番確実であった。

 オレたちがダルマーイカ自治領に来てからひと月、己の命を預けることが出来る医者を捜すことは、いの一番にやらねばならぬ事であった。妹の身体のことがある。


 それが幸いだった。


 口の堅い、腕の良い医者がいた。辺境のダルマーイカにはもったいないほどの腕を持つ医者だった。名前は知らぬが、白ひげ先生とその医者は呼ばれていた。オレはその医者に夜分に申し訳ないと断りを入れると、急病人が来たので来てくれと頼んだ。


 医者を連れて戻ると、オレは全てを医者とリアに任せて自室へと引き籠もった。手には女子(おなご)が後生大事にしていた、あの袋がある。

 女の肩口から流れ出た血が付着しているが、それもわずかばかりで中を改めるにあたっては問題なかった。この袋がおさまっていた女の白い胸元が一瞬脳裏をよぎったが、その透き通るような白さと尊い果実の実りを、オレは生涯の秘匿として口には出さぬようにしようと誓った。

 オレは改めて袋を見やった。


 ──あの男が狙ってたのはこれだったのだ。


 あの男は背嚢には一切目もくれず、迷いなく女の胸元を漁ろうとしていた。

 オレは火魔法のファイアで触媒に灯をともすと、薄暗い自室の机の上で、袋を開けた。中には油紙の包みが入っていた。この地でも防水対策をして紙を持たせるということがあるのだなと、遠いフォルテと同じようにライムの、その属国であるサーバの、もっといえばその自治領で見ることになるとは思いもしなかった。

 油紙は、フォルテの首都でも高直(こうじき)な物である。オレ自身、油紙に手紙を書いたことは数えるほどしかない。


 オレはその油紙の包みを手にとって裏表を確かめてみた。

 宛名もない。

 念のために袋も見てみたが、袋にも宛名と思しき目印はなかった。

 娘が肌身離さずピッタリと押しつけてた物にしては、味気ないほど何も書かれていなかった。


 つまりこれは女子(おなご)が届け先に渡すのが絶対だと言うことを意味していた。余人の手に渡ってはいけない物だと云う事だ。

 本国でも稀にみた、政治の匂いをオレはそこに嗅いでいた。うら若い女子(おなご)に持たせるには、それはちと荷が重すぎやしないかとも思った。


 オレは油紙の包みを取り出すと、その晒された胸に、見知らぬ男の手を触らせてでもオレの手を取った女子(おなご)の示した意思に納得がいった。

 油紙を開いた瞬間に、書き手の名前が目についたのだ。


 オレは恭しく額にまで書き付けを持って来て、そこから更に一段押し上げて礼をすると、丁重に書き付けを畳んでまた油紙に包んだ。


 手紙ではなく書き付けだった。だが余程急いでいただろう事が、それでわかった。そしてその書き付けを書いた人物は、この地に逗留してまだひと月しか経ってないオレの見知った人物でもあった。オレたち兄妹をこの地に送った人物でもある。


 アート・サーバ・ルーゲリス。

 サーバ国国王、その人の名であった。


「つまりこの書き付けは、サーバ国国王からの密書であったわけか」


 オレは女子(おなご)の跟け狙われた事由と、王の書き付けにまで手を出す敵の意思の強さという物を垣間見てしまったわけだった。


 これは──。


 思わぬ物を引き受けてしまったような、そんな心持ちになっていた。


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