第130話 疲労の兆候
「では行きます」
事態は想像以上に切迫しているようだった。すでに魔物が現出させられているのだ。これは召喚魔法による喚び出しとはまた違う、あらたな魔法の使い方と云えるものだった。
城塞都市に入った時からサマースと分かれて二手となったわけだが、眼下に見た限りではサマースが魔法を振るってるような様子はなかった。
ということは王都の人たちが個々で対応している、と言うことになる。
テロリストたちの魔法陣の悪用によって、王都から供給されるはずの魔気を逆に吸い取られつづけ、あまつさえ魔力を根こそぎ奪われて立つこともままならない状態となっている今この時に、である。
つと、東と西に動きがあった。
何者かが戦っているようだ。魔物はアルバストらの手駒らしく炎系が多いようで、その炎の光がつぎつぎと消えて行く。
道場の先輩方がギルドは押さえているはずだが、自分たちの都市が魔物に襲われるのを見て、それでも原則主義をつらぬくほど冒険者は頭は固くないといったところだろうか。
だがとりあえず東西ギルドがある辺りは冒険者が出て来て対処してるようなので大丈夫とオレは見た。
「北と南のどっちかじゃな」
枢密院殿も同じ考えに至ったらしい。その時にはオレはもう光速移動に移っていた。
代わり映えのない空だが、枢密院殿がオレに尋ねた。
「で、ここはどっちじゃ」
「とりあえず南が数が多そうだったので南に来ました」
言ってるそばから小さな魔物がちょろちょろと街道を走り回っていた。
「ファイアラットですね。その後ろからファイアタイガーも、まずい!」
オレは光速移動で瞬時に街道に着地すると、枢密院殿をその場において、そのまま全力で走って石畳に寝そべって身動きの取れない小母ちゃんを狙うファイアラットを剣で斬り裂いた。だが斬ったそばからくっついたようで、結合を断ち切れてない。
「虎も来てるのに」
そしてオレは剣先を見て愕然とした。あの闇の野郎のせいでオレは剣を買い替えねばならなくなったのだ。
(余裕ぶるな)
――降霊召喚、風魔の小太郎。
思うと同時に小太郎がオレの身体に憑いた。
あわせてオレの動きの流れのままに、外套のなかで小太郎は得物もいっしゅんで忍者刀に切り替えていた。
外套を払いのけた時には同時にファイアラットも一撃で斬り飛ばしていた。中に飛び散るファイアラットを構成していた魔気が余波となって消えて行く。その流れの影に外套が花開くようにふわりと開き切り、ファイアラットの後を追走していたファイアタイガーが、隙を見つけたと言わんばかりに嬉々としてその中に突っこんで行った。
だがそのファイアタイガーも、まさか外套の裾のしたに凶悪な刃がひそんでいるなど思いもせず、口辺に嬉々とした感情をたたえたままその牙を巨体とともに小太郎の腹へと突き立てた時には、噛み千切るはずのその腹を素通りしていた。牙が通り抜け、ぶち当たるはずだった巨体も何にぶつかることもなく、外套が花をしぼませるように閉じる時になって、自分が攻撃に失敗したのだという事がわかったようだった。
もはやファイアタイガーは大気の中に溶けこみ始めていた。
おそらく何をされたのかもわかっておるまい。
ただ忍者刀によって、ファイアタイガーはあらゆる結合をバラバラに解かれたのだ。
斬れぬ物無し風魔の小太郎。
伊達ではなかった。
(もう仕舞うぞ。ヒュー、剣を治せ)
小太郎が急にそんなことを言った。
(この急場に剣を直せと言われてもな? 炎の再生でも無理だったんだぞ)
(スキルだ。異界渡りには異界渡りをぶつけるんだろ?)
召喚の場でオレは口をあんぐりと開けた。
(どうした)
(どうしたもこうしたもない)
思わぬ事を聞いてしまったのだ。
しかしそうか。
魔法が負けたのはそういうことだったのか。
オレの召喚魔法の魔法が通じなかったのも、それならば納得が行く。勇者スキルは時に召喚魔法の上を行く。だから母国のフォルテでも勇者は恐れられたのだ。
(全く目から鱗だぞ。そうか。スキルで直せばオレの剣は直るのだな)
(直ると思うが、ヒュー)
(なんだ)
(おまえ、連戦に次ぐ連戦で情報の整理が出来てないのは自覚しているか)
(オレが…………?)
そんな事はない、と思って、たった今起こした大失態をまざまざと思い出した。
オレは剣を当然のように抜いていたのだ。その時は闇に破れて剣先がなくなっていたことなど頭から全くなくなっていた。
(次に何が来るかわかるか?)
(…………わからぬ)
微妙な間が開いた。
確かなことは目的格を小太郎は付けていなかったと言うことだ。だがこれはあえて付けなかったのだという事はわかる。
しかし何を問うているのか、それさえもオレにはわかっていなかった。
(ならお前への課題、それがじきにわかるだろうな)
(…………そうか。心に留めておく)
ヒュンと水魔法が飛んだ。
オレの身体を使って小太郎がウォーターボールでファイアラットを丸呑みにして炎ごと消滅させていた。
(ならとっととやれ。サドンを一時的に治したのも勇者スキルであろうが)
なるほど。サドンさんを診てたからスキルにはスキルをと言う発想が出たのか、とそう思いつつ、小太郎が魔法で魔物を退治してる間隙を縫ってオレは勇者スキルを発動させた。
鞘の中で剣が剣の形を取り戻して行くのが感覚でわかる。だが変身させてく過程でその剣は圧倒的に鋼が足りないのもわかった。
(付け足せ。土魔法で鋼を)
オレが土魔法で何もないところから鉱物として鋼を生み出すのと、小太郎が周囲の炎系の魔物を水で仕留めるのとが同時だった。
オレは我が身を任せて集中することにした。
(鋼よ変ぜよ。剣の形となれ。変身)
祈るようにつぶやくと勇者スキルが正しく発動した。頭にあったのはアンナさんが用意してくれた新品の愛剣の姿であった。ここで新品を思い浮かべてしまうのがオレの悩ましい業だろう。
と、小太郎がまた魔物に対峙したようで、それに間に合うようにという意向がもぞりと動きかけたが、剣への変身を優先し、オレはスキルへと集中した。感覚としてはそれが鞘の中で正しく再現されている――。
(はずだ)
(恐くてそんなの抜けんわ)
小太郎が外套からガバッと手を出してくるりと回った。そして回りながら水魔法を展開して襲って来た魔物を瞬殺である。咒札から放たれた炎まみれの魔物程度では小太郎の水魔法の敵ではなかった。
王都の街道には屋台が何台も出ていた。魔物はその王都の屋台を狙って自身の身体をますます燃え上がらせて屋台へ突っこんでいたのだ。迷惑な自爆行為である。まるでその屋台で焼いてる串焼きどころか屋台ごと燃やそうと目論んだようだった。だが魔物が突っこんだそこには、いつの間にか水の壁があった。ジュッと炎が水に飲みこまれ、燃え盛っていた魔物は存在の残滓すら残すことができず、そこにはただただ水しか残らなかった。
木造りの商品の荷台や客用のベンチも狙われた。だがそれらの燃やしやすい物にも魔物は辿り着けなかった。行く先々に水の手が立ち塞がったからだ。
「なんだ」「何が起きてるんだ」「誰が魔法を使ってる」
一部大騒ぎとなってるようだが関係なかった。
現れた分だけ、もしくは咒札の効力が切れるまで、小太郎は徹底的につきあうつもりのようだった。
そして埒もないと本能で悟った魔物が作戦を変え、突然にあらわれる水魔法をとにかくかいくぐろうと試みを変えたが、炎の塊がどれだけ敏捷に水から逃れようとしても、その魔物がいる場所へとピンポイントでウォーターボールは現れた。
端から見ると、ファイアラットやファイアウルフが勝手に水の中に飛びこんで行っているように見えた。
そんな小太郎に冒険者からの奇襲があった。小太郎がファイアラットを仕留めた矢先に死角から筋骨隆々の冒険者に襲いかかられたのだ。
だがその剣がピタッと止まる。
――背反世界。
オレは小太郎が背反世界を展開していたことに気づいていなかった。だが冒険者に気を取られたその隙を突いて魔物が来た。
ファイアラットによるファイアボールだ。
小さいが火力のつまった青白い炎だった。
だがそれも背反世界で風に翻弄され、放った炎はブーメランよりも複雑な軌道を辿ってファイアラットに返却されていた。と同時に水が内側から破裂するように溢れてファイアラットが消し飛ぶ。おまけ付きであった。
そのファイアラットが消し飛んだ中を、虎視眈々と狙っていたファイアウルフがくぐり抜けて来た。
小太郎は慌てることもなく、いっそゆっくりにさえ見えるほどの挙動でゆるりと回転すると、一迅の風がファイアウルフを斬り裂いていた。風の中には水刃が仕込まれていた。
その直後をまた冒険者に狙われる。だが体捌きだけで小太郎は躱し、周囲から驚愕の視線を集めた。
それだけの物を見せつけられて動く者はいなかった。
魔物も、不意打ちをした冒険者も、動けなくなっていた。ちなみに魔物は魔気へと還るが冒険者は背反世界でその場に固定されていた。小太郎の背反世界はオレの運用法とはまるで違うが、それでもこの場において効果的なのは間違いなかった。
見えない何かに遮られて動けない仲間を、冒険者たちは様々な色の眼で眺めやっている。
「人間の動きか?」
「それより火線がないぞ」
「そりゃ魔気がないから」
「ならあいつは何であんな威力が出てるんだ」
悩みは尽きないようだった。
そんな最中に小太郎がぼそりとつぶやいた。
(魔法は嘘を吐かない。俺は平気で嘘を吐くが、魔法は絶対に嘘を吐かない)
まるであるからあるんだとでも云いたげな口調だった。
小太郎が動けなくなった冒険者を風を寝台のようにして横向きにした。剣を抜いて風の威力がどんなものかと、ペンペンと剣の腹をぶつけて確かめている。
「あれ!?」「剣があるぞ!」
(おい小太郎)
(わかってる。拘束するだけだ)
斬り捨てる気はないようなので安心した。この小太郎のやってる拘束だが、これは魔気の気圧を強めに身体全体に押し付け、動きを封じてるだけだ。ただこれだけのことなのだがこれが手強い。大気の壁も魔気で強化すればこんな事が出来るのだ。
(風牢だろ。それより後は任せた)
そう言って小太郎がいきなりオレを自身の身体に戻した。小太郎は召喚の場に戻って、あー疲れたと言わんばかりにドカリと胡座を掻いているが、オレはお前のその投げっぱなしにする癖だけは本当にどうにかして欲しいと思った。
小太郎は、以前も奇襲をかけた時点でオレと入れ替わったという前科がある。
すると小太郎が何故オレと入れ替わったのか、その答えがわかった。オレは冒険者達に警戒されながら周囲をグルリと囲まれたのだ。
つまり、また土壇場に引きずり出されて、ほっぽとかれたのだ。
「何をした」
こわい口調で詰問された。目は風牢に固定されている仲間の冒険者を見ている。
「それはこちらの台詞だろう。いきなり何をしてくれてるんだ。魔物の襲撃が終わったからいいようなものの、ああ、ホリーに唆された口か」
「敬称を付けろ! ホリー様だ! やはりおかしな奴だな」
「おかしい? おかしいのは貴公らの方だろうが。
警邏隊から冒険者は外出するなという通達が出てるはずだぞ。テロリストが冒険者と組んで動き回ってるという情報を、まさか聞いてないとは言わせないぞ」
「お前がそのテロリストなんだろうが。だから自分だけ魔法も使えるんだろ」
「いや、確かにこの状況で魔法が使えるのもおかしな奴だが、オレはついさっきまでフェンリルの団長であるコペルニクスが魔熊の杖で物凄い魔法を連発するのを間近で見てたぞ」
「なに」
「つまりはそういうことだ」
「ん?」「何言ってんだ、こいつ」「だからどういうことだ」
「騒ぐな。人のことはいい。それよりコラ、何でいきなりオレに斬りかかってくるんだ。貴公らもテロリストの仲間か」
ザワッと響めいた。こそこそと会話が飛び交う。
「おい、あれ、ヒューって奴だよな」
「いや、でもあんな顔だったっけ」「国政会議の時から書き起こした似顔絵、ギルドで出回ってたよな」「ちがうような、ちがわないような」
「でも髪が黒いじゃん」
「ならそうかもな」
相談がまとまるまでオレは近くに寄ってくる残存勢力の魔物を小太郎に倣って水魔法で仕留めつづけた。バックドアの嫌がらせとやらがこの程度とは思わないが、数があるばかりで正直敵としては全く問題ない。
「言っとくが、貴公らがそうして喋り倒してる時も、王都の民を魔物から守っているのは我等だからな」
ザワッとした。
集まってきた冒険者たちが顔を見合わせて困ったように頷き合っている。その頷きに意味はあるのだろうかと思いつつ、オレはただ水魔法を放ちつづける。
「いや、でもそんなことより何か話が違わなくないか」
「ヒューってのが戦ってるのに、ホリー様はなんで憎悪の声ばかり上げてるんだ?」
それで気がついた。
上空ではまだホリーの演説が続いていた。おれは全く聞いていなかったが、枢密院殿が聞いているだろうから問題はないだろう。そこらへんはさすがに雇い主殿の仕事だし、やっておいてもらいたい。
向こうから賞金がどうたらこうたらという声が洩れ聞こえて来た。
そういえばホリーが自分の首に賞金がどうたらこうたらと言っていたな。だがじっくり聞くほどオレは暇じゃなかったので、どうするつもりもなかったし、する余裕もなかった。ほっぽって置いて正解だろう。しかしそうか、我等は本当は迂闊に外を出歩ける立場じゃなかったのだな。
そう、オレと枢密院殿は。
もう遅いけど。
実際時間も惜しい。城塞森林公園にはまだ用事がある。
虎の子だが、ここは使うところだろう。王都の住民は思った以上に魔力を奪われて疲弊しているし、このままでは魔物に飲まれる。
それはテロリスト側の勝利と言ってもいい蹂躙だった。
――させんさ。深度一。
召喚魔法陣を展開して位相をずらす。現実の時間軸が極めてゆっくりとなり、王都全体に深度一を展開しようとする。
(おいヒュー)
(なんだ)
(いいのか)
いいのかとは深度一のことだろうか。
(ちがう。闇のことだ)
小太郎がそんなことを言った。
あとがき
応援ありがとうございます。毎度書き終えるたびにヘロヘロになるのですが、投稿直前に思わぬ応援に気がつくと感謝の念が湧いて何とも幸せな心持ちになります。ヒューくんもきっとこんな感じなのだろうなとその度に思います。ヒューくんは頑張ります。無茶苦茶頑張りますので、最後まで付き合ってもらえると嬉しいです。