第125話 サドン・バーストという王の杖 その四
オレはふわりと浮いたままの深紫の闇を見上げた。呪具がその身に纏った深い紫色の闇を厳かに流動させていた。
「お前がオレ……というのは、血の意味……で言って……るのだろう」
「…………この血は馴染む」
中空からそんな声が降ってきた。
オレは魔法使いではない。召喚魔法士である。
魔法使いと名乗れるほどの魔法を使う者は、その髪の毛や瞳、爪などに自分のつかう属性の色が現れるという。炎なら赤、水なら青、風なら碧、と言った具合に。
だがオレは光魔法を使えたが召喚魔法士なので身体の一部が属性の色を体現することはなかった。
そして消そうとしても消せない闇が、ふとした拍子に闇収納できたことと今のひと言で、今の深紫の闇の言葉がまったく別の意味をもって響いてくることになった。
――オレの瞳のいろは、紫色であった。
◇
この秘奥の間に入ってからというもの王杖という役職をオレは名乗っていない。いつもなら王杖と言うだけで自分の名など名乗らないし、ライムに俺を知らぬ者などいないので名乗る必要さえなかったわけだが、テロリストの首魁のエルフは俺のことをよくわかってないようだった。一足飛びに宣戦布告をしたのは、王子の名前をうっかり奴らに報せないようにと云う事と、彼の雇用主であるハロルド様にも聞かすわけにはいかないようなので役職をひかえて色々と気を使う内にこうなってしまった。
深紫の闇から黒みがかった闇が周囲に散った。この黒いのはおそらくハロルド様らの言うように異界渡りをした魔具か呪具で間違いあるまい。おそらく呪具自身が闇の威力を底上げしてるのだろう。ヒュー王子なら勇者スキルを持っているのでどうにか出来るかもしれないが、それをこの場で口にすれば、彼の正体をテロリスト共に公表することになる。偽名を使ってまで自治領に引っ込んだ異国の王子を、ライムの属国であるサーバの王の継承問題で、を巻きこむわけにはいかないのが本来の筋なのだ。しかもあろうことか関わらせてはいけない事案で、こうも多大なる貢献をしたフォルテの王子の正体を、そして勇者スキルをこいつらに見せてはならない。
名乗りこそあげていないが俺は王杖だ。王の杖らしくやろうではないか。ライムは安くない。そして俺も普段、伊達に王杖を名乗っているわけではない。
異界渡りの魔具、俺の全霊でもって勇者クラスの道具に対抗しようではないか。
誉められても喜ばず、魔法を教えるといった時になって初めて控え目に喜んでいたあの姿が忘れられない。本人は食いつきすぎたと言っていたが、こちらはようやく心を動かせたとホッとしもしたのだ。
だがその彼が倒れた。
いつの間にか散弾が散布されていたのだ。
特に勢いもなく無造作に置かれた散弾だったが、この散弾が床に落ちる様子はなかった。俺はプラズマを纏っていたので後方へ押し流したが、彼はどうやら自分から突っ込んでしまったようだ。
助けるか、と動こうとした瞬間、そのヒュー王子がテロリスト達を睨んだ。
それから血だるまの身体を上半身だけ微かに起こして、身体中から血を噴き出しながら深紫の闇と何やら喋っている。致命傷ではないようだが、かまってる時間もないので先にやるべき事をやる。中に滞空している危ない散弾の山を風魔法で瓦礫の向こうへと運び去って王子の安全を確保する。
「闇収納、解放。あいつらの声をオレにも聞かせてくれ」
ヒュー王子がまた何かをしている。
血達磨になりながら何をしているのやら。もうこちらはキミを退かせたいというのに、だがしかし、それを言っても聞く耳を持たなさそうだ。全く苦労性な王子だ。
あの状態となったリア姫を見捨てずに、異国の地へ渡ろうと思い実行する根性があるだけのことはある。
つと死んだ魔法陣からなぜか声が聞こえて来た。テロリスト達の話し声だ。
「やれ。やって血肉を吸え」
「味方か敵かも憂き身が憂うようなことばかり。支離滅裂だ」
「間抜けな団長の後を追わせろ」
「いや、勇者なら確保したいぞ上役」
そこへ怒声が飛び込んだ。
「何が間抜けな団長だ!」
ヒュー王子だ。ヒュー王子が怒っていた。
異国の、会ったばかりの団長のために、彼はこんな声を出すのだなと思った。
チラと視界に捉えると、気合いの入った真剣な眼差しをひたと深紫の闇の奥に向けて見据えていた。あんな顔をしてるのか。
男惚れしそうないい貌だった
「心を遺したとコペルニクスはそう言ってたんだ。刮目して見よ! 今こそコペルニクスの恐ろしさを敵のその身に刻み込む! 猛れ時よ! クロック・ストップ!」
ヒュー王子が何かを掲げた。もはや灰のようにも見えるがあれは魔法使いの持つ杖だった。わずかに残った杖身が、彼のつまんだ手から解放されたように光となって周囲へと散った。
光りに微かに乗っていた青白さは、コペルニクスの愛杖、魔熊の大腿骨から削り出した短杖から発せられた最後の光なのだろう。その短杖はもはや杖の名残すら燃やし尽くして灰燼へと帰そうとしている。俺にとっても仲間の杖だ。思い入れもある。だがそのコペルニクスの魔熊の杖は、その杖身がすべて灰となってもヒュー王子に呼応するように最後のひとかけらまでをも燃やし尽くした。
魔素はその振動を止め、魔気もまた振動を止める。あらゆる物が静止して行く静かな世界がまるでコペルニクスが発動したかのように展開して行く。
クロック・ストップ――。
叫んだままでアルバストの時が凍りついている。俺自身、まさかもう一度この目でクロック・ストップの世界をこの目で拝めるとは思いもしなかった。コペルニクス亡き後、この魔法はもう失われてしまった。失伝した魔法となったと、そう思っていた。
「ありがとう王子」
王子がギョッとしたような顔をしてこちらを見た。
「サドンさん?」
何です、その意外そうな貌は。
「後は任せてもらいますよ」
「動けるのかよ!」
王子が今度こそ本気で驚いてるが、別に驚くほどのことではない。そちらだって動いているではないか。それにこちらはコペルニクスとは日頃肩を並べ、ライムに属する魔法使いとして懇意にしてきたのだ。物を流すのが得意な俺の属性ではクロック・ストップの世界はよくわからなかったが、それでも何度も何度も入れさせてもらった世界だ。
魔熊の杖を媒体にしてるのなら、杖の方でも俺のことがわかってしまうさ。
ましてや王杖として同僚となる男だったのだ。その生い立ちも性質もよく知っている。
俺は走り出した。
疾風迅雷ももう使わない。
残った魔気を全て叩き込むためには、余計な消費をするわけにはいかないのだ。
こうして存外にも時が止まった以上、この状況を最大限に活かすのが王杖たる俺の役目だ。
「サドンさーーーーんっ!」
ヒュー王子の哀しい声が聞こえる。
俺を止めたそうだ。
だがそんな彼に向けて俺は手を振った。そこで待っていろ、と。
彼には制約が多い。常に制約がかかる。それも実の父親からの制約が非常に多い。異国に出されて召喚魔法の制約もかかる。
シコン王からの不興を買えば召喚魔法陣は使えない。フォルテを出されたかつては召喚魔法士だった者は例外なく召喚魔法を使えなくなっている。
彼自身も何かを召喚したことはない。
使うのは魔法ばかり。覚えたての魔法を懸命に使って対処してるのだ。
彼の状態がどういう状態なのかは私には知る由もない。知る由もないが、いろいろあって我が身のことを常に投げ出してきただろう事は容易に想像がつく。彼は供も連れずにライムにやって来たのだ。付いて来たのは妹のお世話係のみ。そんな状態で国を出、海を越え、ライムの首都にまで彼はやって来たのだ。最適解を選べずに相手の運びたい思惑に乗らざるを得なかったことも多々あっただろう。苦労の跡が言葉の端々に表れていた。
だが彼はそれでも相手の求める答えを提示しつづけた。
自分はわかっていても何も選べなかった身だったというのにだ。
初めてまともに出会い、テロリストと向き合った時、彼は星読みの塔でのあの時、おそらくヒュー王子自身が持てる全ての情報を開示していた。その上門外不出のフォルテの攻廷騎士団の情報まで開示していた。次期公爵の、あの小人族よりも小さな身体に羽を生やした可愛らしい女の子の情報まで流してくれていた。あの外見に似合わない化け物じみた召喚獣の能力に対するつもりでやれとまでアドバイスをしてくれた。
さらには新たな魔法の系統樹だと喝破し、その魔法陣まで開示して見せてくれた。
いや、俺が感じ入ってるのはそこではないな。
来なくていいと言ったのに来てしまったこと。
フォルテの王族として正当性を証立てることまで約定してくれたこと。
ワッカイン王の仕打ちを受けて尚ライムのために動こうとしてくれたこと。それらが胸を打ったのだ。
随分と借りばかり作ってしまった。
母を亡くしても泣き言さえ言えない悲しみを背負い、リア姫の辛苦を背負い、ハロルド様の孤独を背負い、コペルニクスの遺志を背負い、耐えられぬ者を避難させ、それでもキミはまたここに来たのだな。
自分の重みに耐えきれずに落ちて行く、キミはそんな王子だ。
血を噴きながら王子が立つ。
光を身に纏って治癒を施し立ち上がる。
雷装も纏わず随分と思考が攻撃寄りになってるようだが、若者とは元来そういうものだ。
「よせーーーーっ」
渾身の力で私に伝えようとしている。
時の止まった世界の中で、彼の声だけは急いでいる。そういう状況なのだなと言うのはよくわかった。キミの伝えたいことはよく伝わった。時が止まっても急ぎたいほどにキミの心は伝えたいと渇望してるのだな。
フォルテでもそうだったのだろうか。
俺もキミの渾身に、返事は返そう。
「むしろキミが王室外交に大いなる意義をもたらしてるように、私にも王杖としての意地があるのですよ、ヒュー王子」
王子が呆気にとられていた。
返事が返ってくるとは思わなかったのだろうか。
ならば王の名代として、良い王室外交になったと思う。
「ふ」
王室外交、燃えるではないか。最初はこの外交に大した価値など認めていなかった。だがそれが今は万の秘事にも増して、絶対にキミ達を隠し通さなければならないと思っている。
――敵を騙せ。敵の予想を超えろ。越える存在はここに居る。勇者スキルを持ち、召喚魔法を使う男が。今ここに。
フォルテでの評判は地に墜ちてるが、それはフォルテにおいてのこと。ライムならば、あの食わせ者が治める自治領ならば、キミはきっと存分に働ける。国政会議にてハロルド様を救ったような密やかな魔法の使い方といい、今この時といい、その対処理能力の高さは万金に値する。
「そいつも止まらないんだ! サドンさん!」
そいつ?
止まっているではないか、深紫の闇は。
「くそ! 光あれ!」
「疾風迅雷!」
深紫の闇の前に出た。どこが是面でどっちが背後かもわからないが、眼前に出た以上短杖ごと右腕を突っ込む。
「そんな」
そんなも何も、これ以上キミの手を患わせるわけにはいかないんだよ。
誼はあの時に結ぶべきだったのだ。だが俺は誼など結ばず、王を嗜めることもしなかった。そんな王杖が今この時になって自らが危険になって初めて誼を結んでいるとは、何と都合のいい男なのだ。王杖の第三席が情けないではないか。そして心底心配してる顔でこちらを覗くフォルテの王族の姿は、とても清々しいものだった。
「間に合わなかった。くそ。間に合わなかった」
「そんな顔をせずともいいです。キミは堂々としてなさい、いつかの式典のように」
「サドンさん?」
「ようこそライムへ」
そして俺はプラズマを纏ったまま更に奥へと手を突っ込んだ。
「くそ、オレも」
それはさせないよ。
「疾風迅雷」
王子が秘奥の間の入り口付近へと飛んで行った。
「乱暴なのはご容赦を。ですがこの闇は必ず抜きます。後のことはお祭りパーティがやってくれるでしょう」
「パーティ? あなたは何を言ってるんだサドンさん! いいから手を抜け!」
何かを把んだような表情をしている。だがそれは次の機会に活かしてほしい。
「はあ」
抜けるような空を見た。蒼穹だ。
そういえば俺が秘奥の間の天井を抜いたのだな。
俺が微かに笑いたくなるような心持ちで、開戦の狼煙を上げることになるとは夢にも思わなかった。恐ろしいほど静かになった闇の中に見当をつけてまさぐると、不定形のように何もなかった空間に揺らめきを感じ、そこにある剣に手をかけた。死んだはずの魔法陣から魔気が火花となって飛ぶ。
空から降ってくる魔気が唸りを上げて周囲を満たし始めたのが影響してるようだ。
こちらにも魔気の補充という利点は出来たわけだが、クロック・ストップの世界が終焉を迎え、こいつが力を蓄える前にケリをつけなければならない事になったわけか。
待ったなしだな。
今度こそ本当に笑いたくなった。
「正体すら見せぬ呪具よ」
呼びかけると闇が鳴動した。どうやら王子が言ったことはこういうことらしい。
ヒュー王子に対するようにオレには返事をくれないのが玉に瑕だが、まぁそれもご愛敬だ。話したくなるように、いっちょ頑張りましょうか。
「プラズマは攻撃だけが取り柄ではないんだよ」
地肌に待機させるように誘いをかけてた餌撒きの時間は終わりだ。
「やはり返事はなしかね」
でもね、何もないわけがないのだよ。それはわかっていたのだろう。俺と同じ風系統の魔法をその身に纏う呪具の剣なのであろうから――。
「さぁそろそろ憂い悩む時間は終わりだ」
「ぬ。憂き身を磁力と何かで調べるか」
「お、やっと話しかけてくれたね」
「…………」
また押し黙ってしまった。随分とシャイな呪具だ。しかし黙っているのならこちらも用件を始めさせてもらおう。
ということで闇の中をプラズマが精査する。深紫にほのかな発光現象が起こり、周囲にまでそれが目に見えるようになった。
「磁場を巡らせて電流を憂き身くんと同じ状態にすると、ほら、この通り」
「これは!」
プラズマ同士が引き合い出した。それに釣られて闇までもが意に反してそちらに引っ張られる。
核融合が起きていた。原子核同士がこれでもかと接近する。
「させぬわ」
闇が気合いを入れると、何かがズレようとした。だがそれを無理矢理引き合い、引きつけ合わせる。それでもジリジリと電離しているがと、粘ろうとしたのだが雷がバラバラにされ、プラズマも粘っこく引き剥がされて行く。
「クハハ。これはすごいな。身体から思いっきり何かが抜かれているようだ。だがな、これでびびって手を離すような輩が、王杖を名乗れはしないのだよ」
視界に王子の動勢が入る。向こうで王子が飛ぼうとしたようだが踏みとどまってくれた。また俺に飛ばされるとわかって踏み止まってくれたのだろう。
しかしまぁ今にも泣き出しそうなそんな顔をして、君が展開した王室外交がどれだけの物事を動かしたのか、わかっているのか?
こんな場でなければ今にも叱ってしまいそうだ。
若き王子よ。よく見ててくれ。君の穏忍に今こそ報いよう。
「我が名はサドン・バースト!! 王杖第三席、サドン・バーストだ!!」