第124話 酔ってるな
特に何を言ったわけでもないが、ご武運を、と言われて送り出されると、ライムという大国に王室外交に出されて本当に良かったと思える。
フォルテではオレのために誰かが祈りの言葉を贈ってくれるなどということは有り得なかった。寂しいなどとも思う余裕のなかった必死な日々がつづき、どれだけ性を注ぎ込んでもいない者として扱われる、フォルテではそれだけの存在であった。
いつ果てるともない能無しと四肢無しという悪意が常につきまとっていた。
耳元では風が鳴る。
落下を始めると秘奥の間までかなりの高さがあったのだなと改めて知ることとなったわけだが、現実的に受け止めれば警邏隊の三人からは快く送り出され、これで枢密院殿に詰られても、いつかの反証の際には証人となってくれる当てが出来たわけだ。
――ありえない妄想だな。
オレはかつてのオレの日常であった、何者にも注意をはらう自分自身の色濃く刻まれた癖にすこしだけ笑った。
枢密院殿はお金には吝いが仕事は優秀だ。一瞬で遠ざかる時が折り重なって今オレはここに居る。
耳元では相も変わらず風が鳴る。眼下にサドンさんと深紫の闇を見下ろしながら落ちてるわけだが、上を見上げるサドンさんはオレに気づいてるだろうが、瓦礫の山からサドンさんを見下ろす深紫の闇にはオレの姿は映ってないはずだった。サドンさん自身が疾風迅雷を使わず、意識を上に向けさせないよう誘導している。
彼が気づいてるなら彼にわかるよう落下してた方が良いだろう。後はうまく誘導して帳尻を合わしてくれるはず。
「ん?」
風が鳴っている?
飛び降りて自由落下中のオレは風を切る落下音がすることに改めて引っかかりを覚えた。そしてハッとしてその異常に気づいた。
「魔気が地下へと流れ込んで行ってない?」
疑問に思った。
城塞森林公園の木々は風で枝がしなり、葉っぱ同士がこすれ合ってざわわと音を立てていたのに、ここでは風を切る音がするのだ。本来なら魔気がオレと一緒に高い所から低い所へと向かっていくはずだから、落下するオレに合わせて魔気も下降するはずだった。だがオレの動きを阻害するかのような抵抗を受け、風を切っている。大気の流れが明らかにおかしい。
まずい。
「光あれ」
オレは大穴の壁際へと飛んだ。剥き出しとなった土肌から木の根がちょろちょろと飛び出している所だ。
「土魔法土いじり」
足場をつくって壁際にへばりついた。そして木の根をつかんで身体を安定させると周囲を注意深く見やった。オレのつかんだ木の根のその奥に、魔法陣回路のラインが上部に向かって伸びているのを見つけた。
魔力光は淡い。
「だがしかしそうか。そういうことか」
オレが城塞森林公園へと飛んだので深紫の闇が姿を見失ったオレを追いかけたのだ。だがその回路も突然に消滅した。オレが何かをしたわけではない。下を見ると、サドンさんが深紫の闇をまた抉り取っていた。
「速い。しかもあの動きに肉体がついていっている。通常空間だよな」
しかしこれもあって魔法陣の魔力光が淡いのかもしれない。これまで何度も上層へと魔法陣を伸ばし、幾度となくサドンさんに阻まれたのだろう。
だがそれにしてもサドンさんが深度一に潜っている様子はない。肉眼でも見える。残像だが。
ふむ。
光速移動だと行ったら行きっぱなし、戻ったりちょっと曲がったりとか、そういう微妙な塩梅がないのが戦闘には向いてないところだと思うのだが、サドンさんの行ってる疾風迅雷は自由自在の軌道を描いていた。
明らかにオレの光速移動より戦闘向きである。
外套がはためいて、ゆるやかに風が落ちて来た。肌を撫でる風がオレのいるところにも急に吹き始めた。
「やはり何かをしようとしていたな」
オレが避けたかサドンさんが潰したのか、その詳細はわからないが、大穴の真ん中を光速移動や自由落下は最早悪手となったようだ。
何かしらの仕掛けがありそうだ。
「オレのことなどではなく、サドンさん対策で魔気の補給をさせないためにアルバストが命じた可能性もある、か」
思わず虚空に話しかけていたが返事はなかった。しかし自分の眼でサドンさんがいま何をしているのかはよく見えた。彼の身体の周囲だけ微妙に光がまとわりついている。
プラズマを纏った直接攻撃だろうか――。
「言わば雷装の上位版」
サドンさんが押している。
深紫の闇は懸命に移動して、自分に対抗できるサドンさんという存在に面食らっている。
そう余裕をもって視ていたら、途端に闇の鉄の杭に、壁に、天井の残骸へと深紫の闇が跳ねだしてスピードが上がった。しかも疾風迅雷は自由自在に曲がれるが、鋭角には曲がれないのを見抜いたらしく、サドンさんが付いて来られない領域まで軌道を鋭角にし、どんどん機動戦に工夫までしはじめていた。そのせいで闇がサドンさんの背後を何度も脅かし始めている。
「迅雷と云うからには鋭角に曲がれそうな気もするのだが、もしかして疾風迅雷をプラズマでやろうとして苦戦してるのか? 普通の雷では奴に通じないから」
そうなるとサドンさんはプラズマの制御にまだそこまで習熟していない。普段つかっている疾風迅雷とはまだ勝手が違うことになる。
深紫の闇もそう見切ったか、これ見よがしに鋭角に軌道を幾度も変えてサドンさんに襲いかかっている。
サドンさんが削られてる。纏った光が弱まっている。
プラズマ同士では向こうに一日の長がありそうだ。それがわかって益々調子づいている。
「だが空を駆け巡れるのが自分だけだと思うなよ」
自信満々な闇の軌道がサドンさんを小馬鹿にしてるようでオレは腹が立った。
「闇魔法重力制御」
掴んでた根っこを手放してオレは中に浮かんだ。
「背反世界」
大穴の壁際をオレは進む。出来るだけ光の当たらぬ影を選んで突き進む。闇よりも速い速度でオレは機動戦に参戦した。風の流れはオレが意のままに出来る。自由に吹き荒れる風とはオレの背反世界はまるだ真逆の性質なのだよ。
闇が気づいたが遅い。
サドンさん対策をしてたのが運の尽きだ。
一直線に最短距離で敵を討つ。
雷装を纏わせて存分な感触とともにオレの剣が振り抜けた。そのまま風と共に流れて距離を取り、残心を残しつつ振り返ると、深紫の闇はまだそこに存在していた。
「存分に斬った感じだったのに」
奇襲は成功したはずだ。
つと我が愛剣を眺めやると驚愕した。剣先がなくなっている。
「この野郎! 後でアンナさんに怒られるじゃないか!」
雷装の方が弱かった。闇に鋭利さで負けた。だがそれ以上にアーサー流の道場生としては出費が痛い。
「後で必ず直す! いや、今直す!」
低空を飛びながら闇の中に中折れした剣を突っ込む。まだそこにあるはずだ。
「危険だ! ヒュー君!」
サドンさんに窘められた。だが機動戦では負けない。重力から解放され、風が流れるままにオレは流れることが出来るのだ。そしてその風はオレが背反世界で制御している。
「こっちに来い! 甦れ! 炎の再生!」
「憂き身を吸うか! 化け物かよ!」
「オレはお前なんだろうが、え? 化け物!」
息を飲む気配と同時に向こうからアルバストの声が飛ぶ。青い顔をしてた。
「それはお前ではないぞ。ヒューとかいう小僧だ。名前が違うだろうが」
だいぶ慌てている。何を心配してるのかは知らないがテロリストが気忙しげにしてるのなら、それは良いことだ。
「憂き身を呪で縛ろうとするな」
しかも戦闘中だというのに反論している。こいつら馬鹿だ。
「言うことを聞け」
「名はないと言ったろうが。主面して破るなら終わりだ。どうせ憂き身はもう破滅してる」
「主は私だぞ」
「呪は憂き身を縛る。名前で憂き身をそう縛る。名前とはそう言う物だ」
「上役。名前を呼んだら決定的な破綻をするぞ」
「くっ」
微妙に会話が成り立ってないところをバックドアがまるく収めていた。
だがオレが炎の再生を終わらせるのには十分な時間だ。そちらにも時間が必要ならオレにも必要だった。しかし闇から抜いたオレの剣は、再生を一切していなかった。
なぜだ。
だが目の前にある事象が事実だ。切り替えろ。
オレは直ることのなかった剣を鞘にしまい、外套の後ろに手を伸ばした。最早秘している状況ではない。絶対の信頼を置くふたつの柄を握る。
忍者刀。時の止まったオレの最大の武器。
そのふた振りの忍者刀が外套の中から現れたのを見て、アルバストが眼を見開いた。
「斬れぬなら、斬れる得物を出せばよい」
「やれ! 今やれ!」
深紫の闇から鋭い闇が鞭のようなしなやかさで襲って来た。その強襲をトンと地を蹴って中に浮くことでやり過ごすと、そのままオレは剥き出しとなった鉄の杭の上に片足でしずかに着地した。
アルバストが興奮したように叫ぶ。
「やはり! お前が風魔の小太郎だったか!」
そこが問題か。
そんなことを喋ってていいのか、とオレは思った。だがこの隙は利用させてもらう。オレは風を受けて鉄の杭から飛び出すと、サドンさんと削り合いだした闇の背を追った。
闇は正面同士のぶつかり合いは避けて相変わらず切れ味鋭く曲がるが、サドンさんがオレに気づいて目でオレを押さえると、追い方を変えた。まるで杭の奥にいるアルバストをも巻きこむような追い方に闇が厭そうに杭にぶつからぬよう切れ込んだ。鋭くターンする。
だがこれがサドンさんの狙いだった。
追い込み漁のように闇をオレの方へと追い込んでくれていた。
「オレがいるんだよ」
待ち伏せ状態から一瞬で加速したオレに気づいて、闇が軌道を更に左に寄せようとしていたが、オレも背反世界に乗ったまま左の外套の裾を開いて正面に出た。
左の外套を広げれば左に曲がる。
風の流れをそのままにすることで闇にはオレが曲がれないと思わせておいて、外套で風を受けることで速度差を利用し、支点をつくって方向転換するのだ。
闇が更に細かく右へとずらそうとするが、
「馬鹿め。そっちにだけじゃないんだよ」
逃れようとした闇をオレは追う。オレは逆にも曲がれる。右の外套を広げれば右にも曲がれる。
ガハッ。
衝撃が突き抜けた。熱が燃え上がるようだ。
「憂き身は馬鹿ではない」
いつの間にか、いつのまにか、であった。混濁してるわけではないが二つのことが悪い方向に行った。間違いなく行った。
「そうだな。馬鹿はオレのようだ。本当にオレを見ているようだ」
まずはオレのことだ。
何せオレも先ほどまでは満身創痍だったのだ。闇の血の散弾で身体中を射抜かれていた。光の治癒魔法で治したとは言え、外套自体はは穴だらけであったのだ。
風がスースー抜けている。その事に今この時になって気がついた。
いや、曲がりが悪かったわけじゃない。
耳元にいつの間にかゴーゴーと風を切る音がした。
――風鳴りか。
こんな音が聞こえてる時点でオレの背反世界は切れてってしまったようだ。勢いだけが残ってる……のか。
知らず意味不明な衝動が口を吐いて出そうになる。
オレは今この時も屋敷にて平穏に暮らしてるであろうリアと、それからアンナさんのことを思い浮かべた。勝手に脳裏に浮かんだのだ。
自治領は山並みに囲まれ、標高も高く平地より寒いので、フォルテで用意したそのままの格好ではとても過ごせるものではなかった。だから屋敷を提供してくれたロラン殿のすすめで自治領入りしたその日にリアとアンナさんとオレとで外套を買いそろえたのだ。
「状況を悪くしやがって、本当に…………馬鹿だ」
フォルテに居た頃とちがって、オレは今ひとつひとつの物が愛おしい。どんな思いで買い求めたか、何を我慢して何を優先させたのか、何故にこれを選んだのか、そういった思考の変遷が、叡知が、暮らしの知恵が、買い物ひとつひとつに宿っていた。
自治領に来なければこれほど真剣にひとつひとつのもの向き合うことはなかったかもしれない。いや、なかったろうと思える。
アルバストが水の癒やしを自分に連発して本当に嬉しそうだ。動く気満々だぞ。
「おい、深紫の闇」
「頭だけでも守ろうとはな」
そうか。オレは忍者刀で出来ることはしているのか。いや、そうじゃない。
そして思考が途切れた。
バサバサと外套をはためかせて、薄れ行く背反世界がオレの最後の意を汲んだかのように加速した状態の風にオレを乗せ、意のままにならぬままオレは石の床へと滑空し、そのまま水切りをする石のようにバウンドしながら瓦礫だらけの石の床を滑った。
そこら中に散らばってる瓦礫に、掃除の大事さを学んだ。
身体が、野性が、高い所から落ちた猫のように身体を丸めようとしている。
「おまえは、憂き身は何だ。いまさら何を守る」
「お前、自分をオレだと主張するなら、ふざけるなよ」
風の中で歯を食いしばってどうにか喋った。
身体中を衝撃が突き抜けてく。空気を吐いて馬鹿なことをしたとも思った。肺に空気を入れておけば緩衝材になったかもしれないのに。
小さな瓦礫は蹴散らし、大きな瓦礫はオレの身体をバウンドさせる。小さな瓦礫の方が地味に痛かった。
大きな瓦礫にぶつかってようやく動きが止まった。チラリと視界に道のようになったオレのランディングの跡が入ったが、特に感慨はなかった。バウンドした痛みもさほどでもない。痛みよりも機能の方が大事であった。
闇の張った罠が、完全にオレの身体を突き抜けていた。しかも一つや二つじゃない。
オレはいつの間にかまたも撃ち抜かれていたのだ。それも複数の場所を。まるで自分から魔法の中に突っ込んで行ったような…………。
ごぼ。
咽喉に血溜まりが出来た。
頭は守ったんだがな…………。
無駄打ちなどオレの経済観念では最早有り得ないのだが、それが起きた。くそ。そんな手段を選べる阿呆は痛い目を見て国を追われるのが関の山なのである。
だがこいつは散弾を置き玉に使っていた。
オレが通るであろう所にきちんと用意して置き、対策を練っていたのだ。
「げふっ」
弱味を見せまいと思っていたのに我が意に反して血が器官に入って咽せた。
オレがやられたのはおそらく位相のずれ。深度一による偏差攻撃だろう。
闇は散弾を周囲にばらまいたのだ。通常空間にもどした時点で雷装の上位版を纏っているサドンさんが無事で、オレが傷を負ってるということは、そういうことなのだろう。
「憂き身が…………」
ちゃんと喋れ。
だがこいつの言いたいこともわかる。勝ち誇りたいのだろう。攻略されたのをさらに攻略してオレの上を行ったと自慢したいのだろう。
おそらくだがこの散弾はこのオレが大穴に降下した時に、中空の上層部にもばらまいてた物なのだ。だが、それをオレがうまいこと避けてしまったのでこいつはここに設置し直したのだ。深度一の特性を考えるなら、上層部においては位相のずれを解除して通常空間に散弾を出しかけてたのだろうが、タイミングよくオレを迎え撃つはずが思わぬ形で風が流れこんで来て、不発となった。
オレも大穴の壁際を進んで落ちて来たし、こいつはオレに罠の存在を感づかれたと、そう思ったのだろう。
ふふ。
回避されて余程焦ったのだろうな。サドンさんから逃げの一辺倒になってたのはそこら辺も理由にあったのかもしれない。
だとしたらオレもまた状況が見えていなかった…………。
ごぼ。
鳴るなと思っても再び咽喉が鳴った。
光速移動の弱点を見抜き、準備をしたのは見事だ。それを背反世界に対しても応用し、置き場所をしぼるのではなく、広範囲で行えば通用すると考えたのも見事だ。
だがしかし――。
「こんな無駄遣いしやがって」
「…………」
深紫の闇が何か喋ったのだろうか。だがオレの耳には聞こえなかった。
まるで酔っ払いを見ているような気分だ。
オレが秘してた虎の子を使った意味がわかってるのか。
「そんなだからお前は置いてかれて入り口で一人立たされたるんだよ」
オレは悪態を吐いた。しかし口だけ勇ましく起き上がれないオレのことを、深紫の闇は中に浮かびながら上からジッと見下ろしていた。
あとがき
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