第13話 ダルマーイカ川の畔、水車村にて
オレは町の脇を流れるダルマーイカ川を上流の選言山に向かって歩いている。日は高く、風は穏やかで夏の終わりが間近にあるとは思えないほどの陽気であった。
オレは周囲を海に囲まれた島国であるフォルテで育ったから、巨大な島の中心から左右に分かれて分水嶺となって川が東と西に分かれてく場所を間近に見たことがあり、ここで水の運命が分かれるのかなどと感慨深く思った。
ダルマーイカ川も選言山からの伏流水を蓄えてるせいか、フォルテで見た分水嶺とは逆に、集約されて集まって来た水がここに流れてるわけで、所を変えたこの大地の逆の働きぶりに、オレはいっそう感慨深くなって、いったい幾つの水源から流れ出でて、この川という形になったのであろうかと詩人のような心持ちになる。
さざらぐ水音に耳を澄ます。それだけでもダルマーイカ川の水量は結構あることがわかった。そのあまりに心地よいさざらぎに、オレはちょっと堤の下におりてみて、川のみずに手を触れてみた。
冷たい。山からの水だからであろうか。遠く針のように鋭い山の頂を見せる選言山が、この川の源流だというが、山の真ん中から上は、夏と秋の端境期だというのに、しろく冠雪していた。しかも魔水が濃い。
オレは試しに魔気ではなく、魔水を使って空へと水弾を打ち上げてみた。するとその水弾は、どこまで行ったのかもわからないほど高く上がり、上空に流れる雲のいずれかと一体化して消えたしまった。
ふうむ。
オレは腕を組んで上空にひたすら眼をやった。
「ライムが魔法大国なのは、こういう魔水があるからかも知れぬな」
魔気による魔法は、平地と山では気圧によって薄いところではやはり威力が弱くなるが、基準点の高さで発動するという条件を付ければ、基本この星の何処で魔法をはなっても同じ威力になる。この星のどこで発動しても一定しているのだ。
だがライムの魔法は強い。それは戦ったことのあるフォルテの攻廷騎士団からの報告でも、我らの魔法より威力がある、という報告が上がってきている。
オレはその秘密が、こういう魔水を飲んで戦に臨む、体内環境による差なのではないかと、このダルマーイカ川に触れて思った。
同じ土地で開戦するのに威力に差が出る理由を求めたら、魔気以外に理由があると考えざるを得ないのだ。
「まぁ、オレがこんなことを献策する立場にはないのだが…………」
王室外交で捨てられた王子である。廃嫡同然の身で、母国を思ってこんな報告書を出しましたとなったら、貴族から余所でもまた恥をさらしてると、ふたたび自害を勧める空気が蔓延して、貴族界隈のにぎやかしになってしまうことだろう。
リアだけでもどうにか王室に戻すにしても、これは取っかかりとしても、あまり良い手とは思えなかった。
とりあえず魔水で火魔法も試してみる。きれいな青い炎が一瞬で火柱となって立ち上った。水でも火魔法の媒体となる。打ち消しあう気配がない。
火と水の魔法同士をぶつけあったら火は必ず負けるというのに、魔水から火への変換は驚くほど違和感がなかった。
「なるほど。これは面白いな」
オレは水車村へ向かう道中、道をはずれて川縁を歩きながら、魔法の実験に明け暮れた。フォルテでは召喚魔法以外、魔法とは認められていないから、ライムに送られて初めて魔法という物に直裁に触れた気がする。
フォルテでは外交を担当する攻廷騎士団が魔法をたしなむが、その魔法も召喚者本人や召喚獣に対して、渾身で放った魔気の到達がのろすぎて、術者にも召喚獣にも擦りもしないので、無駄な戦術運用だと侮られていた。
攻廷騎士団にしても外交で付き合う関係上、ちょびっとだけ嗜む程度にすぎない。しょせんは召喚魔法の敵ではないのだ。そういう認識があった。
ただしライムの場合は大規模魔法があるので、避けようがない魔法攻撃はフォルテでも恐れられた。もしもライムとフォルテが本気でやり合った場合は、互いに殲滅戦となり、勝者なき廃墟が残るという結論に、双方が達していた。
「しかし、魔法は魔法で面白いな。召喚陣に組み込めば、さて――」
オレも手軽な魔法は、室内照明や着火装置として使用してるが、水や土はいじれなかった。
だがそれも、これだけ濃い魔水があれば、解決できるような気もする。オレは鞄から紙と万年筆を取り出すと、召喚陣を描いて魔水の変化を基本属性すべてに変化できるよう、あらかじめ組み込んでみた。
魔気の制御はふわふわして、召喚魔法にしか縁のないフォルテの人間には扱いが難しいやもしれぬが、この魔水ならば扱うことにもうまくいきそうだという勘が働いた。
魔水の動きを召喚陣で補佐しながら補強もして行く。
「ふむ、こんなものか」
その召喚陣を魔法陣として機能させるために、オレは親指をかじると血を一滴ほど指先に出して、その魔法陣を召喚陣として契約しようと試みた。
青い燐光が周囲を淡く優しく照らし出すのを感じながら、オレは宣誓をした。
「魔法陣よ。我が要請のもと、召喚された暁には、存分にその力を示せ。代わりに我がくれてやるは自尊心である。存分に己が力を証明し、自らの成果を誇り、自らを讃えよ。
さぁ、異論なくば我と契約し、この心からの問いに、そなたという存在を刻み込め」
青い燐光がオレを中心に渦を巻き、オレの身体の中へとどんどん吸い込まれてるように入って行く。
「契約っ」
辺りが静まり返った。もはや青い燐光が渦巻いていた名残もなにもない。
オレが親指を見やると、親指からは血の玉が消え、傷跡もなく元の状態にもどっていた。どうやらうまいこと契約できたようである。これからちょくちょく召喚魔法陣の補正をして、回路にも手を入れてくことになるのだろうが、ライムに来た以上、魔法にも手を出してみるのは、この地に根を下ろすうえで大事なことだと思った。
「ライムの魔法とて、個としては侮られてはいても、時折強烈な者がでてきて、個としても攻廷騎士団の団長に匹敵する力を示す者がいるという」
自分は王族であったから、それがどのような場でそうなったのかを詳しく知ることはなかったが、この地に人質として送られて来たからには、この国のことを学んでいく姿勢を周囲に示すことも大事なことだと思った。
魔法を馬鹿にするような態度を取ってはならない。それがリアの安全につながるのだ。
オレが異国に根を下ろすためには、これは自然なことなのだとオレは思った。
「さて――」
オレは早速いま開発したばかりの召喚魔法陣を、眼前に展開した。その陣を大きくしたり小さくしたり、身体の中に入れたり出したり、人目につかぬようにも使用できるかどうかを試してみた。
一応フォルテの王子なので、召喚魔法は秘中の秘であった。
本国では全く相手にされなかったが…………。
川縁に流れる風が、オレの脇を通り過ぎていった。
川は風の道でもある。この障害物もない川面の上を、自由自在に海から上り、山から下るのである。遮る者も、邪魔をする者も、侮る者もいない。
そして、オレがいるこの異国の地も、川面と同じ、無垢な状態なのである。
「落ち込んでばかりもいられぬな。アンナにも言われたではないか。心が揺れる時には悪いことばかり浮かんでくると。
勝手に自分を傷つけて、自らの傷を増やというすのも愚の骨頂。これもリアを守るための途なのである。行こう。行け」
言い切ると、風が背中を押してくれたような気がした。
オレは歩きながら、開発した召喚陣を改めて観察した。青い光を放つ、うつくしい召喚陣だった。
「ふむ。魔法陣であり召喚陣でもある。そんな重層な召喚魔法陣が完成したようだの。いろいろと実験して、うまくいくようならリアとアンナさんにも教えてみるか」
オレは川から水を掬い、少しばかり飲んでみた。
「ん? 召喚契約したら、魔水はもしや要らぬのではないか?」
ハタと気づいたがもう遅い。魔法を使う気でいたのに、召喚魔法と合わせて魔法を構築してしまっていた。オレは手にしていた魔水を、元の川の流れにもどした。
それからふたたび水車村を目指す今回の道行きの目的にもどると、魔法を召喚する召喚魔法の実験をしつつ、上流へと足をすすめた。
十五分ほど歩くと、川の上流に水車の影が見え、土手の奥には集落があるようで、屋根が幾つもあるのが見えた。
やがてそこまで辿り着くと、水車小屋で水番をしてる者がオレに声をかけて来た。
「お前か。土壁が見えたり、炎が逆巻いたり、雲が湧き出したり、稲妻を飛ばしたりしてたのは?」
「あ。見え申したか?」
「見えないとでも思うのか?」
顎でもってくいっと示されて後ろを振り返ると、川と田畑しかなかった。あぜ道には可憐な花があり、その花びらに溜まったテントウムシがひと滴の水玉にむかって口を寄せ、その小さな口で懸命に水を吸い上げていた。そういうのどかな村の風景に、オレがしていた実験の数々は、水車村界隈においては、それはもう随分と派手な遊びをしてるように見えたことだろうと思われた。
「や、遊びではなくてですな、魔水の純度が高いので、これで魔法を撃ったらどうなるであろうかという好奇心が、こう、むくむくと湧きましてな」
「そうか。私はここにチンドン屋がいるぞと派手に宣伝でもしているのかと思ってたぞ。連れはどうした」
「連れ? 連れなどおらぬが?」
えらい言われようだが、オレの返事に水車番の小父さんはますます機嫌を悪くした。
「誰にでもわかるような嘘は駄目だぞ。坊主、歳は幾つだ」
「十七歳だが、坊主とはな。なかなかに新鮮だ」
「十七にもなってそんな性格なのか」
「はあ。おかしいだろうか」
「あのな。じゃあ訊くが魔法を出してみろ。輪でいいぞ。出来るもんならな」
「うむ」
「火」「はい」「水」「ほい」「風」「うんしょ」「土」「こらしょ」「闇」「よいしょ」「光」「どっこいしょ」
そして小父さんは口をあんぐりと開けた。
「火炎輪、水輪、風輪、土輪、暗輪、光輪」
「な。出来るであろう?」
「全属性の……魔法を操るのか」
「ん?」
「貴様、何者だ」
何故かやたらと警戒された。
「何者か、か」
オレは嬉しくなった。いつもならここでロラン・サーキ殿の名を出して、屋敷の一角に住んでるという話になり、納屋のことはごにょごにょとなるわけだが、いまは素晴らしい哉、オレには別の肩書きがある。
「左様。ハロルド・カーギイカ枢密院の用心棒である」
「なっ」
と男が心底驚いていた。とてもではないが信じられないといった感である。
「本当にか」
「本当である。昨日から雇われた。それで、ちとこの村にいる者に用があっての」
「誰にだ」
「ふむ。トライデント・オールダム殿にだ」
「知り合いか」
「いや。初めて会う方である。すまぬが案内を頼まれてくれぬか」
「よかろう。だが用件は何だ」
「ティナ殿を預かってることを伝えに行くだけである」
鋭い眼が向けられた。
「では案内しようか」
水車小屋の水番の小父さんがオレの脇を通り過ぎ、水車小屋から出た。オレは導かれるままに小父さんの後をついて歩いたわけだが、チリチリとした今にも炸裂しそうな意識が、背中にあるのをオレは感じた。その不穏な気配は、案内が終わるまでずっとつづいた。
そうして小父さんは風車村の外れにまで来ると、オレに振り向いた。
「さて、ここらでいいだろう。私がトライデントだ」
「おお、父御であったか」
オレが喜んで笑顔を向けると、藁寄せの場所から、いきなり藁掻きの農具を藁から抜き取ると、オレに向けてその四本爪を薙ぎ払った。
「ちょっと、父御どの」
「貴様に父御などと呼ばれる謂われはない」
なぜか父御どのはうっすらと眼に涙を浮かべていた。
「死ね」
いや、死ぬわけには参らぬので、降りかかる火の粉は払わせてもらうが、鋭い横凪からの刺突がオレへと襲いかかって来た。
だが横凪からの刺突など、牽制からの棒立ち狙いの技ではないか。
この地に来た小太郎に教わったことは簡単だ。この世界では、剣を当ててから制圧に入る。
だが忍者は剣を当てる前に制圧に入る。
それだけのことだった。そして戦や肉弾戦を経験していない大概の武人たちは、面白いように引っかかってくれるぞと、小太郎はそう断言していた。
そしてその通りとなった。
突いて来たとこを中に入って、身体を縮めながら回転すると、藁掻きを引き戻せずに困った父御どのの伸びきった腕を取り、藁掻きごと背負って藁床に巻きこむように投げ落としたのだ。
父御どのはその間、どう動いたら良いのかわからないようだった。人間の本能として、逃げようとすれば、腕の一本が使い物にならないほど折れてしまうということは察知してくれたようだった。
おかげでオレは楽に内掛かりに入って背負い投げを放つことが出来た。
父御どのが藁床におちると、これでもかと周囲に藁が散乱した。だがオレはそのまま父御どのを押さえ込み、一切の反撃をするための身動きを封じてしまった。
父御どのがジタバタと足を動かしては、オレの後ろで藁が舞い踊ってるが、もはや上半身をがっちり固められているので、逃げることなど不可能だった。
「よもやと言うか、もしやと言うか、父御どのは、オレのことを魔法使いと勘違いしてはおらぬか?」
そしてようやく自分が藁床に組み伏せられてるのに気づいたようだ。これでも土の上ではなく藁の上に倒れるよう、気を使って制圧したのである。
武辺であると理解したのだろう。顔色が変わっていた。
「な、何だこれは」
「風魔、内掛かりの陣である」
だがちんぷんかんぷんのようである。これを説明するのか? いや、初期の目的をさっさと済ませるが吉だろう。ティナ殿の父御は、ちょっと危ない人のようであるからして――。
「オレの話を聞いてくれ」
オレは組み伏せたまま父御どのに、そうお願いした。しかし返事が中々来ずに、オレから離れようと懸命に身をよじるので、話にならなかった。
それならばと、父御どのの魔法使いというご希望に添うべく、オレは覚えたての召喚陣で、風魔法の応用技である雷刃を展開すると、それを見てティナ殿の父御どのも落ち着いたらしい。得体の知れぬ者から理解の及ぶ者へとかんがえが変わり、今度はすなおに肯いてくれた。
コクコクこくこくと、まるで首振り人形のようである。
「よかった」
オレは思わずニッコリした。
オレの話を聞いてくれるというだけで嬉しくなる。何せフォルテの王宮では、オレの話に耳を傾けてくれる者など誰もいなかったのだから――。
一方でトライデントも打ち顫えていた。視界の片隅に稲光がときどき入ってくる。そして耳元では雷鳴がパチパチと規模こそ小規模だが轟いている。そして何より眼前には、風魔法から派生する雷を刃とした雷刃が、さも当たり前のように若造によって突き付けられていたのだ。
尋常ではない魔法使いだった。それこそ士団クラスの魔法使いのはずである。そうなるとライム本国の魔法士団の者としか考えられなかった。
――脱出方法はない。
起き上がろうとすれば眼に雷刃が突き刺さる。顔を背ければ雷刃が耳をそぎ落とす。もしかしたら脳髄に刺さって死ぬのかもしれない。ひとつひとつ自分の状況を確認するたびに、自分はすでに完璧に制圧されていて、選択肢などまるでないことに気づかされた。
しかもこの状況に持ち込まれたのは、一瞬の出来事で、自分が何をされたのかもわかっていないのだ。
これではティナも太刀打ち出来なかったことだろう。
つまるところ、親娘ともどもこの若造の毒牙にかかってしまうことになりそうで、そのにこにことした表情が、トライデント・オールダムにはひどく不気味だった。
読んで頂きありがとうございます。
さてダブルの方でもお知らせしたのですが、十二月の末に病院で手術を受けることになりました。ヒューくんのお話はゆるりとした更新頻度ではありますが、当方の事情により、年末年始は更新どころか、ご挨拶もおそらく出来ないと思います。基本、本作も「出来たら更新」という形で投稿して参りますが、ご理解の程お願い致します。ちなみに土壇場まで更新しつづけてくつもりなので、引き続きご贔屓にしてもらえればありがたいです。