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第162話 約束なんかなにも無い

 こんばんは。

 言うに言えず、問うに問えず、なんだかこの頃肚の中に澱のような物をすっかり抱えるようになった気がする、ちょっとセンチなお年頃のサマース・キーだ。

 王都の城塞の東の壁最上部で乙女の祈り魔法士団の方に話を聞きに来ているわけだが、壁の外では彼女たちに倒された炎系のモンスターがその炎を燃やし尽くして小さな炎が広大な田畑のあちこちに点在していた。

 ひとつ、またひとつ、炎が消える。

 これは城壁まで戻って来た彼女たちのこれまでの成果だ。


「うっ」


 と呻いてルイ小隊長が頭を押さえた。

 ルイ小隊長はちょっと変だった。と同時に近くにいた乙女の祈り魔法士団がルイさんに飛びかかった。城壁の上で組んずほぐれつ押さえつけている。


「次は私らもヤバイ。急げ。塔の控え室に連れてって」


 誰を? と問うまでもなく皆が皆そろってルイ小隊長を押さえ込むと、炎の拘束魔法を唱えて東門の塔の中へと連れ込んでってしまった。

 俺がぽかんとその光景を眺めていると、何故かポルカさんが隣で落ち込んでいた。ポルカさんもソマ村の時とどこか話し方が違ってて、おかしくなってたが何なんだろう。

 するとスミエさんが事情を話し出してくれた。


「ごめんねー。私たちにも影響出ちゃってるけど、あーなると小隊長ちょっと可哀相なんだ」

「いえ、ちょっとわからないんですけど」

「だよねー。今常軌を逸してるから、まぁいいか。サマース君、直接の被害者だし」

「何なんです?」

「ルイ小隊長、サキュバスのクォーターでいいのかな、この場合、うんクォーターなのよ」

「サキュバスってあのサキュバスですか」

「そう。吸精とか吸魂のあのサキュバス。小隊長のお祖母さんが魔法士団にいた頃、フォルテとやり合うことがあったらしくてね。やり過ぎちゃったんだろうね。お祖母さんのところに騎士団じゃなくて貴族が出て来ちゃったらしいのよね。その時のフォルテの貴族にサキュバスを喚ぶ召喚士がいたの」

「うわぁ、フォルテですか」

「そ。で、お祖母さんが戯れにサキュバスの夢魔を植え付けられちゃってね、戦線離脱。強制離脱らしいんだけどね。なんでも戦闘中だというのに魔法士団が呪文も唱えず棒立ちになって皆がみんなお祖母さんに夢中になっちゃったらしくてね。もう戦争にもならずに色ボケした部隊が棒立ちになってひたすら殺されまくるから、仲間がどうにかしてお祖母さんを魔法士団から離脱させたってのが真相みたい」

「そんなことが」

「あったのよ。で、小隊長のお母さんなんだけど、お母さんはハーフなのね。わかる?」

「はい、わかります。ハーフですね」

「で、小隊長のお母さんなんだけど、お母さんは命の危機になると色濃くサキュバスの反応が問答無用で出て来ちゃってね。魔法士団を入ること自体を許されなかったの。魔力は物凄かったらしいんだけどね。それが自分だけで収まるならまだいいんだけど、お祖母さんと同じく周囲にまで影響を与えちゃう影響力だったのよね。仲間まで色ボケにされたら戦争にならないでしょ。ここまで聞いて感想は?」

「うわぁ、としか」


 スミエさんがうんうんと頷いた。


「で、当代のルイ小隊長なんだけど、ルイ小隊長は大分薄まったらしいんだけど、それでも魔力枯渇とか命の危機とかを感じると、時折だけど、サキュバスの本能が表に出て来ちゃうのよね。よっぽどヤバイと感じないと出るようなことはなかったはずなんだけど、今回は連戦が続いたし」

「あいつらもいたからね」「魔物も突然現れるし」「随分移動させらたわよね」「ルイ小隊長、今夜のはヤバイでしょ。サマース君に迫ってたわよ」「うらやましい」


 ん、と振り返った時にはお姉さんが頭を小突かれていた。ちょっと恐ろしい物の片鱗を味わったような気がしないでもないが、兎に角、乙女の祈り魔法士団のお姉さん方の内部でもルイ小隊長の抱えてる事情は理解が取れてるようだ。

 俺はコホンと咳払いしてルイ小隊長の印象を告げた。


「何と言っていいのか、それは難儀ですね。小隊長とはソマ村で今日出会ったんですが、その時には頼れる上司みたいな感じで格好良かったですから」

「そうなのよね」「普段がストイックなのよね」「サキュバスの血を押さえようとしてるのよ、あれ」「超真面目だよね」


 そうなのだ。

 ルイ小隊長は普段は抑制の効いたとてもキリッとした人なのだ。ちょっと会っただけの俺にもそんな印象があった。それはファイアフライで墜落したポルカさんやスミエさんをルイ小隊長がかばってたらしく、先頭にずっといたの、一番酷いはずなのと、部下の二人が真っ先に小隊長を治してと、炎の再生魔法ができるならそれは小隊長にかけてと揃って口にしたのが強く印象に残っている。

 彼女たちが墜落したのは急峻で摺り下ろし器のような岩肌であり、激突した岩山の壁から傾斜の緩くなった停止箇所までべっとりと血と肉が付いていた。

 部下の二人は腕が千切れかけてたようだが話せはした。しかしルイ小隊長は血まみれで口を開くのも大変そうだった。溢れかえる血が傷口を隠してて、傷の深さすらわからない。そんな状況だった。

 今思えば、ポルカさんとスミエさんが真っ先にルイ小隊長への治療を懇願したのは、炎の再生魔法を放てば、一発で俺の魔力が枯渇する物と思われてたんだろう。幸い三人まとめて再生魔法をかけることができたわけだが、口を開くことも出来ないほど深い傷を負ったルイ小隊長の人柄は、その時によくわかっていた。

 部下を庇って身を挺してたのだ。

 そしてそんなルイ小隊長が戦場であんなにも女を出してくるとは、確かに不断の努力が踏みにじられてるようで可哀相なことだなと思った。


「憎むべきはフォルテよね」「女性に対して、なぶり者よこれじゃ」「三代にもわたって苦しめるんだもの」「酷いわ」

「相手はわかってるんですか?」

「ミハイル・ジョーンズ三世。今は代替わりしてテリト・ジョーンズ三世、フォルテの伯爵家よ」

「ジョーンズ三世って有角族の有名どころじゃないですか。悪魔系の召喚獣を喚び出すあのジョーンズ三世ですよね」

「そう。だからね、ルイ小隊長には悪気はないのよ。それだけはわかってあげて」

「あ、大丈夫です。キリッとした人だってのは知ってますから」


 俺は連れ去られたルイ小隊長の方を見やって大きく頷いた。

 そう。小隊長が普段からキリッとしてるのは、そういう負い目があるからなのだろうと初めて得心がいった。そういう弱味をえぐる趣味は俺にはない。


「でも、ルイ小隊長がそこまで命の危機を感じた相手が居たってことですよね。相手の、地平の彼方騎士団の中に」

「ええ。セリン・コーキ小隊長、それから団員のジャーメイン・オーツ。この二人には特に気をつけて。騎士のくせにやたらと魔力が強いの。それこそ私たち並みに」

「騎士団が?」

「ええ。魔法が効かなかった」「ちょっと衝撃よね」「何だったのあれ」「気づけば一回り?」「東まで追いやられてるわね」


 篝火すら焚かれていない城壁の上で、彼女たちが頷き合った。

 ちょっと屈辱よね――。

 彼女たちは口々にそう言った。



 ◇



「サマース、情報を収集したらすぐに戻ってこい」


 隠れ家に戻って出迎えられた言葉はそんな言葉だった。

 貴族か何か知らないが、俺にはトライデントの言い方がいちいち癇に障る。ねぎらいの言葉一つかけられないのかと思ったりもする。

 こいつにこんな事を言われても、俺にはお給金の一つも出ないのだから全く損な話である。


「すまんな、サマース、話を聞かせてくれ」

「了解です、ダンケ先輩」


 と俺は素直に先輩には頭を下げた。オードリー先輩もポンポンと肩を叩いて労ってくれる。きちんとしてくれる人にはきちんとして上げたい、それが人情という物ではなかろうか。

 そして俺は一連のことの話をした。すると話を聞き終えたトライデントは納得したように頷いた。


「やはり東門へ逃げて正解だったな」


 俺はダンケ、オードリーぼ両先輩と王族の方々に話したんだがな。


「どういうことかにゃ?」

「モンスターを配置する咒札(じゅふだ)は西に手厚く東に薄くなっている。だがこれはおそらく乙女の祈り魔法士団を西へと誘導するために仕掛けた罠だという事だ。騎士団と魔法士団が連携すると、さすがにラインゴールドも手こずると踏んだのだろう。モンスターを出しては乙女を動かし、少しずつ戦力を削いで西側まで誘導したんだ。城から打って出る者がいないのは魔力切れ騒ぎからわかっているからな」

「なるほど。魔法士団を広範囲に対応させるために手が届く範囲でぶつけて行き、手広く対応させたわけか」

「そうだ。つまり東は逃げ道として用意し、西のフィッシュダイスの戦力を削いで叩くつもりだ」

「フィッシュダイスもばらけるのではないか?」

「だろうな」

「ではラインゴールド団長は」

「おそらく全戦力ではないかな、フィッシュダイスに当たるのは」


 ライオネル王子が口を開いた。


「フィッシュダイスは、生き残れるかな…………」

「モンスターが埋設されてます。かなり苦しい戦いになるかと」


 ダンケ先輩が答えると、皆がみな押し黙った。

 思いを馳せるだけでもフィッシュダイス騎士団の苦境がまざまざと浮かんでくる。何よりそんな鍛冶場になる西側に俺はヒューと雇い主殿を置いてきている。


「あの時、分かれた時…………」


 俺は光速移動で上空へと消えて行くふたりの姿を思い起こした。


「トライデント……殿がヒューが必要だと言ったのは、アート王の身代わりとして必要だと、そういうことだったわけか?」


 俺の不穏な物言いに、アート王が驚いていた。そちらを見ていないがそんな気配だけは伝わって来た。だが俺は王には訊かない。聞いてはいけない。俺の目の前にいるアート王の古い友からそんな空気を読み取る。

 そして俺は端からそのつもりだった。


「何故そう思う」


 そう問われた。


「城は魔法が使えないという話で持ち切りだったのに、あなたは俺が魔法を、いや、光速移動を使えるとわかっていた」


 その光速移動の使い手を――。


「二人を分けたよな。分けたのはあんただ。トライデントさん」


 俺は敬称を省いていた。付ける気もないし謝る気もなかった。


「あいつは世間知らずだが俺の友達なんだよ、トライデントさん」

「失礼だな」

「そんな次元の低いところに話を落とし込もうとされても話を止める気はありませんよ。ヒューはね、しっかりと物事を観てますよ。逸る心を抑えてずっと行動しているんです。枢密院殿の安全を確保するために、それこそ一人で矢面に立ってるはずです。そういう真面目な奴だから」

「お仕事でしょう、用心棒が」

「それをあんたは死地へ追いやった。危険なところと、安全なところを、アンタは独断でこっそりと決定づけた。ヒューに何も言わないままに。それが俺には許せない」

「話が噛み合わないな」


 ダンケ先輩が、すみません、とトライデントに頭を下げた。


「おい、サマース」

「いいんですよ。遠慮することないでしょう」

「しかしアーサー道場――」

「そう、俺は道場生であって騎士団員ではありませんからね。枢密院殿の用心棒としてもこの話の始末はつけないといけないでしょう」

「サマース!」

「何ですか」

「ここでお前が動いても、おそらく給金は出ないんだぞ」

「大して変わりませんよ、ダンケ先輩。どうせこの人は俺達を利用するだけ利用して何も出さない」

「む、む」


 納得したところで先輩が困ってしまっていた。


「それに友達を死地に追いやられて俺が何もしないわけにはいかないんです。なぜなら俺はあいつの妹の、リアちゃんにも会ってしまいましたからね」

「リアちゃん?」

「あの家族を平気で落とし込める神経が、ちょっと俺にはわからない。許せないと言ってもいい。情状酌量の余地無しです」

「おいサマース…………」

「俺はね、ダンケ先輩。怒ってるんですよ」


 俺の周囲で風が渦巻いていた。気づけば背反世界を纏っていたらしい。だが止める気にもなれずにそのまま放って置いた。


「俺が言いたいことは一つ」

「何かな」

「ヒューが死んでたらアンタ、自分の咽喉を突け。自害が出来ないようなら俺が殺す。必ず殺す」

「サマース!」

「引きませんよ。俺たちは今回の騒動で既にリロ・スプリングという友達を喪った。リロにも大きな夢があった。大きな決心や覚悟があった。だが大きな決心や覚悟をしておきながらも抗いがたい流れという物に飲みこまれてしまったようだった。そんな事もあるだろう。今の俺ならそういう事もわかる。だがこいつは、トライデントは何も知らないヒューを何も知らせないまま陥れるようにそこにそっと送り込んだ」


 言い募ろうとするダンケ先輩をオードリー先輩が肩に手をやって止めた。


「どんな顔をしてたんだろうな、俺たちを二手に分けた時のアンタは。今となってはその時のアンタの顔をよく見ておけば良かったと心から思うよ。笑ってたのか、阿ってたのか、虫けらを見るように見てたのか、きっと本物の悪い奴の顔がそこにはあったんだろうから」


 さて、とトライデントが涼しげに言った。


「責任が私にあるというなら、どうしろと」

「死ねと言った」

「では私が死んだら誰が彼の残した妹たちの面倒を見るんだね? 贖罪する義務が私には発生する」


 トライデントが後ろに吹き飛ばされた。俺の背反世界がトライデントを壁に叩きつけていた。


「あの兄妹にその手を出すな、貴族さんよ。状況次第で殺すことも平気なアンタに任せたりしたら、すぐリア殿とアンナ殿はアンタに殺される事になるだろうが。

 ヒューが、庇護する者がいなくなれば、アンタは扶養する必要もなくなるとでも思ってるんじゃないか? 彼女たちを庇護下に措く価値を見出せずにすぐに切り捨てるんじゃないか?」

「失礼だな」

「ではなぜヒューを死地に追いやった。ヒューが居なくなってもどうとも思わないアンタが、ヒューの残した妹とそのメイドさんを庇護する? ヒューがいれば全く問題なかった話じゃないか! その程度の庇護欲なら彼女らのためにもアンタには指一本触れさせない。アンタにやらせるぐらいなら俺がやる」

「君が? なぜだ」

「俺はヒューの友達だ」

「だがそれは家族でも何でもない、赤の他人……」

「ガタガタ言うな。大体俺はヒューの親たちにも物申したいぐらいなんだ」

「親に?」

「ああ、そうだ」


 アート王の眼が和かくなった。

 二人の言い合いの中に入って尋ねた。その眼は真っ直ぐにサマースを捉えていた。


「彼に、ヒュー君に何か約束でもあるのかい?」

「約束なんかなにも無い!」

「おい、ありませんだろ、サマース。勘弁してくれ」


 ダンケ先輩が、すみませんすみません、とアート王に頭を下げていた。

 俺は壁にまで飛ばしたトライデントの元につかつかと歩み寄った。やれやれと余裕を見せてしゃがみ込んでるトライデントの前に腰を屈めて膝立ちすると、眼を見合わせる。


「アンタの娘にも言っておけ。ティナ嬢にもヒュー達には近寄らせたくない。会いに来るのなら親が仁義を通してから会いに来いと、そう言っておけ。ティナ嬢がリア殿達を殺す可能性も俺は排除しない」

「まったく…………妄想が逞しいな」

「しらばっくれても無駄だ。こちらへ来たのは正解だったと解答を示したのはアンタだ。俺は東側が大変なことになってると報告したはずだ。フィッシュダイス騎士団を心配げにしてたがそれもポーズなんだろ? 自分はしっかりと安全なところに身を隠している。心配した振りをしている。話を合わせる振りをしている。俺がおかしいとなるよう、やられた振りをしている」

「腰は痛いがね」

「黙れ。ヒューは七男坊だ。だが暮らしてるのは妹とメイドだけだ。この意味がわかるか」


 ダンケとオードリー両先輩の眉がピクリと動いた。


「ヒューは親兄弟に捨てられている。少なくとも六人の兄弟はヒューと妹に見向きもしなかった。特にリアちゃんは手足が無く、目も見えないという状況なのに、そんな兄妹をぽんと異国に追い払ったような親兄弟だ。ヒューだけだ。ヒューだけがそんな妹のために懸命に用心棒をこなしているのだ」

「…………」

「たった三人で見知らぬ土地でどうにか腰を落ち着け、ようやく用心棒という仕事にもありつけ、そんないっぱいいっぱいな男に、アーサー流を始めたばかりのような男に、お前は死地に行けと向かわせたのだ。それもその事を伝えもせぬままに、意地悪く、王とヒューの命を秤にかけて、お前は迷わず王を選び、自治領に越してきたばかりのヒューを殺しにかかったのだ」


 トライデントが眼を鋭くした。


「サマース。王の御前だぞ」


 トライデントがそんな事を言う。

 だが最早そんな次元ではないのだ。それで俺が修まると思ってるそのしたり顔がいちいち気に食わない。修練ではないのだ、精神修養の。


「それが何だ」

「何だとは何だ。王の命だぞ」

「それで俺が黙るとでも思ったのか。何と言っていいのか、俺の倍は生きてるだろうにトライデントは一線も二線も超えてくるな。見下げ果てた男だ」

「不敬だぞサマース」

「お前に対してか」

「王に対してだ」

「王とは国の民を守るものだ。その王がヒューという民を守らぬと言うのなら俺が王に傅く理由もないだろうが」

「おい」

「おいではない。何度でも言う。俺はヒューの友達だ。腕を競い合った三人のうちで唯一残った友達だ。いいかトライデント、よく聞いておけ。もしもヒューが死んでいたならば俺は必ずお前を殺す」


 ダンケ先輩が困ったように間に入った。


「だからサマース、そんな物騒なこと大っぴらに言うな。王都は魔法陣で映像を残せるんだぞ。この混乱でどうなってるかはわからんが」

「気をつけます」

「気をつける気ないだろうが」


 俺はダンケ先輩に目礼してトライデントを見据えた。

 まだ返事をもらってない。


「気をつける気があったならいいんだがな」

「返事がないなら問答無用とさせてもらう。拒否は赦さん」


 それでもトライデントは返事を寄越さなかった。

 まあいい。


「あなたを窘めた以上は今回のことはヒューには喋らぬ。しかしこれよりは本業にもどらせてもらう」

「おいサマース、本業って」

「簡単です、枢密院殿の用心棒ですよ。この仕事は枢密院殿にはお味方がいないからとヒューに誘われて始めた仕事です、が、ヒューにも友達はいなかった。自治領において誰一人ヒューとその妹に心を配る者がいなくとも、俺だけは必ず心を配らないと」

「サマース?」

「以降はヒューの味方をさせてもらうという事です」

「おいサマース」

「御免」


 俺は隠れ家を後にした。

 これでアート王からの報奨もふいになったなと、そんな事を思った。まあこれは失っても構わぬ。リロにつづき、ヒューまで失うのに比べたらどうという事はない。



 ◇



「無駄なことを」


 トライデントが去り行くサマースの背中につぶやいた。

 そのトライデントにオードリーが鋭い眼を向けた。


「あたしはサマースの肩を持つにゃ。可愛い後輩が…………、おい、トライデントさんよ。にゃにか言うことはにゃいのか」

「…………見えんぞ、と。そう言ったであろう」


 するとライオネル王子がトライデントに声をかけた。


「トライデント、何をそんなに依怙地になる」

「別に」


 トライデントはろくに返事をしなかった。


「はっっはっは」


 ライオネル王子が鷹揚に笑って腰を上げた。


「どれ、サマースが本当にどこかに行ってしまう前に追いつかんとな」



 ◇



 サーバの第二王子、いや、もう次期国王と名乗るべきだろうか、ライオネル・サーバ・ルーゲリスである。

 王族がどうのと王族を盾にしてサマースを説き伏せようとしてたトライデントのつれない態度に思うところがなかったわけではないのだが、これも凡庸と呼ばれた第二王子の評判と実績と照らし合わせたら、英雄の血脈であるトライデントからすれば自分への扱いなどこんな物なのであろう。何しろ私は二十歳になったばかりの若造にしか過ぎないのだ。

 だが凡庸と評されても、凡庸だからこそ下世話な話にも通じることができるとも思っている。ふんぞり返った王様など自分には出来ないからこそと言うべきであろうか、要は三者の心持ちを察すれば良いのである。

 そもそもトライデントとサマースがガッツリぶつかり合った今回のテロ騒動は、父の密書から始まっている。密書を携えたトライデントの娘のティナを、フォルテの第七王子であるヒュー王子が助けたことが始まりなのだ。

 ライムの属国であるサーバの密書を、ライムと並ぶ五大国であり、その筆頭格であるフォルテの第七王子が関わるということ自体が奇跡的なのだが、宰相派の追っ手に追いつめられたティナは相当な危機であったらしい。

 そこでヒュー王子にティナは助けられたのだ。

 おそらく、それを切っ掛けにティナはヒュー王子に惚れてしまったのだろう。トライデントはヒュー王子の評判と照らし合わせてヒュー王子は止めておけと言いたいのではなかろうか。そしてヒュー王子、ヒュー王子は何も知らない。いわば平常心である。

 恋心と親心と平常心のせめぎ合いなのだ。おそらく。


 友情に篤いサマース、彼の背中が見えただけでフフッと笑いが込み上げてきてしまった。気持ちの佳い男だと、サマースを見ててずっと私はそう思っていたのだ。



 ◇



「自治領住みとはいえ、俺はもうサーバを出るしかないかな~。あー、やっちまったなー」


 王族の前で王族救助を全否定したのだ。


「いつ首を切られてもおかしくないよな~」

「そんなことはしない」


 と後ろからいきなり声をかけられてビックリした。

 振り返るとライオネル王子がいた。


「友達とはいいものだな。私がすると真似事にしかならないのかもしれないが、それでもサマースのことは見ていて気持ちが良かったぞ」

「あ、それはその、どうも」

「不思議な関係になりそうだな、私とサマースとは」

「はぁ」


 もう勘弁して下さいと言った感じだ。


「父にも二人の心許せる友がいる」

「…………」

「ハロルドとヘルベルトだ」

「枢密院殿と、王剣筆頭…………」

「さて、我等はどうなるのかな」


 ――いや、どうもこうも。


「だがまぁしかし、城は消えても我等は生きている」

「あ」


 その時になって初めて気がついた。夜でも煌々とした魔導回路でその姿を闇夜に浮かべるアート城の姿がなくなっていた。


「テロリストの奴等がやったのか?」

「サマース」

「はい」

「これもトライデントの力だ」

「あ…………」


 遠見でこの未来を予知し、城にいるはずの王族や人々が死ぬことを防いだというのか、あの男が。

 ヒューを死地に追いやった、あのトライデントが。


「時折モンスターの咆哮も聞こえるな。恐ろしいもんだ」


 そう言ったライオネル王子が、しかし、と力強く続ける。


「私にはモンスターの咆哮より、サーバの国民の息遣いの方がより強く聞こえている。サーバの城塞都市はまだ人々の息吹が息づいているのだ。人は落ちていない。そして人さえいればサーバは何度でも甦れる。甦るさ。今度はもっと強い姿で」

「…………」

「信じられぬか? サマース。ああ、答える必要はないぞ。だから俺は友に下命しに来たのだ」


 そう嘯いてライオネル王子は友であるサマースに下命する。


「つまりはこれだ。ヒューを探せ。王のことはダンケとオードリー、それからトライデントと私で何とかする。まぁ、城壁に行くならあそこまでは私たちも連れて行ってもらいたいがな」


 王子が東の城壁を指差し、どうだ? と尋ねてきた。

 隠れ家からダンケ先輩を先頭にアート王達が出て来た。トライデントのことは敢えて視界に入れないようにしつつ、かといってこれ以上王子に無様を晒すわけにもいかない。わかりました、と返事した。


 たぶんこれは――。


 自分の足下を流れる暗渠のようなものなのだ。様々な流れがぶつかり、流れが分かれて小さくなったり大きくなったりする。今回の件で俺が大地を流れることを許されなくなったとしても、流れた水は必ずどこかに流れるものだ。これまでは偶々俺の流れにトライデントがいただけのこと。

 俺はどこに流れるのやら――。

 だが不思議と暗渠の行く先も悪くないのではないかと思った。


「では皆さん、手を繋いで」


 俺の声は静かに響いた。

 そして俺のこのひと言で円環状に全員の手が繋がる。これはもう二度と繋がることのない繋がりなのかも知れない。そんなセンチなことを思いつつ繋がった手を確認して、


「光あれ」


 と俺は光速移動の詠唱を唱えた。

 城壁にいた人々がいきなり現れた俺達に驚いていたが、アート王の姿を認めると、誰それとなく一定の距離をおいて周囲の警戒態勢に入ってくれた。その騎士や警邏隊の顔は喜びに溢れている。


「おおっ」


 ライオネル王子が驚いたように、いきなり城塞都市全体が光に覆われた。

 城塞都市の東側に大きな光の柱が立っている。だがそれもすぐに消えてしまった。


「神の御業?」


 アート王が不意につぶやいた。その身体が小刻みに顫えている。

 周りの者達がその光の柱に噂した。


「アート王への祝福みたいだ」

「あれが神の御業か。もうちょっと長く見たかった。東の城壁の担当してたら、あれを間近で見られたんだな」

「ちょっと残念だな」


 乙女の祈り魔法士団はすでに東の塔で急速に入っているようで、城壁は警邏隊が担当しているようだった。

 辺りを見渡すと先ほどのような魔物の出現もない。城壁の外も落ち着いたものだった。


 なるほどな。


 腹に据えかねる物はあるが、確かにトライデントの選んだ避難場所は安全で、そのうえ状況把握にも適しているのは間違いなかった。

 情報収集の流れが構築されはじめているし、アート王の所在も徐々に伝わっていってるようだった。


 またヒューのいる方向で巨大な動きがあった。

 東の城壁にいる俺たちの目にもハッキリとわかる巨大なマグマが西で立ち昇ってるのが見える。

 地鳴りのような重々しい轟音が低く轟いてくる。


「何だあれは」「すごいにゃ」


 目を瞠った。


 マグマが西の城壁の遥か上空にまで円を描いてまだまだ立ち昇っている。その先には炎系のモンスターがマグマに飲みこまれている様子が見て取れた。


「魔物を飲みこんでるのか?」

「乙女の祈り魔法士団の方々も炎系の魔物ばかりで相手にするのが大変だと言ってました」

「同系統だからな」「下手したらモンスターを元気にするだけにゃ」

「だがあんな巨大な魔法、一体誰が」「トーコ団長かにゃ?」


 両先輩がそんな事を言った。

 だが俺にはわかる。あれはヒューだ。ヒューしか有り得ない。魔法名は知らないが、その後は火の陰に隠れて水蒸気も溢れてるから水もあるし、岩石が噴出してるようでもあるから土であもる。熱波を伴った風もあるし、光もところどころで走ってる。闇のボールが敵を殲滅してるのだろうか。連鎖輪もある。


「重ね掛け?」「どこかの魔法士団じゃないのか」

「いえ、一人ですよ」

「一人でやってると?」「あんなことできるのかにゃ? 王杖?」


 ダンケ先輩が首を傾げた。


「その割には魔気の流入がない」

「追加の魔気がにゃいにゃら、どうやればあんにゃのが出来るのにゃ?」

「…………連続詠唱?」

「馬鹿言うにゃ。次の魔法を発動した時点で前の魔法の操作を放棄してることににゃるんだぞ」

「そうだよな。ここに届くわけないよな。うん、魔力操作を放棄しといてこっちに届くわけがない」


 両先輩は困惑していた。

 しかしサマースは思う。ヒューは生きている。伝説の未来視の予想を超えて、と。

 嬉しくなった。


「先輩」

「おう」「何かにゃ」

「あれはヒューです」

「本当か」「王都まで運んでもらったから知ってるけど、あの魔法は明らかに光魔法じゃにゃいにゃ」

「ええ。でも俺にはわかるんです。あれはヒューなんです」


 魔物の群れが城壁の向こうに現れる。あのマグマから逃げてきたモンスター達だろうか。見事に全てのモンスターが炎系統だった。それを見た人々の一部が恐慌に陥るが、そこにフィッシュダイス騎士団が騎士団スキル「突撃」で現れた。

 物凄い勢いでモンスターを蹴散らしている。

 俺の横でオードリー先輩が身動ぎした。それをダンケ先輩が押し留める。


「駄目だぞオードリー。アート王の守護者は今我々だ」


 そしてダンケ先輩が俺を見て野太い笑みを浮かべた。


「行け、サマース。本業に戻るんだろ」

「はい」


 俺は迷いなく肯いた。

 そして呪文を唱える。


「重力遮断」

「おま、それ」


 ライオネル様がどもった。宙に浮く俺を見てよっぽどビックリしたらしい。


「ヒューが馬車の重量を軽くしてたので、自分にかければこうなるかな、と」


 サマースはふわりと浮いていた。


「ソマ村から来る時に思いつけてたら、もっと楽にここまで来られましたね」

「重ね掛け、奴の姿を見て思い付いたのか?」

「ダンケ先輩の言葉で教えてもらったんですよ」

「な、それを即実行――」

「では先輩方、また道場で。光あれ」


 出来るのか、という問いとも嘆息ともつかないダンケの言葉にサマースが応えることはなかった。だが遥か城壁の向こうにあった魔法の光は見えなくなった。



 ◇



 ちなみにサマースとトライデントがやり合ってた頃の、城塞都市西壁にいるハロルド・カーギイカ枢密院と王剣筆頭ヘルベルト・アーサーとの会話はこんな感じだった。


「本来なら国政会議の時にこうなるはずだったんじゃがな」


 来たんだぞ、とは言えなかった。


「ヘルが来ないからあの時は本気で死ぬかと思ったわい」

「生きてるではないか」

「誰も儂の護衛を引き受けたがらん」


 自業自得だ。


「幼馴染みは返事をよこさん」


 姫とダンジョンに潜ってたからではないか。


「何とかなるかの」

「なるさ」

「せめてサマースがおれば」

「ヒュー君がいるではないか」

「…………」

「まあいい。こうしているだけでお前は俺を風よけに使ってるんだろ?」

「不躾なことを言うな、の?」

「そうだな。賞金を欲しがった狩人が俺の姿を見てすぐに引き返しているようだが」

「そのぐらいはしろ。アートのためじゃ」

「お前のためだろうが」

「儂はアートが喉から手が出るほどほしがっとる全ての情報を見聞きしている。アートの信義はいわば儂の双肩にかかっておる」

「…………だから請求はアートにしろ、と?」

「そうじゃ」


 即答かよ。

 信義かよ。


 周囲の兵たちはそんな事を思っていた。



 あとがき


 背中を押して頂いてありがとうございます。

 それにしてもプレゼントが間に合わない。間に合えばいいのですが。

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