第115話 深紫の闇 その二
床は冷たいが氷結使いのコペルニクスにはちょうどいい冷たさかもしれない。オレは心情としてはコペルニクスを魔法陣の外に運んで安らかに眠らせたかったが、それをアルバストらは許してくれそうにないので、息を引き取ったコペルニクスは床に横たえた。
コペルニクスの握ってた左腕の魔熊の杖に触れる。まだ体温の残ったコペルニクスは温かく、オレは彼の指をゆっくりと開きながらその手に残っていたわずか数センチメートルの杖身を離そうとすると、不意に杖身が顫えた。
魔法陣の中を深紫の闇から流れ出ようとする魔力光を蹴散らして、その魔気はひた走った。複雑な紋様を描く魔法陣を縦横無尽に枝分かれしては集合し、また枝分かれしてはアルバストらのところへ辿り着き、その瞬間に氷結叢林が出て奴らのいるど真ん中で咲き誇った。
声は聞こえないが気配は薄まった。アルバストの顔に深い傷がある。大ダメージを負わせていた。顔であのダメージなら魔法陣から咲き誇った氷結叢林なだけに下半身や胴体はもっと被害を受けてるだろう。
だが深紫の闇がもくもくと魔法陣から湧き出てそれ以上の詳細は確かめることが出来なかった。
「やった」
「団長がやったぞ」
「今なら! 団長が秘密を暴いてくれた今なら行ける!」
魔法が通るようになったと思ったのだろう。ふらつく手足で立ち上がり、呪文を詠唱し始めた。途端に魔法陣に魔力を吸われて発動を邪魔されてしまい、元から窮状だっただけに立ってることも出来なくなり再び座りこんだ。
「どうする」「二の舞になるぞ」
魔法を発動しようとしたら、今の男達のように無力化されると言ってるのだろう。彼らは魔法士団の一員だ。魔法を放てない魔法士団など一般人と変わらない。次の手が思い浮かばずにしんとした部屋で倒れたばかりの男がしんどそうにしつつ言った。
「魔法防御をこれでもかと呪文に組み込め」
ガバッと団員達の目が彼に集まる。
「魔力の流れを断て」
「あ、確かにそうだ」
「深紫の闇には対抗できなくとも、魔法陣になら対抗できる」
「ハロルド様の従者もそれで魔法を走らせてたではないか。そこを断てば」
「了解だコバコ、行くぞ。フェンリル魔法士団、団長につづけー!」
だが魔法陣に介入した途端に団員は蒸散する。
「なっ」「コバコー」
・セプを使った四人組の戦果。そこへアルバストのセプティリオンを使った四人組も入ってくる。動けない枢密院殿がかえって狙われる。やばかった。通常空間に復帰する。警邏隊やフェンリル魔法士団の正気組がいる状態の方がまだ戦える。
「そろいもそろって馬鹿ばっか」「そいつはもう死んだ。犬死にだ」「氷結魔法なんて時が過ぎれば動けるようになる」「…………」
「ふざけるな。コペルニクスの氷結魔法に余波など一切ない。お前らが炎を放てば周囲が熱くなるがコペルニクスがやったらそんな事は絶対にない。魔法その物を消すためだけに氷結をかけたからだ。初めから凍っていなかったくせに、コペルニクスの魔法を馬鹿にするな! 貴様らの到底及ばない境地にコペルニクスはいたんだ!」
「でも死んだ」
フェンリルの団員達がガバッとこちらを見た。何かを言ってやってくれと期待に満ち目をオレに向けていた。
枢密院殿が代わりに伝えてくれようと、ヒューとオレの名前を呼びかけたが、オレとコペルニクスは二人で話し合って一本道を進もうと決めたのだ。オレは枢密院殿を手で制して自分の口から言った。
「コペルニクスは見事に戦った。残念だ」
フェンリルの団員達が口々に叫んだ。
「団長ーーー!」「信じない!」「テロリストは煙の奥に隠れてしまったじゃないか!」「そうだ」「そうだ」「魔力切れだ」「今度は我等が戦う番だ」
重なる声が秘奥の間に幾重にも反響して重く響き、感情の昂ぶりからかフェンリル魔法士団が呪縛から解けたようだ。
勢いを増す声に、水を差す声がその合間を縫うようにして通った。
「しかしどうされます? 残るのは番犬も出来なさそうなガリガリの犬ばかり」
ザワッとフェンリルの連中がどよめいたが、その声を発したのが魔法士団統括部長ガブラだと気づいて声を失った。
「二度も三度も合成魔法も放ってましたよね。魔力を奪われるこの秘奥の間で」
それが曲がりなりにも魔法士団の統括部長の言う台詞かと思いつつ、オレは答えを提示した。
「闇魔法。重力」
ガブラが魔法を出せないと思うのなら、それをオレが否定しよう。
闇に対して闇を発動し、深紫の闇を重力の闇で丸め込んで行く。
「そんなものすぐ吸収される」
「どうかな? 闇に対して闇はどうなるか。待とうじゃないか、その結末を」
喋りながらオレは闇の手をあちこちに伸ばす。
城の魔法陣の根幹に魔具が癒着してる? 刺さっている? 剣と言われてなければ不定形の呪具としか思えないほどその実体はつかめない。こちらの動きに対して向こうも反撃をするわけでなく、闇に発生した重力をそのままに流しているといった感だ。コペルニクスはどうやったのだろうと思いつつ、闇をぐねぐねと一体化させるようにしてみる。
――触れんな。
「待ってられるのー?」
闇の向こうからリーダー格の男の声が聞こえて来た。
「うるさい、団長が調べてたんだ。我等が引き継げばいいだけのこと」
「あ、よせ」
言ったが団員はオレの言葉では止まらなかった。無視してそれぞれがそれぞれの足で立ち上がる。ぷるぷると震える足がその身体にどれほどの余力が残っているのかを物語っているが、火の点いた彼らの意思が曲がることはなかった。確かに彼らの言うように、あくまでオレは枢密院殿の用心棒であるが…………。
「団のことは団で決める」
そう言って四方から深紫の闇本体を取り囲んでいきなり杖を突き込んでいた。
「杖が消えてく」「何だこれは。魔素ごと持ってかれるぞ」「警邏隊から報告があった現象だ」
互いに顔を見合わせてどうするのかと思ったが、結局うんと頷いて、作戦通りに魔法陣に向けて杖から炎や水を魔法陣に向けて放出していた。
「もっと力を」「魔力が吸われるぞ、廻ってきてる魔力光を止めろ」「止めた」「集中」
「「「「「応」」」」」
景気が良いというか、十重二十重の自らを奮い立たせる声にどうにかなりそうな雰囲気がどんどん醸し出されて行く。
警邏隊の正気に返った者も集って来る。流石にこれ以上はマズイ。熱に浮かれたように深紫の闇に手を出すぐらいならここで一端区切りとした方が良い。
「相反する事ばかり押し付けてくるな」
どこからか声がしたと思ったら魔力光が闇から迸った。と同時に闇に手を入れてたフェンリルの連中が苦悶の声を上げつつ咽喉で押し殺していた。
まるで極光のように変移する深紫の闇と供にある魔力光が、オレの闇から離れようとしつつ彼らを攻撃していた。
誰の声だったのだろう。
オレが出来るのは彼らに突き立つ闇をまろやかに包んで脇へ押しのけるだけだった。連携が取れてるとはとてもではないが言えないが、それだけでも初期の頃のような人死にが出てないだけマシであった。この秘奥の間に来た当初は、深紫の闇に手を突っ込んだ者はそのことごとくが命を奪われていた。
「速度が上がった」
警邏隊の者が警鐘を鳴らした。
しかし警鐘を鳴らした当の本人達も極光のような魔力光があちこちに移動するのは目で追えないようで、枢密院殿の後ろに控えてその場から飛び出るようなことはしなかった。ジッとしている。あんな高揚した空気の後で機を窺えるのは素晴らしい。冷静だ。
するとオレの背中をポンと温かい手が後押しした。枢密院殿だ。
魔法陣上にいる正気に返った者達へ、魔力光が今にも襲いかかろうとしていた。
――光速移動。
眼だけで指定して飛ぶ。
直前で掻っ攫って魔法陣の外へと運んだが、その時には次の者へと深紫の闇が襲いかかっていた。
思考する時間すら惜しい。
オレがまた一人弱って避けきれないフェンリルの団員を範囲外に出すと、一人斃れた。
極光が変移するその先に飛ぶのと、闇が自らに魔力を纏わせながら警邏隊の制服を着た男を飲みこむのとが同時だった。
生柔らかい感触の魔気がオレを取り囲むが構わず光速移動した。
「大丈夫か」
尋ねた男は警棒を持つ右手が沿わせていただろう警棒の先端と共に人差し指が千切れかかっていた。その自分の置かれてる状態にも気づいていないようだ。
「光の癒し」
治すと同時にオレはまた飛んだ。
「全員、魔法陣の外に出るのじゃ」
枢密院殿の声がした。
刹那のことでフェンリルも警邏隊も自分たちに何が起きてたのかも理解してないが流石は枢密院殿だった。これも即断と言っていいだろう。コペルニクスの熱に浮かれて反撃する気満々だった者達に退却の選択肢も加えられたわけだ。
しかしその選択肢に乗ったのはクレツキのそばにいるフェンリルの幾人かと、入り口付近に動けずに残っていたわずかな数の警邏隊の者達だけだった。
「憂き身らの判断にも従わない。交戦の意思あり」
どこかで小さな声がした。
その直後に魔法陣のいたるところでバタバタと人が倒れた。移動しながら眼を配ると、ことごとくが五体を中途半端に切り刻まれていた。
今回の被害に遭ったフェンリルの何人かは深紫の闇ではなく、闇の向こうに雲隠れしてるアルバストらを狙っていたようだが、その目論見は闇の壁によって阻まれ、今や脱力感だけでなく身体に傷まで負って完全に動けなくなっていた。
「あれは我等の失敗と同じです。魔法陣から取りかかろうとするから本体を調べられず、その隙にやられてゆくのです」
警邏隊の三人が勢い込んで枢密院殿に話すと、
「引けーい!」
と突如大音声が秘奥の間に響き渡った。皆が振り返るとそこにはクレツキがいた。
「副団長!」
フェンリルのほぼ全員がクレツキへと振り返った。どう対応していいのかわからないから集中力も散漫なのだろう。だがオレはそうはいかない。渾身の力で深紫の闇に対抗する。狙われてるフェンリルを片っ端から光速移動させる。
すると深紫の闇に辿り着けず、中途半端な位置に立ち止まっている男がいた。ここまで一生懸命歩いて来たのだろうが、魔力を抜かれて回復もしてないのに無理をするからそうなる。
反応が遅い。
魔力光がうつろう。オレに邪魔ばかりされて向こうも意地になっているようだが、オレも意地になっていた。
「速い」
誰かがつぶやいた。
そいつを助けた後も極光が変移する。その度にオレがそこに駆けつけて魔力光と光速移動がからみあう様な事態となり、人々はその一瞬の攻防に眼を奪われていたが、その間にも取りこぼした命があちこちで尽きていた。
頼むから魔法陣から出てほしい。
「邪魔をするな」
面と向かって言われたが、クレツキの命令も出たのにいいのかお前と思ってたら、そのクレツキが身体能力にものを言わせて物凄い速さでこちらに迫り、そいつの首根っこを掴んで魔法陣の外に片手で引っ張っていった。
「残るはお前達だけだ」
数多の死体が散らばる中、五人ほどが深紫の闇本体に手を突っ込んで魔法を放ってるようだった。だがその魔法も最早攻撃ではなく防御のための放出のようだったが、真っ先に自らの行動を選べた者らしく、自棄にはなっていなかった。
「迂闊に抜けない。抜けばまず間違いなく死ぬ。向こうでドンパチやっててくれた時は相手にもされなくなったのだが、今はヤバイ」
「しかしオレでもどうしようもないぞ。押しても引いても風にはためく旗のように力がいなされる」
「解除してくれないか。闇魔法をぶつけてるんだろう。魔法の解除で一緒になって解けることは、魔法ではよくあるんだ」
集団戦に長けた者の意見だった。
「わかった。隙を見つけろよ、いいな」
全員が肯いた。
「闇魔法。解除」
だが黒い闇がほどけることはなかった。そしてまた一人魔法士の命が散った。
「まだ…………抜け……な……い」
一気に抜いて噛みつかれるより、様子見をしながら抜いてこうと考えてたら噛みつかれたらしい。抵抗があると言うことはまだ大事には至ってないのだろうが、
「抜くんだよ!」
オレはそいつの肩から手を添えていった。思う所はオレにもあるが、コペルニクスの部下がコペルニクスを悼んで動いたのだ。オレがやらねばならんだろう。
深紫の闇の魔素を直接動かそうとするとバチッと受け止められた。魔素が動かない。
「光速移動」
フェンリルの最後の一人が生きたまま入り口の近くに飛ばされた。突然現れた同僚に仲間達が駆け寄って守護と治療の即応態勢に入る。
見事なものであった。
みると死んだ魔法士があちこちで回収されており、ある意味撤退は順調だった。だがふと違和感を覚えると同時に、撤退するフェンリルの動きが徐々に遅くなり、やがて完全に静止した。
そしてこの景色には見覚えがある。
「あれのようには上手く出来ないが、こんなものか」
また声がした。
「クロック・ストップ?」
「全くどうなってるのだろうな、貴公らは。いくら鋭くしても貴公に届くとまろやかになるし、命令系統も複数あるようなので表に出て来た」
「表に?」
コペルニクスの声ではない。
だがだとすると、どこにいるのだ。このクロック・ストップの世界で動いてる者はいない。
「調べられてろと言ったりジッとしてろと言ったり、貴公は憂き身と同じ存在か? また加えられたか」
「何を言ってるのか知らんが、そんな悲観的な輩と一心同体になった覚えはない。お前は誰だ」
「憂き身のような憂き身でないような、貴公こそいったい何者だ。憂き身と貴公は存在が同じであろう」
「何でお前がオレなんだよ。というかお前こそ誰だ。オレにはお前は深紫の闇としか思えないんだが」
「憂き身に…………」
「憂き身に何だよ」
「いまさら名を名乗るような名などない。もうかつての名の道は踏み外した」
「一本道でここに来てしまったオレにそんな事を言うか」
「贅沢者め。憂き身に道など無い」
「何を言ってる。そこに在るならそのままに在ればいい。そのままに在りながら」
オレは剣を振った。
「切り拓くんだよ、道ってのは」
「切り拓いた先に何もないならただの戯れ言だ」
どういう意味で言ったのだろう。
バカにされたような気もするし、いたってマジメに返されたような気もする。何せ在ると思った場所に剣がなかったのだから。
オレはコペルニクスが剣と言ったことを疑う気はない。
疑う気はないのだが――。
だが空振りした後も深紫の闇はまだ眼前にあった。そしてオレは確かにこいつが云うように何かの繋がりを感じる。本体とでもいう者だろうか。呪具に繋がりなど持った覚えはないし、その繋がりが何なのかもわからないが、それが確かにあり、オレとの接触を何らかの方法で避けた後に、何らかの方法でその気配が薄れて行くのはわかった。
オレが空振りにバツが悪くなってごそごそと剣先を石床の上に這わせていると、闇の奥で剣先が何かに触れた。
闇魔法を展開して深紫の闇を押しのけながら進むと、闇に沈んで剣先に触れたそれは、腕を抜こうとして死んだ者の亡骸だった。亡骸は二つほどあり、その二人をオレは闇から引っ張り出すと、両肩に担いで枢密院殿のところまで撤退した。
コペルニクスの最後に残した衝撃はこうして幕を閉じた。魔法陣内にいた警邏隊がほぼ全滅。フェンリル魔法士団が挑もうとするも近づけず四分の一ほどがその命を散らした。
これまでアルバストらが放置し、我等に手を出させようとしていた王都の魔力喪失の元凶は、少しずつその正体を剥ぐことに成功している。
呪具だという事がわかった。剣だという事もわかった。だがその成功というそれらの情報をつかむまでの代償として、幾人もの警邏隊と魔法士が命を落とした。この混乱をもたらした対象が、剣ということを知るために幾人もの騎士がその命を懸け、この情報を得たわけである。
あまりに少ない情報だと思う。対価に対してあまりに実入りがない。
たった一つしかない自らの命を、剣という事実を知るがためだけに数多の命を使わされてしまったのだ。
枢密院殿が気難しそうな顔をしていた。
何を考えているのかはわからない。だがどうにかするしかないだろう。これを放置すればサーバの王都機能はずっとこのままという事になり、サーバという国が落ちることを意味する。
オレは沈黙を保っている深紫の闇の壁の向こうを探った。
アルバストは小さくない怪我をしている。すぐに動けるとも思えないが治療するには十分な時間を稼げたとも言える。
それだけの時を稼いで息を顰めた本体は、ますます調子が出て来たようで魔法陣を旋回する魔力光が先ほどよりも強くなっていた。こうなるということは、王都の魔法が使えない範囲が更に広がったのだろうか。そしてその魔力は傷だらけのアルバストらテロリストグループに力となって流れ込んでるのだろう。
時間をかけてはいられない。
やるならオレの単身突破だが、オレは枢密院殿の身を守る用心棒である。サマースがいない今、単身突破という手段はさすがに選べない。
さて、枢密院殿がどう判断するか。
あとがき
「憂き身」が一人称です。