こんにちは?…いやこんばんは?
トイレの扉を開けた向こうには見慣れた明るい白の壁と短いが木目の綺麗な廊下があるはずだった。そしてその廊下の先には真新しいとは言えないが綺麗に掃除された我が家のリビングが広がっているはずだったのだ。
ーーーそれがどうしてこうなった。
超豪華なテーブルに見たこともないような綺麗な花々が飾られており、天井にはシャンデリアがつるされている。その他の家具もどれも一級品だろうと思しき物でどう考えても素朴な我が家のリビングではないのがわかった。
ビフォーアフターなんてものを美知子さん達がこっそりやっていたのなら話は別だが、実家に戻ってきてから数日経ち、さらには本人たちのいない間に行われたのならばそれはビフォーアフターでもなんでもない。ただの心霊現象である。ヤダ、コワイ。
このシャンデリア埃一つないな~。凄いな~なんて感心してる場合ではなかった。
いや、この際問題はそこではない。
懸念すべきはこの扉が何故か謎の部屋の天井にくっついているということだ。
え? よくわからないって?? つまり部屋の住人からすれば天井にいきなり扉が現れて見知らぬ女がこっちを見ているということだよ。だからこそ、こうしてシャンデリアを間近で見ることができているわけなのだが、自分に向けられる八つの目から目を逸らした結果シャンデリアに行きついたと言ってもいい。
ちなみに私は上空から部屋を眺めてるようになるのだが一体重力はどうしてしまったのだろう。職務怠慢もいいところである。
そうして目をそらし続けていたがそろそろ無視するのも辛いくらい部屋の住人からの視線が痛い。誰一人声を出さないこの状況も嫌なのだが、こっちは女一人に対して向こうは男4人というのもキツイ。しかも見目がいいときた。皆椅子に座っているから見上げられているのだが……見られ過ぎて穴があくとはよく言ったもので。大丈夫ですかね?私の身体今蜂の巣になってるんじゃないですか??
とこの間約十秒、状況についていけない脳味噌は大事なことを見逃していた。ハラリと耳にかけていた長い黒髪が落ちたのをきっかけにやっと気づいた時には身体は傾き始めていた。
「……ん?……あ、やばっ!?」
先程の悪口に気を悪くしたのか重力がここぞとばかりに仕事を始めた。しかし重力が二方向に向くわけもなく、それが夕月の家のトイレを基準にしてくれなかったことが腹立たしい。残念なことに重力は見目のいい男達の方を選んだらしく天井と水平に立っている夕月の身体は謎の部屋に引きづりこまれるように傾いていった。
「や、ムリムリ……落ち、落ちますって!」
ドアノブを掴もうと伸ばした手も空を切り、体はもう半分扉の外に出てしまった。こうなったらもう潔く地面と熱いキスを交わすしかないと覚悟してぎゅっと目を瞑る。
しかし夕月はここで思い出す。自分の真下にあったのはとんでもなく長く豪華なテーブルであったということに。このまま落下すればテーブルに上がるのは料理ではなく潰れた自分になるのだろう。落ちた拍子に高そうな家具を割ったりしたらそれこそ目も当てられない。
どんどんと近づいてくる地面、もといテーブルに通帳の中身がいくらだったかを勘定しながら夕月は意識を遠くへやった。
25歳女夕月。案外ビビりだったようです。