第132話 ひとつ、またひとつ、生の思いが集まって
「くそ」
意味もなく罵られてバックドアが後退した。
それならそれで好都合。こちらもぐったりしたサドンさんを城塞森林公園の木陰へと運ぶ。森の向こう、おそらくオレと枢密院殿が最初に統括部へと入った入り口から、恐る恐る顔を出してこちらの様子をうかがい、様子を見てる者達がいた。そんな彼らが意を決してこちらへと歩み寄ってくる。どうやら秘奥の間にいた統括部と警邏隊の避難させられた者達のようだったが、退室させる際にサドンさんがかけていた雷の縛りをその者達は受けていなかった。
敵味方の餞別は未だ有効なのでしょうかといった目で枢密院殿を見やると、雇い主殿は厳かに首肯した。
枢密院殿の眼もくぐり抜けたらしい。
オレはその者達と一緒になって一緒になってサドンさんを運んだ。
「魔法で治療を試みるから、向こうにいるテロリスト達を警戒してほしい」
一定の距離を稼ぐと彼らにそう頼んでみた。すると、王杖の怪我を見せるわけにはいかない、盾となって隠すんだ、と警邏隊の誰かが言った。
「ピュー。奴らは儂が見とく。動きがあったら報せる」
「お願いします」
「それに儂も関係各所に通達を出さねばならんようだからの。どこまで儂の言を信じるかは知らんが、それでもやるべき事はやらねばならぬ。統括部と警邏隊にも動いてもらうつもりじゃ」
「はい」
「出来ればその間にサドンを万全に治してくれ」
オレは小さく肯いた。
サドンさんの聞こえるところで呪われてるという現状を二度も三度も言いたくなかった。そう心が動いてしまった。
「わずかな時間稼ぎじゃが、やるだけやるぞ」
「はい」
そして枢密院殿はチラリと横を見ると、結局何も言わずに抜き足差し足で警邏隊の人たちのところへ向かった。
その枢密院殿の残した視線の先にはふらふらと移ろう深紫の闇がいた。
サドンさんの胸の傷はもうなかったことになってるが、失血が深刻だった。だが心ノ臓もきちんと動き脈も打っている。
「ごめんよサドンさん」
スキルを解いたらまさかサドンさんにかけてた変身スキルまで解除されるとは思わなかったんだ。
思えばフォルテでも一つ一つを変身させては解除し、複数をかけっぱなしにしたまま変身スキルを解いたことはなかった。
聞こえてないだろうが、サドンさんは目を瞑ったまま浅い呼吸を繰り返していた。
「一応オレの変身スキルで心ノ臓は元通りになってます。ただ受けた呪いは受けたままに、残念ながらなってます」
そう治したんだろうか。呪いのない状態に変身できたら良いのだろうが、変身させると云ってこの状態をさらに変身させて動かそうとしても、呪いつきで変身させてしまう ことがスキルの感触で伝わって来た。
隣に立つこいつの呪いの方が強いのか、オレの変身スキルにそこまでの応用が利かないのか、今はまだよくわからない。
「試す場でもないですしね。しばらく我慢して下さい」
それがオレの生の思いだった。
するとうっすらとサドンさんが目を開けた。
「よかった。生きてますからね。気をしっかり持って下さいね」
サドンさんが微かにこくりと頷いた。そして、
「……王子は……何で俺……を見捨てなかっ……たんだ」
と言った。
夕涼みの時間帯に入ったらしく城塞森林公園の空気が入れ替わりだしていた。木々を揺らす風がサドンさんの懸命の声よりも大きく、辺りを埋め尽くしていた。
オレは葉擦れの音に負けぬよう耳元に近づいて返事した。
「魔法を教えてくれるって約束したじゃないですか」
オレがわずかに離れると、サドンさんが口角をわずかに上げて微笑み、厳しい王子だと唇を動かした。
だがそれで許してくれない者がいた。
「憂き身も聞きたい。なぜだ」
その声に驚いたのか、サドンさんが薄く眼を開けた。鋭さも敵対心もない、純粋な好奇心のような目だった。オレはサドンさんとの間に立つと、深紫の闇に向けて言った。
「見捨てられる苦しさは、オレたち兄妹はよく知っているから」
「兄妹?」
「その血を注がれた時に聞かなかったか? お前の主とやらが玉を使う時に異界を顫わせる嘆きを感じなかったか? お前らはオレたち兄妹から知らぬ間に色々と奪ってくれてるようだぞ」
「憂き身が…………」
ふらふらと移ろった。
危ない奴だ。
「お前もそのままにはさせんぞ。リアの四肢と眼を、オレの分けた血とを、そのまま見捨てるわけにはいかんのだ。必ずけじめを付けさせる」
「憂き身を見捨てない?」
「お前、奪うだけ奪って、そのままで済ますわけがないだろうが。奪われたら取り返す。それが当然だ」
「…………取り戻せなければ?」
「それをもたらした奴にケジメを取ってもらう」
「だがそれが自分の責任であったならどうする」
「馬鹿か。そこにもたらされた時点で意に沿わぬ事をやらされたのだぞ。責任がどこにあるかなんて子供でもわかる」
「だがそれでも事実は残る」
「オレはリアの四肢と眼を取り返す。オレの奪われた血を好き勝手にさせる気もない。この二点に関して一切の揺らぎはない。事実があろうと、流れた時と歴史が積み重なろうと、そんな事実以前に我ら兄妹の運命をねじ曲げた奴らが、もう時代は進んでるんだと自由にさせろというのは、オレの野性が許さない」
「許さないとはまた…………」
「そうか? 節目を付けたのは盗んでいった者ばかりで、奪われた者は節目もないまま苦しんで死ねといわれて受け入れられるのか?」
「それは…………、だがもう失ったのは事実だ」
「その状態のままに何もしないというのは、それは負け犬根性というのだ」
「罪の意識もないままに?」
「何が罪だ。罪があるなら分かち合え。それは奪われた者だけが一方的に負う物なのか。そんな力技、例え王でも許しはしない。オレは絶対にどれだけ惨めな人生を歩もうと、立ち塞がられようと、指先ひとつ分でも前に進む」
「王が…………いや、そう思い込めるのは王子だからか」
「違う。オレに意思があるからだ」
向こうの方で動きがあった。人垣が急に腰を落として警戒態勢に入っている。深紫の闇もその状況に気づいたか、またもフラフラとその場を行ったり来たりと移ろいだした。
「ヒュー……くん」
呼ばれてサドンさんの元に膝を寄せた。
「何ですか」
「私はおそらく……王杖を返上することに……なる。その時王宮に、キミに……一緒に来て……ほしい」
サドンさんの云いたいことは何となくわかった。歓迎の席で席を立ち、二度と戻ってこなかったワッカイン王との関係をどうにかしたいのだろう。サドンさんの中では相当な痼りになっているようだけど、フォルテのやり方をライムの王がそのまま受け止めるのは王の矜持として、してはいけないことだと思う。
「返上することなんかないですよ」
サドンさんが意外そうな顔をした。だがそれも一瞬で、つぎに瞬きをした時には、サドンさんの真摯な眼のかがやきは微塵も揺らがずそこにあった。
サドンさんが重い口を開いた。
一番言いたくないことを言うのであろう。
「わかってるんだ。この態ではもう、おそらく……」
「魔法は使えますよ。呪いなんか払えばいいんです」
サドンさんが何かを言いかけ、言いかけたまま口を閉じることを忘れた。
「闇との話を聞いてたならわかるでしょう。オレはオレの血を奴らが利用してることに気づきました。これを放っておく気はありません。自分の血を呪いから払うついでに闇の呪いも払いますよ」
サドンさんが眩しそうに眼を細めた。
「当然、サドンさんにかかった呪いも払いますから。ついでのようで申し訳ないですが。闇を作戦の根幹に置いてるテロリスト達への意趣返しには、それが一番効きそうでもありますしね」
「キミは…………苦労性だな」
その言葉に小さく首を振った。
「オレはリアの兄貴ですからね。オレの不甲斐なさのために立ってくれたリアがあれだけの苦悩をその身に刻んでしまったのです。オレがやらなきゃならないんですよ。サドンさんにはついでのようで悪いですが」
城塞森林公園にはさまざまな人種が集い、生命が集っていた。
鳥のさえずりがその命を謳歌している。
木々の枝からこぼれる日の光が陽だまりとなり、語らぬ者達のあいだを縫うように風が巡ると、そこはそこはかとなく閑かに温みを帯びた。