第119話 怨嗟
秘奥の間は分断された。突如現れたバックドアに見事に勝ち筋を潰された。
しかし奴らがいかにガウェインとやらを手伝わせたくとも、四人組はいま闇収納という進化した咒札で闇の中に収納されている。
この攻撃は王杖の中でも雷帝と謳われるサドンさんの風魔法による雷攻撃だ。肉の焦げる匂いがするほど感電したのだから、早々に復帰は出来ないだろう。
そもそもそこまで手が回らないとも思う。
リアのことを四肢をもがれて当然とばかりに断じたので、オレは我が身をもって知れと首魁であるアルバストの四肢を斬り落としたのだ。
放っておけば死ぬ。鉄の杭で獄中のように囲って難を逃れたが、それでも絶体絶命には違いない。焦げて動けぬガウェインを呼ぶ暇などないのだ。
サドンさんがオレの横に並び立った。
「すまんな。とりあえず、あー、城塞都市を逃げたというワイバーンの処理をしてたら遅くなった」
「…………何かありましたか?」
「そんな眼で見ないでもらえるかな、お、ヒューくん」
いま絶対王子と言いそうになったなと思ったが触れずに流すことにした。サドンさんの眼は深刻な色を映していたから。
そのサドンさんが口元を隠して言う。
パリパリと雷が飛び交った。声に指向性を持たせてるようなので、オレたち以外に聞かせる気はないのだろう。
「サカードのホバー・ジョッグルと出会った」
「サカードの?」
「王矢の第三矢がいた。追跡しようとしたが逃げられたので、来た方向と考えられるこちらに来たんだ」
「そうですか」
五大国サカードの王矢、しかも第三…………。
怪しげなのばかりがうろついてるな。
「そいつには多分会いましたよ。ここに来たのがそいつでしょう」
「ほう。交戦を?」
「いえ」
オレは新たな手がかりとなった案件をあえて考えずに、リアの右手の指の封じられた玉を意識した。玉は今、外套の小物入れに入っている。それがどういう状態なのかはわからないでいるが、在ると思うだけでとても暖かかった。
「おそらく玉を届けに来たんですよ」
「玉?」
「もう取り返しました。リアの右手の指が五本、入ってました」
「それはっ」
息を飲んでサドンさんがオレを気にしたが玉は見せなかった。例え今は倒れ伏していても、いかにもな行動を奴らの目の前で行う気はない。
「ええ、お陰様です。それよりサドンさんが感じたことはありませんか? あなたの直感を伺いたい。コペルニクスのことは聞いたのでしょう?」
「ああ。俺が秘奥の間に来て奴らの話を聞いて思ったのは、ガウェインとは、もしかしてあの呪具のことなのかと俺は思った。本当に前後を知らないただの第一感だが」
「呪具が? 四人組の誰かかとこちらは思ってました。でももしそうなら」
「俺はかつての偉大なる勇者の相棒のことも知らない、自称異界渡りをさせられたエルフが自分の道具に呪詛を吐き続けたんだと思う」
「それがあの呪具になったというわけですね」
「そうだ。不遜にも勇者の相棒を汚して。動くぞ」
アルバストが床に寝そべったまま繋がったばかりの右手を動かしていた。エルフという存在でありながら弓ではなく、レイピアでもなく、あの手は剣を選んだ者の手なのかと思うと、アルバストの異質さが表に浮き上がってくるようでオレは不気味に思えて来た。
隣でサドンが詠唱を始めた。
「そは気高き雷。闇夜を切り裂き、光を切り裂き、すべての世の理を浮かび上がらせ一切の隠匿を拒む者なり。
再び地に叩き落とせ! 雷電!」
詠唱が進むとともに風が舞い降りて来るのを感じてたら稲光がオレたちの周囲に発生し、詠唱が唱え終わると同時にアルバストらに向けて一斉に襲いかかった。
だがその雷電は半分ほどが鉄杭の壁に吸われていた。おそらく深紫の闇に連動している。なぜなら咒札は王都の魔法陣に新たに設置されただから、連結しているはずだ。
咒札とはそういう物だ。
「固いな、想定より」
「あの鉄杭の間を抜けても指向性が失われていました」
パリパリと雷がオレたちの周囲を覆う中、オレとサドンさんは互いの見解を俎上に乗せた。
「こういうとき騎士がいると楽なんだがな」
「騎士? なぜです?」
「ぶった切ってくれるからさ、あの邪魔な鉄杭を」
「いやそれは無理でしょう、オレからしたらあの鉄杭の一本にでも刃を立てられたら御の字ですよ」
オレは鉄の杭が乱立するあの場所を剣で薙ごうとは思わない。そんな事をしたら刃がこぼれて、なけなしの金で購入した折角の剣を台無しにしてしまう。アンナさんに溜息を吐かせるのも目に見えた。そもそも剣を折ったらどんな顔して屋敷に帰ったらいいのかわからない。
「でもおそらくアーサー騎士団の団員ならみんな出来るぞ」
「え?」
マジですか? とサマースのように言ってみたくなる。
サドンさんは大きく頷いていた。
ちなみにそんなふうに頷かれてもオレには出来ない。忍者刀なら出来るかも知れないけど、剣で一本幅十数センチもある鉄杭を切ろうだなんて正気の沙汰ではない。
だがサドンさんは当たり前のように言った。
「魔気飲みでボロボロにするからな」
「そ、そうなんですか」
その技をオレは知らない。オレはアーサー流の剣が想像以上に奥深いことを今知った。
深紫の闇がゆっくりと移動を始めていた。剣先が石の床に突き刺さってる物とばかり思ってたのだが、魔法陣の上をゆっくりと、だが確実に移動してアルバストの方へと向かっていた。
「あの呪具が原因だとは聞いているが、聞いてた以上におかしな存在だな。あれが剣だとコペルニクスが言ったのなら剣なのだろうが、聞いていなければ信じられんな」
「でも鉄杭に引っかかりますよ」
鉄杭を通ろうとすれば闇は通れるだろうが本体の剣はそうはいかない。
オレはそう思ったので余裕を持って言ったのだが、深紫の闇の遠端が鉄の杭に触れると接触してるはずなのにかの闇は何事もなかったように鉄の杭をすり抜けており、通れないはずの物質同士の接触をものともしていなかった。
「咒札すごいな。どこまで進化してるんだ」
「敵味方の識別があるのかもしれないが、感心してばかりもいられない。奴らに持たせるわけにはいかないからな。というわけで俺がやる。ヒューくんはこれまで通り、自分のお仕事を全うして頂きたい」
オレのことを「くん」呼ばわりしておいて、王族に対するように「して頂きたい」と言い出すおかしなサドンにオレは少しだけ笑った。
「でもそれは無理ですね。これまでの流れを知らないサドンさんよりオレの方が適任です。枢密院殿からの許可も出ています」
「だったら騎士を待ちますか? たぶんもうすぐ凄いのが来ますよ」
「いやいや、どうせ魔法戦ですし、騎士団では無理でしょう。魔法の素養がない」
サドンがくすりと笑った。
我ながらさっき聞いたばかりの話とまるで違うことを口走っている。
「ほら、サドンさんにも呪術の素養はないでしょう。オレがやりますよ」
「いやいやいやいや、ここでフォルテの王子にやらせるわけにはいかないでしょう。ここまで手伝ってもらってる時点で申し訳が立たないわけですし。それにほら、何というか、歓迎の式典であんな不快な思いをしたのに、よくライムの、その属国の危機を救う気になるものだと」
「コペルニクスにも似たようなことを言われましたよ」
「コペルニクスに?」
「ええ。バツが悪そうに話してくれましたよ。あの会場にいたと」
「まいったな。告白すると、私もあのパーティ会場にはいたんですよ。王はすぐに帰られましたが」
あの席だよなぁ、とヒューは思った。オレとリアを王族だけれど要らない王族と見切られて、早々にライムの王族や貴族は席を後にしたのだ。だがそういう扱いにはフォルテでもよくあり慣れたもんなので大した感慨は覚えなかった。むしろ事前情報も入っていただろうに、よくここまで人を集めて歓迎しようとしたもんだと驚いたのだ。
まぁ今は少し考え方が変わって、なけなしの王族面を使わないといけないなと思っているのだが、つくづくオレたち兄妹はマイナスからの出発が多い。
するとサドンさんが、あの時去ったライムの大多数の貴族がですが、と前置きした。
「フォルテのことなど知ったことではなかったんですがね。彼らも顫えることになるでしょう。最早そうもいかなくなりました。フォルテの王室外交がここまで身体を張ってくれたのです。あれだけ失礼な態度を取った我が主の振る舞いの後に、です」
王を筆頭に、と云う事で言ってるんだろうなとオレは思った。
確かにワッカイン王のあの時の振る舞いは、今となっては割と致命的だ。そこから鑑みれば、この秘奥の間に王杖がいてフォルテの王子がいて、どちらがこの闇に手を突っ込むかとなれば、外交問題にしないためにもライム側が手を突っ込むべきなんだろう。
だがここはオレの言う通りに譲るのが失礼をした相手の意思を尊重することになるわけで、サドンさんはここでどうぞとオレに身を引くのが一番角が立たない。
だがそれが通用するのはこの場だけのことで、それが後の報告で、
「フォルテの王子よ、手を突っ込め」
そう受け止められでもしたらフォルテとライムの仲は険悪となり、最悪開戦もありえるだろう。いや、間違いなくするだろうな。ライムの属国の中枢に楔を打てるのだ。この機会を父さまが見逃すはずがない。あー、こうしてみるとサドンさん、結構気の毒な立場なんだな。オレがこの場にいなければ、アルバスト達はすでに撃退済みだしサーバの誰かにやらせて終わりだったんだろうけど、オレがいるせいでもうそうはいかなくなっちゃっているわけで…………、全員上に上げちゃったし…………。
オレとサドンさん自体はここまで気心を通わせる間柄になったというのにタイミングが悪い。
「何というか、ご愁傷さまです」
オレが気の毒げにそう言うと、サドンさんは迷惑そうに苦笑した。
◇
召喚の場では二柱の神が話し込んでいた。小太郎は己を弁えて少し離れて座っており、平常通りを保っているが二柱の神は違った。
(ヒューに神憑きしてもいいものかどうか)
この一事である。深度一でもまだ表層にしかこぼれていないので、仮にヒューが潜ってきても説得できるかどうかはわからなかった。
ヒューは神を戦いに介入させることを嫌う。
日の本で信仰を失って滅びる神を見たことがあると言うのが、その意識を天秤の中央に据えたという事がある。
おそらく神憑きのスキルをこちらからしても、すみません天道神さま、リアが関わっているならいざ知らずとも、人が大好きな天道神さまに人の争いに加担させるのはちょっと無理です、とでも言いそうであった。
(憑いた方がいい。あれは神の力にも似てるぞ)
(その場合スキルも魔法もオレにあるとでも言いそうじゃの。闇の動きを教えてもらっただけで満足してしまいそうじゃ)
(ならば憑かなければいい。ギリギリまで人の身で抗うのもこの子の信条であろう?)
ふむ、と天道神さまが唸った。
それを危ないと思ったから相談を持ちかけたのだが、時量師神はそんなに付き合いが深いとも思わないが、的確にヒューの信条を理解していた。にこにこと眺めたら、にこにこと笑んで返された。
(致し方ないの。それは、コペルニクスの後を引き継ぐためじゃろ)
時量師神は黙って肯いた。
スキルで勝手に憑いたらヒューをねじ曲げてしまうと、そう指摘していた。それはヒューと関わった神々の願うところではない。
天道神はじっと王都の魔布陣を見やった。
こうしている間も青白い燐光がさまようように魔法陣をぐるぐる巡っている。まるで行き場のない迷路をずっと辿っているかのような行脚であった。
深紫の闇とヒュー達が呼称するこの存在が、二柱の神には付喪神のようにしか見えなかった。しかも我を忘れた魔神とでもいうべき付喪神である。
(でもね、一番最初にこの子に出会った天道神にだからいうけど、この子は孤独が深い分、情がとっても深いよ)
(そうじゃな)
(コペルニクスを追い込んだのは自分だと考えている)
(ますますコペルニクスに義理を感じるじゃろうな)
(それはライムにでもしょう)
あっさりと時量師神が指摘した。
その通りだと思う。居場所があると言うのは、あの兄妹にとってはそれだけで大変に幸せなことだった。
(あなたが召喚の場に入り浸っている気持が少しだけわかるよ)
(どうせ時間差などないも同然で日の本に戻るのじゃ。入り浸るも何もないであろう)
(はいはい。でも警報だけは鳴らしておきましょううか。いきなりだと全滅も有り得ますわよ)
厭そうな目を時量師神にむけて、天道神は魔法陣をめぐる怨嗟の声をヒューに届けた。
◇
ヒューの耳に声が聞こえて来た。
魔法陣を巡る呪詛にも似た声が、こちらも気づかぬ間に静かに閑かに巡っていた。
「憂き身が許されない存在である。その憂き身がもう一人いるなら希望を持つのではなく、責任を持って憂き身を処理しなけりばならなかったのだ」
浅く深く巡っていた。
「何故繋がっている。憂き身でつながりを断っておいて、今さら繋がっていようなどとは片腹痛し。憂き身も憂き身なら自らを断て。絶て。断て。絶て」
(うおっ)
気持ち悪っ、と素で思った。
召喚の場から真面目な声がした。
(あれは付喪神みたいなもんじゃ)
(それを言うなら神は神でも魔神の類になるんじゃない?)
(時量師神の言う通りじゃろうな)
その向こうで、こっちを先ず治せ馬鹿、とバックドアに呪具が怒られていた。
呪具が喋った。
「断つ」
オレの背筋にぞくりとしたものが奔った。と同時に魔法を展開する。
「闇魔法、闇」
この勘が正しいかどうかはわからなかった。だが展開したおかげで攻撃が直撃するのを防げた。神さま様々である。
そしてオレは深紫の闇対策を忠実に実行した。こいつを抑えるためには闇で対抗するのが一番だった。
だがそれまで通りの闇を闇で押さえ込もうとしても、一瞬も持たなかった。あっという間にオレの魔法が浸食されて、深紫の闇がその勢力を広げる。
こいつはついさっきまで呼び戻されてアルバストの方に向かっていたのに、今はもう膨らんでるので移動してるのかどうかもわからない。攻撃は実際につづいている。
「土魔法、土いじり」
土壁を奴らと同じように地表から天井へ向けて大きく展開した。だがその壁もまるでないかのように透過しながら魔気を食らいつくして来るようだった。
消え去る前にさらに追加する。
「背反世界」
風をぶつけてみた。これが正解だった。
「よし。侵攻が止まったぞヒューくん」
後ろで枢密院殿と警邏隊の三人組も会心の笑顔を見せている。
だが動きを止められたことで深紫の闇は狂った。
「どけどけどけっ」
そんな声が幾重にも木霊して気味が悪い。そして声だけでなく、深紫の闇の、闇自体が千切れて細かな粒状になったようで、それがオレの背反世界を切り裂いて散弾のようにこちらへ降り注いで来る。
身体に穴が開いた。対抗して背反世界の風を強めたが、それでも闇はオレの身体に飛びこんで来ては傷を増やしてゆく。せめて枢密院殿は守らなければと思うのだが、後ろを振り返ることも出来なかった。振り返れば貫かれる。風の操作を一瞬たりとも間違えてはいけなかった。
幅広の剣を防具代わりに前方に置いてみる。
するとその途端に散弾が眼に来た。角度を変えてオレの方へと飛びこんで来たのだ。正面ばかりに気を取られすぎた。
これは貫通する。
首を振ろうとしたが、その微妙な動きをした瞬間にべつの散弾がオレの血脈を削った。頸筋から血が奔出して一瞬クラッとする。胴や足にも貫通された感触が増える。だがその最中もオレは避け損ねている散弾を左目でジッと捉えていた。