第107話 刹那の中で
ふと気づいた。
なぜか元の位置へと戻ってからだ。
どのみち枢密院殿を守るのがオレの仕事なのだが、深紫の闇の反応や意思みたいなのは実験こそしてみたが、それについてどうするかは話し合っていなかったことをだ。だがコペルニクスは何でもないことのようにオレを枢密院殿の前という定位置に戻すと、降り注ぐ魔法の前に立たせていた。
オレとしては枢密院殿を抱えてスタコラサッサと士団級の魔法攻撃の範囲外に逃げればいいと思ったのだが、後の祭りである。
コペルニクスが「魔熊よ、汝が蹂躙し」うんたらかんたらと何事か唱えている。だが、その詠唱が追加される前にクロック・ストップが終わって、全ての物質がその動きを取り戻した。
後ろで枢密院殿が怒濤の魔法攻撃に緊張して身体を強張らせているのが身動ぎする音でわかった。
「その踏みしめた世界を誇れ! あまねく存在にその威を見せよ!」
コペルニクスが短杖を振った。
「氷結!」
瞬間、魔法士団による物量攻めを絵に描いたような魔法攻撃が凍りついた。
「ふん」
コペルニクスが短杖を横にひと薙ぎすると、絶体絶命と思われたあらゆる属性の集団攻撃が粉々になって魔法陣の上に散り、跡形もなく消え去ってしまった。秘奥の間の天井で発光していた映像を映すパネルがその明度を下げて周囲が若干薄暗くなる。見るまでもなく所々凍りついていた。
「マジかよ」「なっ」「死にかけてたよな」「…………」
四人組がコペルニクスの魔法に驚いているが、こちらも驚いた。そして魔法という手札を大っぴらに切らずに済んで助かりもしていた。
「こんにちは、テロリストの皆さん。挨拶が遅れたが名乗っておこう。フェンリル魔法士団団長、コペルニクス・ボーリンだ」
テロリスト達が一斉にコペルニクスを見た。
「攻め込む国の魔法士団の団長も知らなかったのか。ホリーは俺の名を呼んでたろうに、それに気づきもしなかったし、どこの国の差し金なんだかな」
その言葉に返事はなかった。だが次の攻撃もそれでなくなっていた。団長と名乗った恐ろしい氷結魔法を放ったコペルニクスに向かうべきか、それとも初期の標的であるオレに継続するべきか、その判断ができなくなったのだろう。
こう思うと、コペルニクスは食わせ者だな。
ついでに我が身のことも少しだけ恥ずかしくなる。だがこれはコペルニクスが悪い。何がクロック・ストップはこれでいいだろうかだ。オレがどうしようかと頭を悩ませた魔法攻撃を、氷結ひとつでいともあっさり完封しといて、オレにクロック・ストップはこれでいいかと尋ねてくるなんて、酷い意地悪ではないか。
質が悪いというか悪戯好きというか、王子という一応の立場に敬意を表されたのはわかるが、召喚魔法が使えるからってその視点からの意見を求められ、それに素直に受け答えしてしまうとは、今となっては飛んだ恥を掻いた気分だ。謙った態度をぶちこまれて、どう答えれば良いのかとも思うが、オレの魔法よりよっぽど効果的な防御であり攻撃でを見せられて、同じ立場に立ったら思うところがない人などいないではないだろうか。
「ああ、くそっ」
向こうでも腹を立ててる人がいた。
がんばれ、にぎやかし四人組。お前らとももう長い付き合いだ。今朝会ったばかりだが。
「ピュー」
「はい」
「コペルニクスと話がついた。基本はお前に守ってもらう体を装うが、儂はいざその時にはコペルニクスの背後に移動する。そしてお前はアーサー流で奴らを蹴散らせ。援護はコペルニクスから来る」
「騎士団と魔法士団の連携戦ですか」
「そうじゃ。一番基本の安定した型じゃ」
「オレは道場の練習生だからやった事ないですよ」
「そこは団長を信じろ」
「了解しました」
しっかりハンドサインで今後の方針を固めてしまうとはやるな。こういう事態を想定した準備もしていたのであろうライムの上層部の危機に対する対処の懐の深さにもオレは感心した。オレでは思いつかないようなことをこの土壇場で当然のようにこなしている。
さすがは五大国の一つ、甘くない。
「遅いぞ。第二射の用意ぐらいしろ」
四人組のリーダー格が魔法士団を怒鳴りつけた。
魔法士団は魔法を放った後、ボーッと突っ立っていたようなものだ。洗脳なんかしてるからそうなるわけだが、判断する力を奪っておいて判断しろと言われても、相反する命令に自縄自縛となって動けなくなるのが関の山だ。案の定、幾人かがその場にへたり込んでるではないか。
「戦争中に用意できなかったお前の責任だよ。下手くそ」
何人かは取り戻せそうだな。
おかしな命令にただでさえ自分の事を考えるように仕向けられたのだ。洗脳から解ける者が出て来てもおかしくない。オレは魔法士団を過小評価しない。ライムのフェンリルはドム兄さまが評価した魔法士団なのだ。
「迎撃。手で触れろ」
ムッときたのか四人組の右端の男がスッと顔から表情を消して、丸いのを取り出し、それを他の三人それぞれに触れさせた。オレから見てると手をくるりと回して鷲掴みしていただけだったが、あれをどこに仕舞ってどこから取り出したのか不思議だった。
取り戻すときに探すのが大変そうだ。
「迎撃開始。もうやっちゃっていい」「やったー」「リベンジだー」「…………」
以前のようにおちゃらけた言葉にもどそうとしたようだが、オレにはもう地のお前が透けて見えてるので却って苦しいだろう事がよく伝わってくる。
セプティリオンの助勢を受けた三人がその脇でナイフを振るう。
――速い。
風が切れていた。
と思った瞬間にリーダー格の男が逆巻く風のように右に左に小刻みに動いてオレに向かって来た。熱くきな臭い風だ。魔法陣の青白い光のうえを影となって一瞬で通過する。リアを魔導処理で封じたまるい封印具を持っていたはずだが、今はもうその手にはリアの痕跡はない。
ナイフによる攻撃を足捌きと合わせて右に左に出し入れし、小回りの利く武器の特性を最大限に活かした幻惑をかけてくる。
かまわずオレがその身体に向けて剣を薙ぐ。ギンと刃が絡みあってオレの剣は受け止められた。
速いだけではない。当たりが先ほどよりも重い。
どうやらこの四人組はパワーアップしたようだ。
立ち直りも速い。オレが踏ん張ってるのに、こいつはもうナイフの特性でオレよりも先に動き出している。だが――。
「当たらないよ」
オレは外套をつかって距離感を誤らせた。剣の遅速では負けても外套をその位置にあえて残すように身体操作をしてナイフを外套に当てさせ、そこに身体は残していなかったのだ。この動きはサマースから学んだものだ。
そして敵の動きは、いや、敵の動きよりサマースのが鋭い。
外套を撫でさせたオレは返しの刃で身体ごと叩き潰そうとしたら、青白い光が足下から輝きを増して邪魔され、その隙に男はさらに速度を上げて光に紛れると後退していた。
「逃げても無駄だ」
言った途端にザクッと音がした。足でも挫いたか? 魔法陣の光量の背後からした不穏な音にほくそ笑む。
「あが」
撤退した先の更に向こうの秘奥の間の入り口付近から声がした。
洗脳が解けかかってた魔法士団の者の声だ。
走り抜けた光の向こうで、脂汗を大量に浮かべて唾液を垂らしながら魔法士団の男が前を向き、その眼に光を宿していた。
オレは背後にいる枢密院殿に視線を送ると、警邏隊の三人が枢密院殿のすぐ後ろに控えていたようで、当初の魔法陣の外に退避する方針を先ほどの怒濤の魔法攻撃で我らを手伝う方向へと変えたらしく、我らより前に出ようとした。
「枢密院殿」
「任せとけ」
皆まで言わずに理解してくれたようで助かる。待てと言って指揮下に組み込み、自分の脇に留まらせてくれた。これで警邏隊の三人は枢密院殿が使い処を探ってくれるだろう。オレのやるべきは四人組の処理だ。
そう見極めた瞬間に四人組の一番右にいる男が味方であるはずの魔法士団の男を抜き打ちで斬り捨てた。それを機に精神操作のかかりの悪い団員が次々と殺されて行く。
やめろと叫びながらあわよくば注意を引こうと接近したら無視された。
代わりにいつも三番目の男がオレに強襲してきた。
マジで速い――。
オレは更に加速した剣速に防戦一方になった。
「なんだよ、効くじゃないか、この玉の力」
一番右のがアルバストに目を流しながらそんな事を言ったが、アルバストは気にも留めなかった。
まずい。魔法が来る。詠唱が耳に入った。
「させん」
という声と同時に氷結が魔気を凍らせて魔法陣の上を走って来た。コペルニクスの氷結だ。しかし青白い光が展開して、これは魔力を奪われるかと思ったらコペルニクスの氷結は逆に魔法陣の吸収を阻害してるようだった。
「すごい」
凍らされそうになって慌ててオレへの攻撃を収めている。事実足下を引きずって交代し、まともに撤退できてない。魔法士団の援護とはこういう物なのかと、部下がやられているというのにこちらへ援護を送ってくれたコペルニクスにオレは感謝した。
オレはオレでその間隙を縫って四人組を追撃する。
「じじいを狙え」
とアルバストが隙が生まれたとばかりにそこを突こうとした。オレが枢密院殿から離れる動きを見せたと判じたようだ。石床の上をキュキュッと機敏な音を残してシットスミスが人とは思えぬ速度で軌道変更して襲いかかって来る。
「対処してるに決まってるだろうが」
とオレは外套のなかに剣を隠し持ったまま真っ直ぐに進んだ。
枢密院殿を狙おうとしていたシットスミスが、セプティリオンの身体強化で動き出した時にはその直線上にオレがいた。迎撃への迎撃だ。
目を瞠ろうが一対一である。
――背反世界。
体内に浸透したセプティリオンによってお前らの動きは速くなったが、オレにも動作系の魔法はあるんだよ。
剣とナイフが銀蛇のごとく筋を引いて中空で絡みあった。剣先の速度の差でオレの方が力勝ちしてナイフを弾く。開いた脇腹に返しの剣をねじ込むが、その返しを躱された。
シットスミスが心底驚いた目をしてオレを見る。
「よくついて来られるとでも思ったか」
オレがひとつ、ふたつ、三つと三段返しで剣をさらに薙ぎ払ったときには、シットスミスのナイフを持つ右手首を三分の一ほど斬り裂いた。魔法陣を青白い光が走り、負傷したシットスミスを中に入れつつオレからの追撃を断った。しかもあわよくばオレも青白い光の中に取り込もうとするような動きでもあった。
「チッ」
背反世界をセプティリオンでもって斬り飛ばされるのを阻止しやがった。
シットスミスは玉を持った一番右の男のところにまで後退している。洗脳される気はないが、理屈もわかってない状態で何度も光に飛び込んで試すような真似をする気もない。
だが――。
「くそ」
向こうで魔法士団の団員が次々ととどめを刺されていた。オレは青白い光が周囲を窺うように揺らめいていて迂闊に飛び込めない。
「コペルニクス!」
だがその頼りのコペルニクスも深紫の闇に先回りされて道を塞がれていた。向こうは向こうでオレ以上にピンチのようだった。アルバストらは今度こそ本気でコペルニクスの魔法を吸収するつもりなのだろう。
「てか動けるのかよ、あの闇」
アルバストがニヤリと笑い、そのくせオレの言葉に無視を決め込んでコペルニクスに集中していた。
援護の見込めないコペルニクスが騎士団統括部の誰かのを拾ったであろう剣でもって深紫の闇を斬りつけたが、その剣が振り抜かれた時には抜き身の剣がその形を失っていた。
「何だこれは? ロングソードがこうなるか?」
あれは警邏隊の面々が手を割いていたのと同じ攻撃だ。そして団長が出来ないならオレがやるしかないであろう。
「枢密院殿、ついて来て下さい」
「うむ」
そこへ洗脳された魔法士団の者が疑うこともなくオレへと襲いかかって来た。
殺しにかかってくるそのナイフを止める。と同時に氷結が魔法陣全体を覆った。コペルニクスが向こうだとクイッと顎をしゃくる。
青白い光が氷結に押さえ込まれて魔法陣の上へと立ち昇れずにいた。
「おい、あんた、大丈夫なのか」
警邏隊からオレに声がかかった。
踵を返したその先には、さきほどまでオレを殺そうとしていた魔法士団の団員がいる。その彼らを助けるのは変な感じがしたのだろう。だがクロック・ストップの世界に居たときからのコペルニクスのオーダーでもある以上、ライムの強制力という物がオレには働いてくる。
オレの立場は弱い。弱いなりに力を尽くすのが、異国の地に流れて来たオレの業みたいなものだった。今さら嘆くには値しないし、むざむざ殺させる気もない。
オレはポーションを飲むシットスミスを眺めやりつつ、四人組の残る三人の蛮行を止めに入った。
奴らは奴らで謀ったようにアルバストの元へと戻る。
オレは洗脳の解けかかった魔法士団員たちを保護しつつ問うた。
「おまえら夢か現かも判然としてない無抵抗な奴らを襲って楽しいか」
「冒険者に会ったこともないのか、お前は」
やばい。
まさかそんな返しが帰って来るとは思わなかった。冒険者と関わらない人種など限られてくる。
「レジスト」
向こうからコペルニクスの声が突然に聞こえて来た。
「気をつけろ! 洗脳してくるぞ!」
「青白い光は魔法陣を走ってないぞ」
それこそコペルニクスが封じた事だろうが。
「そこが狙い目なんだ」
オレがコペルニクスの真意を確かめながらもアルバストを目を配ると、アルバストは深紫の闇に手を翳していた。
(ふっ)
小太郎の笑い声が聞こえると同時に、なぜか天道神さまがニッとしながらサムズアップしてるような気がした。
「お前らももう諦めろ。この秘奥の間でのテロはすでに失敗した」
コペルニクスによって氷結が秘奥の間全体の魔法陣を覆っている。
「上役ー」「もう間違いないだろう」「殺せもせず狂いもせず」「…………」
アルバストが返事をする前にオレが遮った。
「コペルニクス」
再び魔法を、クロック・ストップをかけてもらおうとしたところで保護対象が奴らの餌食になった。
取り返したと思った瞬間に、仕込みを発動させたらしい。魔法士団のわずかにでも意識を取り戻しつつあった彼ら全員の頸筋がいつのまにかことごとく斬られており、オレが気づいたときには既に彼らは事切れていた。洗脳から解き放つ時間を稼ぎたかったのだが、その時にはもう事態が終わっていたようだ。
やられた。
見れば奴らの凍った身体もすでに氷が溶けはじめている。
「なんだと?」
向こうでコペルニクスが驚いている。
だがオレにはあいつらのやった手口がわかる。
奴らはセプティリオンを使ったのだ。
リアの召喚獣、機械召喚体セプティリオン。当人の能力の底上げをしたり補助をするのが得意なのだが、奴らはその極小の機械召喚体を利用して団員のなかに潜り込ませ、一番効果的なこの時に手札を切り、その命脈を絶ってみせたのだ。
だが問題はそこだけではない。いつから潜ませていたのだろう。
あの丸いの、リアの指を入れるためだけの容れ物と思ってたが、ただの容れ物ではないのか? リアの力ではなく容れ物自体に力があると、いや、玉の力と云っていたか。
オレは全身の毛が総毛立ち背中に汗が溢れた。思わぬことを意味してることに今さらながらに気づいた。
玉――。
それはフォルテの王族であったオレは日常のように聞いていた言葉であった。
忘れもしないし忘れるわけがない言葉…………、「玉」。この玉とは、もしや龍玉のことではないかとオレの脳裏を過ったのだ。父さまの持つ召喚獣ダブルリグレット。
――ダブルリグレットかっ!
そんなのを持ち出されたら勝負になるわけがない。そして考えたくはないが、まさかの父さまがこのテロリスト共に加担してることが有り得る、ということになる。ありえるのか? もしもそれが事実なら、いくら冷たい親だとはいえ父さまが自分の娘の四肢を奪い、そしてそのうえでオレとリアを一緒にフォルテから追い払ってライムという死地に追いやった事になる…………。
肚の底で暴力的な何かがギリッと動いた。
あとがき
ブクマありがとうございます。
本当ならここらへんから先は怒濤なのでそのままに駆け抜けたかったところでした。去年の今頃は毎日更新をしてたのが懐かしいです。八月二十六日が手術予定日なのですが、その前にも色々とあって自分の力だけではままなりません。お待たせして申し訳ない気持ちでいっぱいです。情けなさや愛想を尽かされてもおかしくないという焦燥、その他諸々な事が不穏な方向へとまろび出、これでもかと心は動くのですが――。
ただ一つ動かないのはそれでも小説が好きだということです。