第10話 神妙にして、気持ちよく納得してもらおうかと
オレは思わぬたつきの道が拓けたとばかりに、晴れ晴れとした心でリアとアンナの喜ぶ顔を想像していたのだが、小太郎に冷や水を浴びせられた。
――立派だぜ。元第七王子。王子の考えることじゃねーがな、と。
(貴様は、なんでここでそう、そんな事を云うかね)
だが突き落とされたオレとは別に、目の前のハロルド枢密院は終始ご機嫌になっていた。
先程のメイドを呼んだ。
「カーラや。リロ・スプリングを知ってるかの」
「はい。キボッドからわざわざ剣術修行に来られた、大変な努力家な方だと」
なんと、とオレは驚いた。
まさか思わず口について出たアーサー道場の若手筆頭が自治領出身ではなく、サーバと同じようにライムの属国である、キボッドからの剣術修行の徒だとは思いもしなかったからだ。
「こやつは、その剣に互すそうだ」
「まあ、すごい」
「しかもダルマーイカ自治領に来てひと月だという」
「まぁまぁ、優秀な方なのですね」
「そういうことで水を持って来てくれぬか」
「かしこまりました」
おお、これは……これから根を詰めて話そうぞという話ではないか。オレの交渉も少しは腕が上がってきたらしい。
「まぁ座れ」
そう枢密院に促されて、これは…………、と感に堪えた。
まるで賓客扱いのようだ。フォルテから異国に送られて以降、迷惑がられて早く行って欲しいとばかりの扱いは受けてきたが、席に坐れと云われたのは、ライムに来て以降初めてではないかと思うのだ。
「して、腕の売り込みに来たわけだの。真っ先に腕前の証明をするとは心がけも立派なものだ」
「あ、いや、腕の売り込みに来たわけではなく」
オレは手の甲を返すと、こそっと内緒話をするように口元を隠し、ハロルド枢密院に告げた。
「実はなかなかお屋敷に入ることが叶いませんでしたので、悪漢をこらしめたといって訪いを入れましたが、実はサーバ国王の使いで参りましたのです」
「アートの?」
「左様です」
平気な声を出して応対したが、内心ではオレは驚いていた。アート・サーバ・ルーゲリス。一国の国王をアートと呼び捨てるなど、ましてや枢密院という王を支える立場の者の言葉としては、あまりに対等というか、気安さに過ぎた。
「その方、名前は?」
「ヒュー・エイオリーです」
「ふうむ。聞かぬ名だ。本当にアートがそなたを使いに出したのか?」
その眼は鋭さを増していた。これぞ老練の士の眼というものである。
「あ、いかん、いかん。そのような眼で睨まれても困る。使いに出されたのはティナ・オールダムという女子である」
「ティナ?」
枢密院は首をかしげたが、すぐにうなずいた。
「オールダムの娘だ。なるほど」
「…………」
「すると、そなたは何者だ」
「ですからロラン・サーキ殿の屋敷で世話になっておる、ヒュー・エイオリーです」
「ヒュー・エイオリー…………」
枢密院は天井を見上げた。
「ティナの夫か」
「めっそうもない」
オレは頬に血がのぼるのを自覚して、急いで訂正した。あの女子の裸の胸に、我が手をかき抱かれたことは、生涯の秘事としなければならなかった。それがティナという女子のためでもあった。
「オレは一国の…………ではなくて、そう、すでに一家の主であるからして、それは枢密院どのの誤解である」
「であろうの。お主も若いが、ティナもまだ十二ぐらいのはずだ」
枢密院の認識にはズレがあった。いつかの時代かで時が止まってるのやも知れぬが、ティナは十七歳のオレより年上だと、うちのメイドさんが云っていた。まさかアンナの見立てが狂ってるとは思わない。
「すると、その嫁持ちのヒューが、こうして儂に会いに来たわけを聞かねばならん」
未だ齟齬があるが、そこをあげつらっては話が進まぬ。
「申し上げます」
そうしてオレはダルマーイカの町からの帰りに、偶然ティナの危難を救ったいきさつを話した。
「そういうわけなので、ティナ殿は今、オレの家で傷の養生をしております。つきましては…………」
オレは懐から油紙の包みを取り出して、ハロルド枢密院の前に押しやった。
「これが、ティナ殿がサーバから持参した密書です」
「来たかっ」
ハロルド枢密院が膝を拍った。
「それを早く出さんか、ヒュー」
枢密院は慌ただしく油紙をひろげると、朝日の昇り始めたばかりの光だけでは光量が足りないらしく、手燭の灯に手紙をちかづけて一心不乱に読んだ。
「ふむ。そう来たか、さすがは王。決断なされたようだ」
ハロルド枢密院がつぶやいた。その表情に、みるみる感激したいろが浮かぶのが見えたが、枢密院の感動はオレには関わりがない。これでティナとの約定が守れたとホッとしたばかりである。
最早手紙の真実もハロルド枢密院が知ってしまった以上、不遜な輩がこの家を警戒することもなかろう。王の決裁が降りた今、それに歯向かうということはサーバに対して歯向かうことになる。
言葉はわるいがこのような辺境の田舎騎士崩れが束になってかかろうとも、王と枢密院は最早小揺るぎもしないだろう。後ろには五大国のひとつ、ライムも控えているのだ。大勢は決した。
そしてオレの門番の仕事もこれでなくなったというわけだ。
短い夢だったが、いい夢を見させてもらった。こういう仕儀になることを見抜けなかったオレは、やはりまだ王族の心持ちが抜け切っていないのだろう。
(そうではないか? 小太郎)
(まー甘いが、わるい甘さじゃねーからいいよ。ただ決めつけるのはお前の悪い癖だとは思うがな)
(すまんな。慰めてもらって。だが最早事態は動きようもない。見よ。ハロルド枢密院のギラギラした眼を)
(物忘れの激しい年寄りのくせに、随分と脂がのってるな)
(これ以上は邪魔になる。帰るぞ)
(水は飲まんのか? 持って来てくれんだろ)
小太郎はそう言ったが、これ以上長居をする気はオレになかった。あとはハロルド枢密院がその政治的才覚を発揮して、この地の安寧を守るだけである。邪魔をする気はいささかもなかった。
「ハロルド枢密院。それではオレはこれにて、ご免こうむります」
そうしてオレが立とうとした時、ハロルド枢密院が待て、と言った。
「はあ?」
枢密院がオレをジッと見た。朝日が窓から入って枢密院の頭皮がまぶしかった。
「この手紙を読んだか?」
「は」
うら若い女子が襲われ、胸元を探られたのだ。何か隠してあるのかと確認をするのは、匿った家主としてやらねばならぬ事だった。
だが咎められたと思った。王から枢密院へと宛てられた、秘中の秘の密書だったのだ。それを身分も定かではない、それどころかこの地では身分すら怪しい軽輩の者が、持参の途中で見てしまったのでは、事情はどうあれ僭越のそしりは免れない。
「申し訳ない」
オレは頭を下げた。
「読んで中身がわかったか?」
「いえ、一向に」
密書は脈絡がなく、オレの扱いのことを除けば、ただ単に人名が書き連なってるだけにすぎなかった。
(む。オレのことに気づかれたか?)
(それはないな。今のお前は名前がちがう。間違っても豪農の食客のように思ってるお前のことを、フォルテの第七王子だとは結びつけまい。ましてや門番にしようと一度は考えてたのだぞ。王子と知れたら大変な外交問題だ)
(そういうものか)
(そうだ。敵の王族は懐柔するものだ。そうして同調する者を内外に増やしてゆくものだ。それを門番にさせると思うか。気づいたら枢密院といえでも頭を下げねばなるまいよ)
(左様か)
(そもそもティナの年齢を十二だと思って疑ってない爺さまだぞ)
(了解した。今後とも何かあったら頼む)
(どんと来い。その代わり魔気をよこせよ)
変わらぬ小太郎に、オレは内心で苦笑した。
そしてハロルド枢密院は納得したように何度も肯いていた。
「それだけ考えてもか」
別のことを考えてたとは言えぬので、とりあえずオレは肯いておいた。
「さようか。わからぬであろうな」
したり顔の枢密院がどこか気の毒だったが、オレは神妙にして気持ちよく納得してもらうこととした。するとハロルド枢密院は鼻をうごめかし、話し好きの老人の顔になって、まあ聞け、こういうことだと語り出した。
それは、オレにとっても思いも寄らぬ話であった。