第105話 クロック・ストップの世界
ホリーの姿は階段の奥に消え、すでに足音だけしかその痕跡はこちらには届かなかった。まずい。絶対に追いつかねばならぬ。
何かしでかすぞ、あれは。
「構え」
サーバの王家ルーゲリス家の従者達、フォルテの貴族風にいえば私設護衛団が制圧に乗り出す。
枢密院殿の声がうしろからした。小声だった。
「コペルニクスは動かさんぞ。彼奴もあと少しだろうし」
「ではフェンリルは」
「今しばらく混乱してもらおう」
洗脳は解かない、か。解き方もわからぬが。
「すまんの」
謝られても用心棒。どうにかせねばならぬ。
向こうで杖が振り下ろされた。
「放て」
一気呵成の魔法攻撃が来た。
そちらもまだ集団行動を終えていないだろうに、それでも魚の死んだような目で我らを認識して容赦なく鍛え上げた各々の魔法を放ってくる。
ごていねいに魔法の攻撃の衝立がわりに、闇魔法の闇を展開する。きらびやかな魔法光が遮られ、その闇から不意に魔法がこれでもかと飛び出してくる。
「うお」
枢密院殿が呻いた。枢密院殿も見たことがないような魔法攻撃の数なのだろう。
魔法士団による一点集中攻撃である。わずか二人ばかりの人間のために、ライムの誇る魔法士団が無差別に攻撃などしたことは歴史上にもないだろう。それをしたらこうなるという、ある意味歴史の証人である。
しかもそれがサーバの秘奥の間で行われてるというのだから、この認識はあながち間違いでもないはず。しかも元々サーバの魔法士団であったフェンリルならば、民にも後日談は英雄譚として祭り上げられることだろう。
意気揚々と語られるのだろうな…………。
やられた方はたまらない。
(だが深度一に潜った以上、やるのであろう?)
小太郎からそう問いかけられた。
(うむ)
頷いて時の流れが遅くなった深度一の世界で、オレは降りかかる火の粉を見上げた。我らを殺すにしては過剰な攻撃である。十七歳のオレと老境の枢密院殿相手に迷わずこれだけの攻撃をするのである。
洗脳とは恐ろしい。
事ここに至ればオレがバレずに出来ることなども限られている。このまま深度一に潜って降霊召喚状態でぶった切るか、魔法で対抗するしかないであろう。
(魔法士団の魔法に対抗するか、お前一人で)
小太郎が痛快そうに笑った。
(まだ包囲の途中で放った魔法だぞ。それでもこの魔法光の数々なのだ。笑えんわ)
しかも何気にぶった切る方の選択肢は、面倒だと却下している。
勇者だと誤解してるあいつらにソマ村で邂逅した風魔の小太郎と同一人物だと一致させてもいけないわけだが、素直に頷く気にはなれぬ。
(まぁ好きにしろ。神に頼らぬお前の姿勢は好感がもてるぞ、ヒュー)
(そりゃどうも)
(闇魔法で出所を隠したつもりが、こちらが何をするのかも隠してくれて有難うといった感じか。お礼を言わんでもいいのか)
(わかってるのにそこもつついて来るか。小太郎も意地悪だの。魔法ではオレの方が師匠筋だ。黙って見ておけ)
(応。たのしみにしてる)
気楽な奴だ。しかしそうなのだ。要はバレなきゃいいのだ。頭上に広がる魔法群にうんざりしながらもオレは余裕をもって通常空間にもどり、枢密院殿を庇う振りをして魔法を発動した。
気持ちとしてはこうだ。
第三者がいるよ。
と言った感じにする。これがコツだ。
この、やってないよと言いつつ滅多打ちにする手口はフォルテの貴族の間ではよくあることで、王族であるオレもこの手口にやられた口だから、折角学んだことを異国の地で存分に実践するのもやぶさかではない。
敵は本気でオレを殺しに来てるのだ。
召喚――。
高さ十数メートルはある秘奥の間の天井すれすれにまで、目も眩むような光の壁が突然に出現した。
魔気を介しての魔法ではない。その場に現出させる召喚魔法ならではの魔法である。魔気を根こそぎ飲みこんで光そのものに変換してしまう。そんな魔法障壁のつもりでオレは枢密院殿を庇う肩越しに振り向きながら発動していた。
向こうからオレの姿がもしも見えていたなら、さぞ弱々しい男に映ったことだろう。
魔法を飲みこみ、闇を飲みこみ、遅れて来た火炎旋風やライトランスすらもが、オレの放った光のカーテンウォールに飲みこまれて魔法の形を変えられる。
魔法陣が猛り狂ったように青白い光を陣の上を走らせているが、光のカーテンウォールをどうにかしようとしているが、王都下でのように吸い込むような真似は出来ないようだった。この光のカーテンウォールは召喚魔法であり、魔気を介した魔法ではない。
深紫の闇は味方以外の中立だった魔法士団や警邏隊を洗脳できても、その場に現出させる召喚魔法ではあるはずの魔気を見つけられずにいる。オレが深度一から深紫の闇の正体を見極めることが出来ないように、お前もそこから出て来ないとオレの召喚魔法には対抗できないみたいだぞ、どうする、深紫の闇。
オレは深紫の闇に意思を感じていた。
そして魔法士団の一斉攻撃が終わったのと同時に、オレはびびった振りをしながら召喚を解いた。
光のカーテンウォールを送還し終えると、得も言えぬ溜息が敵の陣地から聞こえて来た。
「オレはたまらない方ばかりだな。かつての枢密院殿がこんなお気持ちだったのでしょうかね」
「何を言っておる、ピュー」
「どうやら無事なようですと、そう言っておるのです」
ハッと枢密院殿が我に返った。
「なんじゃと! サマースか? 捜せピュー」
「いや、サマースなら真っ直ぐここに来るでしょう」
「では誰じゃ?」
「わかりませんがお味方がいるようですな。もしや他の枢密院殿が来てるのでは?」
この考察はかつて城下町で有り得ないと否定されたことだが、今はその可能性を報告という形で周囲に洩らし、敵に匂わせてみるだけでもいい。少しは周囲に気を配って時間を稼げるだろうから――。
だが敵はごり押しできた。聞こえてくる詠唱が恐い。
わからないならわかるまで撃ち続ければいい。フェンリル魔法士団の力押しである。視界に映るだけでも先ほどより更に大きく広がって人が重ならなくなり、手を休めていた者も攻撃に参加しているようだ。これはさすがにまずい。左側も同じように人が広がっていることだろう。振り返って迎撃せねばまず蜂の巣だ。
「クロック・ストップ」
コペルニクスがこちらにもわかりやすく伝えるために、そう言葉にしてくれたようだ。周囲の言葉が間延びして行き、やがて全ての音が止まり、動く物は秘奥の間から全てなくなった。
これがクロック・ストップの世界。
すべての時は止まる。
枢密院殿はサマースの姿を捜したまま凍りついていた。だが止まってるだけで害はなさそうだ。
ふう。
それにしても王都街中での不意打ちに比べれば随分とやさしいことである。何せこのオレにわざわざクロック・ストップするぞと教えてくれながら魔法を発動したのだ。
そのコペルニクスはといえば、注意深くアルバスト達を見ていた。洗脳された自分の部下達のことは見ていない。
(たぶんフェンリル魔法士団の訓練で部下をいくどとなくクロック・ストップさせてるのだろうよ)
などという小太郎の類推が聞こえて来た。
だが当のコペルニクスはアルバストらが動かないことに満足そうに頷いた。やつらは機械召喚体である召喚獣セプティリオンの恩恵を使えば位相のずれにも適応し、やがては動けるようになるだろうから、そこはコペルニクスも知らないだろうしオレが注意を払うしかあるまい。
これはフォルテの秘事でもある。リアが召喚契約に失敗したとは喧伝してきた手前各国に流したが、召喚の儀が何者かに破られたとは発表していない。
リアの名誉もあるし、そのセプティリオンを奴らが持ってるとは言いはしないが――。
召喚獣の動く気配はコペルニクスにも掴めまい。リアの機械召喚体は召喚獣の中でも特に特殊である。
つと、コペルニクスの方から声が聞こえた。
「俺が洗脳されてると思ってるからそうなったのか。物を知らないからそうなったのか」
コペルニクスが立った。
そう言えばこのフェンリルの団長はこの場はライムで預かると宣言し、その事実を知らないアルバストらが乱入した後も一度だけ指示を出してたが、枢密院殿とのハンドサインによる相談の末、深紫の闇の解析を始めて目立つことを避けてたから、今回立ったということは、もうアルバストらに正体を隠す気もないのだろう。
オレも静かに中腰の状態から腰を上げる。敵意がないことはきちんと示した方が良いだろう。だが枢密院殿はやはり止まったまま、動けないようであった。オレは枢密院殿を残して自分の位置を確認すると、コペルニクスに振り向いた。
「どう思う、ヒュー王子」
王子?
「あなたは…………?」
「気づいていたさ。ライム城での王家の晩餐会に出席してた中には俺も居たんだぜ。警備はうちの団がしていた」
と言うことはオレの正体を知ってた上で城下町ではオレにクロック・ストップをみせたということか。枢密院殿が言った通りオレは気に入られてたのか?
いまいち解せぬが。
「そうだったんですか」
「すまないな。だが秘匿してるようだし、これが一番ではないかと思いまして」
「普通に上から話して構いませんよ。こそこそ話す方がいざとなったら怪しまれるので。それでさきほどは酷い目に遭いましたし」
「そうか、なら遠慮なく。しかしさすがだな、ヒュー王子。もうクロック・ストップの世界に入って来るとは。こちらはしばらくは動けんものと覚悟してたんだが」
「オレとしてはもうちょっと早くクロック・ストップをかけてほしかったですよ」
「いや、王子の大根振りが面白くてな」
「大根?」
「失礼。ワッカイン王の前でも堂々としていたヒュー王子が、召喚魔法も使わずに怯えた体を見せたのでな。何をするのかと興味津々だったんだ。実際助けもいらなかっただろ?」
「…………そんなに大根でしたか?」
「見る人が見ればな」
ふうむ。
オレの召喚魔法は母国においても大規模攻撃ができない欠陥召喚と蔑まれていたのだが、次期王杖候補がその噂を知らなかったとも思えない。
「オレの召喚魔法は大したことないですよ?」
「どうかな。うちの王剣筆頭はヒュー王子が弱いわけがないと言い切ってたぞ。同じ噂なら、俺は王剣筆頭の噂の方を信じるがね」
「会ったこともない方ですが、母の友人だから身内贔屓でも働いたんじゃないですかね」
「そんなに甘くないぞ。王剣や王杖を名乗る者は」
「失礼しました」
「別にいいさ。王子を名乗らない者も甘くないとわかったことだしな」
コペルニクスがウインクした。
「それより挨拶も済んだことだし早速殺るか」
そう言ってコペルニクスは全ての元凶であるアルバスト達へと鋭い眼を向けた。
あとがき
ブクマありがとうございます。コツコツ積み上げてくので今後ともよろしくお願いいたします。
さて――。
蜂の巣にする、蜂の巣になる、という表現は太宰さん以前にあったのかどうか。
ハニカム構造で身体に穴が開いても穴以外は身体の形を保つという事で「蜂の巣にする」わけですが、小太郎から習うにしても苦しいような、それでも信長なら、信長さんならば、と意味のわからない厨二病と勢いで乗り切ることにしました。熱い夏は人をおかしくします。