第144話 紐の先端はここにあった
オレがウォーターボールを身体中に這わせて血糊をこそぎ落としてると、メラニーが熱をまとって自身を一瞬で乾かしたのに驚いた。
「それは炎?」
「熱よ」
「見間違いじゃなかったのか」
「火魔法を炎を出すだけだと思ったら大間違いよ。火魔法は熱を操る魔法なんだから。それよりアンタこそ普通に魔法を使うんだね」
「おかしいか?」
「ううん。おかしくはない。ただアンタはアイツとは違うんだね」
「アイツ?」
「ゴーシュよ、ゴーシュ、とっても生意気だったわ」
「ゴーシュ? ゴーシュ兄さまに会ったのか」
「会ったわよ。あいつもSクラスだし」
「へー。そいつは珍しいな。兄さまはケルプ中を駆け回ってるからオレも滅多に会えないんだぞ」
と言うかもう会えないだろうな。
フォルテを後にしたし。
「召喚魔法を教えてと頼んだら、王に頼めと言われたわ」
メラニーがぷりぷりと憤慨してた。よく表情の変わる女子である。
しかし内情を知らぬメラニーはおかんむりだが、オレとしてはゴーシュ兄さまの物言いはそりゃそうだと思う。
召喚魔法を司る魔法陣の頂点は父さまである。母さまの魔法陣も引き継ぐオレやリアみたいに一部でも庇護下から出ないと勝手は出来ない。そもそも発動させようとしても召喚魔法陣から承認されないだろう。つまり、メラニーが召喚しようとしても父さまが認めない。
ちなみにゴーシュ兄さまは第二王子、次兄である。長兄のドム兄さまに何かがあった時にはフォルテを継がなければいけない人なわけだが、そんなことは百も承知でゴーシュ兄さまは冒険者となって世界中を駆け回っている。それを父さまから許されているのだから特別扱いもいいところな兄さまなわけだが、フォルテ国内に居るのが当然の召喚魔法士としても異例中の異例な存在でもある。
だがゴーシュ兄さまが諸外国を冒険する冒険者でいられるのも、フォルテ王室や貴族、国民からも問題視視されてないからである。
それもこれもダブルリグレットと神祖さまを持つ父さまが強すぎて当面父さまの代が続くのが確定してるからだ。更には長兄のドム兄さまも父さま同様天使族のマイルエルという破格の召喚獣がいるから、力的にも、人格的にも、世継ぎ的にも問題がないのである。だから第二王子のゴーシュ兄さまはどう考えても俺が王になる事はないと国内を説得し、自らは旅の空に出たのだ。
「オレとは違うなぁ」
「違うの? ね、召喚魔法を教えてよ」
「オレの?」
「そ」
「いや、無理だろう」
「そんなのやってみないとわからないじゃない。私もダブルリグレットを喚んでみたい」
「ぶっ」
「何よ」
「無理だ。あれはそもそも父さま専用の召喚獣だ」
「じゃあ他のでも良いわ」
「無理だ」
「なんでよっ」
「だってオレの召喚魔法では召喚獣を喚べないからな」
「え?」
意外そうな顔をした。
「そもそもオレの召喚魔法がフォルテで何と呼ばれているのか知らないのか?」
メラニーの顔にひと筋の汗が流れた。知らないようだ。
「ち、ちなみに何て言われているの」
「欠陥召喚」
メラニーから滝のように汗が流れ出した。
「ふ、ふーん、大変そうね。まずはここからの脱出を考えましょう」
「そうしてくれると助かる。だがその前に確認だ」
「なに」
「従者の爺さん、オレの雇い主の側にいたんだが大丈夫だろうな」
「大丈夫に決まってるじゃない。あんな奴らじゃ傷ひとつ付けられないわよ」
「いや、そうじゃなくてあの物騒な爺ちゃんがハロルド枢密院殿に何か危害を加えやしないかって話だ」
オレは襲撃されたことを忘れてはいない。
姫にも理由は訊かないといけないが、今回は救いの手を差し伸べられた形なので、今は聞くべきではないだろう。別れ際にでも聞くのが無難か。
「大丈夫よ。あの二人、幼馴染みだから」
そうなのか。それは知らなかった。
ということはあの夜の襲撃はオレの腕試しか。
メラニーは眉一つ動かさないが、腹芸が出来そうもない気の強さはいかにも大国の姫であった。
「たばかってはないよな?」
「何で私が嘘を吐く必要があるのよ」
「なるほど。ないな」
ならば幼馴染みということは枢密院殿もライムの王都にいたことがあるのだろうか。輪番は王族だけだと思ってたが、サーバは属国だし、そこらへんはわからんな。
「だんまりね」
「ん?」
「納得したのなら私に質問した以上、何を思ったのか答えるのが筋ってものでしょ。それなのにまったく、これだからフォルテは秘密主義なのよ」
「それは違うな。お前に説得する力がなかったんだろ」
「なっ」
「そっちがそういう話を持ち出すなら、こっちはこういう話になる。わかってるのか。今お前が話した話の領分は王室外交に関わる領分となる。秘密も何もない。外交案件であって、それに見合う対価を兄さまに提供出来なかったと言うだけのこと」
「むう」
と唸って最後まで言わせてもらえなかった。
ここで癇癪を起こされても困るんだがしかし、こればかりは指摘しないわけにもいかない。
「なら仕方ないか、よしっ」
よしって…………。
「良いのか?」
「いいのよ」
「ふうむ」
ということで歩いた。メラニーが歩き出したので再びオレも歩き出したのだが、そうして移動したことで気づきが出た。
「魔気がない」
「でも下の砂地も、それより下の地下奥深くも、奥ほど魔素が濃いわ」
「すぐに答えるか」
「何よ」
「いや」
相当な感度だ。オレは漠然と捉えるが、ライムの姫はきめ細やかに把むらしい。
そういえばオレが魔法を覚えた時も、ダルマーイカ川の特に魔水の濃い場所を選んでたな。あの場所は湧き水のわく湧水地だったのだろうか。あそこだけは魔水が濃かった。
だがここは魔素こそ地中深くにあるが、魔水も水さえもない。
オレは光源を掲げて周囲を照らし出す。
水によって磨かれたような岩肌がそこら中にあった。そしてそれと同時に今、何かの気配が消えた。
あった時にはわからなかったが消えて初めて気配があったことがオレに伝わった。それはまるで、まるでオレの中にある召喚の間のような、そんな感覚であった。
天道神さまや時量師神さまが、儂じゃないぞ、私でもないわよ、と間髪入れずに騒ぎ立てている。無論俺でもないと言ってるのは小太郎だ。
だがそれはオレとてわかっている。わかっているが感触としては似たようなものだった。残った色濃い気配の感触は――。
「安堵したのか」
「何言ってるの」
「この場所からも水が消え、オレたちがいることに安堵してる者がいる」
「はぁ?」
「そんな顔をされてもわからん。オレとてそなたと一緒にここに飛ばされたのだ」
だがここにはオレには把ませてはくれん何かがある。それはこの場所によるものか、安堵からはほど遠い存在であるからか。姫との差別化か。
選択肢を絞れない。だが一番意味のない場所へ飛ばされたはずなのだ。
生き延びる可能性のない場所へと送られたはずなのだ。
だが実際に送り込まれてみると閉鎖空間であるというだけのことである。
テロリストのいじった魔法陣の終着点としては、敵無しというこの歓待がまず有り得ないわけだが、このような状況に陥ってる以上、他の可能性も考慮に入れなければならないだろう。そうなるとそう、この地を知る者はテロリスト以外にもあるのではないかという事が思い浮かぶわけだが…………、ひとつだけ可能性があるにはある。
サーバの王族である。
だがこの状況を真っ先に予測できる立場であるサーバを治めるルーゲリス家は、既に国を裏切っている。オスニエルはテロリストを呼び込んで自身はフェルマータの方へと身を移し、その妻であるホリーも散々糾弾したあげくにこの地を去っている様子。アート王かライオネル王子が手を回したとしたなら、宗主国の姫を死なせずに済んでどこぞで安堵してる、といったところか。
ないな。
そんな余裕のある状況だったろうか、というのが先ずある。ホリーの魔道具による演説でさえ他の王族から止めに入る様子がなかったのだ。
わからん。確たる物がまるでない。
だがそう、仮にサーバの王家が関わっているならば、少なくとも王家が助けたいのはこのオレではないのも確かだった。オレはこの地に縁もゆかりもないし廃嫡同然を嘆かれて自治領送りになった男だ。受け入れてくれはしても、最優先で確保しなければならない人材ではない。オレには既にそれだけの実績が積み上がっている。あるとするなら宗主国の姫であるメラニーに落ち着くわけだが、そのメラニーは何の気も無しにまた地下空間の上を見上げている。
「どうした」
尋ねてオレも気がついた。
「岩が折り重なってるな。いや、穴か」
この地下空間に出入り口はないが、上にはあるということか。そんな事もあるか。
「かもね、でもそれより気になることがあるわ」
「何だ。こういう場所では憂いはすぐ潰さねば」
「モンスターがいないのよ」
「魔物か。言われてみれば見かけないな」
オレは話を合わせて肯いた。
「でしょ。ダンジョンなら有り得ないのよ、こんな事」
「ほう」
「しかも強制ワープの城よ、ここは」
なるほど。罠に嵌めたのならそこに魔物を用意するのは常套手段でもあるわけか。ますます王家の手が入った可能性が高くなるな。
「だが、どうなってるんだろうな」
「わからないわよ。こんな場所に飛ばす魔法陣なんて危なくて繋いだりしないでしょうに、ホントどうなってるんだか」
「まぁ事実として指摘しておくが、その部分に関してはテロリストの仕業だ。覚えているだろう、亜空送りと恥ずかしげもなく叫んでいたあの男を」
「あー必死だったわねー。いい歳した大人が絶叫して今頃恥ずかしさで悶えてるのかしら」
「騙されたと万々歳してるかもな」
「小者ね。そんな小者が魔法陣に介入なんて出来るの? だって一国の魔法陣よ」
「小者こものと言ってやるな。あいつの名前はバックドア・クック。過去に王杖の誰かが一杯食わされたという話を聞いたぞ。そして確かに、やたらと魔法の引き出しの多い男であった」
「そう。アンタのその顔を見るによっぽどの凄腕だったのね」
「ああ」
「そいつが冒険者ならどこの所属か気になるわね。実際どうだったの」
「苦労した。それに感心もした」
「感心?」
「バックドアだがな、あいつ、自身の闇魔法で闇の空間に手にした物を収納していたぞ。重いのも、大きいのも、それから人間も」
「何それ」
「だから人も物も、だ。持ち運んでるのに手ぶらで動けるのだ」
「本当のことなの? そんなの魔法史が変わるわよ。大発見じゃない」
オレは魔法に詳しくないが、メラニーがそう言うならそうなのだろう。
戦闘中には試せなかったが今なら色々やっても平気だろうと、オレも奴みたいにやってみた。眼に魔力を込め、外套の中で闇魔法の闇を展開し、実験に入る。剣は闇の中にしまえるが、こっそり試したメラニーは闇の中にしまえなかった。
ふうむ。
暗闇に閉ざして目を奪ったり情報を遮断するのは闇魔法の常套手段であり、簡単に出来るはずなのだが、そこに収納という概念が絡んだ途端に出来なくなるというのは今いち腑に落ちない。
何故だろう。何か条件を満たしていないのだろうか。だがまぁ物の収納に関してはオレの闇魔法ででも出来たのは確認できた。これは収穫である。
「私もやってみるわ。というか火が点きにくいわね」
「この城塞都市は一時期魔気がなくなったからな。その影響ではないか」
と言ってる間にメラニーが人差し指を立てて、その指先にボッと火を点ける。
「バカみたいに魔力を喰うわね。何なのここ」
ぼやいていたが、その間に何故かオレの懐に入ってきた。いい匂いがする。
そういえば屋敷へと帰る際にメラニーとは初めて会ったわけだが、あの時、この女子は派手に転んで臀を半分見せていたなと思い出した。するとオレの無警戒を見計らったようにメラニーに首をあさっての方向に向けられた。
「な、何をする」
首が痛いではないか。おまけに明かりも不規則に揺れる。
「はいそっちを向くと身体もこっちに向きます」
向きを変えられると同時に開いた外套から手をとったりでたぐられ、腰元から剣を抜かれた。
「あ、おい」
「アーサー流抜剣術ね。敵の剣を奪って殺す技よ」
「いや、ちょっと待て」
殺されては困る。
という間にメラニーは火の中にオレの愛剣を焼べていた。
いや殺されなくて済んだのはいいのだが、いつの間に剣を…………。
オレが邪なことを思い出してる時にだろうが。
「いや違うちがう、そうじゃなくて抜けよ」
「抜いたのよ」
そこから抜けという事だと窘める間にも、メラニーがガガッッガッとオレの剣を火収納の中に無理矢理こじ入れようとした。だが入りきらない。剣は半ばで欠けてるというのにだ。
ガッガッッガッ。
「アッアッッアッ」
遠慮を知らないメラニーが何度も何度も繰り返して火収納に焼べている。そしてその度に何故かオレもいっしょになって声にならない声を上げて呻いていた。
「入りきらないわね」
今度は力尽くで押し込もうとする。
「オ、オ…………」
オレの剣が…………。後で刀鍛冶に出して直そうと思っていたのに。
それでも入りきらないのでメラニーが諦めた。
「魔力がないと入らないわね。魔力量で収納量? いえ、大きさが決まってくるのかしら」
「決まってくるではない。ひどいではないか」
「ひどい?」
「うむ」
「それを言うならアンタもこっそり試してたじゃない、私をしまえるかどうか」
「なぜそれを」
「わかるのよ」
「いや、それは確かに悪かったと思うがそれにしてもだな」
「何よ、自分のことは棚に上げて私を責めるの? それにどうせ折れてるじゃない、アンタの剣。アンタのことならきっとフォルテから良いのを幾つも見繕って持って来てるんでしょ、何よ剣の一本や二本」
「オレの財産はそのひと振りだけだ、こんちくしょう」
あら、と口に出されて炎の中から取り出されたオレの剣は、すでに柄の部分が燃えていた。メラニーが足下の砂の中に突っ込んで火を消す。だが未だ煙は燻っており、その燻る煙をメラニーは懸命にパタパタと振り払う。
ハイ、と差し出された。
だがすでに柄に巻かれていた組紐は焼け焦げていた。
オレは無言で受け取った。物申したい気分であるが外交儀礼もある。今回のテロリスト達との邂逅で外交を為そうと腹づもりが変わったこともある。それから黙ってメラニーを仕舞おうとした前科を考え、泣く泣く唇を噛みしめてオレは剣を鞘にもどすことにした。
「し、しまえるわね、私の魔法でも。確認できたわ」
「…………ちがうだろ。これは確認ではなく火収納の実験だろうが」
「そうね、そうなってしまったわね」
「頼むからオレので確認しようとするな。火の中にしまうな。なっ」
「わかったわ」
汗をひと筋垂らしながらメラニーが頷いた。
「けど、なるほどね。こうなるから誰もしまおうとしなかったのね。火水土は収納しようにも明らかに弊害がありそうだもんね。風はどうなんだろう。どっかに行っちゃうとかかな」
「オレの剣への謝罪はなしか」
「あ、ありがとうね。火魔法のいい勉強になったわ」
一瞬心の奥底に炎が迸った。
それは瞬く間に燃え滾ったが一応ライムは世話先の宗主国であるし、リアを思い、アンナさんを思い、業火に心を委ねることを封じて、どうも、とだけ返事をしておいた。
外交儀礼である。
だが一時でもメラニーをリアと重ね合わせた我が目の先見性のなさをオレは恥じた。動く感情を自分へと向け、そして達観した。こいつは断じてリアとは違うと。
リアはオレの物を絶対に火に焼べたりしないし、上ばっかり向いて落ち着きのない事もしない。リアはそのような女子ではない。
と心を鎮めた矢先にメラニーが足元にころがる岩に蹴躓いて転びそうになった。倒れながらオレと眼が合う。するとメラニーは迷うことなく右腕にしがみついて来て、オレをつっかい棒にした。
前から思ってたことだが、この女子はどうもパーソナルスペースというものに頓着しない。なのでこうも容易く近づいて困ってしまうのだが、そのまま腕を振り払うわけにもいかず、仕方なく膝を折って前に回り込んで支えた。
リアとは違って手足があるので支える切っ掛けとなる場所は幾らでもある。オレがリアを運ぶ際には支える場所に気を使うのだが、女子の気持ちを考える以前に兄妹として必要なことを必要なだけやって上げるのは当たり前のことだと、リアが心苦しいだろうとは理解しつつ無頓着な振りをしていた。
だがオレをつっかい棒にしようとしたメラニーには、そのような小細工は要らない。実利を優先させるのがこの場合は全く正しいとも思う。
遠慮なく抱き留めたわけだが、オレはリアの面影を追ってしまったのだろうか。
オレはちいさく首を振る。思うのだ。
この地下空間には何もない。オレが光源を出してはいるが、基本無機質で無生物でほっておけば闇だけが圧し潰そうとのしかかって来るような空間が重く垂れこめている。そこには荘厳でどうしようもない野性の掟がある。
なのにこうしてメラニーを咄嗟に抱きかかえてしまうと、闇の中にシンと広がる生命の息吹とでもいうものだろうか、そんな物を感じてしまうのだ。
屈託のなさや遠慮のなさ、思ったことをズケズケと言って粗暴に見える点がメラニーという姫にはあるとは思う。だが姫であるからこそライムの姫としては極めて異端児でもあろうと思うのだ。だが異端にも見えるその振る舞いは、それによって極めて合理的に認識を共有し、問題点を齟齬なく分かち合う一助となっている。これも確かな事なのだ。おかげでこの閉鎖空間においても不思議と心を圧し潰すような気分にはならない。
これは旅の道行きにおいてメラニーの大いに評価すべき点であるとオレは思う。
パーソナルスペースのことなどもう既にどこかに行ってしまってるが、こんなメラニーがリアと違うのは…………、やはり、良い匂いがすることだろうかと、そんなことをオレは思った。