第123話 城塞森林公園への一時離脱
サドンさんが今度こそ決着をつけに歩き出した。肚を括ったのは明らかだ。瓦礫の山をザクザクと足音を立てて登っている。
「枢密院殿」
「なんじゃ」
「二の舞は避けたいです、コペルニクスの」
「そうじゃの。こちらのことは気にするな。もう許可は出した」
警邏隊の人がピクリと動いた。
「ハロルド様?」
そう言ったのはコペルニクスを抱えている警邏隊の人だ。この人が不満そうな表情をしていた。だが枢密院殿はその人に向かって静かに首を振った。
「ですが」
「ならば聞くだけは聞こう。それも枢密院という職責を負った者の責務じゃ」
では、と警邏隊の人が咽喉を鳴らした。
「私も長いこと警邏隊で勤めてますが、これほどの回復魔法の応酬は見たことがありません。ヒュー君も、いつの間にか怪我が治っているようですし、それにテロリスト側の治癒魔法も尋常ではありません。手足の欠損さえ治しているのです」
「うむ」
「ですが回復手段の弱いフェンリル魔法士団もご覧のようになりました。王杖も切り札をたった今しのがれてます。その強大な魔法故にこれまでは回復魔法の必要などなかったのでしょう」
「ピューにはあるぞ」
「しかしコペルニクス団長への炎の再生は不発でした」
それを言われると辛い。全くその通りだ。
「私らも爪がもう透明になりました。警邏隊の棒もなくなりましたし、制帽を脱ぐと」
脱いだ帽子の中には短い髪の毛が生えてたが、今にも抜けそうなほど細い髪の毛しかなかった。事ここに来て何の冗談だろうかとオレは思った。だが枢密院殿は肯いている。自分の頭に残ったわずかな髪の毛と一緒だねとでも言いたいのだろうか。
「ご覧の通りです。ついでに差し出がましいですが、サドン様ももう魔気はかき集められるだけかき集めたことでしょう」
ふむ。それならば意味はわかる。真面目な話だ。
ただでさえ王都は秘奥の間をテロリスト達に乗っ取られて好き放題に蹂躙された。魔力を奪われ、魔気を奪われた。王都から魔法が消えているのが今の状況である。サドンさんの発動した魔法の数々は、ないと思われていたなけなしの魔気による魔法と言いたいわけだろう。
「だからもうここは足止めに徹して戦力が揃うのを待つべきなのでは?」
と警邏隊の人が言った。
魔気がないなら魔素の補充をしよう、魔水の補充をしよう。王都を守るのが仕事の警邏隊の人ならそう言うだろう。
「じゃがホリーはもう動いてるぞ」
枢密院殿が問わず語りにつぶやいた。
警邏隊の人たちは一様に押し黙った。
ホリーは前宰相の娘だ。そしてサーバの王位を狙う長男オスニエルの妻でもある。その女が国を裏切ってテロリスト共と会話をし、王都を守る警邏隊には一瞥もなく、それどころか居ない者として振る舞っていたのは秘奥の間にいた全員が目にしている。
王都の混乱をこのまま放置し、これからの悪巧みにのためにわざわざテロリストを呼びに来た節もある。
「手遅れにするか? アート王の居場所すら儂は把んどらん」
「それは私らもですが、しかし…………」
それにの、と枢密院殿が国を思う警邏隊の男に言った。
「王杖がライムとして宣戦布告を出したのだ。属国として何もせぬと言うわけにもいくまいぞ」
確かにその通りだ。そしてその論理だとこの場で戦えるのはオレ一人だけという事になる。
「それともお主、宗主国のライムが遣るというのに、属国のこちらは高みの見物だけさせてもらいましたとライムの王政会議の席で言ってくれるか?」
警邏隊の人が青い顔をした。だがオスニエルが既に裏切っているのが判明してる以上、それに対しての返答を何らかの形でサーバが証立てなければならないのは事実だった。しかも喫緊に必要である。サーバ王家の者がここにいればいいのだが、居ない者は居ない。居る者でどうにかするしかないのだ。
「ピュー、お前はどう思う」
「ここでサーバ側から誰も出さないとなったら、オスニエルを有利にするために動かなかったと判断され、最悪国を滅ぼされかねませんな」
「そういうことじゃ。よいか?」
警邏隊の人たちもこれには肯かざるを得ないようだった。どう考えてもサーバ王家の立場は悪い。最悪と言ってもいいだろう。
「急げピュー。サドンが始めるその前に」
「では見通しが良くなったので城塞森林公園でしたっけ。そちらへ行きます」
「そうじゃの、仕方あるまいの」
そう言って枢密院殿が晴れわたる空を見上げると、うむ、と肯いた。
オレは水魔法を解除しながらサドンさんへと振り返った。サドンさんはザクザクと瓦礫の山を登っている。手には短杖を用意していた。
先手を仕掛けたのは深紫の闇だった。サドンさんの踏みしめる足下の瓦礫が動き、散弾と魔力光が跳ね上がって襲いかかった。
まともに攻撃が入る。全ての攻撃がサドンさんの身体に叩き込まれて体内から出て来ない。しかも直撃した威力はそのまま残ってサドンさんの身体が中へと舞い上がった。そこへ容赦なくさらなる瓦礫が集中し、散弾が突き入り、すべての攻撃を叩きつけられ、それが終わると同時に魔力光の光も薄まって消えて行った。魔力が途切れてようやく攻撃が止んだ感じだが、それまであった魔力光の代わりに雷が散るのが目に見えるようになり、サドンさんの雷が四方八方に意味もなく散っていった。
「魔力が抜けてる?」
「いやピュー、それよりまた次の攻撃が始まったら」
このままでは嬲り殺されると、誰もがそう思った瞬間――。
「消えた」
サドンさんの姿が中空から消えていた。
オレはサドンさんの姿を捜したがその時には、
「ぐおっ」
と深紫の闇の呻く声がした。
瓦礫の中から伸ばしていた闇が何かに食い千切られていた。大気の漂う中空に意味をなさなくなった闇の塊がぽつりぽつりと鱗雲のように離れていた。
「何だ、サドンさんは何をした」
サドンさんが何事もなかったかのように中に浮き、深紫の闇に対峙していた。
「無事そうでもある。でも何故?」
「疾風迅雷じゃ。お主の光速移動にも似た魔法じゃ」
ということは初撃こそ許したものの、いや、許してさえいなかったのか? ここにも謎があるが、戦いに際していつの間にか餌を撒いてもいたようだ。ゆっくり瓦礫の山を行くと思わせておいて急襲を誘い、それを逆手にとって逆襲してのけたわけだ。
それを枢密院殿は疾風迅雷と云ったのだろうが、まだよくわからない。
奴の防御を食い千切ったのは何なのだ。枢密院殿はそれも含めて疾風迅雷と云ったようだが、オレも未だ魔法であの闇を喰い千切れていない。
移動魔法に何か細工があるのか?
「お前は殺す」
闇の声が低く響いた。
「皆さん、オレに触れて下さい」
全員が急いでオレのどこかしらに触れるのを確認すると、オレは告げた。
「飛びます。光あれ」
オレたちは戦場を離脱し森林城塞公園の木々に囲まれた場所に飛んだ。すぐ側には大穴がある。かつて秘奥の間へとつながる魔法士団統括部への入り口があった場所だ。
その大穴をオレたちは覗きこんだ。
はるか下層にサドンさんが深紫の闇を相手にしている。アルバストらはまだ全快というわけではないようで、水色の魔力光にアルバストが幾度も彩られていた。オレたちはそんな状況を観ているわけだが、頭上からは城塞森林公園の木々がひしめき、葉擦れの音がものすごいことになっていた。
オレはその木々を見上げる。間違いない。確信した。
「これは勝機が出て来たかもしれませんよ」
「何じゃと」
「魔法陣が停止したおかげで、王都民がこれ以上魔力を吸われなくなったということです。そしてバリア、王都の障壁もああなりましたし、げふんげふん」
「なるほどのぅ。遮るはずの物がなくなったから王都の外から魔気が流れこんで来るわけか」
げ、げふんげふん。
おそらく今、王都周辺において大きく風がながれて大気と魔気が混ざり始めている。サドンさんは状況を変えるようなニュアンスで魔法陣の破壊を決定していたが、この状況を狙っていたのかもしれない。
王都に張り巡らされた魔法陣が死んでからまだわずかの間しか過ぎてないが、王都自体も民が魔力を吸われることがなくなって来ているはずであり、魔力を吸収されることがなくなればその分だけ結界の壊れた王都には、外から流入してくる魔気の量も増えるはず。
吸われることがないのだから――。
そうなると気圧の高いところから低いところへ大気が流れるように、魔気の濃い周辺から魔気の薄い王都へと魔気は流れこんで来る。
サドンさんの放った雷神乱舞が魔法陣の機能を停止させ、欠乏状態となった王都の魔気を補給することにつながり、さらには素早く混ざるよう大気の攪拌をも視野に入れていたのだとしたら、それはもう流石王杖としか言いようがない。
都市機能を壊すが人は治す。
その考え方。
オレは警邏隊の三人に目をやったが、三人は下層のサドンさんと闇との対決に夢中で気がついていないようだった。
そして壊れた物は壊れた物で、戦時下ではそれ以上気を配る必要がないというのもよくわかる話だった。
サドンさんが特別なのだ。
これは宗主国の考え方なのだ。属国からはどうにかして自治を取り返すか復旧を真っ先に考えるだろうから、この考え方は出て来ないだろうと思う。
ふと熱いものを感じたのでそちらに目をやると、枢密院殿がジトッとした眼でオレを見ていた。いや、視野に入れていたと言うべきか。
サドンさんが王杖ならこの人は枢密院なのだ。
しかもケチだ。
「何というか落ち着かなくなるので、そういう含みを持った眼でオレを見ないでいただけないだろうか、雇い主殿」
「お主のおかげなのか、せいなのか何とも言いようがなくての。困っておった。こうして省みるとお主はまた微妙な人物よな」
「壊しはしましたが、そこはほれ、雇用主の雇用責任ということで全て枢密院殿が引き受けて下され」
オレは下命されてた命令を忠実に実行することとした。
「では行きます」
「あ、おい待て」
「「「ご武運を」」」
大穴に飛びこみながらそんな声援をオレは背に受けていた。