第167話 土魔法土いじり、その余波
儂はアート・サーバ・ルーゲリス、サーバの国王である。
サマースが雇い主の下へと向かって去った後、トライデントが見えてないことが起こっていると言って水車の番屋に戻ろうとした。だがしかしそれは儂の判断でやめさせた。
あれほどの巨大な魔法である。相手にしてるモンスターがそれだけ強大な物であることは誰の目にも明々白々で、その脅威から逃れるためにも人の流れは反対側である西に、こちらの方へと流れて来ると考えられた。
儂はその思考ついでに上を見上げる。
見上げた先には夜空が広がっていた。防御機構も働いておらず、何より本来あるはずの物が、城塞都市の象徴がそこにはない。つと目線を下げて、再び見上げてみれば、そこにあるはずの物が再び現れるようなそんな気もしてたのだが、何度確かめてもそこには空しかなかった。
「城は落ちたのか」
あそこに居たら死んでいた。それは確かだった。
「だが敵はどこに消えた」
その疑問にトライデントが答えた。
「オスニエルの居館にいる。今、あそこには誰も入れない。あそこだけは魔法陣が機能している」
「そうか。儂は戻るぞ」
「城にか?」
「確認するように言うな。わかっているんだろう?」
「その質問に答える口を俺は持たないがな」
トライデントは肩をすくめてそう言った。
王は儂だ。後継を指名したとは言え、その責任は未だ儂の肩に乗っかっている。
城ばかりでなく東の城壁へも目を配った。
人の往来こそ激しいが破綻した様子はない。東の城壁はまだそこまでの脅威はないのだろう。乙女の祈り魔法士団が何だかんだで掃除をしてくれた成果でもあろう。だがそれでも人々が行き交うという事は、そこに次々と湧き上がる魔物がいるということだ。
「ダンケ、守衛の動きをどう思う」
「守衛の皆さんはモンスターは城塞都市に攻め入るのではなく、元からそこにいたかのように湧き出てくると思ってるような、そんな感触です」
「何故そう思った」
「モンスターの流れを追う動きではありません。あれは現れた物に片っ端から反応している動きです」
「うむ」
「苦労してそうですな。かといって私が手伝うわけにもいきませんが」
頷いて城兵達が見下ろす先にいるはずの魔物にこころを馳せる。
方法はある。
神の威、神威なら魔物は殲滅できる、と。
だがそれを行使できるほど儂の肉体はもう若くなかった。神の清冽さはあまりに純粋であり、過酷であり、若い頃ならば耐えられたことが、経る年を積み重ねた人の身には自身を純化させるのは最早苦痛でしかなかった。
「王」
トライデントに呼ばれた。
だがそこから先をトライデントは言い淀んでいた。夜の闇に消えてゆくような、か細い呼びかけは、今の儂では聖具が必要だと言いたいのだが、その指摘をするのには躊躇いが出たのだろう。
そしてそこには別の意図が潜められている。本来ならこう問いたかったはずだ。
――最近は神の声すら聞いていないのではないか?
重い質問である。
言うなれば足下に流れる暗渠のように、儂の身体の中を流れる清冽な神意は、今となってはちょろちょろと流れる程度の物でしかないのではないか、と心配されてるのだ。
そしてそれは事実である。
「だが敢えて言おう。勝算はある」
水車小屋に戻りたがってるオードリーも途端に傾聴する姿勢となった。
「己を媒介に、儂が死に絶えた王都の魔法陣に神威を通す儀を行う。本来、魔法と神の御業は相反する物だが、今はその魔法が途絶えている。魔法陣の残骸でも王都中に経路が通っているのだから、この経路に神威を流して神の御業で魔物を浄化する。そうすることで魔物を殲滅する作戦である」
「王都内は混乱しますぞ」
「人々の苦痛を心配してるのであろうが、それは儂も考えた。しかし人々の魔力が失われてる今は魔の影響が極めて薄くなる。いわばこれはチャンスなのだ」
「なるほど。人への影響は少なく、魔物は死に絶える」
「今だけのボーナスタイムにゃ」「確かに。騎士団としても外だけに注力できる」
アーサー騎士団の二人からも賛同が得られた。
「急ぐぞ。神の御業を顕現させるには早ければ早いほどいい」
「オスニエル様の居館で出会った者達はどうします」
「亡命してオスニエルは居ないことがわかってる」
「それだが、何なら東の城壁で試さないか、王よ」
「城壁で?」
「陣の大きな分岐点は東の城壁にもある。そこを起点にしても陣の回路を回すことは出来るだろう。何より近い」
オスニエルの居館に向かうよりは確かに早い。いわば目と鼻の先である。王族の城や居館のような回路の中心とはいかないが、それでも大きな分岐点ではある。何よりトライデントが言っているのだ。
「そう渋い顔をするな、トライデント。それで行く。結果は早くわかるに越したことはない」
そして儂は東の城壁の魔法陣の監視部屋に入った。早速にケルプへの祈りを捧げ、王都から魔物を殲滅する「神意の儀」に入る。
御業の遣い手の秘中の秘だが、星読みの塔地下にはこの星の神がいる。魔の影響を避け、世界にどれだけ魔が蔓延ろうとも、この場所だけは神の御座所として清廉を約束した神の地である。
そこに御座すケルプ神に祈れば、神はきっとその願いを聞き届けてくれる。
儂は祈った。
神ならばきっと魔法陣の中を通る儂の祈りに反応してくれる。魔力ではなく神への祈りが回ってることに喜んでくれるかもしれない。
だが祈りを捧げてる内に、足はしわしわとなり、筋力も落ち、骨も折れ、自分で立つことも出来なくなってしまった。
「もうお止め下され、アート王。正直この結果は見えていました。しかし一縷の望みをもってお願いしたのですが、これ以上は最早お身体に障ります」
トライデントが哀しそうに告げた。やる前の渋い顔は、つまりはこういう事だったのかと合点もいったが、はいそうですかと簡単には止められない。
その姿をトライデントはじっと見ていた。
アート王は這ってでも魔法陣から離れず、魔力では起きなかった神意による回路への弊害、傷がつく現象を神威でひとつひとつ塞ぎ、陣を復活させ、都市の向こうまでその神意を延ばした。だがその神意の影響で回路にまた罅が入り、罅が入ればその回路をまた神意で繋ぎ直していた。トライデントはその姿を見ていられなかった。神に見捨てられたヒトへの呪いにしか見えなかったのだ。
ヒトは神の御業と魔法を比べ、手軽に魔法を行使できる魔族のもたらした魔法へと走った。穢れを嫌い、一切を純化する神と、ヒトのままで適性を見極めれば手軽に使えるようになる魔法とでは、勝負にもならなかった。そしてそんな世界で神の力を行使しようと我が儘を言い出せばこうなるのだ。アート王は今己が身を削っている。その身に神の呪いを、一身に受けて。
「そんな背中をなぜ責める」
一向に力を貸すどころか無視をし続ける神が、王を責めてるようにしか見えなかった。だがそこでアート王が笑った。
「知らない神威があったぞ」
「そんな嬉しそうな顔で言うな、アート」
トライデントは友にそう言った。
「ダンケ、オードリー、頼む」
「はい」「にゃ」
二人の騎士に、アート王の身体を陣から解放してもらった。抵抗する力も出ないアート王の姿が不憫であった。
「もう神は居ないのだ、アート」
「だが光の膜はどうだ。あれは城の防衛機構には組み込まれてないはずの魔法だ」
何しろグリフォンの超火力攻撃すらしのいでいたのだ、とアートは嬉しそうに言う。
「もういい、アート」
「待って下さいトライデント様。王の言う事には一理あるかと」
「そうにゃ。光の膜が城塞都市を覆ってるにゃ。あれがないまま素通りできる城塞都市にゃら、王都はとっくに壊滅してたにゃ」
だがそれは光の膜で覆われることで回避された。
「もういい。そなたらでも斃せただろう。気を遣われるとかえって心苦しくなる」
そう、こやつらが配慮してくれたように、光の膜を為したのは儂ではない…………。王都から魔物を排除したのも儂ではない。絶対の確証を得ようと神意を通そうとしてその神意さえ通せなかったのが儂だ。儂の現実だ。儂は何一つしていない。
そういえば――。
「壊滅を免れたのはそなたの功績だと、予知のことを大々的に誉めるべきなのであろうな、トライデント」
「もうよせ。自分を責めるな」
「そういう気にもならぬ」
だがどういう気にならなるのだろうな。
都市への不思議な魔法。巨大な雷が城壁外から生じて外周に拡がるのを防ぐも、城はその余波で消滅したのだろうか。残っていた天守も落ちたが、人さえいれば国は何度でも甦る。我が心に事実として重く残ったのは、ただ一つであった。
「やはりもう儂は……御業の遣い手ではないのだな。そういう事だ」
遠く、咆吼が聞こえる。今は小さくともこの咆吼を放つ物の恐ろしさはよくわかる。だがその咆吼も、サマースの消えた城塞都市の東の方に見えていたマグマの噴出が下火になると、いつの間にか地鳴りだけしか聞こえなくなっていた。
◇
「おかしいわ。広がった戦線から魔物が発生してない? アンタのおかしなので咒札だって燃やし尽くされちゃったはずでしょ」
「ん? 本当だな。地平の彼方騎士団が咒札をばらまいてるんじゃないか?」
外殻都市内は一掃できたと考えるのが普通だ。何しろ耕起して埋設されてた咒札はマントルに飲みこまれたはずなのだから。
「元に戻したところに咒札が残っててもおかしくはないのか。地表は元に戻したのよね」
そうか。その配慮が徒になったか。
「もしかして却って呼び水になったかな」
「そうね。咒札の軛から外れて、魔物の本能がレッドドラゴンの下に馳せ参じさせちゃったかも」
理由付けはどうでもいい。それはライムの方で後で勝手にやってくれ。オレとしてはもう一度土いじりで耕起をしたとしても、外殻都市の街並みを壊しちゃいけないという自分縛りがある以上、同じ調子で耕起しても壊されない街並みの浅い地層にどうしても咒札が残ることはどうしようもないことなのだ。
そして現実として出て来ている魔物が問題だ。ザッと見ただけでもレッドゴブリン、レッドウルフ、サラマンドラ、レッドオーガ。見事に炎系の魔物が群れをなしている。
そこへ一迅の風が飛びこんで来た。
フィッシュダイス団長から命じられてやって来たであろう騎士が、怯むことなくその群れの中に吶喊したのだ。その声に釣られて魔物達が一斉に騎士に振り返る。
レッドゴブリンを撫で斬りにして一番厄介なレッドオーガに返す剣で斬りつけていた。一瞬でレッドオーガの首が飛んだが、そのオーガを見上げる形となったせいで下から突き上げを喰らってしまった。凶悪なコンボだ。だが下から突き上げたゴブリンを、群れとなって襲いかかられる前に、振り下ろしの一閃で肩から腰にかけて真っ二つに叩き切った。
だが群れに飲みこまれる。わやくちゃと細かくやり合ってるようだが、直に体力が切れるのは眼に見えていた。
「アンタ、あの人を避難させること出来る?」
「ん?」
「フィッシュダイスがなけなしの団員を派遣したんだと思うのよね。意気に感じてあの騎士もたぶん死ぬまであの場で切り結ぶわよ」
「それはまた剛気な」
「真っ先に突っ込んで真っ先に戦果を上げる。それがフィッシュダイス騎士団なのよね」
「なるほど」
「でも光魔法も使ってないから、あの騎士も魔力は空っ穴よ」
それはまた大した痩せ我慢である。
「だから最初に飛ばされたあの場所」
「あの場所?」
「もう、わかってよ。ごにょごにょの場所よ、ごにょごにょのの。星読みの最奥で私を浮かせた時みたいに、ここでも出来ないかって訊いてるの」
あー、バックドアに神域の一番奥に飛ばされた時のことか。
洞穴の天井にしか脱出口がなくて、メラニーを闇の重力魔法で浮かせて脱出を図ったんだった。
なるほど。つまり魔物に囲まれて孤軍奮闘してるあの騎士をどうにかしてくれと頼んでるわけだな。
「すまんな。察しが悪くて」
闇魔法を使うのは些か気が進まぬが、接待係としては断りづらい案件である。リアに何かしてほしい時に、軽く断られるような口実を与えちゃいけないというのがオレの立場だ。
外套の中でオレは手を翳した。
魔物の群れに飲みこまれた団員を重力制御で中空に浮かせると、そのまま風を動かして城壁にまで運ぶ。
城兵がその騎士に駆けつけていた。
「お疲れ。で、どう?」
相手がいなくなったので、魔物は騎士を追いかけてやはり城壁の方へと向かってきた。
「織り込み済みだろう?」
「質問に質問で返さないで」
今さらとは思うが、メラニーは目配せした。気付けよと言わんばかりにバチバチばちばち大盤振る舞いである。
「やはり厄介なのは炎系で固めてることかな」
「うん、そうね。今のだって対処に向かったのは騎士だけだもんね。魔法使いは炎系の術者が圧倒的に多いから、敵はそこを逆手にとって、こちらの攻撃魔法を無効化するために炎系ばかり用意したのね」
「で、あろうな。それにもう一点。サーバの周囲は山や川に囲まれてるが城塞都市界隈は平地であ。離れた場所ならいざ知らず、炎で燃やして森林を破壊をしないためにも、ここ平地に炎系の者を配置するのはセオリーだ」
メラニーが首肯した。黙って肯くという事はそれなりに被害を計算してるのだろう。
オレの耕起から逃れた魔物がふたたび集まりだして城壁へと進撃を開始している。
どこら辺まで広がってるかと確認を取ると、南西の方向にぽつんと離れてフラフラと飛んで来る炎があった。さすがにこれはまずい。空からだと城壁が機能しない。
「はぐれか? やるぞ」
「待った」
とメラニーから待ったがかかった。そのメラニーがすかさず手に炎を浮かべてそれを左右に振りだし、篝火とは違う合図を送るかのような動きに、空に浮かんだ炎が確信を持ってこちらへと進路を取った。
飛んで来たのは魔物ではなく人だった。ファイアフライでふらふらになりながらもその女性は力を振り絞って戻って来たのだ。綺麗な顔立ちをした女性だった。その女性が城壁の上に辿り着くと、すかさず背後を振り返って声を振り絞った。
「そんな。折角平らげてきたと思ったのに……」
南西の大地を見下ろし、成果を確かめるための夜の大地に炎がまたひとつ灯り、そこにまた新たな魔物が現れたことを示していた。それが止むことなく続く。女性はグッと唇を噛みしめた。
「まだ避難が…………」
そして手の平から炎を出そうとしたが、その炎が彼女の身体を持ち上げることはなかった。
「トーコよ」
「トーコ、彼女が」
「そう、団長よ、乙女の祈り魔法士団の。ちょっと話を聞いてくる」
メラニーがフードをアイテムボックスから取り出すと、それをかぶって小走りに向かった。
聞くとは言ってたが、実際は魔力切れを起こしてヘロヘロになったトーコ団長を止めるために歩み寄ってったようなものだ。ここはメラニーに任せるのが正解だろう。するとチッと思わぬ舌打ちが反対の方から聞こえて来た。だがオレはそのままトーコ団長の方を見守った。彼女は自分の来し方に魔物の群れを見つけ、その魔物達を睨みつけて眦に涙を溜めていた。気高い横顔であった。
「チッ。だからよその魔法士団は軟弱なんだ。こんな場所で泣くな」
「おい」
とオレはクレツキに声をかけた。
さすがに一度ならず二度までも舌打ちが吐いて出るのは看過できない。
「彼女の涙は助けに行きたいのに、力が尽きてしまったという涙だぞ」
「だったら助けに行けばいい」
「一人で来たのだ。彼女は一人であちらの戦線を支えていたはずだ」
「それがどうした」
「そんな彼女が動いたら、彼女を助けるために周りの者もまた動くだろう。それは戦力の低下になる」
「それがどうした。弱いからだろうが。だから泣くんだ」
「泣くのは弱いからではない。ただの感情表現だ」
「ああん? 泣いたら弱いに決まってるだろうが」
「バカめ。取り乱す涙と噛みしめる涙はその意味がまるで違う。この場でも静かに泣けるというのはそのまま平常心なのだ。どのような場所であろうと、喜怒哀楽、己の感情をその場で発露する健やかさや余裕を、お前は知らないのか? オレからしてみればじゃない、彼女にしてみれば、それはあまりに当たり前で隠す必要なんかないんだよ」
「ああん? お前が勝手にそう思ってるだけだろうが」
「そうだ。だがそう外してはいないと思うぞ」
「助けに行く力がないから泣いた女のどこに余裕があるんだよ」
「都合が悪くなるとサッと尻尾を巻く貴公にはわからんよ」
「なんだと」
「彼女は彼の地で全力を尽くした。貴公は星読みの塔では逃げた。それだけのことだ」
「逃げてない。用が済んだだけだ」
「ならばここでの用を為せ。お前はそういう立場でありフェンリルの副団長であろう。お前が助けに行け。あそこでまだ戦っているぞ」
「何で俺が」
「コペルニクスは死んだ。副団長のお前がサーバの国民のために次の重責を担っている。役目を果たせ」
「死にたい奴だけ行けばいい」
するとゴドンッと空気を揺らす震動が来た。南西の地だ。そこに急行した小隊がいるのだろう。おそらくフィッシュダイス騎士団から派遣された救援隊――。
だがクレツキは変わらずここにいた。戦いを終えて一事退却してきたトーコ団長を小馬鹿にしたその口が、死にたい奴だけ行けばいいと、そんな事を言って…………。
「だから私党の匂いがするのだ、そなたらは。こんな時にでも国の民ではなく政治の私物化をするか」
「政治の私物化?」
「私政であろう」
「…………」
「行けよ、あの群れの中に」
「無茶を言う。城で態勢を整えて当たるべきだろうが」
「だがフィッシュダイス騎士団は動いたぞ」
「どうせすぐ退く。俺が行っても無駄だ」
「あのな、これはおまえら宰相派が呼び寄せた事態だぞ。オスニエルがテロリストに協力し、この国にアルバストを引き込み、奴らが魔物を解き放った」
「それは」
「その後始末すらしないのか? ましてやお前はフェンリルの副団長なんだろう? 責任がないのか?」
「お前はバカだ。だから態勢をと」
「死ぬぞ、王都の民が。貴様らの私政のせいで、たくさん。無駄死にだ。死ななくてもいいのに、貴様らの私憤のとばっちりで人が死に、これからもたくさん死んでくのだ」
「城が落ちてるのに、俺に死ねというのか」
「そうだ。だがその言葉は戦ってから言え」
「話にならん。結局お前は俺を戦場に追い立てて自分が楽をするためではないか。ふざけるな、おい、行くぞ」
クレツキはサッと背を見せて去って行った。尻尾がバッサバッサと感情のままに揺れている。
まぁどの道オレがやるつもりだし、あんな奴などどうでもいいんだが、コペルニクスとの約束もある。会う度につついてやるさ、コペルニクスの顔を立てて。
「甘いことばっか言ってるから窮地になるんだ。てめぇはそこで死ね」
振り返ったクレツキから置き土産もいただいた。はぁ、とオレは嘆息した。クレツキはそれだけでは飽き足らず、すれ違うフードをかぶったメラニーを無視して、トーコに向かってこれ見よがしの溜息を吐いてすれ違う。
メラニーがトーコの手を引っ張ってこちらへ来た。
「城は落ちたが城塞都市は落ちてない」
「そうね」
メラニーがフードを下げた。
「メ、メラニー王女。ということは」
「トーコ」
「はい」
「後のことはこいつと、それからハロルドのもう一人の従者、サマースがやるそうだから」
「え? でも」
「はい、その事は口に出してはいけません。やる気になってる若者の気を削いでどうするの」
「はあ」
それからトーコ団長はオレを値踏みした。
「本当に? 今一人しかいないようだけれど。クレツキじゃないけど甘く考えてない?」
「いいのよ。責任があるんだし」
「オレに責任はないが、この国には恩義があるんでね」
「え、責任でしょ。ハロルドが言い出しっぺだから、うんたらかんたらとと言いだしたのはアンタじゃない」
「責任じゃない。仕事だ、仕事。用心棒としての。責任というならフィッシュダイス騎士団みたいな凄い人たちのことを言うんだ」
「そ…………。まぁそうね。というわけだからトーコ、高みの見物よ。ゆっくり見ときなさい。私もあなたの涙は私も好ましく思ったわよ」
「はあ」
「それとトーコ」
「はい」
「この判断の甘さは弱いってそう思ってるでしょ」
「はい」
「でも甘い事考えるなって基準は、そいつの基準なのよねぇ」
「はあ」
生返事するトーコ団長を尻目に、メラニーが暗闇の方へとその流し目をくれていた。それはクレツキが立ち去っていた方向であった。
「でね、トーコ。実力がある奴には甘いも何も当たり前の基準なの、そこんとこわかる?」
「メラニー王女、私、これでも乙女の祈り魔法士団の団長なんですけど」
「私は王女よ」
「はあ」
笑ってはいけないけどクスッと来た。
「でもフィッシュダイスの負担が」
「それも含めてこいつが請け負うわ」
「誰ですか? その人」
「ハロルド枢密院の用心棒よ」
「彼が、噂の」
「噂になってるのはもう一人の方」
「じゃあ駄目じゃないですか」
「駄目じゃないのよ」
「駄目じゃない? でもたった一人では」
「何を言ってるの、トーコ。私も行くに決まってるでしょ」
「え?」
メラニーがザッと地平を眺めた。
「サラマンドラ以外にも魔物がいるかもしれない。私やるわ」
確かに普通の魔物も紛れている。先ほどまでとはまた様相が違うようだった。
だがそれはレッドゴブリンや、ファイアリザードなんかの小物は、全部オレに押し付ける前提で組み立ててるよな。
と言うかサラマンドラを倒したいって言ってるよな。
「何よ」
「わかった。夜戦だ。炎系以外の魔物にも目印となる炎を」
「ええ? 欲望操作の方が良くない?」
「その手もあるのか、しかし何度も同じ事を言わせるな」
ハイハイと生返事して、メラニーが魔法を使って魔物に灯火をつけた。これで炎系以外の魔物も撃ち洩らすことはない。だがメラニーは力を使い切る。炎の魔物に炎は悪手だが、灯火なら付与されても誤差の範囲だ。贅沢は言えない。
「メラニーのおかげで区別がつくようになった。殲滅・遊撃・援護・補助、一見炎の塊が好き勝手に蠢いてるようにしか見えないが、役割を持って咒札が伏せられてたようだな」
「とりあえずメラニーが出る前に出るべき者がいるだろう。本人にその気はないようだが」
離れたところで逃げ場を探しているのが、いかにもクレツキらしい。
「なぁおいクレツキ。行ったんじゃなかったのか」
「うるせー。貴様に話す義理はない!」
「まぁいい。メラニー、そなたもついでにそこに居ろ」
メラニーの額にピキッと青筋が立った。クレツキと同じ扱いが頭に来たらしい。いや、外交か、外交問題か、もしかしたら。しかし接待外交は流石にもう出来んぞ。
「私も出るわよ」
「いやいやいや、言ったであろう、これは枢密院殿とオレたちで始めた事だ。そなたは冒険者で無事脱出を果たした、果たした以上は冒険者はここまでで十分。もう十分なのだ」
オレがひっそりと脇に退いているお付きの爺ちゃんに目で尋ねると、用心棒に一票、とヘイールの爺さまは肯いた。
「では枢密院殿、やります」
「行くのではないのか?」
それは中止です。
「メラニーも被害は織り込み済みのようなので、一発かますことにします」
と同時に深度一に潜る。潜って「福の印、どこだ」と探すと西の畑の大分離れた先の方で光が灯った。
「あそこか。やはり違うな。別働隊、別の者がいる」
そいつ、あるいはそいつらが炎系の魔物以外の別の魔物をも咒札で呼びだした可能性がある。だがそのイレギュラーな魔物もこちらの方に向かってやって来ている。
南西からもトーコ団長が取りこぼした魔物がこちらに向かっている。どんな細工かはわからぬが目的は共有しているのだ。
あのテロリスト達と。
オレは迫ってくる魔物の群れを眺めやるが、やはり情報など何もなかった。敵が誰かもわからない。やり口が似ているなとも少しだけ思った。
深度一から浮上するとメラニーが声をかけてきた。
「一切合切ね」
「そうだな。すべてが王都に向けて迫ろうとしている」
「負けて負けて撤退して来たとでも思って調子に乗ってるようよね」
「ならば教えてやるか。そして死ね」
オレはもう一度土いじりで耕起し、魔物達を一飲みした。先ほどとは違って今度は外殻都市や田畑を残すという配慮をしていない。最初から手加減抜きの純粋な土輪である。マントルが魔物を飲みこんで近くの魔物は一掃された。
「何て巨大な魔法を」
「あれはまさか…………。まさかお前がやった事なのか」
あー。
レッドドラゴンを地中深くに沈めた土いじりを誰がやったのか、それを見に来た口か?
「おい!」
なるほど、それでこの場に集まって来たのだな。トーコ団長もそうなのかな? 元から獲物にしてたのはメラニーが言ってたし。
「おい?」
「うるさいな、それがどうした。騒ぐほどのことか」
「貴様、貴様は俺相手には手を抜いてたのか?」
「魔物相手に遠慮は要らぬ。だろ?」
「くそったれ! ならば何だそれはっ! その魔法は!」
「土魔法、土いじり」
「嘘を吐け! 炎系の魔法だったではないか!」
「オレは耕起をしただけだ」
適性検査で輪っかを作るように、土魔法の基礎、土輪のその規模を拡大しただけである。下から上へ、上から下へ、輪となって循環させるだけの基礎を、今回は地表の魔物と地殻下のマントルを含めて手加減抜きで耕起したらこうなったのだ。難しいことではない。
しかし掘り返された魔物がまた大地に掘り起こされてしまってもいる。連発したら意味のない魔法のようでもあった。
「要改善だな」
「おい?」
オレは怒鳴りつけるクレツキを無視して、そんなことよりメラニーくん、と呼びかけた。元々オレはメラニーと会話を交わしていたのだ。
「埋設された咒札も燃え尽きたはずだが、それでも掘り返されると思うかね、キミは」
「あなた、この人は」
とトーコ団長も口を差し挟んだが、黙りなさいとメラニーが言った。
「私は冒険者よ。それとヒューに答える答えとしたら、私ならあれは新たにばらまかてるんじゃないかと答えるわ」
「ふむ、襲われない効果付きの咒札か。首謀者かな」
やはり行くしかないのだろうか。行くしかないな。楽に事態を収めるということはつくづく難しい。どうにかしてメラニーを置いて行くことを考慮せねば。
「おい、お前」
クレツキに指をさされた。
「いい気になるなよ」
いい気になどならぬ。むしろ逆だ。
撃ち洩らした敵の数。招き寄せてしまった敵の数。マントルにぶち込めなかった敵は土輪の中で生き残っていられたであろう事実。
要改善の事案が浮き彫りになってメラニーと問題点を共有し合っていたぐらいだ。
押し黙っていると、
「お前はバカだ」
と詰られた。
ちょっと相手にしなかっただけでここまで言われるものなのか。
しかしバカか。
さすがにこんな事は初めて言われた気がする。しかも面と向かってとなるとフォルテにいた王子時代にもないな、と思う間にクレツキはこの場から立ち去っていた。
また逃げたのだろうか。オレにお前を相手にする気などないというのに。
「…………」「…………」
王女も魔法士団長も押し黙っている。
「やれやれクレツキか。希少種族とはいえ王族以上に過保護に育っちまったようだなぁ。どこまで馬鹿なんだろう、アイツ」
好事魔多し。寸善尺魔に魔が差す、か。
魔王のもたらした魔とは、発展と堕落とを巧みに使い分けてケルプに浸透してきたと、フォルテでは分析してきた。しかしそれも召喚魔法を扱うフォルテにとっては、しょせん召喚魔法に及ばぬ対岸の火事と見做して来たわけだが、あいつのご先祖様はそんな中にどっぷりと浸かってしまい、アイツもその流れでさぞ良い思いだけをしてきたようである。
疑いもしなかったんだろうなぁ。
自分の操る魔法は特別な魔法で、他のどの種族も使うことの出来ない特別な物だという矜持があったのだろう。それがオレのあつかった基礎魔法を見てむかついたというか、刺激してしまったというか、その心の動きを解析するほど暇ではないが、あいつの中では魔法とは魔の法体系に自分しか存在していないのは確かなようだった。
フェンリルの血か。
コペルニクスの苦労が偲ばれた。
「アンタ」
「わかってる。これから撃ち洩らしを狩りに行く。何だその楽しそうな顔は」
「妹さんのために必死になるアンタのこと、アイツにはわからないのね」
「おい、そのような事をあまり声に出すな。枢密院殿と為すと決めたことに責任を取るだけのことだ」
「私からしたらアンタが本気でクレツキに引導を渡してくれてたら良かったのになと思っちゃうのよね。うんたら外交の外へと発信する表向きの仕事を控えてまで、アンタには身を潜める大いなる理由があったからこうなっちゃったけど。でもまぁ、だからこそあれはまだ命を繋いでるんだけど」
オレは返事を返さなかった。言葉を発するのも馬鹿らしい。
そもそもリアとクレツキを同じ天秤に載せることすらオレが不満を持つことはメラニーもわかっているはずだ。それをわざわざ持ち出してきたという事は先ほどのオレへの当てこすりだろう。オレはリアの四肢と眼を取り戻すために異国の地へと流れて来たのであって、クレツキの接待をするために流れて来たのではない。
人生の命題がまるで違う者を同じ天秤に載せるなど、そんな考えをすること自体が烏滸がましい。
クレツキが天秤に載ることは絶対に有り得ない。
メラニーが小さく嘆息した。
「クレツキのやるべき仕事をアンタがやるんだから、アイツも惨めね」
「そなたがそれを言うのか」
「私だから言うのよ」
どうやらライムの王室の方針が示されたようだった。オレの知ったことじゃないけれど。
あとがき
長梅雨が終わったと思ったら猛暑ですね。皆様も熱中症にはご注意下さい。私は注意してても泥掻きと熱い日差しに根を詰めたら、あっという間に熱中症になりました。熱中症がこんなに辛いものだとは知りませんでした。