第102話 孤剣 その三
コペルニクスが深紫の闇に隠れているなら、オレの雇い主である枢密院殿はオレの外套を影にして何やら互いに合図を送り合っていた。
どんなやりとりが交わされてるのかは知らないが、思い出すのは秘奥の間から王都全体へと張り巡らされた魔法陣のその成り立ちである。枢密院殿はこのアート城の防衛機構の魔法陣は作る際に魔法士団の団長クラスが関わったと云っていた。
そしてその中にはフェンリル魔法士団の名前があったはずだった。いわば秘奥の間に元からあった魔法陣をよく知り、咒札によって書き換えられたり付け足された魔法陣との差異を一番気づく可能性があるのがコペルニクスだった。
だからオレが囮役をこなすというのは極めて妥当な人選なのだと、洗脳された警邏隊の人たちをあしらってる内に気がついた。つまり気づかぬうちに枢密院殿にグループとしてまとめられていたわけだ。伊達に年は食ってないな、枢密院殿――。
それからのオレはひたすら役割をこなそうと囮役をこなす。
意思のない警邏隊の警棒による制圧攻撃をはね返して一歩も引かない。そんな状況が十分ほどつづいていたのだが、変化のない状況で魔法陣が周囲を照らすように怪しく光った。
深紫ではなく、青白い光だ。
また動き出した。
特にアルバストが動いたわけでもないように見えたのだが、深紫の闇から秘奥の間の魔法陣に魔力が流されはじめて、青白い魔力光が右に左に縦横無尽に走る。
囮になると気持ちが入った途端に微妙な違いでも出たのだろうか、とたんに騎士団統括部、そして魔法士団統括部も魔法陣の始動にあわせてふたたび動き出したようだ。彼らは洗脳と魔力供給を同時に受けてるようで、疑問やメカニズムをこちらが解き明かしたくても、敵にその根幹を開示するわけもなく、ただ事実として枢密院殿をうしろに庇うオレの方へと向かって来る。
警邏隊は、と目を配ると、魔法陣の外に出た警邏隊はコペルニクスの言いつけ通りに待機していた。その人数、わずかに三人だが彼らは正気を保てている。だがそれ以外の者達は駄目だった。統括部連中と共にこちらに攻め入ってくる。
「枢密院殿」
「うむ。任せる。自慢のアーサー流を見せてやれ」
それは改めて制限をかけたのですかと雇い主殿に聞き返したかったが、その時には残る二人の騎士がオレに突っかけてきたので、オレは剣を構えて迎え撃った。
左から暴風のような槍が突き出された。その槍を外側に弾きながら、降りかかってくる剣の軌道に槍もろとも交差するように振り抜くと、味方同士の武器が重なって敵二人がうしろに控える後陣の中へその武器を突っ込んで行った。
隙間なく押し寄せようとした一部から悲鳴が上がるが、ひとりを集団で囲うという事はそういうこともある事ぐらいわかっていてほしいものだ。
集団戦の基礎である傷つくことも前提においた、敵を飲みこむような圧倒的な突進もせずに、次の人、次の人と、順繰りにオレに当たっていずれ誰かがオレを殺せばいいと云ったふぬけた阿吽の呼吸では、そんな攻撃にやられるわけにはいかない。
阿吽の呼吸ではなく暗黙の了解だろうか。
いずれにしろ騎士団統括部や魔法士団統括部の人材とはいっても、騎士団で叩き上げられた人材が派遣されて来たわけではないようだ。騎士団統括部にも一報が入ったのなら何でこんな人材を寄越したのだろうかと、オレはサーバというこの国の組織運用が心配になった。
しかも騎士団統括部の武器が飛んで来て、悲鳴をあげた女子もいた。
「悲鳴を上げるな。オレはサーバでしか聞いたことがないぞ。人を殺しに来といて自分に武器が当たれば悲鳴を上げるような腰抜けには」
前にも言った気がするが、そこは言葉の綾だ。しかし戦いの場にでてきておいて、やられた途端に悲鳴をあげるというのは最低限の心構えさえしないでオレを殺しに来たというわけで、どうにもやるせなさが残るのだ。
敵を誇れず、尊敬にも能わない相手なのに相手にしなければならない、この時間の無意味さを思うと、オレはこんなのを相手にしないといけないのか、と言った自嘲もわいて来る。
そしてオレは本当の敵のほうに眼をやった。
四人組は見ることに徹している。
一度オレに手酷くやられたと思っているから一切合切が慎重だ。
魔法を使わず、風魔の忍術を使わず、枢密院殿はオレの変身スキルを魔法の一種だと誤解し、その手の内をアルバスト達に見せないよう最大限の配慮を行っているようだし、枢密院殿がオレにアーサー流で対処しろと言外に含ませたのは妥当とも言える。
敵にいいように嬲られてるような現状、膠着状態に持ち込めてる今は、十分な戦果を挙げているともいえるのだ。この間にもコペルニクスは進んでいるはず。
一方、オレを勇者呼ばわりした敵の首魁であるアルバストだが、未だソマ村で相対したときに名乗った風魔の小太郎だとは気づいていないようだ。そしてこの部分を枢密院殿はいざという時に切るつもりなのだ。
手札は隠し持て。
これも鉄則だ。
オレが習ったのは主に逃げる時のためにだが――。
忍者には遁術がある。
忍者の火遁、水遁、雷遁、の遁とは遁走する時につかう忍術のことである。遁走、つまり絶体絶命の時にどうにかして逃げるための忍術であり、火遁なら火で逃げるための忍術、水遁なら水で逃げるための忍術、雷遁なら雷で逃げるための忍術である。
敵わないから尻尾を巻いて逃げるわけだが、情報を抜いて、逃げきって、敵対勢力に情報を広く広めればそれで忍者の勝ちであると、小太郎からは叩き込まれた。何も命を絶つことだけが忍者の務めではないのである。逃げた方が敵に大ダメージを与えることは往々にしてあるのだと、そういうことを――。
今回は逃げずに膠着させることで手札を切ることになるわけだが、おっと、剣と槍を拾い直した騎士ふたりが警邏隊の皆さんの間隙を縫って殺意のこもった攻撃を繰り出してくる。
槍はすらして指切りのように槍の腹を撫でて加速させつつ、オレの横合いから嬉しそうに取ったと叫んで上段から斬り伏せてくる相手を、蹴り飛ばした。
そして親指を切り落としにかかると、蹴った反動のわずかな力みで、槍を押してしまい、相手の親指の爪を削ぐ程度のことしかできず、血煙をのこして爪が中を飛んでいた。
取り損ねた。
しかしだ――。
騎士団統括部の者を我らに当ててくるということは、既にアルバストの手によって騎士団統括部が落ちたことを示唆してる。それは魔法士団統括部にも言える。
今さらだがその事にオレは気がついた。
身に染みたと言うべきか。
何もないままこの秘奥の間の謎に辿り着けるなどと甘く見積もってはいけない。
すぐにやられるぞ。
何せ手札を切っていないのは向こうも同じなのだから。
このことはオレはもう既に経験してるではないか。
あの日を越えるのだ。
何かを隠してオレのことを窺ってるのはわかる。おそらく勇者だという誤解と、魔法を封じて魔力を封じて王都の住民が力尽きる中、オレと枢密院殿だけが奴らの目の前でピンピンとして手強く抗っているのだ。
それだけでオレと枢密院殿は奴らからしたら異質であろう。
そんな人物を見つけたらオレだって警戒する。
しかもそんな要注意人物が要である秘奥の間に現れたら…………、いや、もしかしたらオレの正体は既に結びつけていて、ソマ村の時のようにオレが魔法を使うのを待っていてもおかしくないのか。
オレの召喚魔法による魔法なら、魔気が大気から失われようが発動する。
召喚魔法なのだから。
そしてオレ自身が、何で王都の民が魔力を吸われて次々とへたり込んでいるのに、オレ自身は魔力も込めずにいつも通りに動けてるのかはわかっていないのだ。
枢密院殿なら元から魔力がない、老いたから奪われる魔力がないので影響を受けないと考えられるが、オレは違う。オレには魔力がある。
ふうむ。
召喚魔法の使い手であるオレには、奴らの秘事が及ばないということなのだろうか。だがフォルテにおいて、フォルテ最高の召喚魔法の使い手である王廷守護隊の隊長達がアルバストの仲間に全員が出し抜かれている。
最強の使い手である父を含めて、フォルテの奥深くに秘められた召喚魔法陣の秘儀を攻略され、リアの四肢を奪われ、召喚獣は剥がされ、召喚の儀そのものを破壊、攻略されている。
アルバストはその仲間なのだ。
と思う間に魔法陣が動いた。
青白い光が表面を走って陣の深くに沈む。
「警戒を。まるで人食い鮫の背びれが海に沈むようです」
「剣を振れ」
「枢密院殿?」
「魔気飲みじゃ!」
そんな技はオレにはない!
だが剣を振るのが大事なのだろう。
魔法陣から深紫の煙がいきなり立ちのぼって中空に消えた。
やった。
枢密院殿の目論見にうまいこと嵌まれたと思う。
しかし背後で動く気配はするが、枢密院殿からオレに言葉はかかって来なかった。
何だ。何をしておられる。
いや、別に枢密院殿からお褒めの言葉を頂いて給金に色をつけてもらおうとか、その言質がほしかったとか、そんなことを考えているわけではない。
うむ。
とにかくだ。
とにかく奴らは魔法までも使ってオレを牽制しだした。そういうことなのだろう。
枢密院殿はソマ村でオレが忍者刀を使って魔法を斬り裂くのを観てるから、それをアーサー流でも再現しろとそう要望を出したのだろうが、生憎オレにそんなことは出来ない。
果たしてアーサー流の剣で斬れるだろうか。オレにそれだけの腕がアーサー流にあるのだろうか。
魔気を散らそうにも散らす魔力が奴らに封じられてるので、中空に魔法を散らした途端にそれまで魔法を構成していた魔気が、こちらがそう意図した途端に魔法陣に吸われる、そんな感触もある。
「きゃー」
脈絡もなく悲鳴が聞こえたことでオレはそちらを振り向いた。入り口付近である。
声を出したと思しき女子がとろんとした目で今もマヌケな感じで口を開けていた。
そして攻撃が飛んで来た。
オレが腹を立てたことを観て、逆撫でしに来たのだ。
先程よりも鋭い。
二撃三撃と剣を薙ぎ払うと、枢密院殿の差し迫った声が来た。
「風じゃ」
そのひと言でオレは眼を凝らして剣を振る。
そして理解した。
ちがったのだ。
研究されて来たのだ、と。
オレがまんまと乗っかって引っかかったのだ。覚悟が足りぬと笑ったつもりが嗤われていたのだ。
「ピュー」
魔気の流れがある。
魔法だ。風魔法は見えない。
騎士が二人、脇にのけると同時に隠していた炎弾の姿が現れ、それがオレに向かって飛んできた。
風魔法ですら囮だった。風魔法を剣の腹を大きくみせるように持ち替えることでこちらが叩き落とすと、魔法の出所を隠した二の矢である本命を放たれたのだ。
これはキツイ。
と同時に枢密院殿からの命令も飛んで来る。
「よけろ!」
いや、斬る。
忍者刀では出来ていたのだ。
風魔法のように剣の腹で撃ち落としたい誘惑と、剣を走らせるためにも刃を立てて最速を、自分の腕を頼みに剣を振れという狭間で心を揺らしつつ、避けるという選択肢だけは選べなかった。心に混ざり合う相反する物が自分の全てであり、その惑いのままにオレは剣を立てて振り抜いた。
「命中っ」「いえーい」「あっつそー」「…………」
傷の認識をさせようとしてるのだろう。人は認識をすると途端に痛みを覚える。だがオレは脳裏にリアの姿が思い浮かべると痛いなどとは全く言う気にならなかった。
「かすっただけだ」
斬ったが斬りきれなかった残滓が命中したにすぎない。
この程度で痛いなどと言ったらリアに笑われる。そしてちゃっかり二発目のファイアボールがオレに飛んできていた。
この二発目は剣身のフラーに通すようにひっかけて明後日の方向に向きを変えさせた。
フラーとは樋のことである。剣身が重くならないよう樋を設けることで剣身を軽くするのである。血溝とも云われたりする。敵に深く刺さってもこの血溝があれば抜きやすくなる。
その樋をつかってファイアボールの軌道をそらした。
「避けるのに必死だったねー、ねーねー、顔、熱い?」「火傷は熱いよねー」「やっけっどっ、やっけっどっ」「…………」
左の眦辺りに熱と言うより引き攣った感がある。おそらくここにファイアボールが中ったのだろう。
「ピュー」
「大丈夫です」
さて――。
オレの剣でファイアボールは斬り落とせなかった。ソマ村ではいとも容易く出来たというのに。
だが二発目は斬れこそしなかったが、方向を変えて魔法陣のなかに落としこめはした。忍者刀のようにはいかない。得物の長さと重量、それから一本と二本では立ち振る舞いがまるで別物なのもあるようだった。
何よりオレの腕と刀の持つ特殊効果か。
熟練度が忍者刀と剣とではかけた年月が違う。時量師神さまの「時止め」のご厚意が忍者刀にはある。
「ふう」
オレが息を吐くと、床に落ちて赤く燃え光っていた魔法の名残が魔法陣のなかに溶けこんで消えた。循環して再び魔法陣の中枢へ行ったのだろう。
オレは剣を構え直すと背後にかばう枢密院殿に話しかけた。
「枢密院殿」
「なんじゃ」
「よけたら貴方に中りますぞ、滅多なことは言わないで下さい」
「む」
どうも枢密院殿はご自身のことがわかっておられない。
アルバスト達の思惑でなく宰相派の思惑として連中は、枢密院殿が死ねば、後はどうとでもなると皮算用を立てた可能性が高い。それも極めて高いと思う。そしてそれが成功した暁には、宰相派の裏にいたスポンサー筋のアルバスト達の覚えもめでたくもなり、且つテロリスト共の意に沿ってオレをここに釘付けにすることも出来る。
「…………ならば」
と枢密院殿がこれまでと違って意を決したような感じを受け、オレはとっさにその先を遮った。
「話の途中で申し訳ありませんが、今、枢密院殿が考えられた条件開放は無しの方向で」
「なんじゃと」
「向こうも混乱してるのです。我らの存在に」
「疲労は。疲れが溜まっておろう。そういう輩を戦場で数多く見かけてきたが、そういう者達は決まって突然に動けなくなるぞ」
「それでもこの場を切り抜けなければならないのです」
「じゃが王杖が戻って来さえすれば」
「よしましょう。戻ってこないなら、それはきっと、アート王と合流したのでしょう」
「…………それは良い報せじゃの」
皮肉げに枢密院殿がうそぶいた。
「そんな腐らずに。オレの妄想ですから」
「しかしのう、あえて今言うが、悪いことにコペルニクスも洗脳された可能性があるのじゃぞ」
ないと思ってるくせに。
「それでも」
「それでも?」
「オレは貴方の用心棒なのです」
オレは静かに決意を述べた。
あとがき
お疲れ様です。
ブクマありがとうございます。
今話を書いてる時に身悶えするようなことが起きました。
頭の、脳髄の、そんなすぐ上をふわふわと漂っている大事な物があったのですが、PCの調子が悪くてパスワードのキーを押しても文字を認識せず、どうしてもソフトを起動できないので仕方なく再起動したら、いざ書けるようになった数分後にはその大事な物が漂っていないのです。自分は何を記そうとしたのだろう、穴を塞ぐ文章だったのは覚えてるのですが、あー、なんてこった。露と消えました。