第145話 接待脱出
「あー」
とメラニーが困惑した様子で体勢を立て直すべきかどうか惑ってる様子だった。
「まぁ気にするな」
黙って転ばすのはライムに流された外交官としても体面が悪い。
「ありがと」
「礼もいい。それより何でもないところで転ぶなよ。ちゃんと周りを観ろ」
「見てたわよ」
上ばかり見ていたくせに。
我等の一連の動きで留まっていた砂がまた流れ始めている。
「何よその顔。仕方ないでしょ。石ころは音がしないし、ちょっと下り坂になってるし」
と言いつつ柔らかな感触がオレから離れた。そういえば女子を抱き上げることは幾度となくあったが抱きつかれたことはこれまでの人生で一度もなかったな。リアには腕がなかったから。
「あ~あ、また濡れちゃったわね」
胸と腰まわりの革の軽鎧をメラニーは脱いだ。色気も女の自覚もないさっぱりとした脱ぎっぷりであったが、目を逸らすと明かりを動かすなと怒られた。理不尽を覚えつつも横を向かずに光源を固定すると、その明かりの下にいたメラニーの肢体が浮き上がっていた。闇の中に照らされた布の服はゆったりとした作りなのだが、軽鎧に押さえ込まれてたせいか肌に張りついており、その滑らかな流れが目の毒であった。するとその水分を含んでいる衣服がみるみる乾いて行く。ズボンのふわりとした形までもがみるみる整って、肢体の艶めかしさとはまた違った滑らかな曲線を描き出した。
「ついでだからアンタも乾かしとくわ」
メラニーから温かい風がオレの外套と身体にまとわりついて来た。水魔法で濡れてた水気がきれいさっぱりなくなって行き、熱がオレを一通りに乾かすと、衣服だけでなくオレ自身リラックスしたのかさっぱりとした心持ちになった。肌寒い閉鎖空間において、あたたかな風はとてもありがたい。先ほどの謝罪のつもりだろうか。
「何よ、鼓動が早くなってるわよ」
「なっとらんわ」
「嘘ね」
断言された。
「あーそっかそっか、私が魅力的だった? 抱きつかれていたかったの?」
メラニーが耳をすませた。わざとらしい。
あ、ワッカイン王のあれか。伝聞で聞いただけだが耳がいいとか云うヤツ。娘であるメラニーもその血を引いているということか。ライム王室の血脈遺伝、豊聡耳。王家の血脈に連なる者に継承されるという話だったはずだ。
「目より耳で情報を得るって本当だったのか?」
「ふふん。すごいでしょ」
「ああ」
本心から言ってるのが聞き分けられたのだろう。メラニーは満足そうに頷き胸を張った。
「何よ、何か言いたそうね」
「別にないが」
「私を謀ろうとしても無駄よ。私は聞き逃さない、この耳にかけて。あ、それとも私が姫だからってこと? 仕方ないのよ、普段は付きの者が魔気操作でやるけど今はいないからね」
そうして答えろと眼で促してくる。
ううむ、言い辛いのだが。
「白状なさい」
「いや、赤い肌着はどうかと思うぞと、そう思っただけだ」
温かかった地下空間が、急に冷え冷えとした気がした。いや錯覚ではないな。
「見たの、私のコルセットを」
「見たんじゃない、見えたんだ」
そもそも軽鎧を脱ぐ際に横着して脱ごうとするから色々なとこがずり落ちたりするのだ。水に濡れていたのだぞ。肌に衣服がぺっとりくっついてる状態でそんな事をすれば、どうなるかは自明の理であろう。それを見たと言われても、明かりの位置を気にしつつ心を配っていたオレとしては、意図した物ではないと言いたくもなる。だが――
「ね」
と何だか知らないがとってもいい笑顔でオレは呼ばれた。
「なんだ」
「私の足置きになりたくならない?」
「なるか」
「ならないの?」
「ならぬな」
「え?」
「えって驚くとこかよ。どうなってんだライムの王室教育は」
しかしメラニーは本気で驚いていた。オレの魔気周りが騒がしい。だがオレから言わせればその手の王女遊びは子供のうちに済ませておくべき物だろう。この第三王女は思ったより子供のようだ。
「本当に何ともないの」
「ないな」
「私、無属性が二つあるんだけど」
「ほう。ひとつは例の耳だろうな」
「例の耳はやめて。豊聡耳よ、とよとみみ」
「うむ。で、もうひとつは」
「はぁ。どうなってんだと先に言ったのはアンタだけど、私からすればアンタこそどうなってんのよと言いたい気分だわ」
「そうか、それは」
「いいわ。私としてはフォルテの国民性を垣間見た気分だわ。もうひとつは欲望操作。誘導したらコロッと参るのがこの無属性魔法の効果なんだけど」
「ほほーう、なるほど、それをオレにかけたか。だがオレには効かなかったようだな」
「残念だわ」
「しれっと答えおって。まったく、オレはこの後枢密院殿達を探さねばならんと言うのに」
「ああそれ、それならとっくにわかってるわよ」
「何」
またメラニーが上を見た。そしてちょいちょいと指で上をさす。
「狂ったか」
「ちーがうわよ! あそこよ!」
「あそこ?」
「天井の奥にいるわよ。ここよりもっと広い空間が開けてるみたいよ」
「何? マジか?」
「汚い言葉ね」
「ふふん。町言葉である。ん? どうした」
「馬鹿ね。だからどうやって行けばいいのか悩んでるんでしょ」
「ああ、それでか」
「五人いないと騎士団スキルは使えないし」
いや、騎士団スキルはオレが騎士団じゃないからそもそも無理だし。
それより何故オレを足置きにしようとしたのかがわかった。メラニーはオレの背に乗って少しでも天井に近づきたかったのだ。だがわずか数十センチメートルばかりの高さを稼いでもそんなものは誤差にしか過ぎない。天井まで何十メートルあると思ってるのだ。二十五メートルはあるのだぞ。
メラニーは本気で悩んでる。火属性があるなら乙女の祈りの小隊がやってたようにファイアフライでもすればいいものを、そこまで火属性は鍛え上げていないようだ。
「礼だ。重力制御、浮きたいからよろしく」
オレはおざなりな呪文で自分自身に闇魔法の重力制御をかけると、ふわりと浮き上がった。問題なく浮き上がる。その事がわかったのでメラニーにも遅れて重力を軽くしてやると、メラニーは驚いた。
「ちょ、ちょっと」
「闇魔法、重力制御だ。風で押すぞ」
風魔法そよ風でみるみる天井へと向かって風に吹かれて行く。
「ねぇ、ちょっと、ねぇってば」
「恐いか?」
「違うわよ、アンタ幾つ魔法かけてんのよ。三つぐらい重ね掛けしてない?」
「明かり、重力制御、そよ風、ふむ、そのようだな」
「アンタ。ここガバガバ魔力喰うでしょうに」
「はいはい。冗談はさておき」
「冗談? 冗談じゃないわよ」
「何をそんなに食ってかかる。そもそもお主だって先ほど火魔法を使ってたではないか」
オレの顔色を見てメラニーが奥歯を噛んだ。
なんか話しかけづらい。話しかけるけど。
「行かぬのか?」
「行くわよ」
手を差しのばしてみたが、掴まる気配がないのでオレは手を引っ込めた。
「何を怒ってるのかわからんが、オレも同じ境遇にいるのだし許してほしいところなんだがな」
ふん、とメラニーは顔を背けてしまった。世話先の姫はオレの何かが癇に障ったらしい。まぁいいけど。
そうこうしてるうちに天井に着いた。
下の方は水で削られて滑らかな岩肌であったが、天井付近はゴツゴツとした岩肌ばかりであり、この付近には水が溜まっていなかったことが窺えた。
オレが穴があると思ってた所にも穴がなかった。窪んでいるのだが右にちょっと窪みが広がってるだけで通り道のような物はなかった。
「ここじゃなかったのか?」
「もうちょっと光源を動かして、右に」
触らぬ神に祟り無しと、要望のまま右にさばきながら、オレたち自身はふわりと風に揺られて少しずつ光源の後を移動した。五メートルほど右にずれると、そこに色濃い闇があった。眼を凝らすことで先へと続く穴であることにオレも気づいたが、そこはゴツゴツとした岩肌が折り重なって、一見しただけでは岩肌が繋がってるようにしか見えなかった。
だがメラニーの言う通りだった。近づいて様子を探る。
「こりゃわからんわけだ」
岩と岩とが絶妙な形で重なり合って洞穴を形成している。ぱっと見では見分けられないほど色合いも絶妙だ。しかもその穴は渦状にうねっていて、通り道だとしてもどこに通じているのかがわからないようになっており、普通に登攀することは不可能だとわかる。これを力だけで上る筋力は、オレにも、そしておそらくメラニーにもない。しかも見た限りではうねる奥も場所によっては相当に狭い。
「行くわよ」
「行くのか?」
「ここしか通じてないわよ。声が聞こえるのはここだけだから」
「マジか」
オレには全く聞こえない。本当に聞こえるのか怪しいものだが、穴になってるのはここだけしか見つけていないわけで、この時ばかりは流石にオレも少々憂鬱になった。
何しろ間違いなくオレの肩幅より狭い場所があったからだ。
別の道を探すという声はいくら待ってもかからない。
「では先に行く」
「了解」
世話になってる国の宗主国の姫である。オレに否やはないのである。
――接待脱出とはつらいものであるな。
さすがにこれは聞かれないだろうと胸の内だけでぼやいた。
オレは時折岩肌に手をついて軌道修正しながら風魔法で細かく進んだ。うねる隘路を針路を微調整しながら進むのはいいのだが、やはりというか、時折オレの肩幅では通れないような穴に出くわすので、そこは土いじりで穴を広げて這々の体で進んだ。
メラニーはオレが通れた後から運ばれてるのでそんな苦労もなく、そのくせ狭い穴を抜けるのに興奮して、これぞ冒険よ、なんて楽しむ余裕があるようなので、機嫌を持ち直してくれた。接待脱出としては成功してる部類になろうかと思う。
しかし――。
土魔法土いじりが無ければ詰んでいた。いや、土いじりで別の場所から一気に穴を開ける手もあったということに今さらながら気づいた。だがこの案は、ライムの姫の前で我が物顔でフォルテの王子が地形を変えるわけで、のちのち面倒臭いことにもなりかねないので現状のまま進むのが無難であろうとオレは思い直した。
オレとメラニーは螺旋を描くような穴を上ったり下りたりしながら、ほどなくして穴を抜けた。
「ほう」
空間が広がった。ライトだけではこの先の奥まで光が届かない。だが空間は広がったことで肩が凝るような思いはもうしないで済みそうだった。ゴツゴツとした岩肌がむき出しとなっており、ここが出口というわけではなく歩いて進む坂道が広がっているわけだが、結構な斜度だろうとしっかり地面を踏みしめてけば登れる場所なので、ありがたい話だった。
魔物は相変わらず出ない。オレを先頭に再びオレたちは先へ進んだ。坂道をひたすら登る。
「もうすぐよ」
メラニーが言うのでオレも耳を澄ましてみた。足を止めて物音を立てないようにまでしてみたが、それでもメラニーが言うような物音は一切しなかった。
オレが振り返ると、ふふんと鼻を鳴らした。
「もうすぐダンジョンの出口よ」
「魔物が出ないのにダンジョンと言っていいのか知らんが、いるのか、本当に?」
「いるわ。それも大勢ね」
大勢…………。
本当だろうか。オレには全く聞こえん。
「アンタのおかげだけじゃないからね。私の耳があってこその大冒険だったんだからね」
「いや、それが本当なら合流するだけの話で、さも冒険したかのようにダンジョンの出口と言われても、オレにはちと大げさに聞こえてしまうのだが」
「大げさじゃないわよ。この抜け道を見つけられなかったら私たち死んでたのよ」
いや、その時は土魔法土いじりで道を作るから死にはしないのだが…………。
メラニーが楽しそうにニコニコしてるので、それ以上何も言えなかった。明かりを点け、重力から解放し、風魔法で運び、道を均して先頭で弾よけになる。これは全て接待脱出なのである。ならば狭まってるところは狭まったままに、それらしく苦労して通るのが流儀という物であろう。
こんな不埒なことを考えていたせいか、またもや穴が狭まってしまったので、オレはフラグを黙々と回収した。土いじりで足場だけは均すものの、壁はわざとそのままにゴツゴツさせて残し、尖った岩やせり出した所は、狭いせまい、とそこを苦労して通り抜けるようにして歩いた。後ろでメラニーがオレの這々の体を見て、こういうところを通るのは私じゃなかったらみんな傷ついてたわねと、身体を捻りながらオレより軽やかに難所越えを幾度となく果たしたことで、今度こそ機嫌をなおして存分に冒険者気分を満喫してるようだった。オレは喉まで出かかった言葉は全て飲みこんでいた。
「しかし魔物も出なかったわね」
「おっかない女子には出会ったがな」
「アンタ五月蠅いわよ」
「了解」
「本気で言ってないわね。私には豊聡耳があるのよ」
「オレには地獄耳に思えるよ」
「ちょっとアンタ」
「わかってる。安心感が尋常じゃなかった。助かってる」
「ふふん、でしょ。素直にそう言いなさいよ」
素直に、か。
その言葉にオレは思うところがあった。
接待だ何だと言ってるがそれが許されるのは、秘匿だらけのオレとは違った開けっぴろげなメラニーの態度があったからであった。
それはそうであろう。本来なら自分の持っている魔法なんて機密事項だ。それこそその情報があるかないかという差だけで、命の浮かぶ瀬の有る無しが決まる場合だってあるのだ。
だがこいつはオレに二つ目の無属性魔法までもあっさりと明かし、脱出するための経路を偽りなく提示して見せた。そこにはこの洞穴を抜けるための運命共同体という側面もあったかも知れないが、道を提示するのに二つ目の無属性魔法のことまで明かす必要はなかったはずだ。
「何よ」
「これだけの距離を移動したのにもかかわらず、そなたは本当に地下の最下層においても聞こえていたのだな」
「ふふん、すごいでしょ」
「ああ、さすがはライムの姫だ」
「アンタも、まぁ、そこそこよ」
今日一番の笑顔で彼女がオレのことを持ち上げた。そこそこだけど。
だがハッキリと言えるが、この女子はオレのことをフォルテの要らない王子だという扱いをしていない。そういう話は聞いてるだろうし実際メラニーの父であるライム王ワッカインは落胆した色を隠しもしなかったわけだ。だからメラニーが父親に引きづられてそういう対応をしてもおかしくなかったはずなのだが、メラニーはオレが人間で感情があると、自分もまたむき出しの感情でオレとぶつかってそれを厭わなかった。
姫という忙しい立場を蔑ろにしてるとまでは言わないが、貴族が貴族教育を受けるようにメラニーには王室教育があるだろうに、しかしメラニーは冒険者として活動している。しかもそれを誇りに思っている節もある。ライムにおいてもメラニーは異質な存在なのかもしれなかった。
そんなことを思いながらうねる狭い洞穴の坂道をオレたちは抜けた。最後は垂直登攀のようになったが距離はさほどでもない。せいぜいオレの身長分ぐらいだ。
「ちょっと、着いたんならもうちょっと喜びなさいよ」
面倒臭いのでオレが魔法で運んでメラニーを床に降ろすと、まさかそこが終着点だとは思いもしなかったようでオレは文句を言われた。だがしかし、そこは黙ってオレは脇に退いた。
後は平らな道をただただ声のする方向へと向かうだけである。足下も切り出された岩が加工されており、明らかに人の手が入っていた。オレたちは人の住む世界に帰ってきたのである。
「アンタ、先に行かないの?」
「オレにはまだ聞こえん」
「そ」
するとメラニーがオレの顔をのぞきこんで来た。
「アンタ、失敗したとか思ってないの。ハロルドはどこかに取り残されちゃってるのよ。私のお付きが側についてるとは言え、全部を信じたわけではないでしょ?」
「幼馴染みとか言ってたな」
「そうね」
「でもそれも関係ないな」
「何で? アンタ、ここにいる時点で用心棒失格みたいなものよ」
「あのな、オレは枢密院殿の命令でテロリストを追っていた。これ以上ないほど使命に忠実だったと自認してるわけだが、何か問題あると思うか」
「ふーん、そういう奴なのね。わかったわ」
「何がわかったというのだ」
メラニーはツンとした。しかし前を向きながら答えてはくれた。
「この先に人がいるってことがよ」
「いや、ごまかすな」
「そ。なら言っておくわ。アンタ、冒険者に向いてるわよ」
◇
人の気配がする。本当にいた。
微かな声だが、それが重なり合ってるので結構な数の人がいるようである。
オレが後ろを振り返るとメラニーがまたカードで何かをしていた。
声をかけようとしたがメラニーはカードの操作に夢中になっており、その安心しきって任せてる姿に王族の姿と、露払いになったような気分をオレ自身は味わう。メラニーがオレを抜いて坂を登り切る。するとそこに枢密院殿と、それから幼馴染みだと言う爺さんとがこちらへと迎えに来ていた。枢密院殿はオレではなく、たぶん姫を迎えに来たのだろうな。ご無事でなによりと挨拶をしていた。
が、オレ個人としてはここに来て初めて人の気配がすることがわかったので、姫は何でここに枢密院殿達がいるとわかったんだろうかと、少しだけオレはメラニーが恐ろしくなった。
だがそのメラニーは不服そうである。肝心の行く手に通行を遮る棒がたくさんあったのだ。まるで城塞都市に入る際にくぐる城門の落とし扉のようであった。いや、すでに落とされており鋭利な棒の先が身体を貫くといったような心配はないのだが、それでも通れないことには変わりない。メラニーはたくさんある棒の内の一本に手を触れると、不機嫌な感情を隠すことなくガシャガシャと揺らした。
「何ここ。牢屋? なんか檻みたいなんだけど」
せっかく外交儀礼でオブラートに包んでいたのにメラニーはあからさまにそれを切り捨てた。そんな憮然とした声を出したメラニーに、爺さんが膝を拍っていい笑顔で話しかける。
「なかなか傑作だぞ。地下牢に現れるとは」
意地悪そうにそんな事を言う爺ちゃんに向かって、ムキになったメラニーがオレの眼前で大冒険を証明しようと反論しはじめ、ここに至るまでいかに凄い大冒険をしたのかと爺ちゃんに懸命に話をし出し、いや、オブラートに包むのはやめよう。
噛みついていた。