第114話 焦慮
こんにちは、俺はサマース・キー。アーサー道場の道場生で、ハロルド・カーギイカ枢密院殿の用心棒をヒューと一緒にすることになったサマース・キーだ。
俺は今、城塞都市の第二カーテンウォールの通用門で、城塞都市の更なる奥へと入る許可を待っているところだ。人々が疲れてその場に座りこみ、許可を出す門番の方でも仕事が遅々として進まないようで、ここでかなり足止めを喰らうこととなった。
そこで俺達は二手に分かれることになり、ヒューと枢密院殿が上空に姿を消すと、俺達は通常経路で行くために自称貴族のトライデントと道場の先輩でもあり、アーサー騎士団の団員でもあるダンケ先輩とオードリー先輩らと行動することになった。
そうしてしばらく歩いてみたのだが、どこもかしこも王都の民が思い思いの姿で休んでいた。店の壁に寄りかかったり椅子に座ってたり、決して見栄えのいい姿ではなかったが客がいないのを幸いに、じっと脱力感を堪えていた。それは城塞都市の大通りでも同様で、動けなくなった人々が門前通りから少し外れて往来の脇に寄り、動ける人々の邪魔をしないようその場に座りこんでいた。
そんな者が数多いた。
「それを考えると俺たちの集団は異常だな」
ある意味動けてるのは自分たちだけと言ってもいい。
しかしダンケ先輩が本当にそうだろうかと疑問を持ち、魔法を手の平に浮かべようとして敢えなく失敗していた。やれやれと首を振る。
「上に上がるにゃ」
オードリー先輩がダンケ先輩のふとい太股を尻尾でぺしりと叩きながら空中庭園へと促した。階段を上がると空中庭園にも回廊にも人の気配がなかった。
「これは相当動けないでいるな」
「魔力を吸われてるにゃ。時間が経てば私たちにも影響が出るかもしれにゃいにゃ」
「今は王都に入ったばかりだから吸われていないのだろう」
トライデントがそんなことを言った。
ダンケ先輩がオレに向いた。
「サマース、行けるか」
「行けます」
そう言って俺は手の平に光球を浮かべて証明した。先輩方は予定通り通常移動で行くつもりだったろうが、王都の様子を見て駆け抜けるべきところは駆け抜けるべきだと判断したのだろう。俺も急いだ方が良いと思っていた。俺達は二層構造の上層部に上り、貴族や警備専用の空中庭園からブロック状の王都の都市風景を見下ろし、全員の手を繋ぎ終えると俺は光魔法の光速移動を発動してショートカットした。
そうしてカーテンウォールをもう一つ通り抜け、アート城の通用門も抜け、いよいよアート王の姿を捜そうとした時、トライデントが王の私室前の空中庭園に飛べないかと尋ねてきた。
指差した方向を見るかぎり行けそうだ。
「いけます。行きます」
手をつないだ俺達は、光速移動で王の部屋のすぐ下にある空中庭園へと飛んだ。
上を見上げると人の気配がある。
「いらっしゃるな」
ダンケ先輩がつぶやくと手を離したトライデントも頷いた。俺達はトライデントを先頭に庭園を歩くと、城と庭園との出入りを操作する格子状の落とし門に着いた。そこには執事が姿を見せており、頭を下げてトライデントと俺達を迎えた。
「陛下は?」
歩きながら早速トライデントが尋ねた。
「作戦室に、ライオネル王子とおられます」
「わかりました。アーサー騎士団の二人は知ってますね」
「はい」
「残るもう一人はサマース・キーです。ハロルド・カーギイカ枢密院の従者です」
「この若者が…………」
少し驚いた様子で執事が俺のほうを見た。
「彼の光魔法で光速移動をしてここまで来ました。王都は人的な意味ではほぼ壊滅です。魔力を失って力が入らないようです」
「そうですか。城もちらほらとそういう人物が出て来ております。では急ぎ案内しますので付いて来て下さい」
こうして俺達は戒厳令下の城に入った。
作戦室にはトライデントとオードリー先輩が入った。彼らがこれまでのことを説明し、俺とダンケ先輩は小姓組に混じって周辺の警戒だ。ここには多分に小姓組と城への情報伝達がダンケ先輩によって行われることが含まれてると思う。実際ダンケ先輩は廊下脇に集められた城にいる主だった者たちへ、中で行われてる説明を実務者向けにしている。
そして集められた精鋭がそれぞれに口にしているのは、やはり同じ事であった。
「サーバ城から魔法が失われた」
しばらくして作戦室に俺とダンケ先輩も呼ばれた。
そこでこれからの方針を簡潔に告げられた。
「アート王とライオネル王子を連れて、我らで一時退避する」
「奥方さまら女衆は?」
「城に残す。我らが出れば妻らの安全はトライデントが保証した」
俺はトライデントを見やる。その表情は一切動かなかった。
「…………」
そこへ警邏隊からの報告が入り、秘奥の間で深紫の闇が発生し、それが王都に起きた騒動の原因ではないかという報告が入った。
「直りそうか?」
「まだその段階にまで至っておりません。現在その深紫の闇を取り除こうとしておりますが、闇の中に手を入れると皆手が裂けたり、指を失ったりと、警邏隊のなかでも相当の被害が出ています」
「魔法士団統括部と協力して事に当たらせろ」
「は」
警邏隊の伝令役がとんぼ返りで作戦室を後にした。
「さて、現状この通りだ。報告を待ってる間にトライデントらと合流できたわけだが、それでも進言は変わらないか、トライデント?」
「はい。我らだけでも今すぐここを出るべきです」
ダンケ先輩が口を開いた。
「我らには幸いにもサマースがいます。サマースはこの騒動の中でも魔力にほとんど影響を受けておりません」
「ほとんどじゃにゃく一切受けてないだにゃ」
「そのうえ光魔法の光速移動を使えます。九人で手をつないで戦場まで行きましたし、そのままソマ村から王都まで問題なく到着しました」
「それは時間はどれぐらいだ」
ライオネル王子が訊いた。
「移動だけならソマ村からここまで半刻もかかってないのでは」
王と王子が感心したように、ほう、と唸った。そのまま興味深そうに視線を向けられると、それはもうわけもわからず恥ずかしくなった。何せ王と王子といえば雲の上のような存在だ。俺には一生縁の無い存在だと思っていたから、どう振る舞えばいいのかが全くわからん。あちこち放浪してきたらしいヒューならわかるのかもしれないが、まぁ、あいつだったら剣でメチャクチャぶっ叩けばいいのだから話は簡単だが、王族相手ではそうはいかん。
まあいい。
後でアイツに自慢してやろう。王と王子に会ったぜ、と。
「それでトライデント。どこに向かう」
「ボヌーヴ川流域以外での戦準備もしていたのですよね」
「無論だ。オスニエルがいないと思ったが、まさかサーバを出てたとはな」
「残念です」
「それとこちらに入った情報では、フェンリルの連中が動いてるらしい」
「フェンリル魔法士団ですか」
ダンケ先輩が頼もしそうにして言った。
「これはフェンリルと合流するのもアリだな。王族を守る上であいつらと連携できれば、まず間違いは起こるまい」
バチンと第一カーテンウォールの向こうで豪雷が轟いた。
「あれはサドンさまではないかな。そうか、もう来たか、流石だ」
王杖第三席サドン・バースト。
ダンケ先輩がつぶやいたその名を聞いてオレは顫えた。
「一戦やらかしたのかもしれんが、その後の音沙汰がないところを見ると倒したな」
「あーその件だがな。不確定だがライムから王女が参戦しに来たという話でな」
「アート王、それは敵の流した可能性もある。そこには当然王剣筆頭もいるのでしょうが、だからこそうかうか捜して飛び込むわけにはいきませんぞ。餌が大きすぎる。しかも間違いなく食いつきたくなる餌だ」
「うむ、そうじゃな…………」
さすがに王の居る場には情報が集まってくる。今この時にでも枢密院殿とヒューとも合流できれば良いのだが――。
そう思いつつ周囲を見渡しても、あの二人が追いついてくる気配はなかった。
「確かにおかしい動きはある」
言いながらアート王が大きく頷いた。
「敵が地平の彼方騎士団に報告するのはいい。だが大きな流れで考えるとこれはおかしいのだ」
「おかしいとは?」
「いいかトライデント、属国キボッドの騎士団とはいえ、宗主国であるライムの騎士団をキボッドは勝手に動かしたのだ。しかもサーバの領土に入っている。これを問題視しない宗主国があると思うか?」
「あ」
「キボッドは滅ぼされるとわかっててこんな事はするまいと、儂の咽喉にはずっと小骨が引っかかっておった。あるいは宗主国そのものに歯向かう気でいるのかという疑いまである」
「地勢や土地勘に縛られて、その観点を失っていた。オレこそそういう観点を持たなければならないと言うのに」
そのトライデントの返事が俺にはどうにも信じられなかった。むしろ誰よりも多角的に物事を観てるから問題なければ話を通してるといった感じさえする。俺がヒューから聞いてたトライデントと云う男の本性は親バカである。
守る対象を守るためならどんな手段でも実行する、という狂気がある。
「まぁまぁトライデントさん、それでどこに向かうべきだと思ってるんだ」
「南だにゃ。南に逃げれば海に面してフォルテがあるにゃ。ライムともより近くなるし、色々と都合がいいらしいにゃ」
「オードリー」
「だって私はもう話を聞いてるにゃ」
◇
移動は簡単だった。かるく短い距離をお試しで飛んで王家の人たちにも自分の光速移動を体験してもらった。今俺達は南門を出てすぐの辺鄙な場所におり、城からの隠し通路の出口であった。しかも足を踏む場所が固く、石を敷き詰めたような感じなので、これは何かと先輩方に尋ねると、暗渠の蓋だと教えられた。つまり俺は今、ボヌーヴ川から引いた支流の暗渠の上にいるらしい。
「ということはこの小屋は」
「水番の小屋だ」
暗渠の脇にひなびた木造の小屋があった。それはまるで隠し通路の出入り口を隠すようでもあり、王都の水事情を守る重要な施設だとも言える。実際周囲は柵で囲まれており、緑に囲まれた城壁前にぽつんと質素な小屋があるとしか思えない構造だった。
トライデントが鍵を開けてあっさりと中に入った。水番の小屋の中だ。とても王族を招き入れるのに適した小屋には思えないのだが、なぜかアート王もライオネル王子も文句を言う気はないらしく小屋の中に抵抗感もなく入ると、こちらの懸念を払拭し、それどころか物珍しそうに小屋の中を見学しては頷いている。
ひなびた空気感が気に入ったらしい。
俺もこの小屋の雰囲気はどこかで味わったような気がした。どこだろうと考えて、トライデントの家でもある水車小屋がそれだと、あの雰囲気に似てるのだと気がついた。
ダンケ先輩に呼ばれた。
「サマース。疲れてるとこ悪いが俺とお前で見張りだ」
「わかりました」
俺はダンケ先輩と連れ立って小屋の外に出た。そこにはオードリー先輩が水樽に腰かけて足をぷらぷらさせていた。
「異常は?」
「匂いはないにゃ」
「了解だ。後は引き継ぐから中で話し合ってくれ」
オードリー先輩が中に入っていった。
「いつの間にかですね。俺はオードリー先輩がいなくなってることに気がつきませんでした」
「アイツの抜き足は見事だからな。おまけに猫人族だから我等より鼻が利く」
「それにしても王族の方々もトライデントさんの話を聞き入るんですね」
「何だ、お前知らないのか。自治領では有名な話だぞ」
「有名もなにも王族が貴族の話に耳を傾けるんですよ? 珍しくないですか」
「トライデントさんは貴族は貴族でもライムの貴族だ。宗主国の貴族なんだよ。しかもワッカイン王の名代とも言える」
「マジですか?」
「マジだ。兄貴に聞いたことないのか?」
「ええ」
ダンケ先輩が顔をしかめた。言ってもいいものかどうか判断に困っているのだろう。
「あの人の名字は知ってるか?」
「オールダムですよね」
「そういうことだ」
後は押し黙ってしまった。
オードリー先輩が呼びに来た。
「もう見張りはいいそうだにゃ。普通の人は動けにゃい。これ以上は敵に見つかった場合却って危ないことににゃるそうにゃ」
それを聞いて俺は確信した。水番小屋に再び入りながらオールダムの持つ意味を本当の意味で理解した。
空に浮かぶ天空領のサカードの商人、フーター・オールダム。
トライデントはその血に連なる者なのだ。
我が師匠筋にしてアーサー流の最強の男ヘルベルト・アーサー、未来召喚をあやつるフォルテの第三王妃サーシア様、この二人と一緒にパーティを組んで、遥か外洋に浮かぶ魔物しかいない魔の島を攻略した遠見という希有な能力をもつ英雄譚の一人、そのオールダムの血を引く者なのだ。
アート王の斜め向かいに座って話し込んでいるトライデントの姿をジッと見た。
遠見の能力者。
英雄譚では遠くを見ることしか出来ないと云ってた商人だが、最終的には遠くどころか遠い未来まで見えるようになってしまった男であり、ヘルベルト様とサーシア様の大いなる助けとなっていた未来予知の能力者である。なるほどそのオールダムの系譜に連なる者ならアート王が信を厚くするわけだ。
小屋の中ではアート王とトライデントが話し込んでおり、まだ話し合いが始まりそうになかったので俺は小声でダンケ先輩に話しかけた。
「なるほどです。我が自治領にはアーサー流と遠見があったのですね。英雄譚の内の二つがあんな田舎に集まるなんてびっくりです」
これも後でヒューに教えて自慢してやろう。そう思った。
俺は水番小屋の末席でただ話を聞いていた。アーサー道場の道場生でしかないので、この場にいること自体がおかしな気がしないでもないが、ここに皆を運んだのは自分なのだと納得した。
今は王都の外の話になっているようだった。
王都は城塞の壁の外にも街が広がっている。広がる穀倉地帯にはサーバの食糧事情をまかなうだけの収穫量もあることがうかがえたから、今年も食べる分には困らないだろうが、やはりその穀倉地帯をも含んだボヌーヴ川流域で騎士団同士が対峙しているのが厄介だった。暴れ川だった昔ならいざ知らず、今ではもう彼の地も立派な収穫地としてこの国の計算に入っている。
そんな穀倉地帯を守りたい王と、キボッドはサーバにフェルマータをぶつけたい。ならば王を逃がすのが大前提だと解くトライデントが意見を戦わせていた。
「オスニエルを擁立して攻め入ってくるぞ」
食い物の話をしてる場合ではない。
サーバとしては王を逃がす時間が欲しい。トライデントはそう言っていた。
「しかし」
「秘奥の間に戦場が移る。城に貴方らを残すわけにはいかない。そのための布石も置いた」
「布石?」
俺は思わずトライデントに話しかけていた。
「そうだ」
「枢密院殿か」
「違う。彼の御仁は大丈夫だ」
「ならばよかった」
「ヒューだ」
何だと?
「俺は…………、ライムの隠居貴族トライデント・オールダムは、生け贄としてヒューを使った。ヒューにしかあのエルフには対抗出来ない」
「生け贄だと?」
「知ってる限り、防げるのはヒューのみ。カーテンウォールで分かれた時、おそらくヒューもなにがしかは感じていたと思うぞ」
ほう。
「つまりあんたは嘘を吐かねばならなかったわけか、トライデント」
ヒューを行かせるために――。
「そうだ。それは俺がしなければならん、俺の責務だ」
「ではヒューはどうなる。あんたに奴は何も聞いていなかったぞ」
「俺が嘘を吐かねばならぬ男なら、奴は嘘を嘘だと知りながら受け入れる男、だな」
それは立場の強さを利用した強要ではないか。
「あの時エリオットに傷つけられたら、ヒューは間に合わなかった。ヒューが間に合ったから、王は脱出できた」
「エリオット?」
「坊主の名前だ」
「ソマ村のか。あの時からわかってたのか」
トライデントが頷いた。
しかしどこだ。ヒューが傷つけられるとはどこのことだ。あの時俺はソマ村の北の出入り口を押さえていてヒューとはほとんど別行動をとっていた。
「あんた、一体何が見えてるんだ。今は何が見える」
「闇の中に何かがある。魔法陣から伸びた闇の、血がある」
「おいおい、それはヒューの血じゃないだろうな」
「さてな。だが恐るべき武器が敵にはある」
「それは見えないのか?」
「見えん」
おいおいオイオイ。
アート王からも信頼を寄せられるほどの遠見の力を持つアンタがそれを言うか。
「そんなのにヒューをぶつけたのか!」
「ああ、そうだ」
「なぜだ!」
「ヒューも見えんからな」
「ふざけるな。あんたから見てあいつは幾つ年下だ。あいつは、ヒューは、まだ自治領に来てたったひと月の右も左もわからん奴なんだぞ。友達を見つけて、アーサー道場という寄る辺を見つけて、どうにかこうにかしてその土地に馴染もうと努力してるそんな奴に、あんたは自治領の、サーバの命運を押し付けたのか!」
「そうだ」
平然と答えたトライデントに怒りが爆発した。
――貴様それでも大人か!
王の御前であるため口をギュッと引き締めて飲み込みはしたが、心の中は荒れ狂っていた。
俺はヒューを思う。
ヒューは一人ではキツイと判断して、国政会議からこっち俺を推挙して用心棒として枢密院殿のお仲間に加わらせたのだ。それを一人ずつに分断して、強力な敵をヒューひとりに集中させるために押し付け、誘導するとは…………。
不穏な空気を抱えることとなって、王族一行は暗渠を見張る水番小屋にその身を潜めていた。
あとがき
応援ありがとうございます。灯火を見ると奮い立ちます。