第157話 心はニシキ
「いるんだろう、ニシキさん」
と呼びかけたのだが白亜の神域には何の変化も起きなかった。
どうやらニシキさんと呼びかけただけでは出て来てくれないようだ。虚空に話しかけてしまったようでいささか恥ずかしいので、
「アイラちゃんの角が見えましたよ」
とすかさず付け足すと、ようやくオレの周囲がセピア色に変わり始めた。深度一に入り始めた兆候だ。
オレとしては王族であるオレのが一応立場が上なので、名前を呼ばれただけですぐにでも出て来てほしいところだったのだが、アイラちゃんの名前を出した事でようやっと表に出ることを認めてくれた感じだ。
「参ったなぁ。失敗しました」
「あー、こちらも相変わらずオレの立場って弱いんだなーってのは再確認しましたけど」
「素通りさせてはもらえませんかね」
そんな事を言いながらニシキさんは顔だけ白亜の床の上に出してきた。
ニシキ・ボーマント。オレとリアがとても世話になっているアンナさんのお兄さんだ。
「無理です。特に人の戦闘をこっそり見てるような人には、こほん、これまでどんな行動をして来たのか王子に報告してもらう必要があります」
うわぁ、露骨に嫌な顔をされたよ。と同時に神域を完全に深度一に巻きこんでアイラちゃんの角が浮かんできた。
「てかまた太くなりましたね」
ニシキさんの召喚獣、カジキマグロのアイラちゃんの全体像が見えて来る。アイラちゃんとフォルテで最後に会ったのは半年ほど前だろうか、その時と比べても立派な角が颯爽と伸びており、今にもオレを突き殺せそうだ。オレはほんの少しばかり立ち位置をずらして正対を避けたのだが、アイラちゃんはにこにこしながらオレへと角を向けた。
いや、ちょっと勘弁してくれ。
「ヒューさまヒューさま、おっきくなったでしょ?」
「だからオレに笑顔で話しかけないで」
「えっ!?」
「あ、いや、すまん。でもその角はヤバイでしょ。アイラちゃんが普通に突っ込んで来たら、それだけで二回三回は死ねるぞ」
「わたしがそんなことするわけないじゃーん」
にこにこしながら否定されると異様な迫力があった。無垢な者がもつ絶対の死が、オレに向かって常に突きつけられてるような、そんな物騒な心持ちに勝手になってしまう。表面上はそうだねと幼い子をあやすように言いつつ、それでも正対は避けたいなとさりげなく避けるのだがアイラちゃんは迷わずオレを真っ直ぐに見る。
「恐ろしいほど仕込みましたね、ニシキさん」
「心はニシキですから」
「いや、いらないですよね。そんな決め台詞。てかニシキさんがオレをぶっ殺したいって言ってるように聞こえますよ、それ」
「いやだな。飛んだ被害妄想ですよヒュー王子。そんな事したら俺がアンナにぶっ殺されちゃうじゃないですか。それに角じゃありません。上顎です」
そうしてアンナさんのお兄さんであるニシキさん、第三騎士団で第三席を張る怪しいことこの上ない男が笑みを絶やさずオレに挨拶をした。
ご無沙汰してます、ヒュー王子、と。
ニシキさんがアイラちゃんから降りて白亜の床に立った。
「ニシキさんの仕事ぶりをオレは知らないけど、いつもこんな感じなんですか」
「ええ。仕事は楽しくやる主義です」
――楽しくですか。
「諜報機関なんて勤めてたら殺伐とした空気を自分から変えるしかないですからね」
そうしてにこにこと謀略に嵌めたり人を殺したりしてるのか。
「いやだなぁ情報収集ですよ、第三騎士団は」
「でも空気は殺伐としてるんですよね」
「ええ、それはもちろん」
「それをにこにこにしながら言う事じゃないですよね」
「そうですね。失礼致しました。それでは私はこれで」
「そうはいきませんよ、王子命令です。もう少し話しましょう。折角久しぶりに会えたんじゃないですか。アイラちゃんもそう思うよね」
「うん。遊ぼうヒューさま。わたしお手玉できるようになったんだよ」
「お手玉? そりゃすごい」
カジキマグロが胸びれでお手玉しようなんて大変だろうに。
「つので何度もなんども突き上げるんだよ」
それ死んでるヤツじゃん。
「ヘ、ヘー」
きっと遊び終える頃にはオレの身体は穴だらけなんだろうな。
「ところでどこら辺から見てたんですか」
「王子が魔法を遣ってるあたりからです」
「オレあちこちで遣ってるんで、それじゃわからないんですけど」
すると珍しいことにニシキさんのビックリする顔を見ることが出来た。
「珍しいですか? 王宮でも光魔法は割と使ってたんですけど」
「王子、王子は魔法を主戦力として使ってるんですか」
「ええ。廃嫡同然の王子ですからね。異国に来た以上、郷に入りては郷に従えというヤツですよ。で、どの魔法を見たんですか」
「ご自身とメラニー姫を浮かせて移動を始めた頃からです」
「随分と前じゃないですか」
しかも最奥から脱出してからこちら、戦ってるのに助けも出してくれなかったわけになる。これだから第三騎士団は第三騎士団、困った騎士団なのである。
「でもそうなると話は把んでますよね、オレが何をしてどうして来たかを」
「ええ? それを第三騎士団の私に訊きますか?」
「訊きますよ。枢密院殿とお付きの者との会話もどうせ聞いてたんでしょ」
「…………はい」
不承不承ながら頷いた。これで話が早くなる。
「ではテロリストの情報ですが、まずアルバストに付き従ってた四人の従者がどんな者達なのか、これは見当つきますか?」
「ハロルド枢密院が云うところの、王子が相手にして再起不能にした四人組ですよね」
「はい、その四人です」
「実際見てないので聞いた限りからの判断ですけど、その四人組はたぶんシトラスとか辺りでしょうね。冒険者としてはフェルマータが主戦場で割と有名な奴等です」
「なるほど。ではバックドア・クックは?」
「五大国全てで活動してますね。フォルテでもです。しかしバックドア・クックとはまた妙な奴に絡まれましたねぇ」
「絡まれたどころかオレとメラニーをこの神域の最奥に飛ばしたのがバックドア・クックですよ」
「なんと!? 降霊召喚をしてる王子をですか?」
「降霊召喚は遣ってなかったです。予備段階ではありましたが」
「ほほう」
「アルバスト・ル・ハイアは知ってますか。彼女が云う限りでは大地ごと異界渡りをしてきたようなんですが」
「それは新情報ですね。そのアルバストと云う名前は聞いたこともありませんが、それが首魁のようだというのはわかってます」
「隠れて聞いてたからね」
「それは言いっこなしですよ。任務ですから」
まぁそうだ。
それからオレが聖剣ガウェインのことも話すとニシキさんは顔を曇らせて聞いていた。勇者召喚にも関わることだから当然フォルテにも関係が出て来る。
「しかしフォルテの内情より星自体に問題があると糾弾してるのが気になりますね」
「ここらへんは騎士団でも調べた方がいいですよ。これが本当ならケルプは大変なことになる」
「大地ごとの転移現象は小規模なら年に一度ぐらいここ二、三年はありましたが、そんな大規模なのは初めて聞きましたね。こりゃ第三騎士団も総出で星の探索になるのかなぁ。あれ、一ヶ月ぐらいかかるから大変なんですよね」
「そっちで情報は無いのかな?」
「実際の動きがあったのはこの地が初めてですよ。ヒュー王子だってテロリストが出たなんて話は聞いたことがなかったでしょ?」
「いや」
とオレが大きく首を振ると、ニシキさんが厳しい顔をした。
「ライムで何か遭ったのですか」
「ライムではない。フォルテだ」
「フォルテ?」
「そう、フォルテだ。リアの四肢と両の眼のことだ」
ニシキさんが、あ、という顔をした。
「つかんだぞ、手がかりを。リアから四肢を奪ったのは奴らの所属する組織だ。そのためにオレはアルバストに印を刻んで泳がせた。もう絶対に逃がしはしない」
「それ、印を刻むとどうなるんですか」
「どこらへんに居るのか感覚でわかるようになる、はずだ」
他にもあるが、それは降霊召喚を理解できない他の召喚士にはわからない。
「今もどこに居るかわかりますか?」
そしてオレは印がどこにあるかを意識した。
「たぶんだが、あっちだ」
神域の天井左を指差して教えた。
するとニシキさんがこれ以上ないほど真剣になった。
「ヒュー王子」
「ああ」
「もしかしたら、いえ、間違いなく第三騎士団はヒュー王子に協力を求めることになると思います。その裁可を今ここで頂けませんか」
「いや、オレが探す前に手を出されたらオレが困るんだが」
「攻撃はしません。する際には必ずヒュー王子の認可を得ることとします。駄目ですか?」
「足りないな。殺すのならオレをその場に連れて行け。そしてアルバスト以上の情報源がない限りは殺すことは許さん。何があってもオレはリアの四肢と両の眼を取り戻さなければならない」
「わかりました。王子の邪魔はしません。王廷守護隊に文句を言われない『認可の印』を召喚陣に刻んで欲しいのですが」
「王廷守護隊が今さらオレたちのために動くと思うか? 廃嫡同然の王子だぞ、オレは」
「こういうのは感情じゃなくて事実の積み重ねが大事なんです」
「あーわかったわかった。用意してくれ」
「では」
ニシキさんが自身の深度一の深みである位相のずれを広げると、そこに仕舞ってた物から紙を取り出した。その紙に刻まれた音声を記録する召喚魔法陣を起動させる。
「ライムを襲ったテロリストに関して、第三騎士団はヒュー王子に全面協力することをここに誓います。全面協力です。いざとなったらヒュー王子もお護りしますので。この条件でヒュー王子は第三騎士団に協力してくれることに異存はありませんか?」
「ない」
「では王廷守護隊にひと言」
「あー、王族守護は王廷守護隊の範疇だからと怒らないでやってくれ。それと第三騎士団にも言っておく。この認可はリアの四肢と両の眼を取り戻すためだ。邪魔は許さん」
「王子?」
「どうせ第三騎士団でも利用するんだろ? 何にでも利用されたら堪らんからな。これぐらいのことはする」
「どこでこんな悪知恵を」
枢密院殿さまさまである。
「伊達に騙されて来たわけではないんだよ」
「どんな自慢ですか、それ」
「いいから締結しろ。説明はせん」
「ではそういうことなので~。第三騎士団第三席ニシキ・ボーマント」
「うむ」
そしてニシキさんはその紙を深度一にしまった。
「さて、また別の話なんですがヒュー王子には伝えておきます。最近冒険者が冒険者稼業を辞めて引退するケースが増えてますねー」
「ほう」
「バックドア・クックもその一人です」
「なに」
ということはそう言った連中がアルバストらの下に集っていることになる可能性が出て来たわけか…………。
「まだ陛下にも挙げてませんが、国をまたいで秘密結社も結成されたらしいですよー」
おいおい、随分なことを知っているではないか。
「本拠地はどこだ」
「言えませんよ。探してる最中ですから」
「おい」
「王子に教えたら荒らされそうですからね。リアちゃんの敵と思ってませんか」
「極めて高いだろ、その可能性が」
「はい。絶対じゃない時点で無理です」
「それを調べるために」
「第三騎士団の第三席として正式にお断りします」
「ふむ、わかった。何が聞きたい」
ニシキさんがにっこりと笑った。話がわかる奴は好きですよ、と今にも言いたそうだ。
「王子、あれ便利そうですね」
「あれとは」
「遺体をしまってたヤツ」
「影収納か」
「入ってみたいんですけど」
リクエストにお応えしたが、結果ニシキさん自身は入れなかった。
「やっぱり」
「やっぱりとは何だ」
「死んだ人じゃなきゃ無理なんですよ。もしくはそれに準じる状態、意識が無い状態とか」「あー言われてみれば」
眠らせていたような気がする。
すると何故かニシキさんがジッとオレを見ていた。
「ニシキさん、眠れますか?」
「私で実験ですか?」
「だって深度一には入れる人なんて、ここにはオレとニシキさんしかいませんよ」
「眠ってるヤツなら…………」
と言い残してひょいと深度一に潜ったかと思ったら、ニシキさんが入り口でのびてる貴族を引きずってきた。もちろん深度一なので白亜の床も透過しているわけだが、絵面としてはとんでもない勢いで貴族を引きずってるようにしか見えなかった。
「入れてみて下さい」
「容赦無しですね」
「戦場ですから」
オレは闇収納に入れてみた。あっさりと入る。
「これは戦略が変わりますね。闇魔法の使い手は我が国に入れる際には注意を喚起しないと」
したり顔で頷くニシキさんだが、
「それはライムにも言えますよ、ニシキさん。手続き取ってます?」
と言うとあからさまに慌てた。これすらわざとだろうけど。
「くれぐれもライムには内緒で」
「言えませんよ、不法入国なんて。それよりもアンナさんには会いに行くんですか」
「バレたから王子に頼もうかと思ってたんだけど、やっぱやめました。自分で行きます」
「そうして下さい。で、何でオレに気配を見せたんです」
「見せたんじゃなくて弾き出されたんですけど、王子のせいで」
「じゃぁそういうことでいいから、理由」
厳しい眼を向けた。
「ヒュー王子への補助金を横領してる奴がいました」
「え?」
「まぁそこは第三騎士団が責任を持って粛正しますから。何せ王子のお金に手を出したのですからね」
そこはオレじゃなくて自分の可愛い妹の金に手を出しやがって、べらぼうめ、地獄を見せてやる、とアンタが憤ってるだけだよね。
「オレを出汁にしただけだよね」
「アンナも鍛えないといけないですしね」
あ、ごまかした。
「親にも教えてあげたいんですよ、生の近況を」
「ああ、なるほど。兄貴風を吹かせたいんですね。でも手合わせしたらきついと思いますよ。今アンナさん、魔法も使いますから」
「魔法? 魔法なら相手にも」
「なるんですよ。召喚魔法での魔法ですから」
「それマジ」
「マジです」
「了解」
と返事してニシキさんが難しい顔をした。
「実はオレも怒られたばかりです」
「王子を?」
「この用心棒を引き受ける際に、道場仲間のサマースを引き込むために季節料理屋で飲み食いしたんですよ」
「ほう、王子が」
「そうしたらうまく誘えたのは良いんですが帰ったらアンナさんに怒られましてね、渡したお金をほとんど使い切るとは何事かって。まぁ予備の金まで使ってしまったわけなんですが、その時のアンナさんの恐ろしいこと恐ろしいこと」
「そのサマースというライムの者は強いですか?」
「強いですよ。アーサー流では勝てません。魔法もあいつのが色々知ってるから、あいつのが汎用性が高いんじゃないかな」
「ほほう。どうやら王子はフォルテを出て良かったようですね。アンナにも言っておきますよ。折角王子に仲間が出来たんだから野暮を言うなとね。況してや怒るなんてとんでもない」
「あ、そこは兄妹同士の身内で留めてオレを巻きこまないで下さいね」
ニシキさんが意外そうな顔をした。
「まぁいいですけれど。ああ、そうそう、それよりフォルテの裏切り者がいるかも知れませんよ」
「どういうことです」
「城塞都市に魔物が召喚されてます」
「本当か?」
「いえ、咒札による大量解放です」
「平気で嘘つきますね。一応これでも一国の王子なんですけど」
「これは失礼、嘘は吐いても心はニシキです」
どんな理屈だよ。
「で、ですね、ヒュー王子」
「ん?」
「闇魔法には気をつけるように」
「闇魔法? バックドアか」
「こうなってくると出来ればバックドアにも降霊召喚の餌食となってもらいたかったところですね。福の印でしたか」
降霊召喚ではなくオレが覚えたスキルみたいな物なんだが、まぁいい。何しろ言ってもわからない。
「しかし、ふむ。気をつける闇魔法とはバックドアのことではないのか」
「今はまだ何とも。ですがいずれ詳細がわかりましたら、妹を通じてでも必ず」
「アンナさんか。わかった、よろしく頼みます。と言うか今からアイラちゃんならすぐ着きますよね。オレのことをあまり脅すようにして話さないように。そうですね、お仕事が大変そうだとでも伝えておいて下さい」
「公私混同ですよ」
「ニシキさんもでしょ。それにたまには顔を出した方が良いですよ。今回は立ち寄ると決めたから良いですけど、近くまで来てたのに素通りしたと知ったらアンナさん怒りますよ」
「兄に怒るようならその時アンナはヒュー王子の女房ですよ」
「真面目な顔で冗談を言わないで下さい。で、ここまで付き合ったんです。そろそろ秘密結社のことを教えてもらえませんかね」
「今まで話した中にあります」
「え?」
「では私はこれで」
アイラちゃんに乗って、ザッパーン、ザッパーン、とニシキさんが中空を泳いで行った。騎乗する騎士は振り返りもしなかったが、アイラちゃんはバイバイと言わんばかりに尾鰭を振って名残を惜しんでくれた。
しかし何だろう。
なんか煙に巻かれたような気がしないでもないが、まぁあれこそが第三騎士団の第三席という物であろう。諜報部員なんて怪しくてなんぼのところがある。
「しかしいいなぁ、気持ちよさそうだ。オレの降霊召喚はああいう基本的なことが出来ないからなぁ」
返事はなかった。
(小太郎、今度背中に乗せてくれ)
(ふざけるな。代わりにお前の身体で走り倒してやるよ)
(え? それオレが後で無茶苦茶つかれるやつじゃん)
(がんばれ)
(あー言わなきゃよかった)
アイラちゃんの姿はもう見えなくなっていた。オレは緩やかに深度一から浮上してるのを感じながら、それだけニシキさんと離れて行ってるのだと、その感触を生のままに味わった。たまには他人の深度一の感触に身をゆだねるのもいい。白亜の神域は厳かにそびえ立っていた。
あとがき
読んで頂きありがとうございます。
流麗なタッチを誇ったピアニストが最晩年に素朴な音をつむぐその姿の何という味わい深さ。今回のお話を書きながらずっとハンク・ジョーンズの「カム・サンデイ」を聞いておりました。ちなみに最晩年もうひとつの本当に最後の最後「ラスト・レコーディング」にはヒューくんの名字の元ネタでもあるロイ・ハーグローブが吹いてたりします。