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第113話 フェンリル魔法士団団長コペルニクス・ボーリン

 王都の住民が魔力を吸われて脱力する事変が起きてから、秘奥の間の中央付近でずっと鎮座する深紫の闇の本体が、コペルニクスに突っ込まれた右腕の魔法攻撃を受けつづけて揺れ動いていた。

 だが深紫の闇もさるもので、クロック・ストップの世界が展開されて他がその動きを止めているのに、闇だけは制限こそあるようだが相変わらずゆっくりと蠢動することが出来ていた。闇はコペルニクスの放った氷結叢林(ひょうけつそうりん)を時折りその体内に飲みこんでは溶かしているようだった。

 つと、その闇に右手を突っ込んでいるコペルニクスが身動(みじろ)ぎした。


「どうした」

「こなくそ」

「大丈夫、か?」

「大丈夫だ。それよりそうだな、リア姫のことをもう少し聞かせてくれ」


 言われてオレは、やっと取り返したリアの右手の指の入った玉に目をやった。

 相変わらず指には薄い赤い糸が断面から伸びている。その薄く赤い色味を帯びてたはずの糸が、オレが見ている間に糸の外から内側へとだんだん色が抜け落ちて行った。いよいよ薄くなり無色になったかと思ったら、中から透明感のある緑色があらわれ今度は淡い緑色の糸となった。


「どうした」

「いえ」


 と返事してよく怒られる話をした。

 王族言葉を遣ってたら、この異国のどこに(あに)さまの歳でそんな言葉遣いの人がいるのだとか、フォルテからついて来てくれたアンナさんにせめて食器洗いぐらいは手伝ってあげないのとか、自分は四肢がないから手伝えないのに割とオレには遠慮がないというか、そんな感じですという話をした。


「王子、リア姫にちゃんと気持ちを確かめてるか?」

「いえ、特には」

「聞くことを勧める」

「はあ」

「王子にも感じてるし、アンナさんとやらにもリア姫は恩義を感じてるんだよ。だから強く願ってしまう」

「強く願う、ですか。ならば何も変わらず、このままオレはリアのあるがままを受け止めるだけですよ」

「そうか。それもいいな。フォルテから流れ流れて辿り着いた彼の地で、王子はそういう暮らしをしてるのだな」

「ええ。ライムに来てからというもの、毎日が万事こんな調子です。王宮に比べたらよっぽど本音がさらけ出されていますよ」

「そうなんだな。まぁ一人は辛かろうが頑張れ」

「ん? ひとりじゃないですよ」


 はぁ、とコペルニクスが溜息を吐き、いいか、と言った。


「異国の地で王子をかまってやれる者はいない。配下の貴族も、生活を補佐する者も、それらをこぼす相手もいない。もっとも、利用しようとする者、肩を落とす者、二度と顔を見せなくなった者、そんな輩達も洗いざらい居なくなったはずだ」

「そうですね」

「だがそんなことは百も承知でライムに来たのであろう?」

「それも全くその通りなんですが、ですがこちらに来てから友達が出来ましたよ」

「友達がいても話せないということもあるだろう。それがむしろ残酷なんだぞ。俺はその事を言っている。それはとてつもない孤独なんだぞ」


 考えさせられる話だった。

 そうだな。確かにオレは王族であることをサマースに言えない。言うわけにはいかない。敵持ちの自分たちがそこにサマースを巻きこむのは流石にいかんだろう。

 そしてふと思い出した。

 オレは晩餐会で会ったらしいが、コペルニクスと会ったのは今日王都に来てから初めてだと思っていた。そして初めましてのその時に、よりにもよってコペルニクスはクロック・ストップを喰らわせて来たのだ。


「いつでも殺せると示威行動をしてましたよね?」

「ちがうぞ。王剣筆頭が王子の魔法の力を高く買ってたからだよ」

「そうなんですか? 会ったこともないのに」

「俺自身も買ったさ。ハロルド様を連れて光魔法を連発して空を移動してただろう」

「…………見てたんですか」

「これだよ。王都の魔法陣を作ったのは誰だと思ってやがる」

「コペルニクス」

「ならそんな製作者が、上空の障壁が消えて気づかないと思うか? あの姿を見て俺は王剣筆頭の云ってたことは本当だったんだなと確信したんだぞ。無聊を慰めるにしては魔法のレベルが高すぎる、と。

 まぁサーシア様の息子という存在に興味もあったが」


 なるほど。

 やはり母さまの力は偉大だ。いくら母さまが魔の島の攻略パーティでライムの王剣筆頭と組んでたからと言って、パーティメンバーの会ったこともない息子に対して魔法が凄いなんて言えるものではない。魔法なんてものは上級になればなるほど、その人が長い年月をかけて修正したり足したりと試行錯誤をした上での魔法になる。

 いわば人生を賭けて磨き上げたお宝だ。


「ん?」


 もしかしてオレの魔法をコペルニクス自身が評価してくれたのか? だからこの人はオレに奥義を見せてくれたのか? 何となくだが、オレはコペルニクスが伝えたかったことがわかった気がした。


「それとあの女がエルフだということがあるからかもしれないが、普通将という者は裸で敵陣に入るものではないからな。根っからの権力者であれば、いつも周囲に厚く兵を集め、防具を纏うように武力の空白地帯をこしらえて、そこに居着くものだ。だがあの女はそんな素振りは見せてない」

「テロリストだからじゃないですか、人が少ないのは」

「ワイバーンで王都に侵入しておいて事を犯す直前のテロリストのとる行動だと思うか? 身を隠す方がよっぽど自然であろう」

「それはそうですね」

「あれらはテロリストだが普通の考えを持つ者ではない。そのことは努々(ゆめゆめ)忘れるな」

「はい」


 コペルニクス団長が短杖を持つ指で器用にパチンと指を鳴らした。周囲の人が微かに動き出した。


「コペルニクス?」

「これ以上入っていけないのでな」


 そう言ってコペルニクスは深紫の闇に突っ込んだ右手を肩から動かしてもぞもぞさせた。しかし直截な接触に入ってからというもの、オレはコペルニクスから新しい情報を教えてもらってない。つまり現状のままでは打破できず、地味に食い破られていくだけのようだ。

 しかし虎の子のクロック・ストップ状態で深紫の闇の中に入っていけないとなると、遅い動きだが動けただけあって、この闇がそういう世界とも深い関わりを持ってるということが考えられる。でなければそもそも動けるわけがない。


「何気に新しい情報ですね。糸口をつかみましたか?」

「通常空間に戻る」

「了解。援護します」


 負け続けの十七歳だがそのぐらいは出来る。

 表に出てる左手に持つ杖が、足下の魔法陣に向かって魔法を放つ度にどんどん短くなってゆく。それが表情に出たらしい。


「言ったはずだ。任せろと。通常空間に戻る」


 釘を刺されてしまった。食い破られるままに手を出すなと念を押されたのだ。


「くそ。光よ癒せ」


 オレは放置していた左腕に治癒を施した。左腕に芯が通る。このオレの状態を奴らが認識してるかしてないか、クロック・ストップの世界にいる間に発動できてたら全く問題ないが、いや、そうでなくても既にアルバストらに魔法は見せてしまった。光の癒やしを今更見せてもどうということもないか。


「団長」


 床にへたばっていたコペルニクスの部下の幾人かが、いつの間にかあちらに近づいており、子鹿のように足を震わせながらコペルニクスのいる深紫の闇へと、どうにか辿り着いていた。


 団長がやってるからと、大した考えもなくいきなり深紫の闇に手を突っ込む魔法士団の団員がいた。闇の反対側なのでコペルニクス側からはあれは見えない。情報をまだ彼らは知らなかった。そして手を入れて数瞬で死ぬ。言葉を発することもなく石床に頭から倒れた。


「突っ込むな。これに触れると死ぬぞ。警邏隊が幾人も手傷を負ったのは知ってるだろうが」


 しかしコペルニクスの注意は団員に届くことはなかった。深紫の闇に手を入れた瞬間にその命がはかなく散っていた。辿り着いた五人全員、全滅した。床の上に赤い血がなくした腕からこぼれて広がっていった。


「俺が直接行く」

「だからお前は」


 そう言ってオレを押し留めると、コペルニクスは棒立ちになっているクレツキを見た。クレツキは守れと言われ枢密院殿を守ろうともせず、かといって洗脳されて攻撃に加わるわけでもなく、王都の秘奥の間で義務も果たさずただそこに突っ立ていた。

 目を切ってコペルニクスがこちらを向いた。


「俺はフェンリル魔法士団団長だからな」


 そういって尚深く右腕を肩から動かした。

 わかってる。そしてオレは枢密院殿の用心棒だ。そう言いたいのだろう。だがあえてオレは枢密院殿から離れてコペルニクスの下へ駆けつけた。

 すると顔中に小さな玉の汗を噴き出しており、さらに奥を探り始めた途端に明らかに様子が変わったコペルニクスは小声でオレだけに聞こえるよう伝え始めた。


「異界渡り、の記憶…………。異界渡りした呪具、は剣だ…………」

「おい、コペルニクス」

「後は、た……のむ」


 魔気がゆるやかに動きを早めて行く。


「コペルニクス、もうよせ」

「よせと言われて……よすもんかよ。ライムの魔法士団の団長なのさ、俺は」


 目から光が消えかかる。


「おい! クロック・ストップ!」


 オレがクロック・ストップを発動した。意識を繋ぎ止めるために、行かせないために、深度一とはまた違った魔法媒体への強制力を初めて発揮してみたわけだが、土壇場で試したわりには割とうまく発動できた。


「おい聞こえるか。目を開けろ。コペルニクス! 意識を保て!」


 コペルニクスが呼びかけに応えて(まぶた)(ふる)わせながら眼を見開いた。

 そして周囲にある光景を見て、クロック・ストップの世界に囲まれたコペルニクスが懐かしそうに目を細めた。


「見せといて良かっ……たぜ、クロック・ストップ。いつか王子の見立てで……あいつがその域に達したと思ったら、伝えて……やってくれ」

「コペルニクス!」

「心は遺した……よ……、あと……は頼む」


 右腕を深紫の闇に突っ込んだまま、ゆっくりとコペルニクスが前のめりに落ちて行った。床に(くずお)れる前にどうにか膝行して抱きかかえたが、コペルニクスが斃れるというその事実がオレにとっては衝撃だった。膝立ちのままに抱き上げてその胸に手を(かざ)す。


「させないよ」


 このまま死なせるつもりはなかった。オレにはまだ手がある。サマースはソマ村で乙女のお姉さん方の手足を再生することに成功している。

 ならば――。


「甦れ不死鳥のごとく、炎よ燃え上がれ」


 これほど心を込めて唱えたことがないほどの気持ちを込めてオレは再生魔法を唱えた。気がつけば時間が動き出していたが、オレはそんなことは気にもせずに、ただただ胸にかき抱くコペルニクスをじっと見守りつづけた。


 しかしオレの炎の再生魔法は通じなかった。


 コペルニクスはその目を閉じたままピクリとも動かなかった。

 ギリッと唇を噛んだ。

 だが向こうでコペルニクスの置き土産か、魔法陣に囚われて洗脳されていた魔法士団と警邏隊の面々が一部正気に戻っていた。しかし起きたその瞬間に魔法陣に魔力を吸われて彼らも身動きが取れなくなる。


「くそ! コペルニクスの置き土産が!」


 毒を吐いたその瞬間に、アルバストの周囲に壁となったそびえていた深紫の闇から、氷結が突き出た。息を飲む暇もなく氷結がアルバストを瞬時に凍らせる。


 動かなかったコペルニクスの右手がぶらりと垂れた。深紫の闇からその姿を現した手には何も持ってなかった。コペルニクスの愛杖、魔熊の杖は、最後までその意思に応え続け、封じられた魔力の総てを出し切ってこの世から消え去った。

 そしてその愛杖を最後まで手放さず力を出し切ったコペルニクスのその右手はコーティングしていたはずの氷結までもが消え、肘まで裂けていた。


「コペルニクス」


 込み上げる感情が咽喉を鳴らした。

 この男はこのような状態になっても痛いとも何とも言わなかったのだ。あまつさえ氷結叢林さえ発動してみせた。


 オレの後ろから氷の割れる音がした。オレはコペルニクスの遺体を抱えて枢密院殿の元へ引き下がる。無言で枢密院殿が彼の肩を叩いてその労をねぎらった。オレは枢密院殿に目礼だけをすると、アルバストが自分の周りの深紫の闇の氷を砕き終えるのを待ち、次に備えた。

 アルバストが魔法陣に吸収されてゆく氷結の残滓を踏みつけながら、オレの足下に横たわるコペルニクスを見て厭な笑いを浮かべた。


「無様な死に様だ。これで団長ならライムの魔法士団とやらは大したことはないな」


 今度こそ本当に右腕と肩と顔の一部を失ったアルバストだったが、その顔はニヤリと笑っていた。歪んで傷が引っ張られ、より凄惨になった。


「違うぞ、女エルフ。コペルニクスはお前の魔法より数段上を行っていたのだ」

「だが死んだのはその男だ。私は指先ひとつ動かしていない」


 瞬間思った。

 コペルニクスが暴いている。呪具と青白い光はまた別の物であり。それは剣と咒札(じゅふだ)であると。

 オレは激情を飲みこむために、コペルニクスを思った。

 気を落ち着かせる。

 彼は、オレが近づいて万が一があっては国際問題になるから近づけさせなかったのだ。むしろ自分がどうなのかをよく見ておけと肚を括っていたのだ。

 おそらく呪具の呪いが自分の魔法にどう浸食して行くのか、その様子をオレの目に見せるために…………そうしてたのだろう。


「失礼」「隙あり」「来るなよ来るなよー」「…………」


 動き出した四人組が咒札をとりだして使用した。リーダー格の男はアルバストを治すついでに自分の右手も咒札に添え、自分の腕と、アルバストの顔と肩周りの傷が復活するのを楽しそうに眺めていた。


 だがこれで虎の子の咒札を使用した。残りあと二枚。


「実は持ってましたー」「あーあ」「これで咒札が本当に切れちゃったなー」「…………」


 また芝居が始まる。だが嵌め手は喰わないよ。それではあまりにコペルニクスに申し訳が立たない。


「致命傷は補えたようだが、本来ならお前は死んでいた」

「だが奴が死んだ」


 死んだ者が弱い、そういった眼だ。


「我らの勝ちだ」

「それも違うぞ。結果はまだ出ていない。貴様らはコペルニクスにごっそり削られたんだ。これでもう貴様らに回復手段はない」


 奴らが押し黙った。

 しおらしくしているが、回復手段がないと騙されてやがる、と内心ではさぞほくそ笑んでいるのだろう。

 だがコペルニクスの残した情報を大事にするためには、奴らの誘い文句に騙された前提で会話を交わす必要があった。いつでも引っ剥がせるような欺瞞に満ちたことばの遣り取りであるなと思ったがしかし、オレは、ただひとつ本当である流れ落ちる涙だけは決して拭わなかった。



 あとがき


 応援ありがとうございます。

 さて、今後明かすこともないと思うのでこの機に設定を少し。

 コペルニクスはフォルテの攻廷騎士団と海を介して幾度もやり合ってます。訓練や魔獣討伐、時にはフォルテに密輸しようとした者を巡ってガチで戦ったりもしています。

 そんなときにコペルニクスの氷結攻撃は強力で、広大な範囲の海をガチガチに凍らせて攻廷騎士団は立ち往生し、騎乗する余地のない召喚獣使いは本当に困らさられました。

 密輸団は凍りつき、彼でなければ解凍できずに攻廷騎士団の方が手を引かされたりもしました。

 時に起こる小競り合いにおいても、幾キロメートルも離れているのに彼に感知されて、コペルニクスによって魔気を押さえられた攻廷騎士団の小隊が召喚魔法陣を起動させることもできず、小競り合いとは名ばかりで小隊ごと封殺されたこともあったようです。

 秘奥の間という敵味方のいる空間は、都市空間としては広い部屋でも、彼には本当に気を遣う極小の戦場でした。


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