第112話 一本道 その二
コペルニクスがアルバストらを急襲した。秘奥の間に淀むように坐りこむ、洗脳から解けたばかりの数多の者がうずくまるその頭上を、魔気を凍らせながら真っ直ぐに進む。魔熊の杖から放たれたその氷結魔法は、咄嗟にカウンターを放とうとしたアルバストの右手を吹き飛ばしたが、その腕が石床に落ちることなく氷雪で凍結された魔気共々中空で氷漬けにされた。だがアルバストは笑い、コペルニクスが真に対峙する呪具が脈動する。
コペルニクスの周りだけではない。アルバストの周りにも深紫の闇があった。
いつの間に広がっていた?
そもそも広がっていたか?
広がる深紫の闇にコペルニクスが氷壁を張って飲みこまれないようにしているが、深紫の闇はその勢力をもこもこと広げ、コペルニクスを覆い尽くせないまでも喜びに打ち顫えているようだった。
「フハハハ。やれ」
「幻だ、コペルニクス」
教えたが聞こえたかどうか、返事はなく、オレが目にしたアルバストの右手は健在であり、中空に凍らされてた右手は人の形を失い煙へと変じていた。
闇と煙が折り重なってアルバストの周囲を巡りだす。コペルニクスは尚も攻撃を続行しており、魔気に関してはことごとくコペルニクスが優勢で氷結の制御下に置けているが、その氷結に闇が重なると優勢がことごとく覆され、今度は逆に闇に侵食されないよう氷結を広げるのではなく固めることで防御に入る。
「だがしかし」
王都の魔法陣は強力であった。アルバストは王都中から集まるその膨大な魔力にものを言わせてコペルニクスの魔力を出力で凌駕し、その魔法を押さえ込もうとしている。
圧倒的に場所が悪かった。地の利がないのだ。
だがそれでもコペルニクスは勝負をかける。
「氷結叢林!」
でかい。叢林というのが何だかは知らないが、氷のとげとげが花火のように花開いてあちこちで咲き誇っていた。局地的に魔法を展開しているのだ。秘奥の間の向こう半分の要所を一気に凍らせ、冷気がこちらにまで流れて来る。
それはアルバストと裏切りを働いた魔法士団統括部の面々を狙った範囲攻撃だった。奴らが懸命に逃げている。
オレは素直に感心した。
「範囲攻撃なのに素晴らしい制御だな」
「部分攻撃だよ」
コペルニクスの訂正に、
「貴様! 団長に失礼だぞ!」
とクレツキが怒りだしたが相手にしない。
闇がその範囲を広げて秘奥の間に広がる氷結を防ぐと同時に、コペルニクスは更なる追撃を試み、手薄になったはずの本体へと短杖を振り抜いた。
「この時を逃すわけないだろうが! クロック・ストップ!」
コペルニクスが追い打ちをかけた。
そして秘奥の間に流れる時間が凍りついた。奴らの動きも止まっている。
「もはや探り合いは過ぎ、食い合いですか」
「王子生きてるのか!」
オレの言葉は華麗にスルーされたが聞こえてはいたらしく、コペルニクスからそんな言葉を投げかけられた。
「ええ。無事ですよ」
「本当に生きてるんだな」
「はい。オレが死んだように見えたのはオレが煙の方に洗脳返しをしたからです」
「何! オレはてっきり王子が洗脳されたと思ったんだぞ、馬鹿野郎が。だが洗脳を逆に利用してたんだな」
「はい。言う暇がありませんでした。お詫びと言ってはなんですが手伝いますよ」
「その心がけは立派だぜ。だが十七歳、ここは倍ほど生きてるおっさんに任せとけ」
しかしそんな事を言ってもじわじわと食い破られている。深紫の闇は甘くない。あの闇だけが敵側でクロック・ストップの世界の中でも動けている。
「しかしそうは言っても枢密院殿ならここで力を合わせろと言うのでは?」
「いいや、ハロルド様ならこう言うさ。コペルニクスの言う通りじゃ。お主が洗脳されたら本気でマズイ。そもそもお主は連戦に次ぐ連戦じゃ。コペルニクスに任せてその間に自分の身体のケアをしとくのじゃ、とでもな」
言ったコペルニクスが左手で短杖を抜いて足下の魔法陣へと氷結を放つ。その氷雪魔法でクロック・ストップの世界を魔法陣を利用して行き交おうとしていた深紫の闇の往来を無理矢理止める。
「すごい。咒札も付与されたクレッシェやサカードの魔法陣にこんなやり方で対抗するとは」
「手伝わなくていいと言ったのはそういうことじゃないぜ。ハロルド様が王子は連戦で魔力の限界が近いとハンドサインで教えてたんだ」
そんなことを伝えていたのか。
「ですが大丈夫ですよ」
「動くな」
そのひと言でオレはその場に留まらさせられた。
「いいか。ここで動くってことは俺の魔法を信頼していないということになるんだぜ。俺を馬鹿にするのか、王子。俺が信じられないと、そう行動で示されるのはちょいと小癪だな」
「そんなつもりは…………」
ないと言いかけてオレは気がついた。
予感がする。小太郎に尋ねたくなるが、その気持ちをグッと堪えた。
「俺が何をやったか考えろ」
「はい」
深紫の闇が呪具だとわかった。王都中へと生活魔法を供給する魔法陣の中枢を押さえ込むほどの性能を持ってることもわかった。これだけでも大変な成果だ。なにしろサーバの警邏隊が数多の人数を費やして、コペルニクスが調べ上げたことに全く辿り着けなかったのだから。
コペルニクスは凄い。
だがそれを押さえ込むほどの呪具とは一体どれだけの代物なのだろう。
オレはサーバの王都に住む人口がいかほどかは知らない。ここは王族も住む御座城だ。貴族もいるだろう。そしてもちろん市民が集まり日々の暮らしが営まれている。
そんな王都に集まった者達の魔力が今、この秘奥の間に集中している。
秘奥の間で洗脳状態から正気を取り戻した者達も立とうとしたが、その挙動を見せてからすぐにぐったりとして、今はその場から動けずにいる。これはアルバストがオレが洗脳返しで介入したことで、仲間から敵へと利用価値次第で手の平を返し、今は魔力を吸われる対象となったのだろう。
こちらが味方にしようとしても、すぐにその魔力に対して手を打ってくる。
そういった諸々の人々を行動不能にして吸い取った魔力が、コペルニクス一人に向けて集中しているのだ。
オレ一人の力が加わっても、果たしてその呪具に対抗し得るだろうか…………。
洗脳下にないと思っていたオレだが、こうして振り返らされてようやく当事者意識をとりもどせたようだと遅まきながら気づかされた。オレはどこか他人事のように茶々を入れてなかったかと、背筋に言いようのない寒気が走る。
飲まれてたのか、オレはあれに。
深紫の闇はただそこにあった。
そしてそこにあるということは、それ以上のことが出来ていないことも意味していた。闇はコペルニクスを飲み込めず、ゆっくりと脈動を繰り返している。
オレはこの洗脳騒ぎの大元である深紫の闇に、召喚魔法とはまた違う特殊魔法の恐ろしさを今更ながらに身を以て知った。
いや、オレのことはいい。あんなのに手を突っ込んだコペルニクスの状況を考えるべきだ。
普通に考えて、コペルニクスは闇を無力化する手段が見つからなかったから深紫の闇の正体を探ろうとし、その試行錯誤に時間がかかっていた。
彼は王都の魔法陣を構築した一人だ。その内容をよく知る人物のはずだった。しかしそのコペルニクスがよくわからないからと二の足を踏み、わざわざ魔法陣に喰い込んだ深紫の闇を調べ上げていたのにその調査をいきなりやめ、それどころか開戦に踏み切っていた。
王都民を、そして王都を一身に背負っていたのに。
開戦した理由はただ一つ。
オレが殺される幻想を見せられたからだ。
「わかったか?」
「はい」
「そうだ、教えろよ。洗脳の煙と対峙したんだろ」
朗らかな声でコペルニクスがそんなことを言った。
「申し訳ない」
「いいから早く聞かせろ」
「えっと、たぶんですが知らない内にあの煙に接触した瞬間に、オレにリアの声が届きました。こちらからの声は届けられないようでしたが」
「ほう」
そう言ってる間もコペルニクスと深紫の闇との攻防はつづく。魔法陣を介して秘奥の間のあちこちで氷結がアルバストや四人組に向かって弾けるように飛びかかるのだが、深紫の闇が魔法陣の上部を押さえているため、その尖った氷で貫こうとしても、既のところで食い千切られるのを押さえ、逆に飲みこんで魔気を魔法陣へと還元してしまう。
そして中空に持ち上げられた深紫の闇がその場に留まって段々と薄い皮膜がアルバストらの周りに形成され始めた。
しかしコペルニクスもやめるわけにはいかない。
やがて、時が止まった世界に深紫の闇の壁ができあがっていた。その壁は今も厚みを増そうと少しずつ魔法陣から闇を集めている。
アルバストらが動けなくても、国中から集めるその魔力の馬力にまかせて深紫の煙がコペルニクスの氷結を押さえ込むために作り上げた光景だった。コペルニクスが攻撃の手を止めてもいまや深紫の闇は全面に展開し、奴らの姿はもう見えなかった。
桁違いの出力であった。しかも向こうは魔力を集めるのに遠慮しないでいいのだ。
この光景は、オレが幻想返しをしなかったら起こらなかった事態なのかもしれない。いや、起こらなかったはずだ。コペルニクスは調査をしていたのだ。枢密院殿と息を合わせて互いの全力を出していたのだ。だが思いがけずに答えを出す前に動き出さざるを得なくなったのだ。
オレの幻想返しのせいで――。
奴らの攻撃時の特徴として、嵩になってかかって来るイメージがあった。この秘奥の間においてもオレの左腕にダメージを与え、洗脳時に後追いでまた左腕にダメージを重ねていた。奴らの戦い方はこちらが固ければ固いほど一点突破を試みてくる。
それが今はアルバストらを守る防壁なのだ。
オレがコペルニクスを見ると、コペルニクスは深紫の闇に右手を突っ込んだまま攻撃をしていないようだった。
――陽動。
だがオレはそのことばを飲みこんだ。飲みこんでコペルニクスのタイミングを待った。
たぶんコペルニクスは深紫の闇に手を出した時点でわかっていたのだろう。更に深いところでここに奴らの秘密があるのだと。
だがアルバストらに深紫の闇が集中し、上手くいったと思われるこの陽動も実は奴らの思うところかもしれない。
今でこそ奴らが布陣してる場所で攻防が行われてるが、奴らは常に本丸から距離を取ってこちらが呪具に手を出すのを待っていた節がある。
「コペルニクス!」
オレが強く呼びかけると思いついたようにコペルニクスが言った。
「そうだ、聞かせてくれよ王子、王子のことを。フォルテの秘密なのかもしれないが」
「…………構いませんよ」
オレはそう口にしていた。全く口にする気のなかった言葉のはずだが、なぜか口に出し、彼に対しても強く出ることが出来なかった。
そしてオレはオレのこれまでのことを話した。異界渡りのこと、二つのスキルのこと、降霊召喚のこと、何より貴方が取捨選択したオレという人物のこと、フォルテでの日々のこと、それらをとりとめなく話した。
今する話ではないが、だからこそ今する話なのだろう。ここは脇道も寄り道も退路も断たれた話さざるを得ない一本道であった。
「ただ、洗脳の煙はフォルテでも見たことないですね」
「そうか。フォルテでも知らないか。だが王子のおかげでプラズマは飛ばせたぜ?」
「こう言ってはなんですがコペルニクス、オレはソマ村ではこいつらを追い返し、オスニエルの亡命も見ましたし、ボヌーヴ川で地平の彼方騎士団とフィッシュダイス騎士団が対陣してるのも見ました。星読みの塔でも奴らを追い出して枢密院殿を救いましたし、一見勝ち続けてるようでしょ」
「ああ」
「ですがフォルテでのことを話したように、実はオレは負け続けてばかりの男なんですよ。勝ったはずだが大局では負けてる。オレの人生、そんなことの繰り返しです」
「もう一度言っておこう、立派だぜ、ヒュー王子。よくぞその時その場に居合わせた」
何を言う。
コペルニクスはクロック・ストップをぶつけるタイミングさえ選べなかったというのに。
我ながら酷いことを言ったと思う。だがコペルニクスはオレの独白に流されようとはしなかった。逆にアルバストらに向けて派手な陽動をかけている。
深紫の闇は最初の時と比べても、動きが鈍るのなら量を出せばいいという物量の思考で対処してきている。だというのにコペルニクスはコペルニクスで負けじと物凄い物量の氷結を秘奥の間の床から天井から発生させて闇を広げさせて押さえ込みにかかろうとしている。言わば王都民の魔力に対してひとりで抗っていた。
本当に凄い。
どこまで行けるのだろう、団長という立場の者は。
オレは予感が確信へと変わってのどが顫えだしたのだが、そんなオレに、コペルニクスは野太い笑みで笑んでみせた。
「わからないよ。言葉にしろよ、コペルニクス」
「引き返せない一本道なら言葉よりも見ることの方が大事だろうが。見ろ。闇が俺を押さえ込もうと必死になってるぞ。何が起こったのかを知る者が必要だ」
「ああ。だがしかし」
「何が起こるのかを見通せる者も必要なんだ、わかるだろ? 王子」
奴らの事情か。確かにそれを見たのはこの秘奥の間にいる者しかいない。しかも洗脳されずに最初から終わりまで見ていたとなれば、それはもう数えるほどの者しかいない。
継戦しなければいけない事情と、前宰相の娘であり王位を継がせてもらえなかったオスニエルの妻、ホリーのこともある。彼女は画策した何事かを為すために意味ありげな皮肉を残してこの場を去った。このホリーの問題に関しては、確かに誰かしらが警邏隊か王族に伝えねばなるまい。
言わんとしてることはわかるさ。
だが――。
だが、ではないな。
コペルニクスはオレをフォルテの第七王子として、友人として扱っている。
「姫はどうなんだ。負けっぷりに関しては彼女のが凄そうだが?」
「リアの場合は大局で大負けして今はその負けを何とか食い止めてるといった感じですかね。一本道しかなかった。オレたちは…………そんな兄妹ですね」
オレたちがどんな兄妹なのかを、彼にはきちんと伝えなければならなかった。
頼りない兄妹で申し訳ないが、ありのままを伝えたかった。
やられっぱなしを継続するほど甘い戦いに身を置いてる気はないので、反撃をしたことに後悔はないが、その反撃が一本道となって今のこの状況を作り出した。ならば彼に対してオレは誠実でありたかった。
やはり、言葉にするべきはオレの方なのだろう。
するとコペルニクスが氷結叢林を石床に生やして闇を撃退すると言った。
「こいつは俺が始めたことだ。どんな一本道か、まぁ見てろ」
その頬には相変わらず野太い笑みが浮かんでいた。
あとがき
無事抜糸が終わりました。それで終わりというわけではないのがまた人生で。
大変というのは「大きく変わろう」良い方向に変わろうという意味なんだと、そういう心持ちで人生と向き合いたいと考えております。
皆様もきっとそれぞれに事情を抱えていることでしょう。ブクマは件数で表示されてますが、このような間も解除もせずにいてくれたその尊さに、私には数ではなく、同好の士がそれでもお前も進むんだろと云う、生身の人がもたらしてくれた勇気を感じてました。溟い海のなかに灯るセントエルモの火のようでした。ありがとうございます。感謝を込めて祈らせていただきます。
皆様の万が成りますように。