第139話 案山子
オレは音の聞こえる方向に向けて、クロック・ストップ解除と告げた。ついでに靄も消えろと魔気に願うと澄みわたる夕映えが森林を照らした。日が落ちる直前のまばゆさにも似た夕景だった。
アルバストの声もよく透る。遠く離れているというのに、こちらにまで届いてきた。
「よーしやれ。最初からそうやれという話だ」
「勘違いをするな」
「勘違い? 貴様、この期に及んで愚図るか」
「…………言ったであろう。憂き身は与えられた以上には手伝わん」
ガウェインの言葉は立派だったが一瞬の間があった。
この一瞬の間に、さっきみたいに即答しろよ、何揺れてんだという思いがオレの中をよぎったりもしたのだが、アルバストはそこらへんには頓着しないらしく、オレより先んじて動き出し、ガウェインに魔力を注ぎ込み始めたようだった。
目に見えて深紫の闇が活性化しはじめている。配下のバックドアに対しても報告のような指示を飛ばす。
「ガウェインに回すぞ」
「了解だ、上役。身も心も軽やかに行こうか、重力解放、無重力」
戦闘中だというのにまるでピクニックにでも行くかのようなふざけた物言いをして、バックドアはアルバストを小脇に抱えるや、城塞森林公園を向こうへと脱兎のごとく駆け出していた。
速い。
「おいおいおい。マジかよ」
と、まるでサマースのように驚いてしまったが、軽やかに行こうとか云うふざけた言葉を残しての即時撤退である。しかも驚いたことにそのふざけたひとり言がバックドアにとっての重力制御の詠唱だったらしい。
アルバストはまるで重さのない状態で抱えられ、バックドアは一人で走っているのと遜色ない速度で走っている。交わした言葉からは思いもよらない効力を発揮しているが、あのふざけた虚の突き方のなかに、二人の間に想像もつかないような互助の関係が存在することが垣間見えた。連携を即座に構築し、それを当たり前のように受け入れ合っているのだから随分と信頼関係がある。アルバストはケルプの民を嫌っているようだが、バックドアらとはこれほどまでに信頼が厚いというのがいささか気にかかる。
もっと言えば、これがこいつらの本当のところなんだろうかとも勘繰ってしまう。
だが今は――。
「枢密院殿!」
「追え!」
こちらも許可をもらって走り出す。必要最低限のやりとりでこちらも済ませられたと、ちょっとばかり嬉しくなったところで異変に気がついた。
足が上がらない。上がってるのだが上がりが遅い。というかむちゃくちゃ負荷がかかっている。身体が重い。
その重みは段々増して行き、今はちょっと洒落にならないほど重くなってきていた。
――闇魔法、重力か。
アルバストにかけたのと逆の魔法を、バックドアはオレにかけたらしい。
「いつの間に」
そう、いつの間にかけられていたのかがわからない。
だが魔法の方向性はオレの背反世界と一緒だ。気づかれぬ間に動きの阻害をするイヤらしい魔法。
(だがネタがわかれば対処も出来る。天道神さまを降霊召喚しろ)
オレの中の召喚の場から声がかかった。
(小太郎か)
(すぐに平常に戻れるぞ。急げ、奴らの余裕が癇に障る)
どうやらリアのことで怒っているのはオレだけではないようだった。
(だがしかし、すまんが自分で対処するぞ。そのためにここまでずっと耐えてきたんだ)
殺しきらないこと、逃げ道を用意すること、そして背後に居る本丸を表舞台に引きずり出すこと、ここまで見に徹して耐えてきたのにはそういう意味合いが濃い。
小太郎も了解したのかそれ以上は問わずに押し黙った。
奴らが脱兎のごとく逃げ出し、城塞森林公園に空いた大穴を迂回してアート城の正門の方へと急ぎに急いでいる。阻害行動をかけられたオレの状態は、小太郎の目から見れば奴等の姿がみるみる小さくなり、追いつける算段が一見なくなったようにも見えるのだろう。だがオレにも魔法はある。
「闇魔法、重力制御」
唱えた瞬間に身体が軽くなった。だがちょっと軽くなりすぎた。まぁそれならそれで構わないしと大穴へと飛び出して、大穴そのものを飛び越える。
迂回などしないのだ。
オレは直截に追いかける。
「あ」
後ろから気の抜けた声がしたが、今は枢密院殿にかまけてるわけにはいかない。光速移動で移動するたびにビタビタ止まるより、ここは流動性のある動きで移動したいのもある。
「風よ吹け」
そのまま更に風魔法唱えてオレ自身を背後から押す。お得意の背反世界だ。
「落ちるぞ、押すな」「見失う」「急げ」
後ろはバタバタしてるようだが、そんな声もすぐに聞こえなくなった。足下には踏みしめるべき大地はなく、サドンさんが王杖の名に恥じぬ大魔法で消し飛ばした大穴が口を開けて落ちる者を待っている。だがオレは重力から解き放たれて風に乗り、迂回するバックドアらとの距離を着実に詰める。
猛追するオレに抱えられてるアルバストが反応した。
「来たぞ」
「了解」
「大穴を抜けた。追いつかれる」
「急ぎやす」
「稼ぐぞ」
ヒュンヒュンと風切るオレの全力疾走の耳にそんな声が届いた。深紫の闇の色合いがどんどん深くなり、闇の範囲が広がってるのが見て取れる。心なしかアルバストがガウェインに何事かひそひそと話しかけている気がしたが、その影響だろうか。
闇が濃い。
「馴染む、馴染むぞ」
静けさを破ったのは深紫の闇であった。
「行けるかガウェイン」
「フハッ。フハハハ」
ガウェインが喜んでいた。
と同時にバックドアに抱えられたままのアルバストが止まれと命じて、バックドアが反転するようにアルバストを森林公園の大樹の根元に降ろした。公園の柵がすぐ近くにまで迫っており、城塞都市の壁もその奥にそびえ立っていた。アルバストが態勢も整わないままおざなりに深紫の闇を振るう。
何の工夫もないただ深紫の闇を振り回しただけのことだった。だがそれだけで周囲の大樹がザクザクと両断され、ゆっくり傾き、やがて重々しい質量がオレの方へと向かって倒れて来た。重なり合った枝が互いを打ち鳴らしてオレの逃げ場を塞ぐように地響きを立ててる。だがそれも束の間のことで、大樹は倒れた運動エネルギーのまま大穴の縁へと幹と枝を打ちつけ、そこを回転軸にひっくり返ると、幾本もの木々が折り重なって秘奥の間へと落ちて行った。
「ほう、やるではないか」
「これなら上役」
「ああ、稼げる」
バックドアがアルバストに眼を合わせ、アルバストもバックドアに対して大きく頷いてみせる。
だが何が稼げるだ。
わざわざバックドアから眼を合わせに行くことかとも思った。
「冒険者にでもなるつもりか」
「だとしたらどうする」
「テロリストが本気で冒険者になれると思ってるのなら目出度いことだって言いたいんでやすよ、上役」
喉元が熱くなった。
その間にもガウェインの闇がまたモクモクと大きくなる。その何でもないことのように黙って奪って行く姿勢に思うところはないのかと肚の底までもが熱を帯びる。
アルバストは気をよくして深紫の闇を纏ったガウェインを夕闇の空へとかかげて言った。
「やれば出来るではないか」
「憂き身にとって良い物のようだ、この魔力は」
「ふざけるなよ。オレの血を使った貴様がその魔力を使うのは…………」
「ん? 貴公か」
虎の尾を踏んだと知れ。
「何だというのだ?」
「なんだもかんだもない。良い物だと? 八つ裂きですら生ぬるい」
アルバストが、フフッ、と笑いガウェインに命じる。
「そのまま馴染ませろ」
「よいのか?」「上役?」
「あの様子は尋常ではないぞ」「逃げるんじゃなかったんで?」
「フフフッ」
もう一度笑ったアルバストが左手の手の平を上に向けると、そこに玉を浮かび上がらせた。
「やれ、お前の力も見せて見ろ」
すると曇った玉からふらふらとわずかばかりだが機械召喚体が浮き上がり、アルバストの手の平の上に姿を現した。眼で見るのも難しいほどちいさな小さな機械召喚体であった。その召喚体はオレが屋敷で時折接するリアに残ったセプティリオンスとは体色が違い、リアのは黒みがかった銀色であったがアルバストのは赤色に染め上がっていた。普段の色味とはまるで違う。
その機械召喚体が動いた。
あまりの小ささに何処に行ったかもわからなくなるが、その姿を求めた時にはオレの胸元へとセプがぶつかっていた。
速い。
そして鋭い。しかも視認不可能なおそろしい攻撃であった。
ただ残念ながらその小ささからか体当たりは儚い物となってしまったが、それでも狙う場所によっては十分な脅威となる鋭さであった。
「どうした棒立ちになって」
アルバストが実験結果をもとめるような口調でオレに尋ねてきた。オレが答えに渋っていると、
「おそらく見えないんでやすよ」
とバックドアがすかさずそう言った。だが、ある意味それは正解だった。気づけばアルバストの玉の周りにセプは戻っているし、オレはそれも認識できてない。
「でも気をつけて下さい。次はあの変な形のダガーを使うはずです」
「あの二本のダガーか」
アルバストが嫌そうな顔をした。ソマ村での切れ味は未だ脳裏に焼きついてるであろう。
だがしかし…………。
と物を考えようとしたら、また赤い物体が消えた。右眼に痛みが走る。
思わず眼を瞑って顔を背けたが、敵から目を逸らすなと云う小太郎の教えを思い出してすぐにアルバストらに向き直った。アルバストには何が起きたかもわからないだろうという判断と、実際オレ自身が何も見えてなかったからそうしたのだが、何でもない振りをして遣り過ごそうとすると、
「どうした。指摘されたから遠慮したか? かまわずダガーを出してくれて良いのだぞ」
と皮肉を言われた。アルバストには何が起きたのかわかったらしい。
ここで感情を表に出さなかったのはリアのおかげであろう。リアが心を動かす方向をコントロールするように、オレもそれに倣って「妹が出来るのに」という一心からリアに繋がる情報をアルバストらに伝えない用心深さを発揮できた。
だがオレの演技を皮肉るほどにアルバストは確信をもっている。
オレは眼に中って初めて気づいたが、そんなオレを差し置いてあの女はセプが命中したこと自体を把握していた。そうである以上、おそらくアルバストは感覚でセプの位置を把握していたことになる。
あの玉を持てば、セプの動きを持ち主が制御できるようになるのだろうか。
オレが今得た情報を咀嚼するのを見越して、アルバストは余裕の態度で嫌味への返事を待っている。
答える代わりにオレは両の手を外套から出した。
袖を肘の上までまくり上げる。
「上役、次はガウェインの風に乗せてやって下さい」
「それは良い手だな」
ガウェインの風の中にセプの赤い光が溶けこんで見えなくなった。
つと、気紛れのような声がガウェインから風に乗ってこちらに届いた。
「どうした貴公。いやに鎮まったではないか」
「…………」
「怒っていたのではないのか?」
「…………」
「おいお主」
「引け。ガウェイン」
「ようやく返事を返したと思ったらそれか。憂き身は与えられた分の仕事はする」
そうか…………。思うところはある。思ったところもあった。
だがオレには斬れぬ。
リアを…………。
リアの機械召喚体を、オレには斬ることなど出来ぬのだ。
あれはリアの願いその物だ。召喚契約に失敗したあの時から、失敗したままにリアとつながっている微かな願いなのだ。
リアがそこにどんな願いを込めたのか、今なお何を込めているのか、それをオレは知らない。知らないが常ならぬ思い入れがそこにあるのはわかっている。
セプティリオンスは間違いなくリアの召喚獣なのだ。年端もいかなかったリアがその時の全てを賭けて、お家復興とオレへの罵詈雑言を封じるために手に入れようとした、願いその物なのだ。
「斬れぬ物無し風魔の小太郎と謳ってたあいつが棒立ちだぞ、上役。やはり何かがあるんだ。その玉には秘められた何かの力が」
玉だと?
玉ではないわ。
斬って死んだらどうするのだ。玉に封じられたリアの身体がセプが潰えることで一緒に死んだなら――。
リアの身体は二度と戻ってこぬ。
「よその星で死ぬか? しかしまぁ、やれぬと言うならここで死ね」
アルバストがつまらなそうに言った。
オレは首をわずかに振る。
「違う。死んでも死にきれぬと示しているのだ」
「ふん」
アルバストが鼻白んだ。
「案山子かよ」
唾棄するように吐き捨てると、アルバストがわずかに深紫の闇を揺らし、それだけで深紫の闇から風が乱れ飛んだ。オレは風の数え方などわからない。だがその風の一つ一つが切れないはずの空気でさえも切り裂くような威力を内包しているのはわかった。尋常でない風切り音と共にそんな物騒なものが中空を飛び交っていた。そしてそれを為した聖剣ガウェインからそれらが解き放たれ、オレの背反世界の嫌がらせにもめげることなくオレの両の手に容赦なく切りつけてくる。だがその鋭い風の刃はオレを切り裂くことはなく、手の皮膚に幾度となく喰い込んで来た。
アルバストはオレが腕まくりをしたのを挑発と受け止めたのだろう。
城塞森林公園の大樹を伐り倒すガウェインの風魔法を目の当たりにしたはずのオレが、気をつける素振りもなく腕を出したまま放置し、且つむき出しのまま突っ立っていたら、そりゃ癇に障るだろう。オレなら頭に来る。しかしアルバストの地頭の良さをうかがわせるのはこんなところに垣間見え、オレの舐めきった所作にさえも実はなにかの予備動作ではないかと疑ってかかっていたことだった。
何しろこの女エルフは闇魔法を解除せず、未だに重力から解放されており、前がかりに見えるようでいて実は撤退の続行中でもあった。
「っ!」
またセプがオレを打った。今度は眼ではなく腕だ。
剥き出しの腕は肌を刺すような痛みこそないが、打ったセプ自体に傷をつけようという意思が宿っていた。こうなると案山子というのは言い得て妙だとも思った。田畑で孤独に立つ案山子は、風に巻かれ、鳥についばまれ、そんな光景を自治領でもよく見かけたものだが、あの案山子はこのような心持ちでその身に降りかかる鳥獣を見るとはなしに見やってたのだろうかと云った気分になる。
アルバストには案山子と罵られたオレだがそこに不快感はなく、雨の日も風の日も立ちつづけ、日が差し日が暮れてもその身をそのままにその場で見せ続けることに意義を見出すその泰然とした姿を思い起こさせてもらい、却ってそれはとても示唆に富んでる話ではないかと心が動いているようだった。
なにしろ案山子がいれば田畑はついばまれることはないのだ。
それを思えば、鳥避け、獣除け、リアのためにもオレが餌場に立てばどうなるのかといった、そんな意味合いを、これまで考えたこともなかったオレに示唆に富んだことを提示してるのだから悪いことではない。
――だがまぁそれも可能性のひとつ。
変わらないのはあの日のことだけ。
あの日血みどろになったリアの姿をオレは見ていた。あの日四肢をついばまれたリアの姿もオレは見ていた。
それを思えば案山子の何が悪いともなる。それにここでこうしてるセプだって、実はついばまれた側の被害者である。アルバストの意図がどうあれ、オレとしてはついばまれたままに利用されるセプを、今度こそ召喚主に会わせてあげたいともなるではないか。
セプも沈みに沈んでようやくここに出て来たのだ。
オレも沈みに沈んで流れに流れ、ここにいる。
そうしてようやく邂逅したのだ。
セプよ。
たった一つしかない命を削り、何を削ったのかも、その意味さえ思索できないか弱き存在よ。
オレは今間近にお前を感じているぞ。
もしもお前が、妹の召喚獣が、不甲斐ない兄貴を責め立てたいと望むならば甘んじて受けるのも兄貴というものであろうさ。
図らずともセプによって切り拓かれた城塞森林公園は、夕日の上端をわずかにのぞかせてオレを照らしている。
ここまでオレも、セプも、一体幾つの夕日を重ねたのだろうな。
知らず、問うていたが、当然のようにセプティリオンスからの答えはない。それとも実は答えていて、その答えはまた沈むだけだとでも態度で表してるのだろうか。
風は冷たい。冷たくて凍えそうだ。しかしそれも当たり前である。もうすぐ闇の支配する領域に入るのだ――。
オレは鮮やかな夕映えを眼に焼きつける。
沈む夕日がきちんと積み重なるように、ここにはいないリアの面影をオレは見ている。
猛攻にさらされてるはずのオレだが、不思議と心は落ち着いており、まぁ血みどろではあるようだがあの日のリアに比したら大した事はなく、体表を何かが流れるように覆ってるといった、そんな程度にしか捉えることのない大らかな心持ちであった。
あとがき
戻って来ることが出来ました。長らくお待たせして申し訳ありません。
あまり人様の耳には入れない方がよい情況となっておりました。
ただ、こちらが伏してるその脇で、次々と運ばれてくる患者さんを死に物狂いで助けようとするお医者さんや看護師さんに大変な感銘を受けたりしてました。
ブクマしてくれた皆様はもちろん、投稿されてないか毎日のように確認してくださる方がいらっしゃったのは望外の喜びです。ありがとうございます。
常に戻れるよう、また一歩一歩進んでいきます。よろしくお願いします。