第16話 自治領に来てからの、初めてのお茶会 その二
午后の風に吹かれながら牧場のそばで飲む紅茶が好きだというリアの後を、モーッとのどかな牛の鳴き声が追随して、オレたちはまたひとつ笑った。
フォルテにいた頃とは考えられないほど、穏やかな時間だった。オレは牛飼いに追われだした牛を眺めやりながら、リアに言った。
「どうやらあの牛も食が好きらしい」
はい、と返事するリアのくつろいだ姿に、オレは自分たちの後ろにある屋敷へと振り返ると、その大きな我が家を仰ぎ見た。
「あの親子も水入らずで和んでくれれば良いのだがな」
オレは屋敷のリビングに残してきた、特設ベッドにいるはずのトライデントとティナ親子のことを思った。
サーバのアート王から密書を、ダルマーイカ自治領に住むハロルド枢密院に送り届ける密命を帯びていたティナは、我が屋敷の近くの農道で敵側の奇襲を受けていた。その際に酒席の帰り途にその場をたまたま通ったオレが介入し、敵は退けることに成功したが、既にそのときにはティナは深傷を負っていた。その深傷は深刻で、ティナは、左腕の筋を断たれて、もう二度と左腕が動くことはないような腕となってしまった。
そういった不幸はあったものの、それでも命は残った。密書も届けることに無事成功した。アート王の真意もハロルド枢密院に伝わった。
ティナは立派に務めを果たしたのだ。
そのことを誇り、和んでくれれば良いと、オレは心の底からそう思った。
すると少し遅れて、リアとアンナが風の中に返事をした。
「はい」「そうですね」
オレは肯き返して、紅茶を口に含んだ。思えばトライデントを水車村から連れて来てから、まだ水さえ飲んでいなかった。オレにも思うところがあるらしい。
そして黙りこんでしまうふたりにも、思うところはあるらしい。この話題になってから未だ紅茶に口をつけようともしない。
なのでオレの方が先に、また紅茶をひとくち口に含んだ。
沈黙が少々重い。
てっきり、まだ治してあげる気にはならないのかと尋ねられるかと思ったが、そういったことは二人から言われることはなかった。そう尋ねられても、事が終わるまではオレはティナを治す気はなかったし、このような辺境にまで流れて来てるとはいえ、警戒を怠る気もなかった。それを二人ともわかってくれているのだ。
オレとしては、これ以上リアが更に身体を失うようなことにでもなってしまったら、それこそ目も当てられない。
危険は残っているのだ。異空間を通してリアの召喚陣につなげられた、得体の知れない糸が、今もリアの身体にくっついているのだ。
事が終わって見極めがつくまでは、召喚魔法を見せるわけにはいかない。
「そうそう、そういえばトライデントを呼びに行った折なのだがな」
「ええ」「はい」
「オレ、魔法を扱えるようになったぞ」
「それは今までも光と、調子がよければ火も使えてたではありませんか」
「違うぞ、アンナ。火と水だ。
他国との外交で魔法を使えるのは嗜み程度でよかったわけだが、この地に来た以上、魔法ともしっかり向き合った方がいいと思ってな」
「それは立派な心がけです、兄さま」「はい」
「それで、どの魔法が使えるようになったのですか?」
「全属性だ」
「それは異国に来てよかったですね。それならばきっと立派に交渉ができますよ」
リアが言うとアンナも肯いた。
「すごいです。この地の者に疑われないということは大事です。魔法の世界で魔法もろくに出来ないとなったら、公の場だと、もしかしたらそれが噂になって致命傷になるかも知れませんし」
「うん、そうだな。だからこの魔法をリアとアンナにも覚えてもらおうと思ってる」
「魔法をですか? でも私は火を少々しか出来ませんよ」
「リア様と同じです。私も風の魔法しか……」
「いやいや、そのような心配はいらない」
オレが大船に乗ったような気持ちでそう言うと、リアとアンナが興味深げに聞いた。
「ずいぶんと余裕がおありですね、兄さま」「本当に」
「それはそうだ。何せ召喚魔法陣に組み込んでみたからな」
「え? そのようなことが出来るのですか」「なるほど。盲点でした」
「であろ? オレたちは魔法に慣れ親しんでないからな。魔法は苦手だ。そもそも興味がなかったからな。だが召喚魔法陣に組み込めば、魔法も簡単に扱えるようになる」
おおっ、と二人が心を躍らせた。
オレたちは召喚魔法陣には慣れ親しんでいる。リアだって召喚獣との契約にこそ失敗したが、母さまの未来召喚では、機械にいろいろ嗜んで、自転車などにもよく乗って遊んでおった。今だって天道神さまの好意で目になってもらったりしている。
召喚契約には失敗したが、リアとて、召喚魔法には馴染みが深いのだ。
「まぁそういうわけで、屋敷で親子水入らずをしてもらってる間、オレたちはオレたちで召喚魔法陣で魔法を試してみようと思う」
「はい」「それは楽しみです」
オレは構えると、ライムの魔法士のように手刀を切って、さも魔法の門を開けるように振る舞った。
「凛々しいですよ、ヒュー様」
「どんな感じなんです、アンナ」
「まるでライムの魔法士になりたての若者が、失敗をごまかすかのように、わざと大仰にやってるような」
「あ、フォルテでよく見た、やられ役の子たちみたいな感じですか」
「そう、そんな感じです」
それだけでリアは納得したようだった。オレは魔法を振るう舞が、自分でもどんどん小さくなってくのを感じた。
――は、恥ずかしい。
「がんばれー、第七王子ー」
「兄さま、やられるなー」
「大丈夫です。ヒュー王子、負けるなアンナここにあり」
「はい」
オレは小さな声で、やることだけをやった。まずは飲み干してないリアのカップに残ってた紅茶を、冷たくしてみたわけだが…………。
「リア、コップを触ってみろ下さい」
か、噛んじゃった。でも誰も聞かなかったことにしてくれた。
すると前に屈んで、カップを甘噛みしたリアの喜ぶ声がした。
「あ、冷たいです」
「置いてみろ」
オレにうながされて、リアがカップを口元から離してテーブルに置くと、オレは冷たくなってた紅茶を、もう一度火の魔法で温め直してみた。もちろん事務的に魔法陣を体内で展開し、人目から隠したまま一瞬である。その間、アンナが食い入るように、オレの指先にごくわずかに発生した小さな召喚魔法陣に見入っている。
「わざと小さくされましたか?」
「魔法陣と誤解されればいいけど、召喚魔法陣と見極められたら厄介になると思ったのでな」
「なるほど。賢明な判断です。それでリア様。カップの方は?」
「あ。あったかくなってます」
「成功だな」
はい、とアンナが肯いた。
「他の属性の魔法も?」
「ああ。この召喚魔法陣ですべて賄える。しかも召喚だから魔気を消費しない。これも利点になると思うぞ」
「それは楽ちんですね。魔気は正直、ほとんど扱ったことがありませんから」
「そうですね。リア様の仰る通り、魔気は召喚魔法の起動時ぐらいで、あとは召喚した場所から召喚獣が持ち寄って威力を発揮してくれますからね」
それは楽そうだと、リアに続いて、アンナからも好評を博したようだ。
「それでな、これならリアとアンナにも、すぐに覚えられるのではないかと、そう思ったわけだ」
「兄さま凄いです」「お臀をつねった甲斐がありました」
「ん? 最後のは必要か」
「「必要です」」
女子ふたりの声がそろった。まぁ良い。ならばそうなのであろう。
「召喚陣を書くのも面倒なので、手っ取り早く付与するぞ。よいか」
「はい」「大丈夫ですか?」
アンナには心配されたが何が心配なのかがわからん。召喚契約で召喚獣と契約するなら、その召喚獣と対峙する必要もあろうが、今回契約するのは魔法そのものである。召喚獣ではないのだ。いわば生き物ではなく、意志なき現象である。
オレは召喚陣を起動し、その召喚陣をリアと、それからアンナへと、それぞれに付与した。
「あれ?」
指先を眺めて、もう一度付与してみた。
「なぜだ? 付与できない?」
召喚陣がリアにもアンナに刻み込まれていかない。
「おかしいな。魂に刻んで、発動時に指先に召喚陣を形成することで、指向性を持たせるだけなのに、そもそもの刻み込みができない…………」
するとアンナが納得したように言った。
「お話を聞いてて思ったのですが、正直、召喚獣との契約でもないのに、召喚陣で魔法と契約だなんて、常軌を逸してるかと」
「しかしほれ、オレはこうして出来るぞ」
ボンッと炎が頭上で爆ぜ、稲光がゴロゴロと鳴った。
「本当に」「摩訶不思議ですね、魔法は」
「な。この通りである」
「また妙な召喚陣を作られたんですね」
音だけを聞いて、リアが頼もしそうに笑った。頼りになるよう思われてるようだし、冷たさも微塵も感じないから別にいいのだが、おかしい、こんなはずではなかった。素直によろこべぬ何かがある。
「あの、兄さま。天道神さまを喚んで下さいませんか。見たい物があるので」
「ふむ…………」
「あの、駄目でしょうか?」
「いやいや、そんなことはない」
リアからのリクエストで否やはない。誤解されては困る。オレはリアには甘いのだ。それでも一応周囲に気を配ると、安全を確認し、長椅子に座るリアの後ろに回ってその肩に手を置いた。細い肩であった。
「降霊召喚、天道神」
と天道神さまに来てもらった。
天道神さまは辺りをきょろきょろと見渡すと、異世界の牧場風景にご満悦の様子でオレたちに向かって笑った。
読んで頂きありがとうございます。
詰め込みすぎはよくないと思い、ほどよい情報量のところで投稿しました。楽しんでいただけたら幸いです。