第168話 沸き立つような
暗闇のなか遠く、オレが耕起した田畑の跡地に炎がぴこっと立った。見間違いとか単なる一過性の現象かと最初は思ったが、ぴこっと立ち昇った炎はオレは生きていると言わんばかりに左右に振れてあがいてる。
尻尾を立てろ!
みたいな感じで、始めは先っちょだけだったのが今は随分と土中から顔を覗かせた。
「あれか? レッドドラゴンか?」
「でしょうね」
メラニーが返事をくれた。
つまりかのレッドドラゴンは土輪では殺しきれず、地中から尻尾が出て来てるという情況なのだろう。同じ場所でもう一度耕起しちゃったからだろうか。
マントルの中で時間をもう少し置いておけば殺し切れたのだろうが、下に押し込んだ異物をもう一度耕起して地表近くまで戻してしまったというか、そういうことなんだろうな。
「ま、生き物はいないし、いいか」
と思った矢先に目に入った。
元田畑の平原に、縦横無尽に飛び回ってる影がある。
「居るか?」
「居るわね」
念のために尋ねるとメラニーも断言した。
誰だろう。騎士団にしては単体行動だし、ドラゴンに対して単独行動ができる強者となれば団長クラスになるのだろうが、フィッシュダイス団長は今ボヌーブ川の開墾地の方でやり合ってるはずだ。もう一人いた魔法士団のトーコ団長もメラニーの隣に控えている。クレツキは論外だしサドンさんはガウェインのせいで血を大量に失った。呪いもあるから今はまともに動けないだろう。
一瞬であの場に行け、うろちょろする度胸のある奴――。
オレは遠い影を眺めていると、とある考えがふと浮かんだ。
あそこにいるのはサマースだろうな。
そう得心を得た途端にその影が急に翻った。闇夜の平原にレッドドラゴンの炎の灯火がその挙動を炙り出していた。
あ、逃げる気だアイツ。
うろちょろしてたら自分しか居なくてケツをまくる気になったようだ。オレはメラニーに手を挙げて言った。
「トイレ行ってくるから、ちょっと見ててくれ」
「あんたこんな時に」
と窘められつつ、その場からとっとと離れて枢密院殿の方へと下がるように見せかけ、すかさず誰にも聞こえないような小声で囁く。
「ヘイルの爺ちゃん、聞こえてるならこのまま引き留めといてくれ。爺ちゃんとメラニーは枢密院殿の大事な証人だ。枢密院殿が自分の言を守ったというな」
「了解だ」
「おいアンタ」
と呼び止められた時には呪文を唱えた。
「光あれ」
しっかり聞こえてたメラニーの咎める声が聞こえて来たが、ここは無視してお付きの爺ちゃんに任せよう。
メラニーとトーコ団長もこれで一緒に枢密院殿を見ててくれるだろうし、レッドドラゴンはサマースを見つけたようで、歩くだけで周囲の物が燃え上がってる。
と噴火するように土がはじけ飛んだ。
「お、首が出て来た」
長い首が土を跳ね上げてサマースを睨んで吠えている。
あの長い首を土中から出すのは大変だったろうに。
サマースの逃げ足も加速した。だがびびったのはサマースだけではない。城壁にいる兵士達も再びレッドドラゴンが現れたことで動揺した。右へ左へ大騒ぎである。その怯えた人々の気持ちを折るように怒りの咆吼が空を裂く。
人々はますます絶望に沈んだ。
オレは上空で自分だけ通れるように雷装に穴を空けて通過したのだが、怯えた王都民の人たちに、一応雷装はしてるんだからと思ったりもしたけれど、このことは王都民の全員に行き渡る話でもないから安心材料にはならないとわかった。何しろ隠密行動をしているオレのやったことである。大多数の人たちは守られてることにも最後まで気づかないだろう。
それよりもまずはサマースだ。サマースのところまで一直線だと先を急ぐと、針の穴を通すように声が届いた。
「よくも置いてったわね」
「メラニーか」
その声は恨み節に満ち満ちていた。
「これはオレたちの仕事だからな。それより何でメラニーの声が聞こえるんだ」
「お仕置きよ」
あ、こりゃお付きの爺ちゃんの何かなんだな。お疲れさまだ。
「そんなことより聞きなさい」
と、メラニーとは別の声がしたので、はい、とオレは返事した。
何故かはわからないがトーコ団長はおっかない、というのがピンと来た。この人はフォルテから厄介払いされたオレやリアを見捨てなかったアンナさんと同じように、茶化したり減らず口を叩くのは、やばい相手だと何故かわかった。別段帰納法でもなんでもないがオレの返事は直立不動である。
意味は無い。生物としての本能である。だが生物なら誰もが持ってる本能だと思う。
「いいか」
「はい」
「騎士団同士の戦いも止まっている。今向こうでもあのレッドドラゴンに対してどう動くべきか互いの呼吸を探り合ってるんだ」
「なるほど」
「言っておくが君の所為でもあるからな」
「はい?」
「君がおかしな魔法を繰り返したから、そこへ踏みこむのに躊躇しているのだ。何しろ原因がわからないし、誰がやったことかもわからない。ただ、やばい魔法使いがいるというのだけはわかってる」
「魔法使いじゃないですよ」
「今さら」「トーコ黙って」
「…………」
「ヒュー。きちんと仕留めなさい」
その瞬間である。言われるまでもないと返事して、オレはサマースへとひとっ飛びした。この声を遠くへ届ける魔法が光速移動の後も通じてるのかどうかわからないが、それでも一応メラニーにはひと声残した。
「ではな。現着だ」
オレは土のひっくり返った元田畑の平原の上に降り立った。実りを迎える麦が周辺にはまだしっかり残っていた。ここらへんは天道神さまに頼めば元に戻せそうな塩梅であったが、オレの目はその先を見て、無様に撤退してくる一人の男の影を追っていた。背後を振り返りながら逃げ惑う男の眼前へと最後のひとっ飛びをする。
サマースが突然現れたオレにビクッとした。足を止めるでもなく低く屈んで斬り捨てる気だ。
「ようサマース」
オレが声をかけるとサマースが目を白黒させた。いや、実際は暗いからサマースの目の色などわからなかったのだが、サマースには突然現れたのが誰なのかわかったようだ。
柄から手を離してオレと同じように棒立ちになる。
オレが平然としてるのに、自分だけドラゴンから後れを取ったような態度をするわけにはいかなかったらしい。
オレはついでとばかりに右手を挙げた。
「ようじゃねーよ」
気合いの入った声が返って来た。
まるで場違いを窘めるような声だった。
「アート王は?」
「無事だ。俺が側に居たときは東の城壁近くの水車小屋に潜んでいた」
「先輩達が付いてるんだな」
「ああ」
「そうか。そういえばオレたちは賞金首になったぞ。ホリーに懸けられた」
「へぇ、屁とも思ってなかったから忘れてた。じゃぁまぁ逆に懸け返してやるか。証拠はいっぱいある」
そう言って互いに余裕を見せつけ合う。そしてサマースとグータッチした。
「とりあえず詳しい話はこいつらを倒した後だ」
「いやいや待て待て。何シレッと倒すつもりでいるのだ!? 俺が逃げてたのは貴公もわかってるだろうが」
「馬鹿め。枢密院殿の冒険者外出禁止はまだ解かれてないぞ」
「いやいや、おかしいだろ。これは騎士団魔法士団が出張るレベルだろ、この魔物の数は? フィッシュダイス騎士団は地平の彼方が相手してるし。そう言うからにはこちらの手勢はあるんだろうな!?」
「ない」
ひと言でぶった切るとサマースは口をパクパクさせ、それから周辺に灯りだした赤い炎を指差し始めた。
言われてみれば雑魚も一緒になって復活を果たしてる。だがそれが何だ。レッドドラゴンに触れたくないのだろうがそうはいかん。
「オレとお前が揃った。やることは決まってる」
すると丁度その時、首を伸ばして天へと向かって吠え上げるレッドドラゴンの咆吼をオレたちは間近で聞かされた。たっぷりと三十秒ほどはあっただろうか。そのうるさい声が止むのを待ってオレはサマースに告げた。
「ちなみに怯むことは許さん」
「おいおいマジかよ」
「マジだ。魔物相手に遠慮は要らぬではないか」
「だからそのモンスターの数が問題だと言ってるんだ」
「簡単だぞ。魔法で一掃して、それでも生き残ったのだけ相手取ればいいんだから」
「阿呆か。俺は西から来たが、ここに来る間も王都民なんかみんなブルってたぞ」
「王都民なら仕方ないか」
「阿呆。仕方ないではない。それが普通の反応なんだ」
そうなのか。オレはフォルテでそこらへんは鍛えられてたんだろうか。
考えてみればダブルリグレットに御神祖さま。霊亀に白虎、アクロス・ザ・ユニバース、更にはブライテスト・アイ等々大型種や強大な相手はフォルテでは事欠かなかった。色々と勝負したものだ。
よく負けたが――。
そう。オレはよく負けた。だが負けたと言ってもそれはフォルテ内でのことであり、フォルテの召喚獣に比すれば、ここの咒札で外に出されたカゴの鳥など、いっぱい居るなと感想をこぼす程度の存在で、怯む方の気持ちには欠片も傾いていかない。
そもそもそう考えると、このレッドドラゴンもフォルテの召喚士から契約するまでもないと見限られていたから、こんな場所へと登場することが出来たわけである。
勝ち負け以前の相手であった。
そのレッドドラゴンがいよいよ土中から出て来た。
体表に付いた土くれがパラパラと落ちながらボボッと発火していた。マグマに負けたのだろうか皮膚は所々焼け爛れて火傷を負っているようだ。
「ドラゴンでも鱗が溶けるんだな」
「この星を拠り所にして生きてる物が、星に敵うわけないだろう」
レッドドラゴンは鱗があちこちで溶けて、ある意味満身創痍であった。
「なあヒュー」
「何だ」
「こういう所で揺れてちゃ駄目なんだろうか。枢密院殿の命が解除されてないというのはわかったのだが、いや、駄目なんだろうな」
「当然だ。そもそもレッドドラゴンがなんだ。ライムカップに出るんだろう、お主は」
「ちっ」
「何だその舌打ちは」
「揺れても良いのはお給金の交渉だけかと、そう思ってな」
「そこは高値安定で揺れないでほしい物だがな」
サマースがオレの横に並んだ。
思えば肩を並べる相手が居るというのは嬉しいものだ。
「お、やっぱもう出て来たか。さすが一応大物だな」
「大物どころか災害だろ」
「おいおい、こいつはドラゴンとしてはまだ幼竜だろう。親がどっかにいるんじゃないか?」
「馬鹿、お前、そういう事言うな。そういうのは本当になるんだぞ。ただでさえ大事態だってのに、こんな馬鹿でかいの」
「でかくないだろ」
フォルテには父さまの滅び越えの龍ダブルリグレットと、ガイ・ガー隊長の星渡りの龍アクロス・ザ・ユニバースがいる。竜種とは言ってもこんなのはチビもチビ。ガイ・ガー隊長ならひと撫でだ。
「だがまぁ確かに。ここまで大事になるとは思わなかったな。しかし我らが泣き言を言うわけにも行くまい。これは枢密院殿が始めてオレたちが引き受けたことだ」
「もう給金分じゃ利かないようなのを相手にしてる気もするが」
「それを決めるのは」
「枢密院殿か」
うむとオレは肯いた。
そうそう。そうなのだと思いつつ、外聞を憚るようなことがオレの頭を過ったのだが、オレが敢えて口にしなかったその過ったことをサマースは口にした。
「吝いからなぁ、あの人は」
「まぁそうだな。そこは同意せざるを得ない。だが良いかサマース、細かいのは後だ」
「モンスターもか」
「雑魚もだ。魔法を使えば一掃できる。今は…………」
と言ってる側から片手を土中から無理矢理引き抜き、自由になったその手足から竜の爪のひとなぎをお見舞いして来た。恐ろしい迫力だった。爪の先と自然と身に纏う炎をオレたちに向けて放っているようだが、人の打ち出すファイアボールとは桁違いのファイアボールであり、もはや魔弾とでも言うべき炎の塊が、魔気を斬り裂き、オレたちへと向かって飛んで来ていた。
魔弾の通り過ぎた後は、一時的に真空状態となって魔気の集束が追いつかず、真空となった空間から破裂音がする。
「レッドドラゴンに集中だ」
「応」
オレたちに向かって飛んで来る恐ろしい飛翔体を、外套から忍者刀を抜いて待ち構える。
「熱いぞ」
「背反世界で遣り過ごせ!」
迎え撃つより先に熱でやられるとサマースは言いたいのだろう。だが熱など肌の直前、そのひと先で流せば届くことはない。そもそも貴様とて雷装を身に纏っているのだろう。
「真正面からねじ伏せてやる」
オレは飛び出すと急速に向かって来た熱が外套を焦がそうとするが、その熱が通ることは無かった。背反世界が熱波を封殺して炎の魔弾がオレへの直撃コースに入る。だがそのファイアボールを、込められた爪の欠片ごと忍者刀で斬り捨てた。
ファイアボールは二つに分かたれた。だがファイアボールの勢いは収まらず、そのまま後方へと流れて城壁の雷装にぶつかって弾けた。
ゴドーンと尋常でない音が後方から轟いてくる。
城壁は蜂の巣を突いたような大騒ぎになったが、サマースはオレの一対の忍者刀に目をやっていた。
「どうだ。どうにかなったぞ」
「マジかよ。その変な剣で」
「変な剣言うな」
「む。そうだな、しかし変な剣使ってもあの威力が残ってるのかよ」
ごまかすために言い直したようだが、オレの忍者刀を変な剣あつかいするのは許さぬ。オレがサマースを睨みつけると、サマースはちょいちょいと前を指差した。
レッドドラゴンが土中から抜け出していた。城壁から見た時にも思ったが、レッドドラゴンは体高が三十メートルはありそうだった。闇夜に浮かぶ炎竜のシルエットが、オレたちの何倍もあるその巨大さをこれ見よがしに見せつけてくる。チビめ、と嘲笑われているかのようだった。
再び爪から炎弾が飛んでくる。
ちょこっと振るだけで特大のファイアボールが放たれるのは流石だが、
「笑われてるんじゃなくて怒り狂ってるのかな?」
「お前が何かしたんだろうが」
マントルまで埋めたことを言ってるのか?
「だがアイツは抜け出てきたけどな」
ファイアボールを、背反世界を展開してあさっての方向に受け流す。そして攻撃を簡単に流されて更に怒り狂ったレッドドラゴンはこちらへと向かってノッシノッシと歩き出した。だがオレは、オレの方こそこちらからレッドドラゴンに向かって走り出した。
この戦いはアイツが支配してるのではない。オレたちが支配してるのだ。
竜種の誇りを傷つけられたとどれだけ怒りを向けて来ようが、人間ごときがと駄々をこねようが、調子に乗って何発も撃たせるほどオレは優しくない。
サマースも諦めたようにオレの後を付いてきた。
咆吼を真正面から浴びせられる。
ブルって足を止めるかと思ったサマースもこの咆吼にはカチンと来たようだ。オレの横に並び立つ。並走する足取りは力強かった。
「サマース、我らも舐められたもんだな」
「何がだ」
「貴公も頭に来たのではないのか? アイツ、オレたちを相手にブレスでは無く威圧を選択したんだぞ」
サマースが眼を鋭くした。