第146話 思えば異国の王族との初のまともな顔合わせだった その一
第146話 思えば異国の王族との初のまともな顔合わせだった その一
「枢密院殿、ご無事で何よりです」
姫と爺ちゃんとの間で繰り広げられる漫才を尻目に、オレはさも当然のように枢密院殿に挨拶をした。
うむ、と返事をかえす枢密院殿が平常通りだったので、ライムの姫を前にしてもこれなら枢密院殿も存外に肚が太いのだと思った。だがそうでもなければ自治領において吝嗇ぶりを轟かせといて平気の平左で過ごせるものでもなかろうとも思う。
「ここはどこなのです」
「古い時代の巨大地下牢のようじゃの」
「よう、と言うことは枢密院殿も詳しくはないと?」
「うむ」
辺りを見渡すとそこかしこに人々が座りこんでいた。貴族も平民もごったである。そして警邏隊の制服を着た者も多いようだが、これは仕事柄城塞都市をあるきまわってワープの魔法陣に引っかかってしまったのだろう。
というのも騒がしいほどにそんな話をそこかしこで話しており、自然と耳に入って聞かされてしまうのだ。
ふむ。
それにしても何故動かないのかという疑問が頭を過ると、どこかに触れると強制ワープで元の位置に戻されてしまう。助けに行こうにも行けないし、自分が逆に餌食になってしまうと云っている。しかしこの場所ならば、これ以上先に飛ばされることはないようだった。いわばここが巨大地下牢の行き止まりという事らしかった。
見た顔が向こうからやって来た。
警邏隊の人だ。無事生き延びてここに飛ばされたらしい。
「ヒュー殿、助かりました」
そんなことを言って彼は頭を下げた。だが枢密院殿と一緒にいた者を一人だけ見てしまうと、残りの二人は無事なのだろうかという気持が働くが、
「動かないで」
「魔力切れです」
という声が聞こえて来て、向こうにいる貴族達も今は動いていないわけだが、そのたしなめた人物達こそ、聖剣と対峙しても何とか生き延びたかの二人であった。特に縁の深い残る二人も無事とわかって少し安心した。
聞こえるはずのない距離で聞こえたものだからメラニーをチラッと見たのだが、メラニーは小首を傾げてオレが振り向いた理由を尋ねていた。
「おい、ピュー」
「はい。皆、無事で何よりです」
オレは咎める気配を感じたので視線を枢密院殿に戻した。
「お主も大丈夫か」
「問題ありません。用心棒を続行します」
「大丈夫なのか?」
剣が折れたことを言ってるのだろうか?
「大丈夫です。それが剣の腕を買っていただいたオレの仕事ですから」
「うむ。城塞森林公園では大義であった」
ふうん、と後ろから声がした。
「それで前衛に立ってたのね」
いきなり何を言いだしたのかと思ったが、枢密院殿が一緒に大木の上を走っておりましたが、此奴は邪魔でしたかのとメラニーに尋ねたので、オレは押し黙ることにした。飛ばされる前の城塞森林公園の出来事に今さら言うことはない。
「そうね。邪魔ではなかったけど、本当はアンタ、魔法だけでも対処出来たんじゃないの」
オレは肩をすくめて言った。
「相手がヤバかった。テロリスト共ではないぞ。テロリスト共ではなく傍らにいた深紫の闇、あれがヤバかった」
「ふうん」
「まぁまぁ、此奴も知らなかったという事で」
声をひそめて枢密院殿がそんなことを言った。微妙に話が食い違ってるようだが、まだ何か問題があるのだろうか。
辺りを見回して目立たないようにしている節がある。
枢密院殿がどうにもらしくなかった。枢密院殿はもっとこう直截でケチで鷹揚なところが魅力的な雇い主であったのに、こんな阿るような態度や言葉遣いは正直見たくもないし聞きたくもなかった。
「それにしてもあんな木の上を走ったりしたのは肝を冷やしましたぞ」
「あれぐらい普通よ」
「ピューが邪魔ではありませんでしたかの」
いやいや、それはないであろう、枢密院殿。
「先に交戦してたのはオレですぞ」
「そうね。途中助けられちゃったみたいだしね」
「ふむ、その事か。それは下でも言ったことだが、意思の疎通もなかった中で互いが最前を求めて行動したことであって、そこを嘆いても仕方ないぞ」
済んだ話を蒸し返すメラニーは、おそらくアルバストらに対していきなり共同戦線を張る事になった経緯を枢密院殿に説明してるのだろうが、ハタと気づいた。もしかしてメラニーはオレに援護射撃をしてくれているのではないか、と。
枢密院殿にここで恩を売っておけば、ライムの姫を手助けした実績を挙げることとなり、のちに枢密院殿からのお給金にも色がつく可能性があると、そう彼女はオレに促してるのだ。
「まぁそちらに外套がなかったから弾除けになったわけではないが、女子の身体に穴が開くよりはそれがしの身体で身を張った方が良いと咄嗟に思っただけでの。何しろ奴らの魔法と来たらヒョロヒョロ弾だったので痛くも痒くもなかった。これも普段からリロやサマースと撃ち合ったおかげであろうな」
すると枢密院殿が、おいピュー。その言葉遣いは…………、と慌てだした。メラニーがサッと手を出してくる。
「そう言えば挨拶もまだだったわね。初めまして。冒険者メラニーよ」
なんか機会損失をした気がしないでもないが、
「初めまして?」
「正確には国政会議で見かけたわね。でもそれは挨拶してないからノーカンよ」
いや、自治領で夜襲をしかけて来ただろうが。オレはメラニーの白い臀を思い出した。だがそれには触れられたくないということか。うむ――。
「わかった」
貸し一、ということで、そういうことにしたいならすればいい。
「では改めて、冒険者メラニーよ」
メラニーが手を差し出して来た。枢密院殿が何か云いたげにしていたが、メラニーがそれを眼で制していた。
メラニーはライムの第三王女としてでなく、冒険者としてここにいる、と訴えていた。
これは正直ありがたい話であった。こちらが事情あって身分を偽ってるとは言え、いちいち俎上に持ち出すこともなく全てをすっ飛ばして、冒険者の手を差し出されたなら話が早い。
オレは迷うことなくその手を握った。よく剣を振り込んでいる硬い手の平をした、剣士の手であった。
「枢密院殿の用心棒をしてる、ヒュー・エイオリーだ」
「よろしく」
それで枢密院殿は押し黙ったのだが、自らの逡巡に即応できるほど枢密院殿は若くはない。思わず足が前に出ていた。
と同時に枢密院殿が消える。消えてしまった。
「あっ」
と口に出た時には枢密院殿が強制ワープの餌食となっていた。迂闊なところにワープアウトさせられたらそれだけで詰んでしまうぞ。
一瞬メラニーと視線を交わした後、オレとしては飛び込まないという選択肢はなく、自ら罠にかかって枢密院殿を追いかけた。一瞬の空白がありワープアウトした直後に周囲を見渡せば、隣にぽけっとした枢密院殿がおり、なんか見覚えがあるような場所であった。と言うかさっき通ったばかりの場所のようであるぞ。人もいっぱいいるし会話も疲れた声で行き交っていた。
「枢密院殿、お気を確かに」
「おおピューか。ボケたのか、いきなり景色が変わりおった」
「強制ワープです、王都の」
枢密院殿がハッとした。合点がいったのか周りをよく観て納得している。オレも主従一体となってよくよく周りを見てみると、振り向いた少し先に自分が元いた場所があり、そこにはメラニーと爺さんが変わらず一緒に立っていた。姫と爺ちゃんも我等の姿を確認した。互いに手を挙げると、ふたりはすぐに飛んで来た。
「王都の魔法陣に溜め込んでた物が少なくなってるようだな」
飛んで来た爺さんがガシッとした顎に手を当ててそんな事をつぶやいた。
王都に魔力が残ってないと言いたいのだろう。
うん、しかしそれはほとんどガウェインのせいだからね。秘奥の間を吹き飛ばしたのは王杖の第三席でもあるし。
頼んだぞ、サドンさん――。
「と言うか我等の姿を見た後にワープして、楽しんでないか、そなたら」
「何言ってるの、罠にかかったのはアンタらじゃない。散漫よ、アンタ」
用心棒でしょ、といった眼であった。
「む…………。それを言われる辛いところだが釈然とせんな。まあいい。とにかくここは迂闊に触るとどこにワープさせられるか、わかったもんじゃないってことだ」
「そうみたいね。でも二十メートルぐらい後ろに戻されただけならまだマシよ」
「おいおい、周りをよく観てみろ」
人々がうずくまっていた。
「魔気切れね」
「それだけじゃない。何度も喰らったらああなる」
座りこんでる者達は貴族だけでなく王都民もいるわけだが、何度となく歩き出しては元の位置に戻されたことが覗えるほど草臥れていた。いまは、道が確立するまでは無駄な動きを極力控えようという結論に達したか、努力を放棄しているようだった。
だがそれも手ではある。魔法陣の効力は今後も弱体化し、いずれはなくなるだろう。貴族や警邏隊の姿もあるから市民は指示を待った方が無難でもある。
だがオレはそういうわけにはいかない。雇い主である枢密院殿のお役目を考えれば、オレがそれを待っているのは論外である。
「まずは安全なルートの確立だな」
「そうね。いちいちワープさせられたらかなわないし」
「うむ。だがその前につづきだ」
「つづき?」
枢密院殿に脇腹を小突かれた。枢密院殿の肘が立っている。だが横顔を見やるとメラニーに向けてニコニコとしている。
「ああ、そうね。自己紹介がまだ途中だったわね」
「うむ、そうだ」
また一撃、先ほどより強めの肘打ちが入ったが、物言いたげな枢密院殿をメラニーが顔をしかめて制している。何やら攻防があるようだ。
と、枢密院殿の隣に立ち、にこやかな笑顔で話に聞き入ってる爺ちゃんをやっとメラニーが紹介した。実はオレはこの爺ちゃんがずっと気になっていたのだ。
用心棒をする発端となった一連の始まりの中で、この爺ちゃんがメラニーを担いで撤退した姿は今も強く眼に焼きついている。
「こっちは私のお付き、じゃなくて冒険者のパーティメンバーよ。驚きなさい」
と言いかけたところで爺ちゃんがまぁまぁとメラニーを止めた。
「ヘル?」
「こんにちは。初めまして。ハロルド枢密院の用心棒殿。私は彼女のパーティ仲間のヘイルです」
「ヘイル」
つぶやいたオレだが、その紹介の後、空虚な間が空いた。
隣を見やると枢密院がヘイル爺ちゃんにジト目をくれている。
オレ自身ももう幼馴染みだということは知っているので、今の自己紹介での枢密院という敬称呼びは無理筋なのだが、年寄りのボケを受け止めるのも若者の務めなのであろうか。
「ヘイルさんね」
ふむ。
この爺さんもライムの発展に寄与したから姫の護衛をしてるのだろうし、そのおかげでオレはライムに流れて来ることが出来たのだ。そこを鑑みれば出されたカードのままに受け止めるのが筋であろう。ライムがなければ今のオレの暮らしはないわけだし。
だが枢密院殿は納得いかないようだった。
「ヘイル、の……」
「ささ、自己紹介も済んだし対策を考えようではないか。王都から助けが来るかもしれないし」
なんという心のこもってない言葉であろうか。爺さんは先を急いでいた。年を取ると先を急ぐのだろうか。
メラニーがムスッとツッコミを入れた。
「あのね、ヘイル。アート城の魔法陣が壊されて、いま王都は機能停止してるでしょうが」
そこには紹介をさせなかった不満がそこはかとなくあった。
「そうかそうか。うん、今さっき飛ばされた際に気づいたことだが、飛ばされる距離は短くなっていた。魔法陣からも魔力が抜けつつあるんだろうな」
「でもそれを待ってはいられない」
オレは手を挙げた。
「なに」
「そなた、魔法陣に介入出来ないか?」
メラニーはライムの姫なのであろう。フォルテの王と王族が召喚魔法陣に介入できるように、宗主国の姫なら属国の魔法陣ぐらいチョチョイと介入できそうな気もする。
「無理ね」
そう言ってメラニーはポンポンと腰に佩いてる剣を叩いた。
言わんとしてる事はわかる。杖を用意せずに腰に剣を佩いているのだ。自分は魔法は確かに使えるが、あくまでも本性は剣士だと、そう言いたいのだろう。それを自慢気にやられても困るわけだが、まぁ顔合わせと思えば、初めての相手に差し出す気もないものを要求しても無理であろう。現状でまずまずと言った成果であろうか。
「聞いてる? アーサー流の腕が鳴りそうなんだけど」
「聞いておる。魔法陣への介入とは関係ない気もするが、まあいい。ならば地道に攻略してくだけだ」
む、と枢密院殿が唸った。思い出したようにメラニーに厳しい目を向ける。
「そういえば盾の用意もせずにテロリスト共に突っ込んでおりましたな」
なんかもうお忍びも何も身分を隠せてない言葉遣いなんだが、枢密院殿はこういう人であった。サーバの枢密院とは言え、サーバにいるならライムの姫にも物申すのが枢密院殿なのであろう。
メラニーが所在なげに隠れる場所を探したが、そんな場所はない。
「なっ、何よ、それぐらい良いじゃない。ヘル、ヘイルもいるんだし」
あー、これは悪い流れだ。この姫は絶望的に言い訳が下手くそだ。
「えー、それ、その件ですな。枢密院殿の仰る通りその件はオレも気になってました。こっちのお爺ちゃんは仕方ないけど、女子の方は敵を前にしたらちゃんと牽制の魔法攻撃ぐらいはした方がいいぞ」
「何よ」
「いや、でもそうでないと、そなたがピンチになる度にヘイルさんが出張ることになるではないか」
それでは困るのだ。
誰のせいでこんな事になってると思ってるのよ、ぐぬぬ、みたいな顔をしているが、オレを夜襲したあの晩、そなたは担がれてたからわかってないだろうが、この爺ちゃんの体幹はそれはもう見事な物だったのだ。あんな逃げ足は見た事ないぐらいだ。そんな体捌きの爺ちゃんが、その片鱗でもってここで暴れられでもしたら、折角オレの用心棒代についていた色が、そのすべてを持って行かれかねない。宗主国の姫の従者という事もある。それは絶対に避けねばならぬ。
オレの背後にはリアとアンナさんのたつきがかかってるのだ。
「出張ったら駄目なのか」
「うむ。爺ちゃんには悪いが実は枢密院殿の命で冒険者ギルドに冒険者は外に出るなと制限をかけておるのだ。それというのもテロリストが冒険者だったものでな。冒険者に際限なく動かれるとその中の一部でもテロに参加されたらたまらんので、そういうことになっておる」
「でもアンタ、ヘイルが出張ることに着目してたじゃない」
「ぬ」
「確かにおかしな話だな。冒険者全体でなく俺個人のことを問題にしてた…………ああ、あれか。ハロルドがケチだからか。金に困ってるのか?」
瞬間メラニーから信じられないものを見るような眼で見られた。
しかもまるでオレが悪いような眼で見ている。
「そなたらはお金に困ったことがないのか? ないのであろうな」
「何よ、小遣いぐらいあるんでしょ」
その眼は、メラニーはオレのことを、フォルテの王子だろうが、と責めていた。
「無論ある。ただな、最近全部遣いきって怒られたものでな」
「え? 一体幾ら使ってるのよアンタ」
「まぁメラニーにそんな眼で見られる謂われもないのだが、その辺の小遣い事情は人前では憚りがあるので言わぬ。だがまぁそうだな、例えば一日の小遣いをもらった時でも全部は使い切らずに一日一ギルは必ず残すようにしているぞ」
えらい目に遭ったのだ。全額使い切って。
「…………」「一ギル…………」
メラニーに続き、爺ちゃんまで絶句していた。
「初めて会った相手に、このような態度を取られるとはな。何かおかしかったか」
「おかしかったかって、アンタ、一ギルで一体何が買えるってのよ」
言われて気づいた。塵も積もればと思ってあれから買い物の際に一ギルは必ず残してアンナさんに手渡して来たわけだが、一ギルだけだと串焼きの一本も買えない。と言うか、串焼きならあと九十八ギルぐらい足りない。
アンナさんもどんな気持でもってオレの反省、いや、誠意を受けていたのだろうか。
オレとメラニーの趣旨は違うが、渡された方の女子の気持は、メラニーが思うところと一緒なのだろう、きっと。
そしてそこには王族のくせにという義憤と、従者にそんな細々とした物を渡して嬉々としているのかというオレの小物振りを疑っている節もある。そういえばメラニーの軽鎧は魔物の革をなめした特注品のようにも思え、そこはかとなく気品のような物を感じる。
このような冒険者の格好をしていても、侮りや軽んじは受ける事がないよう注意し、姫としての気概は常に持っているのだろう。
「ねぇ」
「む」
「『む』じゃないでしょ。答えて」
「買えぬな…………」
思えばこれが異国に流れて来てからの初めてのライムの王族との長時間の顔合わせともいえる場であった。王室外交の走りともいえる顔合わせだ。その顔合わせがこれであった。
「アンタ、冒険者もやったことがないのね」
瞬間、ヘイルの爺さんが何故か枢密院殿をバッと振り返っていたのだが、同じスピードで枢密院殿がそっぽを向いていた。理由はわからない。だが顔合わせもしないその応酬がなぜかわからないが地味に効いた。