痛むのはどこ
「待っていたんだ、私達の花嫁を」
嬉しくて仕方がないと言わんばかりの穏やかな笑顔に夕月は内心首を傾げる。
えーっと……何で私はこの人達の生い立ちを聞かされてるんだ? いや順を追って説明するって言うから大人しく聞いてたけど流石にこれから僕達結婚して幸せになるんですって聞かされたって何の感動もないんだけど。だって他人だし。まあいい大人なので社交辞令としてお祝いの言葉ぐらいは言いますけども。
「結婚相手が見つかったんですね、おめでとうございます」
「「ありが……ん?」」
「是非皆さんの結婚式を見てみたいものですが、どこの馬の骨とも知らない私には場違いでしょう。これからの皆さんの結婚生活が円満であることを心から祈ってます」
「……おい、ちょっと待て」
「それでその、お目出度い話のあとになんなんですが、出来れば私がここに来た時の事を詳しく教えていただきたいのです。どうにも扉を開けて真っ逆さまに落ちたあたりから記憶がなくて……こんなにお世話になっておいて図々しいのはわかっているのですが、できれば帰り方を教えて頂きたいのです」
やはり図々しかっただろうか、ピクリとも動かなくなってしまった四人に夕月は焦りだす。
でも夕月は知らないのだ。どうやってここへ来たのかも、どうやって帰ればいいのかも。
「す、すみません!けど家の留守を任されていて何日も不在にするわけにはいかないんです。何か私に出来ることなら可能な限りこなしてみせます。ですからどうか……」
「ユエ……ごめんね。回りくどい言い方だったかもしれないね。私達がユエに四天獣のことやこの場所の成り立ちを話したのは、ユエに私達のことを知って欲しかったからなんだ」
可哀想な目で夕月を見て話すクォルツに頭の中で警鐘が鳴り響く。何故かこの先を聞いてはいけないと思うのに身体は震えるばかりでいうことを聞いてくれない。そんな夕月を待ってくれるはずもなくクォルツは決定的な言葉を言ってしまった。
「僕達とこれから長い年月を共に過ごして欲しくて話したんだよ……ユエ。花嫁はユエ、君なんだよ」
違う……私が聞きたいのはそんなことじゃないの。
「……帰り道を知りたいだけなんです。お願いですからふざけるのも大概にして下さい」
情けなく震える自分の声が腹立たしい。こんな訳のわからない話跳ね除けなきゃと思うのに窓から見た二つの太陽や人間離れした四人の男、知らない言葉がぐるぐると頭の中を巡って吐き気が込み上げてくる。
それなのに一番言って欲しくない言葉がハルディオの口から出て夕月の中の何かが音を立てて壊れていくようだった。
「……歴代の花嫁で、元の世界に帰った者はいないと言い伝えられている。皆この世界で生き、老いて、死んでいった。俺たちは君を元の世界に帰す術を知らないんだ」
震える手が現実だと訴えるようで何とか力を込めて震えを抑える。
「か、神様は……貴方達に花嫁を連れて来るのでしょう? だったら神様に言って下さい、何かの手違いだって!」
縋るように言う夕月を見て小さく眉間に皺を寄せたギルバートは淡々とそれでも瞳は夕月を宥めるように語りかけた。
「神は古から伝わる約定を守っていて下さるが、俺たちの代になってから、いやそれよりずっと前から垣間見れたことも御言葉を下さったこともない。それだけ遠い存在なんだ……だから届くかどうかわからない。可能性はないに等しい……すまないユエ」
……嘘だ、誰か嘘だと言って。だっておかしいよ、私はどうしてここに連れて来られたの?ありきたりでなんの変哲もない毎日だったけど私はそれで満足していたの。こんなこと私は望んでいない。
「……冗談キツイです。誠心誠意お願いしている小娘をからかってそんなに楽しいですか?」
「ユエ、私達は……」
「おかしいでしょ、イキナリ会った、別世界の男四人と結婚しろって?そんな訳のわからないことのために私はここにいるの?」
おかしい、この人達は信じれらない。信じちゃいけない。どうして聞き分けのないような子を見るような目で私を見るの?私の言ってることが間違ってるの?
「花嫁の中にははじめは受け入れられず夜通し泣き続けた方もいたそうだ。けれど最後には四天獣と子を育み幸せになったと」
「だからお前も受け容れろって!? いずれ諦めがついて幸せになるって本気で思ってんなら私はあんた達とは居られない!!」
叫びだすと同時に夕月は走り出した。思い切り叫び出したいのを堪えながらひたすら走って走って、気づいた時には靴もなくけれども裸足の足に痛みはない。城を抜け森の中に入れば樹々が夕月を避けるように揺らめく。何だか気をつかわれてるようで余計に腹立たしくて構わずドンドン森の奥へと進んでいった。
息が上がってもう走れない状態になるまでノンストップで走り続けた夕月はまだ低く若い木の横にへたり込んだ。あんなにあちこち走り回ったのに身体のどこも痛くない不思議と不満で地面をどんと叩く。
痛くないのに、どこかがとても痛くて上手く呼吸が出来ない。誰か助けてって思うのに、放っておいてとも思う。泣き叫びたいって思うのに、悔しくて声を嚙み砕いてる。偉い人たちにあんなこと言って大丈夫なのかって心配なのに、ふざんけんなって自棄になってる自分がいる。
森は静かなのに私の中は嵐のように騒がしい。
森は生きているのに私の中は何かを諦めたかのように凪いでいる。
森は私を見ているのに、私は何も見えていない。
結局泣き出したのはそれから数分後。
腹立たしくて悲しくてこんなにグチャグチャな気持ちで泣いたのは久しぶりで。止め方も、ついでに息の仕方もわからなくて正直半ば死にかけた。
泣き止んでからは水場を求めてフラフラと歩き始めた。顔を洗ったり水を飲んだり意識しなくても身体は勝手に生きようと動くもので、なんだか凄く呆れた。
水に映る自分の顔は酷いもので幸いなことにスッピンだったから化粧崩れとかはないが目は腫れてる気がするし、鼻も真っ赤だ。そのまま何となく水面を覗き込み色々考え込んでしまった。
あの人たちのこと、自分のこと。
しなければいけないこと、したいこと。
この世界のこと、元の世界のこと。
仕事のこと、両親のこと。
神様のこと、四つの国のこと。
本当にいろいろ、沢山のこと。
……纏まったのかと言われればいいえと答えるだろうし、どうするんだと聞かれればまだ考え中と言うだろう。でも、少しだけ決心がついたような気がする。
水面を叩き汚い自分の顔を消す。波紋はドンドン広がっていき穏やかになる頃には夕月はもう悲嘆に暮れてはいなかった。
メソメソしてるのは性に合わない。だって夕月はいつも大人に振り回されてきた。理不尽な世の中で生きてきたのだ。誰も手を差しのばしてくれない時、夕月は何度も一人で立ち上がってきた。だけど手を差し出して引っ張り上げようとしてくれる人もいた。昔はその手をとることができなくてそんな自分に嫌気をさした時もあったけど。だけど一度だってもういいやって中途半端に投げ出すことはなかった。そこが自分の美点でもあるし今までの困難を乗り越える一番の助けであったのだ。だから今回も夕月がすることは何も変わらない。
ザッと立ち上がれば今度はフラつかなかった。駆け出した足は止まることなく突き進む。デタラメに走って来たから元の道を知ってるはずはないけど何となくこっちだって言われてる気がしてメチャクチャに走った。
城についた時色んな人にぎょっとした顔をされたがそれにも構わず走り続けた。途中あの中性的な顔の人が廊下にいたから頼み込んでなんとかあるものを貸してもらえた。それを持ってまた走り出す。あの人たちに、自分に言わなきゃいけないことがあるから。
バタン!
「失礼します!」
ノックもなしに勢いよく開けた先には先程と同じ席に座った四人の男。ご丁寧にポーズも出て行った時と同じようだった。
「ユエ、戻ってきてくれて嬉しいよ。もしも君が命をたったらと思ったら気が気じゃなかった」
心配な表情は嘘には見えないけれど後に引く気はなかった。四天獣と言われる彼らは風格も態度も強者のそれで夕月の葛藤も決意も些細なことかもしれない。
でも……だからこそ、その余裕を崩してやれ。
「ご心配どうもありがとうございます。勝手に騒いで出て行った挙句申し訳ないのですが皆さんに幾つか質問したいことがあります」
聞きたいことは沢山ある。けれどこれがはっきりすることで私のこれからの行動は大きく変わる。
「いいよ、僕達に答えられることなら幾らでも」
四人全員の同意を得たので夕月は一つ目の質問を投げかけた。
「では一つめ、貴方方にとって花嫁とは何ですか? 神に一方的に与えられる花嫁をどうして受け入れられるのですか?」
「僕らの伴侶、唯一の存在だから。確かに人間のように沢山の中から選ぶことを僕達はしない。神の選んだ存在が運命だと知っているから」
その答えに何も言わず夕月は続ける。
「では二つめ、私と貴方達が出会って話をしてからまだ幾ばくも経っていませんが貴方達から見て私をどう思いますか? 受け入れられますか?」
「ああ、俺たちは君を花嫁として受け入れる。何も問題はない」
四人それぞれ賛成の意を唱えるのを確認すると夕月はゆっくりと目を閉じた。
誰の言葉も信じられないなら自分の声を聴けばいい。自分の問いかけに私はきっと何よりも正直に答えてくれる。
これからどうするの? ……まだわからない。
当たり前だ、まだこの世界のこともこの人達のこともちゃんとわかってない。知らない状態で答えは出せない。
諦めはつきそう? ……いいえ。
お別れの言葉も納得のいく説明もないのに家族を捨てるなんてそんな親不孝なことはできない。私は絶対に家へ帰る。
決心はついた? ……ええ。
再び目を開いた時、夕月の心は決まっていた。
明らかに雰囲気が変わった彼女を見て四天獣の表情がようやく少し動いた。声は震えていなかった。
「やはり、……私は貴方達を受け入れられません」
話を聞いてわかった。どう考えても夕月と彼らは相容れない。彼らの中には夕月が自分達と夫婦になると信じて疑わない心が見え隠れしている。申し訳なさそうな顔をして、実際にそう思っているのかもしれないが心のどこかで私が彼らを受け入れると思っている。
けれど、夕月にとったら彼らも神も自分勝手で理不尽な誘拐犯に等しい。勝手に連れてきておいてもう返せないだの、幸せになるだの言われて、どうしてはいそうですかと頷けると思う。そんな人達に幾ら帰れないと言われたところで夕月は絶対に信じない。
「だから私と貴方達でゲームをしましょう。賭けるのは自分達の人生です」
だから彼らと私に同等のチャンスを作ることにした。彼らも私も納得のいく結果になるために。
「ゲーム?」
「そうです、私は元の世界に変える方法を見つけたい。貴方達は私を花嫁にしたい。この二つが同時に叶う未来はありません。いずれどちからかが折れ受け入れなければなりません」
「その通りだな」
「けれど私は生まれてこのかた神もお化けも信じたことはありません。見えないものは信じない主義なんです。ですからあるのかもわからない運命とやらに振り回されて私の人生を決められるのは不愉快です。諦めるなら私が納得してから。結婚するなら好きな人と」
ふざけてもらっては困る。私の人生を他人が好き勝手に決めていたらそれはもう私は死んでるも同然だ。いいように言いくるめて依存させてそれで幸せなんて、薬物やって気持ちいいって言ってる奴と対して変わらない。
「だから貴方達は私を納得させてみせてください。私が元の世界に戻るよりもずっと幸せで貴方達と結婚してもいいと思えるくらい好きになると証明して下さい。そうすれば私は喜んで貴方達の花嫁になりましょう。しかしその一方で、私もまた元の世界に戻る方法を探します。今の貴方達を好きになれるとは到底思えないしある程度裕福で満足のいく生活をしていたので別にここで暮らすメリットが私にはありませんから」
両親のことを口に出すのは躊躇われた。お涙頂戴なんて望んでないし女々しい自分は今は要らないから
「けれどだらだらと時間を過ごし気付いたらヨボヨボのおばあちゃんで、さあ幸せになりましょうなんて馬鹿げています。ですから制限を設けましょう」
夕月の手には先程借りてきたハサミ。誰もが夕月の一挙一動に釘付けになっている中、夕月は躊躇いもなく腰ほどまである自身の髪を根元から切り落とした。
「なっ!」
綺麗な長い黒髪は今やベリーショートほどに。この世界でも女性は髪が長いのが一般的。夕月自身も丁寧に手入れをし続けた自慢の髪だったが明らかに変わった四天獣の表情に夕月は不敵に笑って見せた。
髪を持つ拳を四天獣に向けて突きつける。
「期限は私の髪が元の長さに戻るまで。その間私は揃える程度でしか髪を弄らないと誓います。さあ、どうしますか? ゲームに参加しますか、しませんか?」
「……参加しないと言ったらどうするつもりだ」
「その時は城を出ます」
「無理だな、女一人で生きていけるわけがない」
「あら、この世界では女一人で生活するのもままならないんですか? 私の世界では女は男と同じように働き生活しますよ。それなら早々に帰る支度を始めた方が良さそうですね、やはり元の世界の方がずっと過ごしやすい」
「っ!それは……」
四天獣相手に一歩も引かない姿勢に部屋にいる誰もが息をのむ。そして皆が心の中でこう思うのだった。
これこそが待ち望んでいた我らの花嫁だと。
この世界には珍しい双黒に四天獣も人間達も目が離せない。
「さあ、私はもう決心がつきましたよ。選んで下さい、ゲームに参加するのか、しないのか」
驚愕の表情を浮かべていた四天獣だったがすぐさま繕い夕月に返事を返す。
「参加するよ、君がそう決めたなら」
「俺も参加しよう、ユエ」
「僕も参加する、こんなにゾクゾクしたのは生まれて初めてだ!」
「参加しよう、断る理由がないからな。だけどユエ、ゲームにはルールが必要だ。その最低限のルールとして君は俺たちからのアプローチや誘いを可能な限り受け入れる。感じ方や心は君次第だがその前に取り合ってもらえなければ公平なゲームとは言えないからな」
尤もだと思える言葉に夕月も大きく頷き返事を返す。
「わかりました。では貴方方も私が元の世界に戻るために質問したことには包み隠さず話して下さい。また情報収集のためにある程度の自由と権限を頂きたい」
「いいよ、それで君が納得するなら」
四人それぞれの了承を受け取って夕月もホッと息をつく。そして最後にこのゲームの審判を選ぶことにした。頭に浮かぶのは一人しかいない。
夕月が振り返った先には何時ものあの人が。
「すみません、こちらに来てから貴方には大変お世話になっているのにお名前を伺っていませんでした。よろしければ教えて頂いてもいいですか」
中性的で卒なく仕事をこなすその人は畏まったように夕月に向かってお辞儀をした。
「はっ……テハクと申します」
「ではテハクさん、貴方が証人になってください。ゲーム参加者はこの場にいる五人。期限は私の髪が元の長さに戻るまで。その間髪の長さを変えようとする行為は禁止。そしてもし期限までに双方どちらの目的も達成しなかった場合、次のゲーム内容は貴方が決めて下さい」
「かしこまりました」
テハクさんの了承を聞いてから夕月の視線は再び四人へ。
「それでは皆さん期限までの間よろしくお願いします。……私は絶対負けませんよ」
今一生をかけたゲームの火蓋がきって落とされた。