第155話 第二の特殊スキル「神憑き」 その三
メラニーの処世術の本気度などどうでもいいが、分け身の方はわりと本気でオレとメラニーを倒しきれると思っていたようだった。
しかし向こうがオレとメラニーを殺す気でも、こちらは依頼筋である枢密院殿とヘイルの爺ちゃんとが神を殺したくないようだったから、この手のやり方は長く続けては駄目な気がする。だが今は急場だ。
そして中空へと逃れて気がついた。ケルプの分け身は倒れてる者達のブロックは動かしていなかった。オレは口角がふと緩んだ。
「息が上がったか? また一段と小さくなったぞ」
分け身の身長は元から十数センチぐらいしかなかったが、今はまた明らかに低くなっているように見えた。色味が薄くなってるのだろうか。
やはり深度一で動くのがキツイのだ。
「まぁここで動けるだけでも流石は神と言ったところなんだろうが」
「ヒトの子がよく言う。貴様らに係ってる暇などないと言うのに」
「オレだって、ただここを通りたいだけなのに神さまが邪魔するから」
「私はこの地を守らねばならんのだ」
「オレとてこの場所を守りたいのは一緒だ」
白亜の壁にゴトゴトとブロックが収まって行ってる。終わりなのか、動かすのをしぼるつもりなのか、そこが問題だ。
「まったく、ねじり上げられて起こされたと思ったら、魔に堕したヒトがこんなにもこの場所にいるとは」
「魔法を使うのだってヒトだ」
「そんな事はわかっている。ヒトは神でも魔でもない。ヒトはヒト。どちらにでも振れる心のうつろう存在」
「ならばこんな事は」
「こんな事ではない。度を超している。自ら災厄を呼び込んで、ここまで穢れを受け入れるとはな」
「地上のことか? 騎士団同士のぶつかり合いがそんなにも神の不興を買うのか」
分け身が目を眇めた。
なんだ。何なのだろう、的外れなことを言ってしまった違和感を覚える。地上の城塞都市に何かが起きているというのか? 異常な震動は騎士団スキルの地鳴りで鳴動した物と受け止めていたのだが、そこから更に変化が起きたのか?
だが神域は小揺るぎもしていない。
「メラニー、地上の音は聞こえるか」
「無理」
そしてメラニーの声音が変わった。低く、鋭い声だった。
「深度一に液体はあるの」
「ある。魔法も使える」
「じゃあ来るわよ」
ブロックによる面攻撃から手口を変えてきたらしい。だがオレの目には見えないと思っていると、床から水がコポリと泡音をたてて湧き上がった。最初は足の裏を浸す程度のものだったが、それが一気に嵩を上げてきて壁からも天井からも、そして空間からも湧き出してきた。
「まずい。地下に流れ込んだら皆死ぬぞ」
「平気みたい、それは」
メラニーが言うならそうなのだろう。オレは分け身を見た。分け身を見たのだが分け身は呼吸をするように水の中を揺蕩っていた。まるでそここそが神域であるとでも言うかのように。
分け身はメラニーを意識していた。
「そうか。なるほど」
「何よ」
「これは神による水浸である。大気が突然に水浸しになるのだ。メラニーの耳封じだ」
「聞こえるわよ」
その水流が倒れてる者達を神域の外へと押し流した。だが水流は神域の入り口のところで見えない壁にでも当たったかのように跳ね返って、神域の水の嵩となり、倒れてた者達だけを神域外へと押し流している。
「背反世界」
風を纏って水に対抗することにした。それでも白亜のブロックは流れて来る。何で動くのとメラニーが後ろで驚いてるが、水流の乱れがないので、水を経由して操られてるようだった。そのブロックが水流で翻弄されるオレに向かって突っ込んで来た。
水圧に押される。だがそれを背反世界で無理矢理流してブロックの軌道すらも動かす。
「何で避けられるの」
「避けたわけじゃない。避けさせてこちらも避けた」
「そんな事出来るの?」
メラニーは魔法が神威に無効化される姿を何度も見てきた。それが水流に抗い、神威に無効化されず、こちらの意のままに魔法が展開されたのだ。
「出来る出来ないではない。せねば死ぬのだ。リアは、知らぬ間に四肢をもがれて眼を失った。オレたち兄妹が相手にしてるのはそういう敵だ」
「!」
「だからどんな相手でもオレはそれを出来るようにならねばならない。ならなかった。それが例え神であっても」
「…………」
「確かにそなたは耳がいい。だが水滴ひとつ落ちる音にも耳をそばだてる夜を過ごした者でなければ、懐から喰い破ってくるような敵の恐ろしさはわかるまい」
「アンタ……」
「オレでさえ恐ろしかったのだ。その身を喰い破られたリアはもっと恐ろしかったに違いない」
「分け身が敵だと?」
「そういう話ではない。例え敵の腹の中だろうが、見えないところからだろうが、対処をするという事だ」
また白亜のブロックが流れこんで来る。今度は先ほどよりも更に速い。メラニーもそれ以上は口にせず退いた。
それにしても水の流れが速い。そっと遅くさせるだけの背反世界では最早対処が追いつかない。
見せる気はなかったが、本来のやり方を出さないとオレも安心は出来ない事態のようだ。
「深度一」
――振動。
効果は覿面に出た。水の流れが時の流れの遅滞に翻弄されて勢いが減じた。
オレは更に位相のずれを細かく揺らす。すると更に偏差的に水流が速くなったり遅くなったりして、分け身の方でも最早細やかな制御が出来ていないことが判明した。
追いつけないのだ。振動に。
と位相のずれから振動に弾かれて何かが表層に出る。
角だ。
見馴れた角だ。
アイロくんか? アイロくんはアンナさんの召喚獣で大きなカジキマグロなんだが、ここにアンナさんが居るわけもない。よく見れば角もアイロくんより大きいような。
あ。
オレは確信する――。
と同時にその角が消えた。急ぎ深みに潜っている。
その心の空白に白亜のブロックが音もなく迫って来た。この場所に、このタイミングで、水とブロックの連撃である。オレが避ける場所をなくすよう調整された必殺の一撃。
三方から来た白亜のブロックがぶつかったら弾かれるのだろうか。その時にはオレは潰されてそうだが、さて――。
と気合いを入れ直すと白亜のブロックが深度一の振動に耐えきれずに粉微塵になって行った。その粉々にになった白いチョークも水流に流されてあっという間に水の流れの中に消えてゆく。
「まるで白化した珊瑚だな」
分け身が振り向いた。何か問いたそうだ。
「フォルテの南の海でたまに見た」
途端に返事は来た。
水流が翻弄する。だが深度一の振動を伴ったオレの背反世界が水流を逆に四方へと追い散らしてしまってオレには届かない。オレはケルプの分け身に迫った。力強い前進だった、と我ながら思う。顔もわからないほどの水の流れを生み出していた分け身だったが、この時にはもう分け身自身が全ての攻撃を封じられたと悟り、それ以上の手出しすることをやめた。
穏やかな水流がオレたちの周囲を揺蕩っている。
「大丈夫なの、正面から近づいて」
「オレは真正面からしか対処しなかった。この意味は神ならわかる」
メラニーはそれ以上何も言わずに付いて来た。
水の流れが更に弱まり、分け身の姿がよく見えるようになった。オレの声が聞こえたのだろうか。しかし分け身は最後までオレから眼を離す気はないようでもあった。透徹した眼がオレの姿を捉えて身動ぎもせずにいる。オレは分け身の小さな身体にそっと手を添えた。その触れ方が意外だったのか、分け身が、いや、分け身さまが少々驚いたようだが、オレは構わず為すべきことを為した。
「特殊スキル『神憑き』」
瞬間分け身さまはオレの手の中に消えた。
後には何も残らない。ただ水だけが静かにその場を満たしているだけだった。
「神が、死んだ…………」
「ちがう。人の身で神に噛みついたのだ。在り方として在るはずの神を人がねじ曲げてしまったのだ」
「噛みつかれた方は堪らないでしょ。消えちゃうのよ」
「そんなつもりはない。ここでずっとヒト相手に不毛な戦いをするより、神は神憑きで保護した方が良い。だから保護している」
メラニーが心底驚いたような顔をした。
「どうしてこんなのを私に見せたの」
「爪を隠すのはもうやめにしたからだ」
メラニーが息を飲む。
「意図して控えてたの?」
「敵持ちなんでな。そなたもこんな事になるとは予想してなかったようだが、メラニー、そなたはオレがこのスキルを見せた理由を訊ねていたんじゃなかったのか」
「う、そうよ」
「そうか。安心した」
「何が安心できるのよ」
「いや何、これまでは誰が敵かもわからない中でジッとせざるを得なかったんでな。だが今からは違う。メラニーとならこれからもこういった王室外交ができると、オレがそう思ったからだ」
「王室外交」
「そうだ。改めて聞こう。異存はあるか」
メラニーはちょっと考え、そして顔を上げるとハッキリと言った。
「ないわ」
「なら問題ない。それにだ、オレが今噛みついた分け身さまは敵じゃない」
「じゃあ何。敵だから消したわけじゃないのね」
「神だ。神はただ在り方でそう在る」
「さっきからずっとそんな事ばかり言ってるわね」
「敵ではない。敵ではないがぶつかり合うこともあると言ってるだけさ。結局、手持ちの手札で勝負してくしかないのだ。それはオレも、メラニーも、そして神さまも同じことなんだ。そこんとこはもう神哭だよ深刻」
「つまらない。くだらないこと言ってないで説明して」
メラニーがそういう間に、これまで我等の周囲にあった大量の水が、空間に溶けこむように吸い込まれていた。どこに消えて行くのかもわからない大量の水に、メラニーが驚いて耳を澄ますのだが、オレは背反世界を継続した。
「何これ。どうなってるの」
説明しましょうか。…………王室外交を求められたわけだし。
「倒れた人をオレが回収した時と同じようなことが起こってるんだろ。今度はオレじゃなくて分け身さま自身が権能を解いたことでこうなってるみたいだけど」
「アンタが欲深い貴族を掃除した時のこと?」
「そうだ。あれと同じだ」
「つまりそうか。最初に来た時のアンタは見逃されてたんじゃなくて、神域を掃除してくれる小間使い扱いだったのね」
「おい」
とオレがメラニーにつっこむと同時に、残っていた最後の一滴までもが消えた。つと、その空間に声が湧く。まるで空間から引いた水の代わりに現れたような声であった。
「魔法とは距離を置いたのだ。この国の王も人も、ヒトの魔法への傾倒を止めることは出来なかったから」
「誰? ていうか神さまなの? どこ?」
メラニーが周囲を見回し、それからオレを見たが、その問いにオレは答えるわけにはいかなかった。召喚の場は降霊召喚にもつながるオレの秘事中の秘事だ。
答えない代わりにオレは背反世界を解除した。閑けさが一層オレたちの耳に届くようになった。
メラニーが神域の奥をキッと睨む。するとそこには神域からの出口が現れていた。
「どうした」
「ダンジョンボスなら階層の守護者が死んだなら次への階層の道が開く」
意味がわからない。首を傾げたらメラニーから問われた。
「神は死んだの?」
その声は閑けさに染み入るような声だった。清廉な大気以外が存在しない神域にメラニーの声がスッと消えてゆく。メラニーは神が死んだのではないかと改めて危惧したようだった。しかしそう思っていないのも明白であった。未だ世界はセピア色で深度一にいることをメラニー自身がわかっているはず。敵としてオレが扱い、神が消えたのならば、オレが深度一を解除すればいいだけのことなのだ。
すると神自身の声がした。声が現れた、といった方が正しいだろうか。
「断っていたはずの間道がつながっている」
それは答えていないが答えにはなっていた、一応。
オレは分け身さまに話しかける。
「違うだろう。信仰を失いつつあった分け身さまにとっては深度一がきつかったんだろう。まだ吐きたいんじゃないのか?」
「眠りを覚まされた。起きたら襲いかかられている。私はここまでヒトに邪魔と思われていたのか」
いまいち話が噛み合わない。
メラニーも耳を澄ますも分け身さまを発見できずに辺りを見回しているし、まぁ、豊聡耳を持つ彼女からしたら不可思議な出来事であろうとは思うが。
「どこから声が聞こえてくるの?」
訊ねながらメラニーが上を見上げる。
すると天井からパラパラと土が落ちて来た。白亜のブロックが定位置に戻らず、剥き出しとなった土から地上の余波に耐えきれなかった表層部分が剥がれ落ちているのだ。
「もしかしてまずいか?」
崩落しないであろうな。
「当然だ。私が押さえていた突っ支い棒がなくなったのだから、魔の物は当然好き放題に動き出す」
「動けてはいないだろう。深度一に入る前の余波でああなってるのだ。柱代わりの話かと思ったのだが、いやいや、こっちも大問題か。オレがスキルで分け身さまに神憑いてしまったから…………」
「後悔しても遅い」
「ちょっとアンタ」
メラニーに呼ばれた。
「わかったわかった。分け身さまは声だけを顕現させてるんだ」
召喚の場から。
だがそれをメラニーには言えない。
メラニーは何となく召喚魔法と同じなのだろうと思ったようだが。
「まぁ取り敢えず暴れないのだけは評価するよ、分け身さま」
「…………」
「騒がないのも好ましい。神が神の所在をペラペラ喋るのは感心しないしな。だが分け身さま、あなたはわかってるのか? あのまま戦ってたら神気を失ってあなたは存在自体が消えていたんだぞ」
「侮るな。本懐を捨ててまで現存にこだわる神などいない」
分け身さまは召喚の場で、天道神さま、時量師神さま、それから風魔の小太郎に眼を配っていた。