第149話 ハロルドとヘル
オレはメラニーと爺ちゃんの攻防が続きそうなので、とりあえず雇い主殿に問題なかったと偵察の報告をした。済ませた後で、気になることを訊ねた。
「ところで警邏隊の人たちは」
「それじゃ。警邏隊の連中からの報告でワープしない道を見つけたそうじゃ」
「お、それは良い話ですね」
「じゃがそこには貴族達が群がってるらしい」
あそこか、とオレも思い当たった。
偵察した際に人集りができていたあの場所のことだ。
枢密院殿によれば、あの場所は警邏隊の連中ですら見たこともない通路、おそらくサーバ城でも知られていない、古の城の未踏区域になるのではないかと彼らは考えてるそうだ。
すると、もがもがと聞こえていた声が不意に聞こえなくなった。
オレが顔を逸らしているのに気づいたメラニーが、お付きの爺ちゃんにもう落ち着いてるからと懸命にアピールし始めたようだった。しかしその姿も傍目には、相変わらず暴れてるようにしか見えなかった。
ただそれはオレの勘違いだったようだ。
メラニーの真っ赤だった顔色が、今は青から紫へと変わり、どうやら爺ちゃんの手が邪魔で呼吸が出来ていないようだ。
爺さんの手がでかいのだ。剣を握ってきた手なのだろう。分厚くて、デカくて、メラニーの顔の下半分をすっぽりと覆ってしまうぐらいにでかいのだ。あれでは呼吸が出来ん。
「ヘイルさん、それ、息がヤバイですよ」
ぐったりしたメラニーに気づいた爺ちゃんが慌てて手を離した。途端にメラニーが大きく息をつき、肩で呼吸をしている。ヘイルという偽名を臆面もなく名乗ってた爺ちゃんが、右を見て左を見る。オレは周囲を気にする前にメラニーを介抱してやれよと思ったが、爺ちゃんはこれまた臆面もなく話題をすり替えて、
「いやぁ、メラニーを見つけるので後回しになってしまったが、彼が戦っていたあの者達はいったい何者なんだ、あの女と男は」
などと棒読み上等で訊ねて来た。
メラニーは犠牲となったのだ。
「げほげほ、いいパーティメンバーね」
「あ、いや、メラニーも気になるであろう?」
「…………そうね」
周囲で魔気が動いていた。メラニーも気づいたのであろう。こうして物事は闇に葬られ、何を言っても周りには何も伝わらないのだろうと――。
が、爺ちゃんが尋ねて来たことは、その場ごかしで幼馴染みに話せてしまえるほど簡単な話ではない。そもそも枢密院殿は冒険者に外出するなと王都に制限をかけた立場でもあるのだ。
しかし枢密院殿は星読みの塔でつかんだアルバストの正体を明かした。テロリストであると。
オレは少々驚いていた。
「ではあの女がこの騒ぎの元凶か」
枢密院殿が黙って肯いた。
「本当か?」
「おそらくの。だがこれ以上はお主には話せん」
枢密院殿が周囲に眼を配っていた。お達しとの整合性を考えれば必然的にそうなる。だがメラニーが、私から許可しますと横合いから口を出した。
「いいのですか?」
「はい」
メラニーが肯く。王族からの、しかも宗主国の姫さまからのの許可となれば話は変わる。属国の枢密院では「しかし」という言葉すら許されまい。枢密院殿が声音を押さえて話し出した。
その際に枢密院殿がちらりとオレの方に眼を配ったことから、実際はヘイルや周囲に話せないのでなく、オレがここにいるから話せないという事なのだろうと思った。だがメラニーが許可を出してしまったので枢密院殿はどうしたものかと苦心してるのだろう。
オレはメラニーが王族であることを知らない振りをして、ではオレはあちらに行ってみますと言って人集りの方へと足を向けた。
命じられた通りに、お仕事へと取りかかるのである。
てくてく歩いてると、なぜか命じたはずの枢密院殿が皆一緒になってついて来る。どうやらオレ一人で行かせるつもりではなかったらしく、話しながら情報交換を済ませるつもりらしい。メラニーは枢密院殿を差し置いて真っ先にオレのうしろを歩いているので、先ほどの偵察の延長ということのようだ。
となると枢密院殿には事態の説明もあるし、オレとしてもお付きの爺ちゃんに枢密院殿の安全を頼んでしまった手前、オレの後を相も変わらず跟けてくるメラニーは、オレが守らねばならないのだろう。
ちらと振り返るとメラニーは、美人が気になる? とデコピンしたくなるようなことを言い出したので、オレは前を向いた。
枢密院殿はお付きの爺ちゃんとコソコソ内緒話を始めている。オレの耳にその内緒話が届くことがないので、おそらく爺ちゃんがさっきメラニーに使っていた技を使っているのだろう。
どんな技なんだろうか。
そう考えると先ほどの話し込む二人の爺さまの姿が脳裏に浮かんだ。
篝火にゆらめく老人ふたりの姿は老いているはずなのに、どこか悪ガキ共が顔を寄せ合って悪巧みをしているような、そんな面影があった。
◇
我が名はヘルベルト・アーサー。アーサー騎士団を姪のローズに、アーサー道場を息子のロッドに託して宗主国のライムへと出稼ぎに出てるダルマーイカ自治領出身の隠居である。
ヒュー王子に対して半ば反射的にヘイルと名乗ってしまったが、本来はライムの王剣筆頭が任務であり、ヘルベルト・アーサーが本当の名前である。偽名を名乗ったのは彼が孫にも似た近しい存在だからである。ヒュー王子が偽名を名乗らざるをえない近況を鑑み、彼ら兄妹の敵に自分が親しいことを自分は見せたくなかった。手を差し伸べるのは彼らに敵が接近してからでいい。このことはアーサー騎士団団長のローズにも、そして現道場主でもあるロッドにも言い含んである。
そんな俺だが亡き友人の忘れ形見をアゴで扱き使ってる、ハロルドの寂しくなった頭頂をしげしげと眺めた。
吹きっさらしの台地にしぶとくへばりついている三本のひょろひょろが――。
「禿げると魔力がなくなるというのは不便だな」
「うるさい。まだちょっとあるわい」
そう言ってハロルドがぴょこんと生えてる三本毛を天に向かって立たせた。
幼馴染みというものはいい。挨拶がバカバカしい挨拶で済む。近頃は同年代が周りでもポコポコ死んで行くので、こんな阿呆なことを言い合える幼馴染みは互いにとっても貴重な存在であった。
それから声を潜めて二人して話し出した。カムフラージュは手短に、ということもある。
伝えるべき事は多岐に亘ってあるのだった。
テロリストの親玉であるアルバストは異界渡りをした者であったこと。しかし勇者ではなかったこと。なぜならアルバストは異界渡りで手に入れるはずのスキルを持ってなかったからと、ハロルド枢密院から観た敵の構成、ソマ村から始まった一連の出来事とその移動手段、それから王都の防衛網への介入、星読みの塔、秘奥の間での戦闘と、テロリストが一気呵成に仕掛けて来たことを順を追って話した。
その概要をざっと聞いてヘルベルトは思う。
「目的は何だと思う」
「ホリーの回収ではないの。仲が悪そうだった。
当人達は星の一部ごと異界渡りをして無理矢理連れてこられたようなことを云っていたが、果たしてどこまで本当か」
「まぁテロリストの言をどこまで信じるかということでもあるな。そもそも異界渡りの方法を探してるならフォルテに向かえばいいのに、実際はライムに入り込んでいる。まぁ異界渡りがらみの案件が重なりすぎている気がするが…………。奴等の事情も、ここ最近サーバで起きてることも」
「異界渡り絡みを言うならバイコーンの出現もあるの」
「あー、そいつもあったな。その上で知らない魔法、しかもそんな未知の魔法を咒札にまで落とし込み――」
「聖剣まで手に入れとる、か」
ハロルドの脳裏に、バイコーンは魔王の現れる先触れである、という一事が思い浮かんだようだ。そこに来て聖剣が敵の手に落ちているという事実。
俺の方から互いに思い描いてることを俎上に出し、口火を切った。
「魔王の尖兵が将来立ち塞がる勇者と聖剣の排除にかかってるのではないか」
「…………勇者、の」
「どうした。何か気にかかる事でもあるのか」
「アルバストがしきりに儂の用心棒のことを勇者扱いしておった。しかしフォルテが勇者召喚した話など一向に聞かん。通達もないのじゃろ?」
「ない」
「かつての勇者もとうに寿命を迎えているはず。ましてや勇者がアーサー道場の練習生などと言う話も聞いたことがない」
「俺もロッドから勇者を預かったなどと云う話は聞いてないな」
「そんな馬鹿げたことが起きてたら自治領なんかにワッカイン王が渡すわけがあるかって話でもある。こんなの酒のつまみにもならんぞ」
「…………違いない。テロリスト達の目的が本当にわからんな。目的を達したわけでもないのに逃げ出している。フェルマータから山岳地帯を通ってその先の線を結ぶとどこに行くのか」
「穀倉地帯かの。ボヌーヴ川流域から王都にかけての」
「ラインゴールド団長が押さえてる場所か」
「儂は王都に来る前に会って話をしてきたが、そんな感じではなかったぞ」
「ほう」
「むしろフィッシュダイスとの膠着が狙い通りで作戦遂行中と云った感を受けた。アートへのこだわりも、ホリーにはあったかもしれないが、ラインゴールドやアルバストには感じなかった。むしろピューにこそこだわり始めておったし、アルバストはじゃが」
「彼が目的だと?」
「うむ。後付けじゃが大事な目的にはなっておったな。ピューを寝返らせる気満々じゃったぞ」
ハロルドが俺の顔をのぞきこんで来た。
「なんじゃ。何ぞ気がかりでも見つけたか」
気がかりだが答えは出ない。
「王都を抜けた先では何かあったか」
「今日という話ではないが、国政会議の帰りしなに儂が襲撃を受けた。それとバイコーンの件も当たるかの」
「なるほど。線上に一本でつながるな。時間軸はずれてるがお前達が王都を抜けてからも何かしらあったわけか」
ハロルドがヘルベルトに鋭い眼を送った。
「何を考えておる、王剣筆頭」
「オレの聞いた報告ではバイコーンは異界渡りを終えていたわけではない。お前の用心棒達が亜空から引きずり出したとも聞いている。つまり出る力が足りてなかったのに無理矢理引きずり出されたわけだ。そこは実は出口ではなかったのではないか? 本当はもっと遠くへ出たかったのではないか?」
結ばれたフェルマータ、ソマ村、王都、ダルマーイカ川の川岸、これらを仮線で結び、そこから更に伸ばすと…………。
俺は額に皺を寄せて呻いた。
「もしや魔の山への筋道を付けてるのではないだろうな」
ハロルドも思わぬ指摘に眼光が鋭くなった。
「ならばトライデントが何か言ってくるであろう。そこはあやつの人生を賭けた大仕事じゃぞ」
トライデントの本当の仕事は魔の山の監視である。魔王が封じられた場所にあの一族だけが気づき監視を行っているのだ。魔王の復活はあの場所でおこなわれる可能性が非常に高いとトライデントは考えている。アーサー流の道場があそこにあるわけ、枢密院殿が自治領に居を構えるわけ、そして辺境伯が配置されてるわけがそこにある。
「そのトライデントは」
「王都に入っておる。アーサー騎士団のダンケとオードリーがついておる」
「若いな。入団二年目の二人か。まぁトライデントがいるなら大丈夫か。アート王の影も形も見えないところを見ると、うまいことやってるな」
「ふむ、気づいてたか。姫さまは?」
「ウチの姫も見つからないと言っていた。兵や警邏隊の話にも欠片もアートの話が出て来ないと云っていた」
「やるのぅ、トライデント」
「ああ。とりあえずはひと安心だな」
アート王は絶対に逃げおおせてる、その事にハロルドも確信が持てたようだ。
だがしかし、とハロルドがまた一段と声を落として言った。
「聖剣がテロリストの手に堕ちた。コペルニクスは闇の中にあった聖剣の正体を明かして死んだ。サドンはそれを更に調べようとして心臓を飛ばされた」
「何」
「案ずるな。サドンは生きておる。ただしピューが何かをしてるようだから、サドンの命はピュー次第じゃの。周りに聞こえないよういつもの魔気操作をしてくれ」
「もうしてる。それよりおい」
と呼びかける間にハロルドが離れてるヒュー王子の方へと歩み寄り、こちらの忖度もせずにピューと呼びかけていた。慌てて魔気操作をする。
「お主、敵持ちか?」
「出た。食らいつくととことん食らいつく職業病」
メラニーがうるさい。
俺はくそ忙しいしヒュー王子がどこまで明かすのかを聞き逃すわけにもいかないのだ。するとヒュー王子は逡巡もせずに、申し訳ありません。その通りです、と答えていた。
なるほどのう、とハロルドはしたり顔で頷いてる。申し訳なさそうにしているヒュー王子に、よい。自分は敵持ちですなどと公言せぬものじゃなどと言っているが、その方はお前がほじくりかえしても問題にならない方ではないぞ。
むしろ大問題だ。
ふむ。
「だがまぁ恨みを買うのにも慣れてるしな、お前、じゃなくて枢密院殿は」
「黙れ、ヘ、じゃなくてヘックション」
ハロルドが俺をながめやり目を逸らさないので、そっぽを向いて下手くそな口笛を吹いた。おかげでイカの吸盤よりしつこいハロルドもそれ以上問うことはしなかった。俺の偽名を忘れたからではないだろう。そう思いたい。
「儂はハロルド・カーギイカ。枢密院じゃ」
時々思うがこいつは俺の考えが読めるのだろうか。幼馴染みは恐ろしい。
ハロルドがヒュー王子の下から戻って来た。向こうは姫がうまくやるだろう。こちらは一向に出てこない懸案事項をハロルドに尋ねた。
「ヒューくんが魔法を使ってたが、その、どうだ」
「ふむ。腕はいいぞ。何でアーサー道場に通ってるのかわからんほどじゃ。魔法だけで喰っていけるぞ、あれは」
知らないと云う事は恐ろしい。
彼は魔法とはほど遠い、対極の位置に居るはずの人物だぞ。召喚魔法をあつかう召喚魔法士なのだから。
「しかしまぁ、それほどなのか」
「驚くなよ。下手したら団長クラスで六属性全部扱える」
「そんなレベルで…………扱えるんだな?」
意外そうな顔をした。
「何だ」
「いや、驚かんと思っての」
「お前が驚くなと言ったんだろうが。それより本当にその領域で六属性扱えるんだな」
「ふむ。その通りじゃ」
俺の時には手を抜いていたのか――。
「それで、彼に何か変わったことは?」
「特にないぞ。働き者じゃ、二人とも」
「ふたり?」
「サマースも六属性を扱えるからの」
「…………」
「ヘル」
「ああいや、そのサマースくんも、ヒューくんと似たような感じで?」
「そうじゃ。腕は似たようなもんじゃな」
「二人は、きちんと人間か?」
「何じゃ、変な質問じゃの」
「ハロルド」
「わかったわかった。何も変わりはせん。働き者じゃ」
「人格的には? 攻撃的になったりとか、性格が変わったりとかはないか?」
「ないの」
「ふむ」
まだ超越したわけではないのか。超越する者などほんの一握りだ。つまりはそこには至っていないと、そういうことなのだろうか。
だが団長クラスとハロルドは言う。
ハロルドの眼はごまかせない。
「おい、どういうことじゃ。糞詰まりじゃぞ」
「急かすな」
王剣と王杖の秘事だぞ。それを糞詰まり扱いか、このじじいは。しかしハロルドはヒュー様の身を預かってる立場なわけか。俺がジロリと見やると
「おいヘル」
と平気で返して来た。
俺のひと睨みを受けてこの調子だ。俺の藪睨みはそれを受けたら尻込みする者ばかりなのだが、流石は枢密院というか幼馴染みというか、言うか言わぬはハロルドでも言わぬつもりでいたのだが、今は言う方向で心が動いていた。
そこを見切られたのだろうな。
顎をクイッと引き上げて続きを促された。
「やれやれ。これから言うことは王剣と王杖の中でも秘事中の秘事だ。決して洩らすな」
「うむ。了解じゃ。枢密院の名にかけて誓おう」
「魔法を属性でも無属性でも極めると、人は人を超越する」
「ふむ」
「三つまではオレの言う意味ではさして影響は出ない。だが四つ目から人格が変わる。奇行が多くなる」
「なんじゃと」
「だから王剣も王杖も無属性も含めて魔法は三つしか修めない」
「ヒューとサマースは普通に六つ使うぞ」
「気を使ってやれ。おかしくなりそうだったらすぐに俺に連絡を」
「わかった。それよりお主、あれ、何とかしてやれ」
味をしめたかまた顎をクイッとしゃくった。
姫が阿呆に絡まれている。ヒュー王子ではないので確かにハロルドの仕事ではなく俺の方の仕事であったが、さて、概略までしか話を聞いていないのに忙しいことである。
「やれやれ。王剣を顎で使うなよ」
◇
出口と思われる場所に貴族たちが顔を真っ青にしながらも立ち塞がってる。魔力切れが苦しいなら座ってればいいのに宝は独り占めしたいらしい。ここでも人々は基本動けないようであった。魔力も体力も回復していない。
先ほどよりも数が多くなって来てるような気がするのは、枢密院殿が居なくなったうちに攻略をしようと考えでもしたのだろうか。見ればオレと同じようにこの広間の出口へと向かってる人たちをちらほら見かける。一部では警邏隊と押し問答にもなってるようだが、アート城を守る警邏隊の人たちに対してあんな態度を取って、アート王に粛正されたりしないのだろうかなどと他人事のように考えてしまう。
しかしもう強制ワープの魔法陣に出くわさなくなっていた。それでもオレの後ろを付いて歩くのだからメラニーは横着な性分なのだろう。お陰でさしあたっての護衛対象になるのだから思うところがないわけではないが、枢密院殿に対して飯の種の新たな交渉案件にもなろうとは思う。
そんな事を考えてる内にうとうとと眠くなった。篝火のほのかな温みで暑くも寒くもない、そういう気温にすることもなければ眠くなるのである。メラニーを笑えないなと思った時に、そのメラニーがハッとするような声を出した。
一挙動で外套下の忍者刀を掴み、眠気を吹き飛ばすようにしてオレは後ろに振り返った。オレのすぐ後ろを歩いていたはずのメラニーが、間に男に入られて道行きを塞がれている。メラニーの周りには小姓と見られる者達が迂回路を塞いでおり、メラニーがオレのすぐ後ろを歩けなくなった要因が覗えた。うとうとした瞬間にこの者達がメラニーを狙っていろいろと画策したらしい。
オレが走り寄ると、オレの方に向かって立ち上がる影を感じた。オレはスッと避けて前へと進もうとするが、その男はオレの眼前に立ちはだかり、それ以上進むことを許さないと言った体を示した。
メラニーの前を塞いでた男が騒ぎ出した。服装から見て貴族であった。
「き、きききき」
何を言ってるのだろう。大丈夫か?
「きれいだな」
と同時に周囲で魔気が動いた。貴族がその魔気をメラニーに向けて放つ。
「我が女となれ」
魔気の流れの前にオレは出た。立ち塞がる男がいきなり斬り捨てようとするが、忍者刀のひと薙ぎで剣を斬り捨てた。そのまま外套の影から蹴り飛ばして脇にのけると、メラニーの前に出て自らその魔法に当たった。
「アンタ」
メラニーが斬る準備をしていたが関係ない。一応オレが用心棒を委譲されているのだ。そのまま貴族に話しかけた。
「おいおい。いきなり物騒なことをするな」
だが貴族の男は返事をしなかった。しきりと首を傾げてる。その合間に蹴飛ばした男が戻ってきた。貴族の背後に控えている。小姓、いやご同業の用心棒と言ったところか。
「麿の魔法は見事であったか?」
「は」
後ろに控えた用心棒が答えた。
だが受けたオレからすれば云うほど見事な魔法だったとは思わない。攻撃系の魔法かと思っていたら精神系の魔法であったし、従属、屈服、どの程度の精神作用をもたらすのかはわからないが、オレが魔力を纏うまでもなく霧散した。
「ん?」
と首を傾げて貴族がオレを見た。オレがあまりにも普通にしてるので、篝火の火があまり届かないこともあり、オレが防いだのではなくどこかから邪魔が入ったと思ったらしい。
「お前は要らない。死ね」
もう一度魔法を放って来た。これも精神魔法である。
貴族の背後から、あー、終わった。これをやられたら自ら命を絶つ。そんなコソコソ話が聞こえてくる。大方メラニーの迂回路を塞いだ従者か何かだろう。
しかしオレは動かない。特に何をしたいとも思わなかった。
再びオレに当たった精神魔法はそのまま霧散して同じ結果を辿った。
「あれ?」
貴族からもう一度精神系の魔法が放たれた。服を脱げと言ってるので、オレはその魔気の流れを光壁を張って反射した。
貴族の顔がポワンとする。いそいそとボタンを外して言った。
「きれいだな」
「私のこと?」
「おっぱいの形がきれい」
「なっ」
メラニーが絶句した。こういう事を言われ慣れてないのだろう。
もっともこんな事を言い慣れてる奴の方にこそ問題があるとは思うが、まぁ確かに軽鎧の革越しにふくらむメラニーの双丘は素敵な形をしていた。それを口にするかどうかは別の問題だが、この貴族はある意味勇者であった。
メラニーがオレに流し目を送ってくる。
「ピュー、殺しておしまいなさい」
「ヒューだ。それとオレはそなたに雇われていないことをお忘れなく」
「なっ、何でお前喋れるんだ? 効いてないのか?」
言った貴族がオレの顔を見てギョッとする。だがすぐに下卑た表情を浮かべると、お嬢ちゃんこいつに騙されてるんだなと言った。
「お嬢ちゃんは知らないだろうが、こいつの妹は手足がないんだぞ。目も見えない。一人じゃろくに動けもしない。そんな不能者の世話をやらせようとお嬢ちゃんのことを口説いてるんだぞ、こいつは。ずるい奴だろ」
まずいな。
殺したくなって来た。
王女の目の前だが属国の貴族を、いや、ライムの国民を殺しても良いものだろうか。
自問してる間に貴族が命じた。
「卑怯者を斬れ」
その瞬間、後ろに控えてた用心棒がオレに殺到した。まるでゴーサインが出た犬のようだ。剣がナイフに変わっている。大方仕留めた獲物の解体用のナイフなのであろうが、オレの中にも牙がある。「やれ」という小太郎の声がする。
「やったらこいつの妹をお前にくれてやる。国にも見捨てられた兄妹だ。好きにしていいぞ」
貴族が言うまでもなく獲物を凝視し、真っ直ぐ、最速でナイフを腰だめに溜めている。オレはつと横に半歩ずらした。途端に男が目を眇めて挙動が鈍った。篝火の炎の光をまともに目にして目が眩んだのだ。確信のない突きは、そのままオレの一閃によって両腕を飛ばされた。
追う二対目の忍者刀が用心棒の喉元を斬り裂く。動物の本能か、斬られた方向へと身体を流して身体がくっついてるように自分を錯覚させようとしているが、そのままオレを見失って支えられぬ頸に合わせてドウと斃れた。
土の上に黒い染みが広がる。血は篝火に照らされ黒く見えた。
な、ぜ…………。
声にならない声が、口元が動いてオレにも読めた。
「オレはお前よりもっと速い突きを突く男を知っている」
かひゅっと喉元から空気の抜ける音がした。そのまま頽れて頸があらぬ方へ向き、用心棒は息を引き取った。
「ふぉ、ふぉるて」
「強いだろう?」
振り向いてオレが訊ね返した。
この貴族はオレの正体を知ってたようだが、これでオレの強さも知ったな。だが知った時にはもう遅い。妹のリアを手に入れようとしたことは万死に値する。
そういえばリアには絶対に何かがあったのだ。アルバストが玉を手にして火を噴いたのだから。あれはアルバストの左足、その太股であった。だがこの仕事を放り出すわけにははいかない。
「リアをどうするつもりだと言ったか」
「し、知らん」
「くれてやると言ったな」
「忘れろ」
また精神魔法をかけて来た。
「忘れんさ」
ここでオレが忘れでもしたら、こいつはリアに何かするかも知れない。
「リアはオレの妹だ。オレからくれてやるのはこれだ」
二対の忍者刀をしまうと腰元から剣を鞘ごと取り外した。その鞘で貴族を思いきりぶん殴る。不思議と呻き声を出さない根性はあったようだが、派手に鼻血を出して叩きのめされると、その貴族が起き上がってくることはなかった。鞘の中で折れた剣がカラカラ飛び回っている。
メラニーがオレの方へと駆け寄って来た。気色悪い思いをして流石に心が落ち着かないのだろうかと思って見やると、その眼が思った以上にしっかりしていて、オレは鞘を外套の中にしまって腰元にくくりつけた。
意思のある、強い眼をしている。
「時間もない。これぐらいでいいか?」
「紋章は覚えたわ。あとは私の方で処理するから」
ならば言うことはない。
オレはすっかり眠気の覚めた頭で前を向いた。
◇
手を出さなかったのは彼がどの程度使えるのかを見たかったからかもしれない。夜襲の時には魔法で対処されてその腕を見ることは叶わなかった。
改めて名乗ろう、ライムの王剣筆頭、ヘルベルト・アーサーだ。
そしてヒュー王子は端的に言うと、アーサー流を使っていなかった。願いが叶わないところを見ると、俺の星の位置は微妙にずれているらしい。
すると去って行くヒュー王子に向かって、バカ貴族が後ろから精神魔法をかける。
「屈服しろ」
自分の視界にいきなり剣がにゅっと突き出てきた。視界のすぐ真下だ。
「そこまでにしておけ」
「なんだ、うるさいな、ヒッ」
口がパクパク王剣筆頭と動いていた。だがその声が俺に届くことはないし、周囲に届くこともない。
ゆっくりと動かされる剣は確実に頸筋の中に入って行く。冷たい感触が自分の血脈を確実に触れていることにこのバカ貴族はようやく気づいた。
「闇討ちとは卑怯だな」
ヒュー王子を夜襲したその口で俺は言った。
「次は殺すぞ、ライム王の名代として」
そしてバカの一物から魔素を抜いた。魔気の操作だけでなく魔素の操作も俺は得意なのだ。そしてスカスカの構成となった一物は、小便はちょろちょろ垂れ流せても、他のことには二度と使用出来ないようにもなった。陣組みしたからこれは決定事項となったわけだが、それだけの事をこの男はしでかした。
ガクガクと頷く首が、事の重大さをようやく認識したようでもある。王剣筆頭が、一体どこの誰と組んで冒険者をやっているのか思い出したのだろう。
そして姫の一件だけでなく、ヒュー王子に関しても釘を刺しておく。
「それに貴様は重大な勘違いをしている」
「勘違い、ですか…………」
「そうだ。彼はおそらく後継者候補ナンバー・ワンだぞ。シコン王の中ではな」
バカ貴族が驚いていた。
信じていない一面も見える。だが怯えてそれを口には出さなかった。
だが此奴がどう思おうと、俺にはそうとしか思えないのだ。何しろフォルテには紫色の瞳を受け継いだのはヒュー王子しかいないのだ。一見黒にも見える深い体色をしたダブルリグレットは、実は深い紫色の身体をもっている。
魔法の属性によって、頭髪、眼、爪に属性の色が現れるとするならば、それが召喚魔法の場合でも似たようなことが起きるのではないかと俺は思っている。
この事からも、ダブルリグレットはいずれヒュー王子が継ぐはずだと俺は予想している。だがシコン王は、本来なら懐に入れておくべきはずのあの兄妹を外に出している。その時点であの兄妹には並々ならぬ物があるのだと考えられるのだが、凡人にはそこが気づけない。よくもまぁ正体を知った上で突っかかっていったものだ。
此奴のした事は蛮勇でもない。バカのした事だ。
バカはライムには要らない。
ヒュー王子には悪いことをしたが――。
だが確実に言えることは、シコン王が二度も異界渡りを許してる時点でヒュー王子には何かがある。
四肢を失ったリア姫を異国に出してる時点でも何かがある。そもそもかのシコン王は王室の評判など小揺るぎもさせていないのだ。
ウチの小娘も驚いた目でヒュー王子を見ている。それはそうだ。レジストもしないで精神魔法を完封してのけたのだ。ライム王家の秘事をハロルドに打ち明けたばかりだが、ヒュー王子は思った以上に超人の域に入っているのかも知れない。
だがどうやれば何もしないで精神魔法をレジスト出来るのだろう。
その背中は何事もなかったかのように変わらずそこに在って答えを出してはくれない。メラニーも歩き出したその背中に何か話しかけたいようだが、用心棒という仕事に入った孤高な立ち姿に気圧され、かける言葉を見失ったようだ。
魔気切れを起こしてバカ貴族は白目を剥いて倒れた。小姓が介抱しようと近づこうとするが、その動きを俺が眼で制した。
魔気をしぼって小さく告げる。
「俺はライムの王剣筆頭だ。この者への医療行為は禁じる。沙汰は追って下す。ライムの第三王女へ手を出したのだ。止めなかったお前達も相応の覚悟をしておけ」
その通告を聞いた途端、腑に落ちたのか小姓達ががっくりとうなだれて座りこんだが、俺はもう気にしなかった。一瞥を残して彼の姿を探す。
ヒュー王子は先へ進んでいた。何事もなかったかのように先に進む。おそらく彼はそうやって人生を進んで来たのだろう。自分では動けなくなったリア姫へと降りかかる火の粉をこのように払いのけながら。
事態の収束を見極めて追いついて来たハロルドと俺は並び立った。ハロルドが何をどう見てるのかは知らない。だが俺は彼の後ろ姿を眺めやりながら、彼の母親であるサーシア殿の後ろ姿を思い出していた。
魔物の異常発生とその対処のために魔の島攻略へと向かったあの日、我等をひっぱる彼女のうしろ姿はそれはもう自信に満ち溢れていた。今思い返してもその姿は艶やかで華があった。
だがヒュー王子は違う。そう思った。
彼はサーシア殿のように自信も尊敬も賞賛も浴びることなく、これからもきっと進むことになるのだろう。五大国最強のフォルテの王子だというのに、ライムの属国の貴族にさえ侮られ、巷に蔓延る背景を知ってる者からは軽んじられるのだ。
だが彼はそんな一事を気にも留めない。
俺も初めてそんな現場に出くわしてしまったわけだが、彼は属国の貴族からあびせられた侮蔑の言葉さえも平気で捨て置いてしまうのだ。
そんな日常の場に父の姿はなく、母も既にこの世から去った。それでも無人の野を行くがごとくにヒュー王子は征く。その孤独な背中には、彼女にはない、たったひとりの妹への責任感があった。
用心棒は、つづく。