第153話 第二の特殊スキル「神憑き」 その一
深度一に潜ったまま神域へと向かう貴族の集団とすれ違うと、メラニーは今がどういう状況なのか心から理解したようだった。
「本当に止まってるのね。実はコペルニクスのクロック・ストップ?」
「クロック・ストップとはまた違う。深度一だ。詳細はもちろん言えない」
「そうなんだ。その…………」
「どうした。珍しいな。言いたいことがあるならさっさと言え。もう控えの間に着くぞ」
すると思い切ったようにメラニーが言った。声が一段と大きかった。
「飛び出せなくてゴメン」
しおらしいことを言われた。だがその意味がわからない。
「アンタの邪魔をした。ケルプ神と始める前に欲望操作をかけてアンタを引き返させようとしたけど、やっぱりアンタには効かなかった」
「そんなことしてたのか」
「それだけじゃない」
「よくわからんぞ。特にメラニーに何かされた覚えはないのだが」
「それよ」
「それ?」
「アーサー流の先輩として私が付いていかなきゃいけなかったのに。あの空間じゃ迂闊に動いちゃまずいのかなって…………。あー、自信なくしそう」
自制が働いたというわけか。
「それならば気にするな。接待というわけではないが、事を為すのはオレでなくてはならんのだし。あ、あとサマースだな」
「どういうことよ」
メラニーが面を上げた。
「先にも言ったやもしれんが、テロリストとの戦いは枢密院殿が始めてオレたちが始めた事だ。手足となってな」
「ん?」
「枢密院殿はテロリストに冒険者が関わってると見抜いて、冒険者ギルドに外に出るなと制限をかけた。テロリストとの合流を阻んだのだな」
「うん」
「そうして密かに手を打ったのは枢密院殿だし、どこの誰に繋がってるかを炙り出したのも枢密院殿だ。コペルニクスやサドンさんでさえ手を焼いた奴等の秘密兵器に、ひたすら見に徹して丸裸にしたのも枢密院殿だし、他に手を出されるのを嫌ったのも枢密院殿だ。
そう不思議そうな顔をするな。
要はこれは枢密院殿が炙り出すために始めた事なのだ」
「うん。でも…………ハロルドはそんなに、見て来たの?」
「うむ、見て来た。つまりオレからすれば、そなたはそんなオレの、いわば手足の検分役となったのだ。だから見たことをそのままライムの王室で報告すればいいし、王族みんなで共有すればいい。それがそなたに割り振られたお役目みたいな物だ。そなたが気に病むこともない」
「なるほどね。モヤッとしたのがちょっと晴れたわ」
「うむ。それにそなたがあの世界で動かなかったのは正解だ。飛び出した途端にゲーゲー吐かれては敵わん」
「吐くの?」
「この世界に入った者ならな。フォルテでは誰もが通る道だ」
「アンタ、ライムの姫であるこの私に断りもなくそんな事させようとしたの?」
「角立てるな。あの場に措いては、なぁなぁと最早勘違いですます事態ではないし、やるかやられるかであったろう。了解を取る時間など無かった」
「それはそうだけど、でも、理解はするけど納得はしないわ」
「いや、そもそもメラニーはゲロを吐いてないだろうが」
「ゲロ言うな」
「そうだな。ゲロを吐いてないんだしな。つまり気持ち悪くなってオレに迷惑をかけてもいないわけだ。いや、メラニーが強くて助かったぞ。言うなればそなたはフォルテの誰よりも強かったということだ」
「そ、そ~う」
「うむ、自信を持て。オレも吐いた、リアも吐いた。だがそなたは吐かなかった。ちなみにフォルテの王室も軒並み吐いているぞ。そこは間違いない」
メラニーは返事をしなかったが、心なしか後ろから付いて来る足音が軽やかだった。
控えの間に着くと、出入りする者達を考慮して洞穴の急激に狭まる出入り口一帯は空白地帯となっていた。相変わらず薄暗い。その暗闇の中でオレは深度一を解いた。
少し歩くと最前と同じように人々が塊となって座りこんでいる。魔道具の媒体で灯をともしてたはずだがその数が減ったように感じた。長期戦を睨んで節約してるのかもしれない。
中には控えの間にいても神威を受けて魔力をうしない、気分が悪くなって下層への撤退を始める者達もいた。そんな彼らを尻目に、暗がりの隅に四十三体の遺体を順繰りに闇収納から出した。
それからオレは枢密院殿に報告をした。
簡潔に、簡便に、それから最後に魔道具の類を持っていなければあの分け身は追ってこないと報告を終えると、枢密院殿がその後の遺体の返還と周囲への説明を引き受けてくれた。
「では予定通りに神に通してもらうようお願いしてきます」
「できるか?」
「神威も防げました。齎す結果から言えば、魔力を使わないで行けば、以降は通過する際に頭を下げてお願いさえすれば誰でも通してくれるかと」
「なんと。なら儂は大丈夫そうだな。ただ――」
と言って枢密院殿が辺りを見回した。
「ダンジョンボスと思ってる奴らにはそなたの話は届かないだろうな」
「ではあくまでオレが、いや、メラニーが討伐したという形にして下さい」
「メラニーが?」
「彼女も神域は余裕です」
「危険は無いか? いや調略なんだよな」
枢密院殿が鋭いところを突いて来た。さすが火事場でのオレの行いをずっと見て来ただけの事はある。だがスキルのことは言えぬ。あくまでお願いしてこうなったという形にしたい。
「行かせてやれ、ハロルド。それも冒険だ。出処進退は己の責任だ」
とお付きの爺ちゃんがこう言っており、メラニーも、そうよそうよと肯いた。
そうなれば最早枢密院殿がいくらライムの姫を慮っても、メラニーの方に火が付いてしまったわけで、止めようにも止められる物ではないだろう。メラニーが行くと決めたならば、枢密院殿の権限ではそれを止めることなど出来ないはずだ。
枢密院殿に鋭い眼を向けられた。
「そそのかしたな」
「いえいえ、決してそのような」
「失礼ね。私が決めたのよ。そもそも私が誰かに操られると思ってるの? 思ってたのなら心外ね」
メラニーがぷりぷりした。メラニーには欲望操作がある。
操ることはあっても操られることはないと、そう言いたいのだろう。
どこまで可能なのかは知らないが、思えば強力な魔法である。
結果として、オレとメラニーは再び神域へ向けての坂道を上り出す事となったわけだが、今頃は枢密院殿が貴族たちを呼び、それぞれの遺体を引き取りに来させて、洞穴のその先の状況を説明していることだろう。
すると人影も見えなくなってどっぷりと一本道を登ってる頃合いを見計らって、メラニーが、聞きそびれてたんだけど、と言い出した。
それはオレが再び送り出された際に、メラニーからの疑問として突き上げとなって跳ね返ってきたわけだ。
「ふむ」
「アンタ、何で無事だったの」
「それか。ケルプ神がオレに魔を見なかったからだろう」
「思いっきり魔法を使っていたじゃない」
「さて、死んだ人への情けだろうか」
「アンタが回収していたからってこと? 騙されないわよ」
「理由はそっちで考えてくれ」
「あ、あれでしょ。召喚魔法の奥義かなんかでしょ。スキルを使ったようには見えなかったし、あ、それがスキル?」
「本当に何にでも興味津々なんだな」
「ほっといて。で、どうなのよ」
はぁ、とオレは嘆息した。
その物言いは、オレは教えると言ったのに、そちらは教えてもらえないと思っている、ということなのだが、王室外交とまで匂わせてたのに、どうもメラニーはスキルではなく特殊な魔法を黙って使ってるものと思っているらしい。オレはそんなに貧乏臭いことなどせぬ男のつもりなのだが、貧乏臭く見えるのだろうか。
そういえば――。
オレは二つ目のビーフシチューも施してもらっていたな…………。
ふうむ。
「メラニー」
「うん」
彼女の目が楽しそうに爛々と輝いていた。
「スキルのことなんだが」
「うんうん」
「異界渡りを終えて二つ目のスキルの定着を確認した時、父はオレの報告に頷きはしたが、頷いただけだった。そして出迎えてくれた兄弟からも何と言っていいのかわからないと云った、そんな微妙な反応が返って来た」
「微妙?」
「ああ。それも当然だ。オレの二つ目の特殊スキルは神憑きだったのだから」
「神憑き」
「それでも帰還記念に二度目の晩餐会でも開こうかと思っていたのだがな。それは父によって止められたよ。ちなみにその時の父の隣には宰相と貴族がいた」
「慣例でしょ。どうして」
「最早ケルプに神などいないからさ。そう言われた」
「言われてみればそうね。神の話なんて遠い昔話」
「そうだ。だからオレが言う神憑きとやらを幾らオレが声高に主張しようとも、何をもって証明するのかと、そういう話になる。奇しくも父さまや宰相たちはオレと同じ事を考えていたわけだ」
降霊召喚は契約した異界の神や人をオレに降霊させる召喚魔法だ。対して神憑きはそれとどう違うのか、オレにしても疑問が多かった。
「それで、宰相は何て?」
「ああ。『居ない者を憑かせることが出来るなら催してもいいですが、さてヒュー王子、果たして本当に催しても良いのですかね』と、それはもう冷たい言葉で宰相からは勧告を受けたよ」
「忠告でしょ」
「勧告だ。フォルテでのオレの地位はそれほど高くない」
「な」
「さて、先を急ぐぞ。枢密院殿にはいずれ状況の裏打ちをしてもらわねばならん」
「必要ないわ。うちのとハロルドが一緒になって連れて来てる」
「もうか。聞こえるのか」
メラニーが首肯した。
「さすがは豊聡耳だな」
「そうでもないわよ」
そう言って向こうがどんな状況かメラニーが教えてくれた。
曰く、貴族の手先も警邏隊の人に邪魔されているが、そんな警邏隊の人も含めて広場にはまだたくさんの人が座りこんでいる事。皆疲れ切っている事。枢密院殿達が追いついてくるのもまだまだ先だろうと云う事。
「でも聞こえるだけでは意味が無い。本当に対処するなら、アンタの召喚魔法は見せない方がいい。そうなんでしょ?」
「だ、か、ら、召喚魔法を使うと誰が言った」
え? 使わないの、と言った顔をされた。
「だってさっきは」
「よく見ておけ。経験したからこそ、そなたにも見えるはずの神への対処法」
「対処法、そんなのが存在するの」
「だからそれをこれから証明するんだ。言っておくがそなたがまだ来ないと言ったから肚を括ったことでもあるのだぞ」
「私が…………」
「そうだ。だがここでは有用だ。オレの二つ目の特殊スキル」
「スキル。本当にスキルなんだ」
「そうだ」
「異界渡りをした者だけが持つという嘘か本当かどうかもわからない、噂の一端」
そう言ってからメラニーがちょっとだけ怒った顔をしてみせた。
また謀ってると思われたのだろうか。折角話に付き合ってきてあげたのに、と。
「台無しにされたと思ったのなら済まん事をした。だが貧乏臭い男と思われるのは、ちと妹たちへの体面上都合が悪くてな」
「アンタ、神との戦争と同次元で喋らないでよ」
「いやいやいやいや、そんなつもりはない。だがメラニーはよく見てみたいのであろう? そもそも」
「それはまぁ、そうね」
「ならばオレは正面から行く。スキルかどうかはその時に判断すればいい。それでだ、オレの二回目の異界渡りは成果無しとなった。この事は知っておるか?」
「みたいね」
「対外的には発表すらされなかった」
「そうね。ケルプには神がいないから」
「いないから証明出来ない」
オレとメラニーは顔を合わせてニヤリとした。
全く――。
いい顔をする。
あの時、こんな風なメラニーみたいな顔でオレのことを見る者など誰一人いなかった。逆に口を揃えてオレを詰ったものだ。
失敗を隠す言い訳なのだ。王族だからといって貴族を愚弄して良いものではないですぞ。本当は身につかなかった事を隠す言い訳にしてるのではないか。スキルを隠すためかもしれない、我らに仇為すために。
――思えば滅茶苦茶言われたもんだな。
適当なことを言ってるんだ、信頼は置けない。これをそんな大事な場面で出したらことごとく潰されますぞ。フォルテが侮られる。
「何よそんな顔をして。二回も異界渡りをさせてもらったくせに」
「色々言われたさ。もらってはいなくともな」
「え?」
「そなたには今回の騒ぎに措いて、他国介入の証人を頼まれたんだ。証明ぐらいはしておくさ」
「自己実現は良いと思うわよ」
「違う。リアのためだ」
「あちゃ~重症」
「忘れるわけがない」
「深度一に潜るのは忘れてるのに」
「あ」
どうりですれ違った者達に追いつかないと思った。というか潜ってるものと思い違いをしていた。深度一のセピア色の世界と洞穴を行く暗黒の世界が、オレの中でごっちゃになっていた。
「待った待った。潜らないでいいわよ」
「何」
「神に報せてどうするのよ。深度一に潜ったらこれから攻撃しますよって宣言してるようなものじゃない。いきなり入って奇襲をかける方が絶対にいい」
「それはまた好戦的な…………。ん? そなたもしかして」
「アンタに入らせないようにしたの」
うわぁ。ここでそんなドヤ顔するか。
まぁ欲望操作で操作できないから口車で操作したのか。
すっかりやられてしまったが。
「だがその決断はすれ違った貴族達を死なせることになるぞ」
「そんなの領地経営と一緒よ。連携もせずにお宝の総取りを狙って行った者に斟酌は無用でしょ、彼らの欲望を、誇りを、野心を、身一つで立てようとしたのだから成功も失敗も彼らの物」
オレとしては神域を荒らされる前に、遺体を運んで貴族の足を止め、その後すれ違った貴族が神域に着く前に抜き返そうと思っていたのだがな。
この策は駄目になった。
「ふう」
オレは知らず息を吐いていた。
気がつけば目の前に白亜の入り口が口を開けている。メラニーがいたお陰で二度目の登坂は無駄に深刻にならずに済んだようであった。メラニーを見やると、ドヤ顔で期待している。
まぁ、この状況には感謝してるし、やると言ったのはオレなのだが――。
オレは光魔法のライトを消すと、ひっそりと神域に分け入った。
ひんやりとした空気が悠久の時を経てここには未だ色濃く残っている。呼吸が軽い。足も軽い。
オレが神域に入ったと察知した分け身がしめやかに目を開けてオレの姿を探す。その分け身の周囲には坂道ですれ違った貴族たちが夢に破れて転がっていたわけだが、まだ息はありそうだった。魔法ではなく物理で攻撃に向かったのが命を散らさずに済んだ理由だろうか。
だが今はどうでもいい。
オレはオレ自身の戦いを始めるために来たのだ。
オレは白亜の床を踏みしめて堂々と中に入る。
ケルプが再戦を祝して神威でもって歓迎の挨拶をしてくるが、そのことごとくをオレは飲みこんだ。そしてオレは、メラニーを連れて再び深度一へと潜った。
あとがき
深度一に初めて潜った際に吐いたかどうかなんて、ヒューくんは覚えてません。彼女を勢いでたばかったわけですが、世故に長けつつもどこか慌てた仕草はとても人間くさくて憎めないヤツだなぁと、勝手に動いた彼に対して思いました。