第11話 枢密院の長話
枢密院は応接のイスに深く座ると、背もたれに身体をあずけ、思い出すように眼を閉じた。
「ライムの属国となってしまったサーバを憂い、アートは子供の時分から文武に励んだ。そしてそれは子供には激しい鍛錬だった。だがそのおかげでアートの身体は、若者の中でも強く、逞しくなった」
確かにアート王はひろい肩幅をしていた。あれは鍛え上げた身体でああなったのかと、アート王の姿をオレは思った。
「だから青年となり、骨格も安定して筋肉をつけても大丈夫なころになると、アートの鍛錬はいっそう激しさを増した。それがいけなかった」
「ほう」
「それのせいでアートは身体を壊してしまったのだ」
「もしかして枢密院は、その頃の王の稽古相手だったので?」
「左様。儂も若く、今とは比べものにならぬほど力に満ちあふれていた。まあよい。その方、サーバの王族が二年ごとにライムへ行くことを知っておるか?」
聞いてはいる。ライム本国に、属国の者はその政治形態を維持させてあげる代わりに、忠誠の証として、王族の誰かを必ずライム本国に住まわせなければならないという話だった。
「人質外交というやつですな」
「ライム本国では輪番と呼んでるがな」
(お江戸では参勤交代だ)
驚いた。小太郎の住む日の本の国でも似たような案件があるようだ。まあいい。こちらが先だ。
「その輪番を、アートは幾度となく志願してこなした。他の王族は一度で済ませて、自分は七度ほど輪番を務めた」
「それはすごいですな。肝の据わり方が尋常ではない。傑出してる」
「物がわかるな、お主」
「どうも」
「だが身体を壊してる者が異国の地で暮らすということは、どうなると思う」
「それは…………」
「慣れない土地、水のちがう土地、人もちがえば、向けられる視線もちがう。気の休まる時などないのだよ。常にサーバを背負って、アートは一身にサーバは信頼できるという空気を、ライム本国に作るために身を粉にした」
「…………」
「結果、いま現在、若い頃のその無理がたたって、アートは病に身を臥している。年老いて一気にがたが来たのだ」
だがオレがアート王に会った時は、そのような様子は微塵もなかった。
「これは、一度しっかりと、アート王のお姿を見てみたいものですな」
「うむ。だが城で倒れてから二年、アートは病床についたままである」
ということは、無理を押して、オレとリアには会ってくれたことになる。
「気づかなかった」
「当たり前だ。王が下々の前でよわった姿など見せるものか」
「や。これはしたり」
「それでも時は流れる。アートもそろそろ代替わりを考えるようになった。あやつも六十一歳となった。エルフなどと違って人としては、いや、この国では長生きの部類だ。だから意識のしっかりしてるうちに、後継を決めてもらいたいというような話が、しきりと城中で囁かれるようになった」
「ははぁ、城中でそのような話が出来るとは、サーバは随分と自由闊達なお国柄のようですな」
「そうせねば属国は生き残れぬのだ。誰もが国の先々を読む」
(そんな中、お前は秘されたわけだ。アートには感謝しとけよ)
小太郎が余計なことを言った。だがそれは肝に銘じておかねばならない、大事なことだとも思った。どうやら本気でオレはアート王に借りがあるらしい。おそらくオレとリアの処遇を聞いて、自らの若かりし頃と姿を重ね合わせて見てくれたのだろう。
ありがたい事であった。
「当然家督は長男のオスニエルが継ぐものと思われていたが、ライム担当宰相のホーランあたりから、アートにそれとなく意向をただしていた。万が一の場合を考えて、早めに王の意志を確かめておく必要があると考えられていたからである」
その場合は、ライム本国辺りからの打診も入っているのだろうな。誰が次の王になるのかは、ライム本国としても掴んでおきたいところだ。おそらく人質外交で来てる王族のだれかを支えてる、そのライムの担当宰相に対して、相応な圧力をかけてるということなのだろう。
「ところが、こうした家臣の心配を知ってか知らずか、アートは中々ハッキリとしたことは言おうとしない」
ハロルド枢密院がいまから秘事をうちあけるぞと言わんばかりに、鋭い眼をオレに向けた。
「儂がアートの意志は別にあるのではないかと気づいたのは、およそ半年前である。アートは、長男のオスニエルの他に、ライオネル、ゴリンネルという息子がいる。この二人は妾腹で、サーバ本城の居館とは別の、別邸に住んでいる。
あるいはこの二人が、アートの念頭にはあるのではないかと、儂は疑ってみたものの、その見方には全く自信がなかった」
「それはまたどうしてですかな」
「長男のオスニエルは文武に優れ、父親のアートゆずりの揺るぎない気性で、英傑の君主になるだろうと期待されていた、対して二人の弟は、年が離れて若いというのもあるが、温和が取り柄で、王としての覇気どころか凡庸の質と目されていたからである」
ここらへんはオレよりマシだなと思った。
オレなんかは貴族に失格の烙印を押されていた。
「ちなみに年が離れてるのはどれぐらいで?」
「長男は四十。次男は二十歳、三男は今年十九歳となる」
「倍ちがうのですね」
「左様。間に女子ばかり生まれたのでな」
そこへカーラさんが水を持ってきてくれた。枢密院がのどをうるおす。オレもさっそく水を一杯いただいた。のど越しに甘みを残す、どこかスッキリとした甘露であった。
「さて、儂もそんなつもりでオスニエルを見るようになると、オスニエルにも問題がないわけではなかった」
そう言った枢密院の話に熱が入った。だがさて、この先の話を、果たしてオレが聞いても良いものかどうかと、そう思った。廃嫡同然とは言え、一応オレはこれでもフォルテの第七王子である。ライムの属国の王室事情を聞かされるには、少々順番を抜かしすぎてる気もするが――。
(聞いとけ。俺にとってもこの地の指標になる)
なるほど。小太郎が異世界になれる意味でも、良い経験値となるか。
「オスニエルは魔物狩りが好きで、少人数でよく魔物狩りに出かけるのだが、どうも魔物に執着する質でな。供の者を過酷に扱うので、城中の間に魔物狩りに供するのを厭がる傾向があるということを聞いた…………」
曰く、獲物に執すると云うことが、どういうことか枢密院にはよくわからなかったが、オスニエルに仕えている家士が一人、無断で逐電を謀り、討手に殺された事件は、魔物狩りでオスニエルに厳しく詰られたのが原因らしい。牛の群れが道を横切って、牛飼いを無礼討ちにしたというのも、魔物狩りの途中のことである。
五大国のフェルマータとの国境にあるノーグリス川に、我ら同様ライムの属国であるキボッドへと流れ込む支流に、ボヌーヴ川という川がある。このボヌーヴ川は、山間から平野部へと地形が急激に変わるので暴れ川として有名であった。大水の時には、キボッドではわざとこの川を暴れさせて、隣の峡谷へとその水を流し込んでいたのだが、オスニエルがここに堰堤を作るべきだと言い出した。
父親で王であるアートと、長男のオスニエルの間に、激論が交わされたのは十年も前のことである。当時、キボッドのその地を治める町長が献策した新堰堤工事を、国王のアートは不可とした。
これに当時三十で、国政に興味を持ち始めたオスニエルが反対し、宰相のジョージ・アムンゼルもオスニエルを支持したので、国王のアートは渋々許可を与えたが、堰堤を築くための山を切り開く工事は難航し、農民三百三十人が病気、怪我で倒れ、四十八人が命を落とした。
いまボヌーヴ堰堤は完成して、領国の北端を流れるボヌーブ川の水を引き入れ、農閑地だった場所に百は町が作れるような新田が開かれている。
こうしたことが、オスニエルを英傑の資質と言わせてるのだが、あるいは国王のアートは、百町もある新田よりも四十八名の農民の命を重いとしたのやも知れぬと、枢密院は思うようになっていた。
だが密かに国王アートの真意を問い質そうと思っていた枢密院の目論見は、すぐに強大な壁にぶつかることとなった。宰相のジョージの手が、あらゆるところにはびこっていて、隠密に国王の意向を聞きとるなどということは思いもよらず難しいことと知らされたのだった。
ボヌーヴ堰堤工事の開鑿を機会に、急速にオスニエルに近づいたジョージは、その後たびたび自分の屋敷にオスニエルを招き、次女のホリーをオスニエルの内室に入れることにも成功した。こうしたことから、ジョージは王を継ぐのはオスニエルしかいないという立場に立っている。これに反対するどのような動きも許さぬという手配りが、サーバ国内、ライム国邸を問わずジョージの手で張り巡らされていた。
枢密院が、アート国王の真意を確かめることに本腰になったのは、ジョージのこの強烈な意志に触れてからである。
オスニエルが王を継ぐことに、枢密院は格別の反対意見を持っているわけではなかった。王がそう考えてるならば、当然その意に従うつもりでいる。しかし国王の考えが別にあるとするならば、それに従うべきだと枢密院は思った。是が非でもオスニエルを、というジョージのやり方は性に合わなかった。そこには私的な閥の匂いがする。
「閨閥ですな」
「左様」
ハロルド枢密院が肯いた。そしてまたひと口、水を含んだ。
「いずれにせよ、儂は王の本当のお気持ちをうかがうべきだと決心すると、密かに工作を開始した…………」
ライム本国へ長期外遊することとなった国王のアートへ、出国を控えてる貴族の中から数人の信用できる人間を味方につけたのである。ティナの父トライデント・オールダムもそのなかの一人だった。
ジョージは早くも枢密院の動きに気づいて接触してきたが、ライム国廷に行った誰が枢密院の命令を受けたかは察知できなかったようである。
「その返事を、ティナが持って来たわけだ」
ハロルド枢密院は国王からの密書を、オレの前に押しやって、指でつついた。
「ここまで話せばわかるだろう。ライオネル善しというのは、ライオネルが王を継ぐべきだと云うことだ。談聞否討とは、談合して聞かせてみて、受け入れないようであれば討てという上意討ちの裁可だ」
「…………」
「フォ七二というのが何やらわからぬが、文面上、丁重にと言うことのようだから、敵対勢力ではあるまい」
オレの中で、小太郎が身動ぎしたが、深くは問うまい。墓穴を掘る。
というわけでだ――。
と枢密院がオレを正面から見た。
「これが王の真意だ。英傑ではなく、凡庸の方を王は選ばれた。面白いではないかピュー」
「ヒューです」
「うむ。これは悪かった。おそらく王は、オスニエル王子の気性に剣呑なものを見ているのだろうな。五大国の安定した太平の世においては、むしろ温和しいライオネルこそが似つかわしいと判断されたかの」
「…………」
深く入りすぎた。
「さて、これが王のお気持ちとあらば、ジョージと談合をしないといかんわけだが、少しばかり厄介だな」
枢密院が考え込んだ。
密書を届けた褒美として、詳細を教えてくれたのだろうが、フォルテの第七王子としては詳しく知りすぎてしまった。廃嫡同然の王子としては、世話になってる国の王室事情にこれ以上詳しくなるのは、好ましいことではない。
オレは腰を浮かせて席を立つと、あえて眼を合わさぬよう、ハロルド枢密院に礼をした。
「それでは、朝も迎えて人も賑わいだしたようなので、オレはこれにて」
そうしてオレは、応接室を辞そうとした。